メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

8月31日(土) 前日 翌日

左から二人目サマディ、右がアルタグラシア 左からエドソン、サマディ

 我々は早起きなので、7時15分開店のレストランでコーヒーを飲んだ。8:30に主催関係者との朝食となっていたので階下のレストランで到着を待った。昨日会ったサマディと建築家の夫エドソン、アルタグラシアが合流。久代さんはトマト、玉ねぎ、ピーマンの入ったスクランブルエッグ・メヒカーノ(赤、緑、白の国旗の色からだろう)、それに上からチーズをかけたフリホーレスにかちんかちんのトルティーヤであるトスターダが刺さっている。ベジタリアンだというサマディもメヒカーノ。ワダスは目玉焼き。エドソンが赤いソースのかかった目玉焼き。アルタグラシアは何も食べずコーヒーのみ。予定表の通訳つまり矢作氏は会場で直接落ち合うことになっていた。我々と通訳氏の朝食3人分は供与となっていたが、エドソンは自分の分を払った。


 9:50、全員で記者会見およびコンサートの会場Coregio Méxicoへ。ホテルのある通りを突き当たったところにある学校で、歩いてほんの数分。中庭が子供達のグランドになっていた。正門から中庭を挟んだ正面が会場のホールだった。た客席が緩やかに傾斜し、舞台には4人分の名札のついたテーブルと椅子が置かれていた。ワダスと矢作氏の名前もあった。背後にプロジェクターのスクリーンが下がり、フェスティバルに関係する資料を見せるようになっていた。サマディからフェスティバルの事務局長、神父など関係者に紹介された。事務局長は落ち着いた紳士で英語が流暢だった。アルタグラシアは書類の入った袋を持って、マイクの調整や飾り付けなどあちこち動き回っている。


 10時の予定時間を30分ほど過ぎ、記者たちがぼちぼち集まりだした。20人くらいか。まず全員が紹介された後、事務局長がフェステイバルの趣旨などを説明し、それを神父が受け継ぐ。ついでプロジェクターに協力者などの名前や団体が映し出された。この記者会見の様子は公式ホームページに掲載されているが、なんと壇上のワダスや矢作さんも写っている。
 それによれば、フェスティバルそのものは9月21日から10月12日までだが、ワダスの今日のコンサートはそのプレイベントに組み込まれたということのようだ。記者たちから主に主催者に質問があったが、ワダスにはなかったので、ただ壇上のテーブルにいただけだった。

右端 アルマンド

 会見が終わり、下の部屋でレセプション。コーヒーやスナックなどが供された。そこで、明日ワダスが演奏する予定のコンサート主催者に紹介された。まだ20代後半か30代前半の若い細身長身の男で、アルマンドという名前だった。彼は流暢な早口の英語で「楽しみにしている」と申し述べた。


「14:50にホテルに迎えに行きます。それまでは自由時間よ」とサマディに言われ、我々は一旦ホテルに戻った。ホテルのある交差点の斜め向かいには、ケーキのような色合いの教会が建っていた。


 時間きっちりに迎えに来たサマディとアルタグラシアの後について、レストランArcos de Belemへ。このレストランもフェスティバルに協賛しているとサマディ。1階ではミュージシャンの男性数人がシエリトリンドを歌っていた。それを避けて2階席に座った。1階は客でいっぱいだったが、2階は少ない。テーブルに着くとカメラを持った細身の男性が合流した。ノルベルトという名前で、60代中ごろに見えるが、年齢を聞くと「47だ」と言う。冗談に違いない。ピンクのポロシャツだ。なんとなく島根の瀬古さんを思い出した。大きな交換レンズや種類の違うカメラを持っていたので、フェスティバル公認の写真家かもしれない。

左 ノルベルト  


 ここで頼んだのはチキンスープとサラダだが、ゴルディタス・ピカダも出てきた。他につまみとして、ワカモレ、フリホーレスがつく。

 下で演奏していたミュージシャンが上にやって来て歌い始めた。ギター、ハラナ、ベース、マンドリンなどを鳴らしながら合唱する。ギター状のベースを弾く男の顔は太った役所広司という感じだった。一人に「ギターはパラチョ製か」と聞くと「ベラクルスだ」と答える。パラチョはギターが有名なのだが、ベラクルス州ではあまり知られていないのかもしれない。


