メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

8月24日(土) 前日 翌日
 8時過ぎに1階におりて慶子さんにコーヒーを作ってもらう。ラウルはパジャマ姿でウロウロしていた。鍵をどこかに置き忘れたらしい。「探し出すまで何もできない人なの」と慶子さん。部屋から現れた陽一君が皿のリンゴを掴んで部屋に戻り、また戻ってきてさらにリンゴを掴んで食べながら再び部屋に戻る。9時になり、高校の入学式があるという慶子さんを見送り、我々もテポストランに帰る準備する。我々の泊まった2階の部屋と隣家の写真を撮った。楽器などが壁際にならんでいる。机の上には勾玉もあった。慶子さんのバンド名なのだ。

 


 家住氏の眼の調子が悪いらしく、目薬をさした後じっとしていた。1年ほど前に林を歩いていて、何かの枝が目に当たったのが原因。次の日に左目が大きく腫れ上がった。眼科医に見てもらい、処方された薬で痛みと腫れは引いたが、しばらくするとまた腫れる。体調によって繰り返し腫れが出るのだという。「異物が入ったようにゴロゴロしてるので見てもらったけど、異物はないと言われた。ちょっと痛みもある。薬を飲んだら頭も重く、ぼやっとしてやばい感じだ。ヒロシさんは運転できるよね。ひょっとしたら途中で運転を代わってもらうかも。無免許でもこっちでは問題ないし」


 11時、家を出てラウルの案内で近所のプルケとタコス屋へ。1.5lと2lのプルケを買った。1リットル17ペソと格安だ。久代さんにはビール代わりだ。我々はカラバサの花の入ったケサディーヤを食べた。小さな娘が両親の商売を手伝っている。
 タコス屋でラウルと別れ、車は市街から高速道路に入った。高速道路の途中で家住氏が路肩に車を停めた。
「うーん、ちょっと運転を代わってもらおうかなあ。このまま走って何かあったら困るし」と言い、ワダスがハンドルを握った。市街地の運転は右側通行に慣れないと危険だが、対向車のいない高速道路なのでそのまま前に向かって走らせた。メキシコで無免許で運転するなんて考えてもみなかったが、走らせているとメキシコを車で旅行するのも楽しいだろうなあと思ってしまった。高速を出て市街地に向かう場所ですぐにまた運転を代わってもらった。狭い市街地はさすがに戸惑う。


 12時過ぎ帰宅し、2時まで練習。3時半、家を出た。途中の雑貨屋でタバコと焼き菓子を購入。焼き菓子が1つ30ペソくらいと高い。4時20分、会場に到着。会場のコミュニティ・スペースの門が閉まっていたので金宅の近くに駐車した。家住氏が金宅へ行ってみたが無人だった。きっと会場で待っているのだろう。歩いて門の呼び鈴を押すとロサナが開けてくれた。会場には金さんもいて色々と準備作業をしていた。会場の建物は、竹のトラスで屋根を支える構造になっていたが長手の両端には壁はなく、舞台に座ると山林の緑が正面に見える。奥には祭壇のように3段になった臨時の舞台が作られていた。2段目の両端にはろうそくが灯されているので、結構高い3段目に座ると、まるで仏像のようになってしまう。舞台の前はむしろを敷いた桟敷席。その後ろに椅子席が作られていた。


 舞台に座り音を出していると、タブラーとタンブーラーを持ってきたアロンソがやってきた。金さんから依頼されてとりあえず練習してみるということになっていたのだ。黒いチリチリ髪に髭を生やしたアロンソ(40歳)が舞台に上がり楽器を取り出した。
 彼のタブラーは何度やってもワダスのバーンスリーのEまで上がらない。半音低いのだ。ところがアロンソは自分のスマホのタンブーラーを聞きつつ「このタンブーラーだと合っているけど」と主張する。何度かやってみてどうしてもEにチューニングするのが難しいということを理解したので、Cに合わせてもらう。Cだともう一本のバーンスリーのパに当たるのでなんとか間に合わせにはなる。ワダスにとっては指使いが変わるのでやりにくいがなんとかなる。だが、Cに合わせるのも彼は苦労していた。きっとチューニングを素早くやる訓練をしていないのだろう。なんとかCにチューニングしたが、明快な音質にならず曇った音になった。それで6拍子のダードラー・タールを叩いてもらいアリランを一緒にやってみた。ところが、いつの間にか違うターラになっているし、スピードがどんどん速くなる。「8拍子のカハルヴァーはどうか」と尋ねると「それってどんなの」と聞いてきた。どうやら彼に伴奏してもらうのは難しそうだ。チューニングに問題ありということでアロンソの伴奏を断った。せっかく持ってきたので使えるかとタンブーラーのチューニングをしてみたがEにすると弦の張りが強くなるのでこれも断念。息子だという黒人の少年が弾くと言っていたが。
 後で聞くと、アロンソはタブラーはバジャンやフュージョンで演奏していて古典はほとんどやらないとのこと。英語を話すが、本職はスペイン語のナレーターだという。例えばこんな感じ、と話してもらった。落ち着いた声のナレーションはまさにテレビやラジオから流れる声だ。彼はメキシコだけではなく、アルゼンチンの放送局などからも依頼があり忙しいという。テポステラン近くのアマトランという村に住んでいる。

セルヒオ ロサナ 蜂蜜作りの住人


 舞台袖ではメガネをかけた長身の中年男セルフィオがマイクとスピーカーを準備してくれた。マイクはワイヤレスだったので洗濯バサミにくっつけ、それをバーンスリーの歌口に近い端に固定した。リバーブはなかったが、出力は問題なさそうだ。短いバーンスリーではマイクは使わないことにした。アルゼンチン出身のセルフィオはこのコミュニティーに住む住人で、普段は人形劇をやっているという。
 お客さんが続々とやってきた。先日食事会の時に会ったアメリカ女性のナンシーやベルギー女性のクリスティーナ、金さんの隣に住むチリ人のセシリアと94歳になるという彼女の父親など。


 8時15分、金さんの挨拶で演奏開始。舞台からまず客席の写真を撮った。これが受けた。ついで最上川舟唄、Hemavati、Durgaに次いでアリラン、ベンガルの舟歌バティヤーリー、アンコールで「いつも何度でも」。アリランは金さんへのお礼の気持ちだ。音階が同じなのでRaga Durgaのアーラープからアリランへ移行した。昨日よりもずっと寒く楽器のピッチが下がっていたがなんとかなった。
 演奏を終えると多くの人が近づいてきて「よかった」と言ってくれたのが嬉しい。メスカルを2杯ほど飲む。少女が蜂蜜の瓶をプレゼントだと手渡してくれた。さらに、リボンのついたパックの絵の具をもらう。蜂蜜の瓶は重く、運べないので、家住車に同乗したクリスティーナに進呈した。クリスティーナはなんとタカンバロをよく知っているという。ホテル・モリノにベルギーの街の写真が飾ってあったが、どうやらその催しに関係していたらしかった。すごい偶然だ。
 11時帰宅。家住氏、残り物のカレー、玉ねぎの味噌汁、ご飯を用意してもらい、それを食べた。家住氏は食後すぐに「寝ます」と言って母屋へ。眼の痛みもあったのかもしれない。

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