メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

9月1日(日) 前日 翌日

 6時前に起き、街を散歩した。まだ薄暗い街路には車も人もほとんど通っていない。通勤のバス待ちの人がちらほら見えるだけだった。ひょっとしたらポポカテペトル山が見えるかもしれないと、町外れまで行ったが建物に隠れて山は見えない。ところが初めての通りを歩いていると遠くに雪をかぶった高い山が見えた。後で聞くとポポカテペトル山ではないとのこと。ネットにはメキシコ最高峰のオリサバ山(pico de orizaba)とあった。
 日曜日のせいか、昨日7時15分に開店していたレストランは、掃除をするおばさんがいるだけでスタッフの姿がなかった。テーブルについてしばらく待つ。8時前に私服の男が注文を取りに来た。コーヒー、オレンジジュース、チョリソー入りのスクランブルエッグと、ただのスクランブルエッグの朝食。


 荷物を終え、レセプションでサマディを待った。フロントでコンピュータを睨んでいた男に聞くと、洗濯代も要らないし「支払いはない」と言う。

 サマディが10時にやって来た。荷物を積み込んで出発。向かう先はここから10分ほどのピタヤという村。その前に夫のエドソンが待つサマディの実家に寄った。コウテペック市内の、坂なりの前庭の石段を登って母屋へ。昨日のコンサートでも顔を見せたサマディの両親と息子、兄、従兄弟など家族10人に迎えられた。テーブルには朝食が並べられていた。ちょうど朝食を始めるところだったのか。お母さんが自分で刺繍したというランチョンマットを久代さんはプレゼントされた。
 エドソンも乗り込んでピタヤ村へ向かう。市街地はあっという間に終わり、高速道路のような綺麗な道を走ってまもなく、周囲が山林のガタガタした山道の奥へ進む。木々の合間には高級そうな住宅や川がときどき見えた。まるで軽井沢のどこかの別荘地のような雰囲気だ。ジャングルのように高い木々や草が密生し、背の高い竹も見えた。竹がよく繁るらしく、住宅の敷地を囲う塀にも竹を使っている。


 ほどなく目的地のレストランAlimentos de Raiz(そのまま訳せば「根っこの食べ物)に着いた。狭い道の路肩に「ヨガ、ベジタリアン食堂、エアーB&B」の表示。鎖だけの門を入って駐車した。すでに多くの車が駐車していた。鬱蒼とした木々やバナナ、パイナップルなどの果樹、シダ類の間の階段を上ったところがレストラン兼アルマンド夫妻の住居だった。アルマンドは建築家、ジャンタルはヨーガの先生をしている。二人には1歳ちょっとの娘スィアナがいる。


 まず今晩から2晩泊まることになる部屋に案内された。部屋というよりも離れだ。お椀をかぶせたような紫色の丸いコンクリート屋根のてっぺんに直径1.5mほどの丸いガラスの明り採りがあり、光がふんだんに入ってくる。室内は濃い緑青と薄い水色に彩色された壁、丸い天井部分は白く塗られている。ダブルベッド、机と椅子、ソファなどの他に本の詰まった本棚、スーツケース、ステレオ、様々な動物の置物、タンスなどが整然と置かれている。ベッドと向かい合わせの壁は、象と樹木のシンボルを描いたインド製の大きな布で覆われている。ここはジャンタルの両親の部屋だという。カーテンで仕切られた奥のバスルームもなかなかに凝ったデザインだ。コンクリートの天井には二つの大きな明り採り、洗面器は石を彫ったもので、蛇口をひねると金属製の樋を伝って水が流れる仕組み、トイレ横の照明は薄く切った石をはめ込んだ三角形の板、シャワーも同じようにシャワーヘッドではなく温水が滝のように流れ落ちる。離れのすぐ下でジャンタルがヨーガを教えているところだった。壇上には仏像が置かれている。下には螺旋状に並べられた小石の間に水草が生い茂り、中心部に両手で喜捨のお椀を持つ少年僧の銅像が座っている。


 荷物を解いて演奏会場になる屋外の小さな広場へ。テントをかけた広場の中央に席が作られていた。そこが舞台になる。アルマンドがアンプとスピーカーをセットしていた。マイクスタンドがないので先を尖らせた竹を地面に突き刺して代用する。
 12時になり、アルマンドが聴衆に挨拶した。聴衆は30人ほどか。広場に敷かれた筵に座ったり草の上で横になったりしてリラックスしている。ちょっと遅れて矢作氏と千奈も顔を見せた。昨日コンサートに来ていた人もいた。


 演奏したのはRaga Ahir BhairavとBhairavi。日本の民謡もベンガルの民謡もなし。ヨーガスタジオでベジタリアン・レストランなのでインド古典だけにしたのだ。アンコールに「いつも何度でも」吹いた。千奈も練習しているという。演奏の一部は主催者のアルマンドがビデオを取ってくれていた。
 演奏を終えて質問タイムになった。最初は誰も手を上げなかったが、誰かの質問をきっかけに手を上げる人が増える。どうやって即興するのか、という質問には音階の話やそれぞれの音に座す神様の話をする。それに頷く女性もいた。演奏はちょうど1時間。

 アルマンドがこの近くにいいレストランがあるけどどうかと言う。ジャンタルの車でそのレストランCervecería Brújulaへ行くと、さっきコンサートに来ていた人たちの一団が食事をしていた。ジャンタルが店主らしい男女に何か話してから「ここではビールも肉もあるし、なんでも好きなものが食べられるわよ」と言って去っていった。確かにそうだったが、食事代はこっちもちだった。
 案内されたテーブルにつこうとしたらサマディとエドソンもやって来て、先ほどの一団と合流した。久代さんが頼んだのは、プエブラで食べられなかったチレス・ノガダ、ワダスがヒメマスのグリル。これらが結構な値段だった。ビール代とともに結局700ペソ支払う。
 隣に座っていた魚類研究者の男は妻とともに日本に行ったことがあると流暢な英語で言う。

 食事を終えて歩いて部屋というか離れに戻り、昼寝。夕方薄暗くなった頃、新月を眺めつつ近くを散歩した。川の側には蛍の光がときおり見えた。久代さんは近所の店で買ったビールをチーズをなめつつ飲む。

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