メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

9月3日(火) 前日 翌日

 7時起床。すぐにアルマンドがコーヒーを部屋まで運んでくれた。ちょっと遅れてさらに朝食を持って来てくれた。手作りのトーストに卵の黄身に見えるマンゴー味のソースが乗ったものとスイカなどの入ったスムージー。部屋の外でタバコを吸っていると、犬や猫が擦り寄ってくる。午前中は練習と日記書き。アップロードは8月28日分までで、なかなか進まない。
 アルマンドとジャンタルはこれから川遊びに出かけて留守にすると言ってきた。


 12時10分前にサマディが迎えに来た。ハラパ市内に入り、広大なキャンパスのベラクルス州立大学の一部を案内してくれた。同じ建築家のデザインになる図書館、コンサートホールの中をちょっと見せてもらった。巨大なガラスの切妻屋根のコンサートホールはとても近代的で、かつ客席も舞台も真新しい。できたのは4年前とのこと。高い天井にはガラスの反響版と照明機器、周辺の壁面には縦長の反響版が垂れ下がっていた。舞台ではオーケストラのリハーサル中だった。中年女性がベートーベンのような響きの曲を指揮していた。音響もとても良いホールだ。6日にはここで演奏会があるのだとサマディ。ホワイエにはプログラムを書いた表示板があった。交響曲シリーズでどれもよく知られた曲だ。全曲ではなく一部の楽章だけのハイライトといった感じだ。ハイドンの31番、モーツァルトの40番、ベートーベン第5番、メンデルスゾーンの第4番、ブラームスの第3番、チャイコフスキーの第4番、ドボルザークの9番「田園」、ショスタコビッチの第5番というメニュー。1日のコンサートに来ていた第1バイオリンの男が我々を認めて手を振った。図書館もかなりモダンなデザインだ。高い天井はトラスの組み合わせで支えられ広い空間を作っている。
 キャンパスは広いので循環バスが通っている。多くの学生たちの姿も見えた。ここはハラパ唯一の州立大学で入学するには厳しい試験があるという。他に私立大学も数多くある。ハラパは特に産業がなく、学生と州都の町とのこと。
 市内に入り彼女の勤める音楽学部などを通って今夜の我々のホテルへ向かう。駐車したのは階上にホリデイ・インのある高い建物の駐車場だった。1階には日本食レストランがあった。


 その隣が、かつてハラパを治めたスペイン人の邸宅だった由緒ある建物を改修したホテルMeson Del Alferezだった。レセプションの前には今日のワダスのコンサート担当者ジェーン女史が待っていた。水色のブラウスを着た髪の短い中年の女性で、どこか校長先生を思わせる貫禄のある表情だ。


 ジェーンが受付の男性に確認する。ホテル代と2食分の食事代は招待だとジェーン。早速部屋に案内された。部屋は2階の中庭に面している。年代物の木製の背の低いドアの前のテーブルにコーヒーメーカー、カップ、コーヒーが置かれていた。WiFiももちろん繋がる。受付でもらったリモコンで薄型テレビも見れる。
「4時半に迎えに来ます。ホテルの前は一方通行なので、外で待っててね」と言うサマディと別れる。荷物を解いてからとりあえず階下のレストランで食事。円形のボールトのある広いレストランだ。チベットの男の子の絵が見えるテーブルに座った。

 


 注文したのは「今日の定食」120ペソ。スープSopa MexicanaまたはサラダEnsalad de germinado、チーズソースで和えたマカロニMacarrones con quesoまたは中に牛肉とチーズの具の入ったパイ状のカルツォーネCalzone、フライした魚のニンニク炒めPescado al ajillo または牛肉と野菜炒めAlambre de res、小さなイチゴ味のケーキ、コーヒー。二人なので「または」なしで全て注文しお互いに交換して食べた。どれもなかなかに洗練された味で悪くない。これで120ペソは高くはない。
 外を歩いてみた。タバコを買おうとホテルの前にいたおっさんの店で聞いたが、1本売りしかしていないと言う。雑貨屋でも同じだった。