 食事後、サマディが周辺を案内してくれた。野菜や果物、薬草、蜂蜜、雑貨の店が並ぶ市場など。ベージュ色の壁面に青緑色の縁取りのあるファティマ教会では少女が15歳になった祝いの儀式をやっているらしかった。ある建物の中庭では小さなテーブルに商品を並べた民芸品が売られていた。入り口にヘビをかたどった石の彫刻があった。台座にはCoatepekとある。この町の名前はヘビCoaの丘tepekからきたとのこと。
 レセプションで待ってもらっていたサマディと一緒に再び会場へ。ワダスのリクエストどおり2つの平台が舞台に載っていた。その上にサマディが持ってきた横長の深い紫色のクッションを置いて座る。客席からは平台の木の肌が見えるので布で覆ってもらった。男がマイクとマイクスタンドを持ってきてセット。リバーブはなかったようだが「問題ない」と久代さん。


 マイクテストを終えて外に出ると矢作氏が娘の千奈と佐久間華さんとともに待っていた。神戸芸工大の先生である佐久間華さんは、佐久間新の妹で、昔からの知り合い。今回はもう一人の先生と展覧会をやるためにメキシコに来ていたのだった。ワダスがハラパに来ることは「秘密にしておいて」と矢作さんに伝えてあったが、Facebookやなんやですでにワダスがメキシコに来ていることは知っていて、サプライズにはならなかった。ともあれ、久しぶりになんとメキシコの田舎で彼女に再会だった。まだ12歳の千奈はときどき父親にじゃれつく少女だが、ひょうきんな大人びた喋り方をして可愛らしい。もちろん日本語とスペイン語のバイリンガル。
 アルタグラシアの挨拶が終わり、千奈がワダスのプロフィールを影アナで説明するのを聞きつつ舞台に座った。横に矢作氏が座り楽器や音楽、曲目の簡単な解説を通訳してくれる。

 祖谷の民謡、最上川舟唄、Raga Madhuvanti、バティヤーリーの演奏でちょうど1時間。客は数十人くらいか。最後に拍手をもらったが、アンコールはなし。途中で激しい雷雨が屋根を叩く音がした。最後のお辞儀が終わると、事務局長から証明書をいただいた。
 終わってからは記念撮影の嵐だ。次々に人がやって来て撮影をねだる。控え室でコーヒー。フルートを習う千奈がバーンスリーを吹いてみる。指が届かないし音もなかなかちゃんと出ない。サマディも触らせてくれというので渡すと綺麗な音を出す。さすがフルートの先生だ。リハーサルの時に指慣らしのつもりで吹いたバッハのパルティータをサマディのリクエストでちょこっと吹いた。アルタグラシアから、コーヒーを摘む時に使うという籠に入ったチョコレート菓子、マカデミアナッツ、コーヒー味のマシュマロ、コーヒーリキュールの小瓶、挽いたコーヒーのプレゼント。雨が止みそうにないので、矢作氏、千奈、華と我々は軒下で雨を防ぎながらホテルへ。千奈と華さんが我々の部屋を見て「いいなあ」と申し述べる。


 レストランでみんなで遅い夕食。予定表では3人分の食事が提供されることになっていた。矢作氏がレストランのスタッフに聞くと「3人分の食事を5人で食べてOK、ビール代だけ払ってください」と言われた。タコとノパルの入ったセビチェのような皿、サーモン、「高くて滅多に食えない」アワビ料理の前菜と、エビのニンニク風味、アラチェのステーキ、タラのグリルを注文し、全員で分けて食べつつ、おしゃべり。  
 華さんは14日からハラパに入りずっと制作している。ホテルは快適だし食事も問題ないとのこと。華さんのぷっくらした顔はよく見るとお母さんに似ているなあ。お父さんは一時体調を崩していたが今は大丈夫とのこと。ジョグジャカルタの家にいる時骨折したが、地元の優秀な医者に手術してもらって治ったとか、新くんは最近とても忙しいとか、イギリスのこととか、千奈が学級委員になったとか、メキシコでは滅多に飲酒運転で捕まらないとか、税金を滞納していても政権が変わるとバーゲンされてしまうとか、話題は尽きない。飲食代はビールだけなのでチップをはずんだ。
 11時頃皆が帰り、部屋に戻る。

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