メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

8月23日(金) 前日 翌日

 7時過ぎに起きてテラスから朝焼けの写真を撮った。慶子さんによればここからポポカテペトル山が見えるということだったが、雲で覆われて見えなかった。
  8時頃、下に降りると慶子さんが陽一君の学校に出かける準備をしていた。朝食に昨日の餃子とコーヒーをいただく。2階のシャワーを使わせてもらった。
「毎週金曜日にミュージシャンのシプリアーノの家でヨガと瞑想の後、即興演奏をするんですけど、行きませんか。私はその時間に間に合うように帰るつもりですが、時間がかかりそうだったら直接向こうへ行きます。その場合はラウルと一緒にタクシーで来て下さい。なるべく間に合うように帰ってくるつもりですが。シプリアーノは70すぎだけどすごいエネルギーのある人なの」
 久代さんは家で本を読んでいるというので一人家に残し、学校から帰ってきた慶子さん、ラウル、陽一君とで11時頃シプリアーノの家に出かけた。


 彼の家は坂を下って10分ほどのところにあった。呼び鈴を鳴らすと、髭を生やした若い男が出てきた。テノール歌手のオディセオだ。25歳だというが、髭のせいかそんなに若くは見えない。ちょっと雑然とした前庭を上がったところが広い部屋になっていた。壁の色々な絵、ピアノ、カセットやCDのある棚、プリンターの置かれた丸テーブル、階段の下のスペースにはディスプレイ一体型のPC、LPレコードの箱、ミシンなどが見えた。左奥のキッチンに長いダイニングテーブル。キッチンでは先ほど出てきたオディセオが何かの料理を作っている。放置されることに慣れているのか、陽一君は何も言わずにすぐに我々から離れ、奥の部屋に引っ込んでテレビか何かを見ているらしい。
 71歳になるというシプリアーノは、灰色と白の混ざった長髪を後ろに撫で付け、気品のある端正な顔だ。ふとアーシシ・カーンを思い出した。シプリアーノがヨガマットを取り出して敷き始めた。ワダス用のものも敷いてくれたが「ヨガはしない。外で日記を書く」と申し述べる。シプリアーノ、慶子さん、ラウルの3人がヨガを始めた。シプリアーノが動作の合図をする。タバコを吸いながら庭に置かれた椅子に座り日記を書いた。猫が3匹あちこち動き回り、ワダスの足に体を押し付ける。
 しばらくするとシプリアーノが手に持ったマラカスのようなもので音を出し始め、それを合図に二人も音を出す。即興が始まったのだ。3人とも楽な姿勢で頭をうなだれ目をつむって楽器を手にしていた。ラウルはサンポーニャやケーナ、慶子さんは鍵盤ハーモニカ、シプリアーノがフルートを吹く。ワダスも中に入って楽器を取り出して彼らの演奏を聞く。しかし即興の隙間を見つけるのが難しいので結局参加しなかった。
 ヨガ瞑想と即興が終わると全員ダイニングテーブルに座っておしゃべりした。途中から腰の大きい女性マレケが加わって喋り続け、それにラウルが応答していた。家では寡黙のようだったがラウルはよく喋る。時々慶子さんが通訳してくれた。マレケはカンクンに近い町の出身で、クエルナバカの音楽学校で声楽を習ったソプラノ歌手だという。黒魔術で使うためにハチドリを殺してしまう、などという話をしているらしかった。


 2時過ぎにランチ。オディセオの作った野菜スープが優しくて美味しい。次いでマレケが持ってきたタマルを食べた。ほんのり甘い。すぐに売り切れてしまう人気の店で買ってきたという。慶子さんとオディセオが餃子の皮に具を詰める。そこへ杖を持った老女が奥の部屋から現れた。96歳になるシプリアーノの母親だった。横顔がシプリアーノとよく似ている。焼かれた餃子をフォークとナイフで食べようとするが一口では口に入らないらしく、シプリアーノがナイフで細かくしたものを口に入れた。二つ目の餃子のとき、隣に座ったワダスが同じように餃子を切ってあげた。シプリアーノはそれを見て微かに頷く。彼は料理の皿をそれぞれの人の前にまず置き、自分のものは最後に取る。さりげない気配りの人だ。


