メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

8月30日(金) 前日 翌日
 11時、バスターミナルまでのタクシーを呼んでもらった。40ペソ。タクシーは一昨日行った藁葺き食堂が並ぶ浜通りを抜けてバスターミナルへ。ADOの切符売り場でハラパ行きのチケットを買う。中の女性がわざわざ外に出て来てバス乗り場まで案内してくれた。乗り場に入るにはセキュリティーチェックがあったが、彼女のおかげでノーチェックだった。


 11:15発のバスで一路ハラパへ向かう。前に乗った腕にタトゥーのある若い女性が思い切りシートを倒したので窮屈だ。知らない隣の乗客との間に壁を作りたかったんだろう。バスは次第に高度を上げ2時間ほどでハラパのバスターミナルに着いた。ターミナルへ向かう街道沿いの丘陵地帯に住宅やビルが続くが、どれも先住民文化の感じられない近代的なデザインだ。ターミナル内にはプリペイド・タクシーのブースがあったがそこを通り越して広い待合室に出た。表ではタクシーの運転手たちが盛んに客を引く。ベラクルスで聞いた話では同じターミナルにコアテペック行きのローカルバスが出ているとのことだったが、タクシーの運転手たちに聞くとそこまでは近くはないという。そのうちの一人の若者にコアテペックまでの値段を聞くと「150ペソ」と言うので乗り込んだ。タクシーはすぐに郊外へ出た。途中に高い山が見えた。運転手に聞くと「ポポカテペトル山」でという。プエブラでも見えなかった山がついに姿を現した。


 標高1200mのコアテペックの街に入るとものすごい渋滞だった。細い道に路上駐車した車が多いせいでもあるが、小さい町なのに交通量が多い。運転手のアンチャンはイライラしている。


 2時過ぎにホテル・ポサダ・コアテペックに到着。表からは分からないが、中に入ると豪華だった。緑の多い中庭の中央に噴水があり、突き当りがレストランだった。左の石の階段を登り、ビリアード台のある細長い部屋の横の廊下の突き当たりが我々の部屋Veneciaだった。部屋は広い。大きなダブルベッド、ソニーのテレビ、エアコン、ソファ、広いバストイレ、衣装ダンス付き。矢作さんによれば「コアテペックで一番高いホテル」とのこと。溜まっていた洗濯物をエプロンをつけた中年女性に預ける。明日の昼までにもらわないとジーンズもはけないので何度か確認したが「大丈夫」とのこと。
 ホテルのあるブロックを一回りしてちょうどホテルの前に来た時、車を運転して来た矢作さんと出会う。5時半頃だった。

 矢作さんと会うのは1年ぶりだ。「フルートの先生が5時に来るということですが、まだ見えていませんか。まだ? うーん、この辺がメキシコですね。ひょっとしたら来ないかもね」
 昼食を食べていないので空腹だった。レストランで食事をすることにした。流麗な筆記体で書かれたメニューを見せてもらったら、料理はかなりの値段だ。ほとんどが200ペソとか300ペソといった値段がついている。
「フルートの先生によれば、ホテルはサン・ヘロニモ・国際フェスティバルのスポンサーの一つなので、お二人の食事と宿泊代は主催者が負担することになっているはずです。なんでも頼んじゃっていいと思いますよ」


 というわけで、膨満感に苦しむワダスはシーザー・サラダ、タラのグリル、久代さんはブイヤベースとアラチェラ(ハラミ)、ビールを頼んだ。ビールを飲みつつ矢作氏が言う。
「このホテルは今日と明日の2泊みたい。明後日は別のホテルに移動して2泊、その後、大学提供のハラパのホテルへ泊まることになっています。で、4日の神戸の作家2名の美術展オープニングでも演奏してもらうんですが、おそらく打ち上げとかがあるので我が家の近くの安いホテルに移ります。1500円ほどですけど、大丈夫ですよね」

アルタグラシア女史 右がサマディ


 料理が運ばれ、さあ食べようとなった時に主催担当者のアルタグラシア女史Altagraciaが現れた。小柄ではっきりしたスペイン語を話す50代後半か60代前半の女性だ。よく似た体型、顔つき、話し方から、ワダスは、2003年に亡くなったハリジーの弟子仲間のフランス女性フランソワーズを思い出した。
 アルタグラシアス女史が、彼女の署名のある我々の受け入れ体制のメモを見せてくれた。実に細かい。彼女はフェスティバルのコーディネーターとあった。
「1. 30日午後、HIROS氏到着。ホテル入り。夕食でもてなす。
 2. 31日8:30 通訳(矢作さんのこと)付きでホテルで朝食。10:00、主催委員会、日本人アーティストHIROS、矢作隆一氏を交えたサン・ヘロニモ・国際フェスティバル2019の記者会見。コーヒーと水を出すこと。
 3.15:00、HIROS氏、配偶者および通訳氏、レストランArcos de Belemで食事、17:50、ホテルに戻る。
 4. 18:00までにHIROS氏、Coregio México到着。19:00 コンサート。ケータリングつき
 5. 21:30、HIROS氏および配偶者、通訳氏、ホテルで夕食
 6. 9月1日9:00、ホテルで朝食後、ピタヤのレストランAlimentos de Raizで2回目の公演
「サン・ヘロニモ国際フェスティバルというのは、コアテペックの守護聖人サン・ヘロニモの祭り。地元では伝統的にお祭りを行なってきたが、10年くらい前から国際芸術祭のような形になった。その一環としてあなたに演奏してもらうことになった」
 とアルタグラシアス女史。
 そこへフルートの先生が現れた。ちょっと小太りのメガネをかけたサマディSamadhiという名の女性だ。サマディというのはサンスクリット語で「三昧」の意味だが、メキシコでは珍しい。あとで聞くと父親が名付けたのだという。ベラクルス州立大学音楽学部フルート科の先生。今年から入学した矢作さんの娘の千奈ちゃんの先生でもある。おっとりとした女性で、旦那さんは建築家だという。
「うちの娘は12歳だけど、僕の所属する大学に学生として入学を許されたんです。彼女のコースは8年間。大学と同時に中学高校にも通います。こっちの学校のシステムは日本とはかなり違っているのでこんなことが起きるんです」と矢作さん。
 我々だけが食事をしているのでちょっと気がひける。これからの予定などを確認しつつミーティングが終わった。
「僕は今取り掛かっている制作の仕事があるのでハラパに帰ります。ハラパまでは15分です。では、明日の記者会見の時に」という矢作氏と二人の女性も帰っていった。
 3人でビール2本ずつ飲んだ勘定168ペソを支払う。


 一旦部屋に戻った後、付近を散歩。コアテペックの中央広場は、閑静なホテル周辺とは違い多くの人々が集い、飲んだり食べたりしていた。教会の中庭では何かの儀式らしく、神父を中心として合唱していた。この町は、これまで我々が住んでいたパツクアロやタカンバロ、テポストランなどと同じようにメキシコ政府認定の観光の町プエブロ・マヒコ(魔法の町)だ。プエブロ・マヒコに認定されると町の景観の統一のために建物の色や文字表記などが規制されると聞いていたが、低い家並みの多いコアテペックではそういう規制は守られていないようだ。カフェが目につく。ここはコーヒー生産地としてメキシコでは一番有名なのだという。
 10時過ぎに、だだっ広いダブルベッドに横になった。
 ホテルに戻り、Facebookに日記掲載の告知を終える。

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