メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

8月21日(水) 前日 翌日
 6時半起床。カレーの残りとコーヒーの朝食。

 


 10時半、家住宅に週1回やってくる手伝い女性チューイの作るポソレを受け取りに家に行く。かつて鉄道が通っていた別の側道を登る。山林に貧しい家が点在するサン・フアンの村だ。家住氏はその1軒に圧力鍋を持って入っていった。隙間だらけの板で囲ったキッチンで女性が鍋に火をかけているところだった。灰色の髪を後ろで束ねた小柄な女性チューイだ。年齢は分からないが、50代後半か60代前半だろうか。家住氏によれば、チューイは一人暮らし。今は別の女性とクエルナバカに住んでいる元夫との子がいて、すでに孫もいるとのこと。


 チューイから出来上がったポソレ、ポソレの薬味の玉ねぎ、チキン、アボカド、唐辛子、タコスなどをもらって車に積み込む。この時のタコスはトルティーヤにジャガイモと何かの詰め物をして揚げた棒状のものだった。


 帰り道、家住氏はこの地域の墓地に車を停めた。開けた土地だが草が生い茂り周囲を大木が囲んでいる。木の簡単な十字架や石でできた教会を模した暮石などが草むらに点在していた。花で飾られた真新しい墓もあった。少年時代に墓地でよく遊んだという家住氏が「いいでしょ、ここ。僕が死んだら多分ここに埋葬されるかも」と言う。大木の葉の陰から下の町が見下ろせた。


 帰宅して1時間ほど散歩した。街道を挟んでサン・フアン村へ向かう側道から続く下り気味の道を歩く。周りは山林で人も車も滅多に通らない道だが、1台の古いフォルクスワーゲンが通り、運転している若い男がこちらに手を振る。食用サボテンの畑や民家もあったが、圧倒的な緑に埋もれている感じだ。30分歩いたところで引き返す。上から数匹の犬が先導する羊の群が、首につけたベルを鳴らしながら近づいてきた。我々を見た数匹の犬が吠える。大きな犬はいないので襲われる心配はなさそうだったが、路肩で彼らをやり過ごす。後ろからおっさんが犬に声をかけ通り過ぎていった。帰宅前に家住氏の家のあたりを撮影した。
 2時、かねてから約束のあった食事会へ向かった。向かうのはクリスティーナというベルギー出身の女性宅。途中で家住氏は雑貨屋に寄って20リッター入りの水を車に積み込んだ。「これは重いので買って運ぶのは大変。それで運ぶのを頼まれるんだ」
 クリスティーナ宅は凸凹の石畳の急な坂道を登ったところにあった。最初の門を開けた両側に住宅があり、奥にもう一つ門があった。その門を開けて車を乗り入れると、大木のある広い前庭。左を見上げると切り立った断崖が迫ってくる。


 ポソレと薬味、タコスを持って台所に入ると、クリスティーナが床を掃除しているところだった。赤毛で背が高く、いかにもヨーロッパ人というメガネをかけた女性。英語もスペイン語も話すが、なんとなく脱力した喋り方をする。
 台所は、大きな格子状のガラス窓に面していて明るい。窓から庭の緑がよく見える。真ん中に円形のガラストップのダイニングテーブル。上には調味料などが置かれている。中型の犬がじゃれついてきた。ロビンという名前だとクリスティーナ。耳を撫でてやるとグイグイ体を押し付けてくる。なつかれてしまったようだ。もう1匹の犬カンパイも現れ、やはりなついてくる。
「どこでで食事しましょうか。ここでもいいけど、テラスでもいいわよ」
 テラスには藤で編んだ土台にガラスを乗せた丸テーブルと椅子がある。我々はそこに座ってビールを飲んだ。半透明の屋根があるテラスに強い日差しが差し込む。段差のあるこじんまりとした庭は木々と花で美しく手入れされている。岩肌がむき出しになった垂直に近い断崖がすぐ近くに見えた。
 しばらくしてアメリカ人女性のナンシーが小犬と一緒に現れた。青と白の縞模様のシャツを着た押し出しの強そうな女性だ。彼女は英語とスペイン語の同時通訳として主にワシントンで仕事をしている。生活は半分メキシコ、半分アメリカ。通訳として世界中に旅している。日本にも行ったことがあるという。