 ハラパは坂の多い街だ。坂のあり方が、神戸のように一方向ではなく複雑だ。石畳の道路が狭く交通量がとても多い。ホテル前の通りの交差点から坂を上がり、坂に直行する平らな道を進むと山手に鐘楼から三色の垂れ幕が下がる大きな教会があった。教会を過ぎるとこの町のメイン広場に出る。樹木の多い広場にはスナック類を売る小さな店や靴磨きなど。広場に面して建物が建っている。最も大きなものが州政府で、国旗の三色の布が窓から垂れ下がっている。内部の壁面には黒人奴隷を描いた壁画があった。かつてこの町は奴隷市場があったという。
 近くのコンビニでビールとミルクを購入してホテルに戻る。
 4時半ぴったりにやって来たサマディの車で今日のコンサート会場である音楽学部の建物へ。ホテルからは坂を下ったところにあった。ジェーンが車から大きなスピーカーを下ろしているところだった。守衛のいる鉄門から学部の建物に入る。クラリネットやブラスバンドの練習の音が方々から聞こえてくる。楽器を抱えた学生たちがたむろしていた。クラシックの楽譜を売る玄関から劇場に案内された。PAの担当するらしいアレハンドロという男に紹介された。鼻髭、メガネ、水色のTシャツ姿で、ここではギターを教えていると言う。


 案内されたのは客席が急な階段状になった小さなホールだった。舞台にはグランドピアノが置かれていた。ピアノを背にして音を出してみたが、やはりPAは必要なようだ。サマディの用意した長いクッションに座り、マイクスタンドやスピーカーの音量を調節していると、アルマンドが平台を持って現れた。その平台にやはりアルマンドの持ってきた布を敷き、その上にクッションを乗せる。
 ホールに続々と今日の聴衆が集まってきた。主にここの学生たちだ。サマディが教える子供達から20歳代の若者たちが中心だった。100人ほどの客席はほとんど埋まる。神戸芸工大の佐久間華さん、一緒に展覧会をする中山玲佳さんの他に日本人らしい女性の姿も見えた。矢作氏の妻のミナさんにも紹介された。ちょっと白髪の混じった短髪のミナさんの雰囲気は下田雅子さんによく似ていて、とてもざっくばらんに話し方をする。
 5時半になり、ジェーン、ワダス、矢作氏、千奈が舞台に立つ。ジェーンの挨拶の後、千奈がスマホの原稿を見ながらワダスのプロフィールを紹介し、ワダスは平台に座る。
 楽器の説明の後、まず日本の曲を吹いた。「いつも何度でも」から「五木の子守唄」「夕焼け小焼け」「七つの子」「祖谷民謡」と続けて演奏。ついでインド音楽の説明。音楽に関係のない人には難しい音階の話をしたが、矢作氏は簡潔に通訳してくれた。「深夜にこれを演奏すると幽霊が出る」という話をした後、Raga Malkauns、ついで朝のRaga Ahir Bhairav、午後のRaga Bhimpalasi、日没のRaga Marva、夜のRaga Yamanを短くして演奏。最後にBhatiyaliで終わる。演奏時間は1時間10分ほど。この時の様子は玉川えりさんにアップロードしていただいた写真で見ることができる。
 演奏を終えると質問コーナーに移る。質問してきたのはほとんど子供達だった。メモを見ながら質問する男の子もいた。「綺麗な音を出すための練習はどうしたらいいか」「その小さなスピーカーからの音はなんのためか」「何年くらい演奏しているか」などなどの質問に答える。
 質問が終わると証明書とコーヒーのプレゼントをジェーンから手渡される。その後は例によって記念撮影大会。子供達や大人も次々に舞台にやって来て撮影をせがまれる。記念写真攻勢はメキシコ中で一般的なのか、これまでも大抵そうだった。


 日本人を中心にタコスを食べることになり、矢作氏の後についていく。ブラスバンドやダンスなどの練習、中山さんの発案の壁画などを見ながら学部の建物を通り抜けて市街地へ向かう。小さな湖を見下ろす街道筋のタコス屋Santosへ。打ち上げに参加したのは、矢作夫妻と千奈、佐久間華さんと中山玲佳さん、矢作氏の助手のような立場の小太りアレヘンドラとそのボーイフレンドのセサル、メキシコシティに住むというユリさん、長崎出身の日本人を夫とするちょっと日本語も話す女性、サマディと我々の12名。ビールの大瓶を頼んで乾杯後、カバブ風の豚肉パストール2kgを小さなトルティーヤに巻いて食べる。ベジタリアンのサマディは別にベジタリアン・トルタを食べる。
 10時ころ散会し、アレヘンドラとそのボーイフレンドの車でホテルまで送ってもらった。

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