 スペイン語だけのおしゃべりが続くのでワダスは外に散歩に出た。どの道も坂になっていて散歩にはあまり向いていない。緩い坂を上がっていくと対岸の民家が見えた。道の左はすぐに谷に向かっている。谷底まで通じる道に入ってから同じ道を戻る。20分ほど歩いた。
 散歩から戻ってしばらくして慶子宅へ戻った。3時過ぎだった。久代さんは一人、家で読書をしていた。家住氏の本棚から拝借したガルシア・マルケスの中短編集を読み終え「甘美な時間だった」という。


 部屋で練習していると、会場へ行く6時になった。家住氏も現れる。家住氏の車で会場へ向かう。家から車でほんの2分ほど坂を降りたところの会場はCultura Baktunと呼ぶ民家を改造した建物だった。黒、赤、土色の菱形のアフリカ風模様に彩色された建物の上には高いアンテナ塔が立っていた。屋根をつけた中庭にテーブルと椅子が並べられていた。右手に舞台があり、持ってきたテーブルを置き、敷物を敷く。
 会場の持ち主のホセと母親が準備をしていた。短い髪に頬びけを生やしたホセは黒の袖なしTシャツ姿でマイク、スピーカーのセットをしてくれた。スピーカーはかなり大きい。舞台の後ろ壁には真ん中にマヤのカレンダー。それを挟むように天井からLEDの照明が照らす。両目のちょっと離れた母親は白の伝統的なブラウスを着て、受付の準備。雨模様のためかバーンスリーを手に持つと粘ついた。
 セッティングが終わってから、近くの薬局でベビーパウダー23ペソを買い、慶子宅に帰る。
 開演予定の8時すぎ家を出た。「メキシコ時間だから大丈夫。多分、実際の演奏は9時過ぎかな」と慶子さん。時折り雷の音がし、そのうち雨が落ちてきた。雨が降って客足が落ちるのが心配だ。
 8時10分に会場に入ったが、やはりお客さんは少ない。シプリアーノが、オディセオ、マレケや他の知り合いを連れてやって来た。9時前になり、他の客もぼちぼち姿を見せ、めいめいビールを飲んだりしている。客は歌手、ダンサーと娘、指圧師と恋人、陽一君の音楽の先生、日本に行ったことのある科学者の女性など。客がテーブルに座るのを確認したホセの母親が挨拶しコンサートが始まった。慶子さんの予想通り、9時だった。


 まず秋田長持唄を笛と歌で演奏。次いでRaga Kirvani、Bhatiyaliと続けた。演奏中も大きな雷鳴が響き、雨が降っていた。アンコールに「いつも何度でも」を吹いて演奏を終えた。数は多くはなかったがレベルの高い聴衆だった。ジャズ・フルート奏者のシプリアーノが褒めてくれたのが嬉しい。ホセの母が何度も記念撮影をせがんだ。
 あとで慶子さんにホセの家族の話を聞いた。ホセがまだ十代の頃にギター奏者だった父親が、今日の会場だった場所で首吊り自殺したという。さらに、ホセの妹とボーイフレンドが誘拐され、行方不明のままだという。ホセはそうしたことのわだかまりがずっとあったが、ワダスの演奏で吹っ切れた、会場が浄化されたみたいなことを言って感謝してくれたらしい。


 激しい雨の中、シプリアーノ一行も一緒に帰宅し、打ち上げパーティーとなった。慶子さんはその場で生地を作り、フライパンでトマトをのせたピザを焼く。さらに、家住氏持参の海苔と、すし飯で手巻き寿司。具は卵焼き、きゅうり、ビートなど。慶子さんの手際がいい。銀行の技術者だという男がわかりにくい英語で楽器のことやインド音楽について話しかけてきた。シプリアーノと同行してきたのは、オディセオ、マレケの他に、トヨタに勤めているという青の長いワンピースを着た赤毛の女性。コンサート会場でマリワナを吸っていた女性だ。
 我々はベッドだったが、家住氏は床に敷いた布団に毛布をかけて寝た。2時就寝。

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