 ちょっと遅れて白髪の小柄な女性が加わった。リセッテというユダヤ系の女性。彼女も英語を話す。心理学者かつ画家で、コーラスグループで歌っているという。娘エストゥーシャはプロの歌手で、スマホのYouTubeの映像を見せてくれた。太い力強い声で即興で歌う。聞いているとグレース・ノノを思い出した。
 テラスの丸テーブルを囲んでみんなでポソレとタコスを食べた。みんな英語を話すので自然に英語の会話になる。「クニオ以外全員英語が話せるから英語にしましょう。別に気にしないよね、クニオ」とナンシー。


 持っていったパソコンをネットに繋げると、ハラパの矢作さんから連絡が入っていた。ハラパの主催者からの依頼で、書類にサインをしてそれをスキャンして今日中に送ってほしいとのことだった。クリスティーナがプリンターもスキャナーも持っているのでそれを使わせてもらうことにした。矢作さんから添付されてきた書類を家住氏が持っていたUSBメモリに移し、クリスティーナの事務室兼寝室のパソコンに取り入れてプリントアウト。それにワダスの漢字のサインを書き込んでスキャンした。それを再びUSBに保存してワダスのパソコンに読み込み、Facebookとメール経由で送れた。
 両替を拒否された古いポンド紙幣の話をすると、ナンシーが早速自分のスマホでどうしたらいいか調べてくれた。イギリスの中央銀行に現金書留とパスポートのコピーを送ればいいらしいことが分かった。ま、日本に帰ってから対処すればいいか。

 久代さんは、クリスティーナが書いたマヤ暦の本で占ってもらっていた。名前と生年月日に対応する占いの文言とイメージ画の描かれた薄い本で、絵もクリスティーナだ。スペイン語なのですぐには理解できないので写真を撮る。
 家住氏とワダスはときどき1段低い小さな庭でタバコを吸う。
 彼女は画家ということになってるけど、絵では生活できない。広い敷地の管理に費用がかかり、貸家の家賃収入だけでは大変らしい。イギリスでユダヤ系の大金持ちと結婚して優雅に暮らしていたが離婚しここに一人で住んでいる。ナンシーは稼ぎがいいので近くに豪邸を持っている。リセッテも絵を描いているが絵は売れないだろう。この食事会はたまにある。急に決まったわけではなく前から決まっていたけど、日本人の友人も来ているのでチューイにポソレを作ってもらって食事しようということになった、というような話を聞いた。


 アイスクリームとコーヒーのデザートの後、みんなで2階にあるクリスティーナのアトリエへ。天井と窓にはガラスが組み込まれ、明るい開放的なアトリエだった。手の込んだ鉄製の飾りのついた窓から山が見えた。描きかけの絵や色々なオブジェがあった。
 6時近くに食事会はお開きになった。帰宅するものと思っていたが、家住氏が「もう1軒からも誘いがあるのでそこへ行きます」と言って車を走らせた。
 着いたところはかつて画廊でもあったホアキンとマルガラの住む邸宅。ドアを開けて中に入ろうとすると、真っ黒い毛の大きな犬(ニューファンドランドという犬種らしい)と目の青いシベリアン・ハスキーが外に出ようとドアのところにいる我々をすり抜けようとする。なんとか押しとどめる我々と犬たちを見たホアキンが声をかけ、犬を押し戻しドアを閉めた。


 かつて画廊だった部屋には縦長の大きな鳥の絵が飾ってあった。マルガラの作品だ。家住氏はここで展覧会をやったという。その時は日本食を作り、エスパルタにダンスをしてもらったと。ホアキンが自分のアトリエを見せてくれた。金箔を使った抽象的な絵だった。
 のどかな英語で話しかけるホアキンはスペイン系の顔つきで背が高く均整のとれた体をしている。短い白いひげを生やし、広い額と灰色の髪が知的な印象だ。かつてイタリア女性と結婚したが離婚したというホアキンは71歳。「今度の日曜日が誕生日なの」という黒のワンピース姿で短い灰色の髪にメガネをかけたマルガラは67歳。彼女はドイツ人と結婚しケニアに住んでいたが離婚したとかでドイツ語も少し話す。
「1970年の万博に家族と大阪に行ったわよ。日本は大好き。日本酒も」
 家住氏がマルガラの充血した左目を見て「どうしたの」と尋ねると「ああ、ちゃんと見てくれる人がいる。化粧している時にこうなっちゃったんだけど、ホアキンは気づいてくれなかったのよ」とホアキンを見て言う。


 中庭のテーブルでワインを飲みながらおしゃべりした。かたわらで2匹の犬がじゃれあっていた。3歳のシベリアンハスキーが黒い大きな犬にけしかけるがうるさそうな顔をして寝そべっている。
 10時近くまで色々話し帰宅。離れのキッチンでしばらく話し、11時すぎに就寝。

 前日 翌日