メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

8月25日(日) 前日 翌日
 起きてキッチンでコーヒーを飲んでいると外で人の声がした。8時過ぎだ。久代さんが応対していたのでワダスも外に出てみた。一瞬どこの人かわからない小柄の女性と物静かな中年の男が傍にいた。
「風邪で声が出ないんです」と日本語だった。
「邦夫さんの友達なんです」
「まだ寝ているかも」
「起こしてもらえませんか」
 ワダスは鍵のかかった母屋のドアを叩いた。「大丈夫?」「大丈夫です。バスターミナルまで送っていけそうです」
「お客さんですよ」
「そう? 今行きます」
 後で家住氏に聞けば、るりさんと医学者の夫だった。家住氏の現在の車は彼らから買ったのだという。現在メキシコシティに住んでいる。夫の兄弟のいるクアウトラに時々やって来る。テポストランはその途中なので、家住氏のところへ日本食などを届けがてら様子を見に来るのだという。今回もお茶漬けの素、切り干し大根などを持ってきていた。夫氏はドイツに留学して医学を学び、現在は医学系の研究者として働いている。


 11時、バスターミナルまで送ってもらった。1時、クアウトラCuautla行きのバスに乗る。料金は二人で56ペソ。クアウトラは割と大きな町だ。町の建物や商店はインドの田舎町のように見える。到着したバスターミナルとプエブラ行きのターミナルが違っていて、そこまで少し歩いた。OROのバスターミナルでプエブラ行きのバス・チケットを購入。2人440ペソ。2時間ほど走ると高層ビル群が見えてきた。ヒルトン・ホテルやウォールマートなども見えた。これまでのメキシコの町とはかなり異なる風景だ。「プエブラに行けば見える」と言われていた今も火を噴くポポカテペトル山(標高5426m)は雲に隠れて見えない。


 3時過ぎ、プエブラのバス・ターミナルに到着。まるで空港のようだった。柱のない大屋根の下は広い空間になっており、周りにカフェ、スナック類の店、バス会社のカウンター、旅行会社などが並んでいた。ここで明日の1時発のベラクルス行きのバスを予約した。料金は二人で810ペソ。
 先払いのタクシーでセントロのホテルへ。タクシー代は82ペソ。バスターミナルから低い建物が密集した区域を抜け、タクシーはスペイン風の5階建ほどの建物に囲まれた歴史地区に入った。ホテルはセントロの広場からすぐの場所にあった。


 レセプションで550ペソ支払い、部屋に案内される。黄色の壁面に様々なスタイルの天使像がはめ込まれた広い中庭から石の階段を登る。2階の208号室だった。3階建だが、階高が日本の倍ほどある。「エレベーターはないの?」とスーツケースを持ってくれたレセプションの男に聞くと即座に「ない」という返事。部屋はほとんどがベッドで占められて狭い。しかも部屋をつなぐ廊下側にしか窓がない。


 セントロ周辺を散歩した。二つの高い鐘楼をもつ黒い教会がセントロのシンボルだ。周辺の建物は重厚なヨーロッパ風。シティやミチョアカンの町でよく見かけた街頭タコス屋やスナック飲食類の屋台はほとんどない。カフェ、レストラン始め、靴屋、洋服屋などなどが石の建造物の1階に並ぶ。子どもの遊び場を併設した市場のような場所でも、先住民の伝統的な商品を扱っている店はほとんどない。先住民たちは手に抱える程度の品々を歩道などで広げて商売している。ヨーロッパの街並みなのにほとんどヨーロッパ人がいないという点で、なんだか長崎のハウステンボスを思わせる。行き交う人々の顔つきも明らかにミチョアカンとは違う。全体に背の低い人が多い。


 広場を見渡せる角にEl Coronaというレストランがあったので入った。メキシコでは最もポピュラーなビール、コロナのブランドのついたレストランは、「札幌ビール直営店」のような店なのかもしれない。我々は広場を見渡せる隅っこのテーブルに座り、広場の人々や、子どもたちを相手の道化師たちを眺めた。注文したのは、ワダスが牛肉の緑サルサ煮、久代さんがチキンのモレソース。モレというチョコレートを使った独特のソースはここが発祥だということだ。味はやはりイマイチ分からないが、ちょっと甘めで、パツクアロのスーパーで買った出来合いのものによく似ていた。隣のテーブルに家族連れの新しい客が座った。でっぷりした中年男二人は長い巻き毛を頭の後ろで束ねていた。なんとなくヤクザっぽい。


 一旦ホテルに戻り、暗くなった9時前、再びセントロのカテドラルを見に行った。「地球の歩き方」にはカテドラルのプロジェクトマッピングも見どころと書いてあったが、ライトアップだけだった。それでも巨大なカテドラルは美しく夜空にそびえる。広場は多くの人で賑わっていた。

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