メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

9月4日(水) 前日 翌日

 7:30の開店と同時に階下のレストランで朝食。久代さんはマッシュルームなどを包んだオムレツ、ワダスのは「お婆さんのオムレツ」という名で、中には煮たバナナが入っていた。

 9時ちょうどに、昨日サマディが言っていたバーンスリー作りのサンティアゴ青年がやって来た。年齢は32歳。バーンスリーの演奏法はハラパに住むハリジーの弟子から習ったが今は習っていない。作り方は見よう見まねだと言う。持って来たのは節のある地元の竹を焼いて作ったもの。太さや長さはまちまちで、ピッチも微妙に狂っているので演奏するのは難しい。尺八もあった。アラブ風とかベトナム風とかの笛もあった。1本提供したいと言ったが、ケースに入らないので断った。Skypeレッスンのようなことができるかと聞いてきたので承諾した。しかし、どうなるかは何とも言えない。


 10時ちょうどに矢作氏がやって来た。チェックアウトして一緒に坂を下り、彼の自宅に近いホテルSantiagoに移動。通常チェックインは13時だがたまたま空いていた部屋に入ることができた。矢作氏は知り合いが来た時はたいていこのホテルに案内するという。部屋は2階の15号室。中庭に向いた窓が1つあったが、開けられない。開口部はドアとその窓しかない。ベッド、バスルーム、衣装たんす、古いブラウン管テレビがあるだけのシンプルな部屋だ。1泊だけなので問題ないだろう。値段は何と230ペソ(1380円)と格安だ。

 矢作氏の案内で近くのADOバスカウンターで明日のメキシコシティ行きのチケットをクレジットカードで購入。720ペソ(4320円)に手数料が20ペソ(120円)。10時発でメキシコシティには2時半か3時に着くという。矢作氏がターミナルまで送ってくれるというので助かるなあ。
 今日は7時過ぎの展覧会オープニングまで何も予定がない。矢作氏は「人類学博物館は見ておくべき。ここからタクシーで行けばいいです」と言ってくれた。
 矢作氏の自宅に案内された。濃いベージュ色の壁に玄関と縦長の窓がある。間口は6mしかないが、奥行きは50mで中庭もある。


 矢作氏と別れて一旦ホテルに戻り、坂を上がって中央広場に面したカフェで日記を書く。近くで路上演奏をする人たちがいた。人類学博物館に行ってもいいが、メキシコシティの博物館にすでに行ったし、どうしても見たいというわけでもないので取りやめた。
 矢作夫人のミナさんが「ハラパではチレ・セコを食べないと」と言っていたのでチレ・セコ想念の充満した久代さんが調べたロトンダ市場Mercado Adolfo Ruiz Cortines del Rotondaへ行くことにした。あの辺かもと思って坂を下り人に聞くと、全く逆方向だった。「あの坂をずっとずっと登って行くんだ。30分はかかるよ」


 というわけでたびたび人に聞きながら40分ほど歩いてたどり着いた。市場周辺には氷詰めにした魚介類を売る魚屋が並んでいた。角にあるタコス屋でおっさんに「チレ・セコは?」と聞くと「そこだ」と教えてくれたので行ってみた。そこは食堂ではなく普通の食料品店で、たしかに入り口近くにチレ・セコが売られている。チレ・セコというのは乾燥した唐辛子の意味。料理のソースの素材の名前なのだ。小さな商店の並ぶ市場の中心部分が食堂街になっていた。メニューをチェックしたがチレ・セコと冠した料理がない。中年と若い女性二人がやっている店でようやく発見したので、そこで食べることにした。


 久代さんが豚肉のチレ・セコソース煮、ワダスがチキンスープ。チレ・セコソースは一見モレに見えるチョコレート色だが味は全く違う。乾燥した唐辛子を粉末にして煮込んだもので、もちろん辛いがとても美味しい。骨つき肉との絡みが良かった。焼きたてのトルティーヤもなかなかに美味しい。ここまで歩いて来た価値はあったと言える。チキン・スープには骨つきのチキンの足と小さなパスタが入っていて優しい味だった。


 来た道を戻りホテルへ。途中の道から、坂なりに広がるハラパの街並みがよく見えた。

 約束の6時15分を過ぎたころ、アレヘンドラが迎えに来た。ホテル下の道路に停めていた車に乗り込む。運転は彼女のボーイフレンド、セサル。二人とも英語ができるので話しやすい。セサルは分子生物学の博士論文を出したばかりだった。プエブラにある湖の藻から癌細胞の成長を抑制するバクテリアを発見したという。「うまく行けばノーベル賞だね」と言うと笑っていた。
 車は坂の多い狭い道の渋滞につかまりゆるゆると進み目的地のギャラリーに着いた。ギャラリーは表通りに面した場所にあった。灰緑色の壁に白の縁取りをした縦長の窓のある平屋建ての建物だ。格子のある窓の内側から光が漏れている。窓の上には、ベラクルス州立大学ラモン・アルヴァ・ギャラリー「Universidad Veracruzana Galería Ramón Alva de la Canal」とあり、その下に佐久間華、山中玲佳、矢作隆一と作家名の書かれた大きなポスターが貼られている。


 かなり広いギャラリーだ。入り口を入ってまず目につくのが細長い奥行きのある天井の高い空間。先端の弾頭に当たる透明な部分に折り鶴が詰め込まれた核ミサイルを模したオブジェがガラス屋根の天井から何本もぶら下がっている。ミサイルにはそれぞれ核保有国の国旗。その下の川のような蛇行した通路の奥に、上に赤白布で巻いた反った刀を置いた日の丸を模した円筒。矢作氏の作品だった。3つに別れた右手の部屋には、街路の物売りを模した小さな木製の屋台車や、鳥かごのような針金の家の中に木の葉を入れたオブジェが展示されていた。佐久間華さんの作品だ。華さんの姿が見えたので記念写真を撮る。その奥が中山玲華さんの平面作品。カラフルな縦縞に黒く描かれた人物の作品だった。


 矢作氏の作品のあるパティオと展示室の間の手すりのある廊下の奥のどん詰まりに、PAが設置されていた。オープニングの演奏場所だ。すでにサマディと千奈が待っていた。昨日の打ち上げタコス宴会の時に、フルートとのトリオで「いつも何度でも」を演奏することになっていたのだ。昨日ホテルに帰ってからネットで拾った楽譜を二人に送っていた。その楽譜を見ながら三人で練習。まず千奈が歌、続いてサマディ、最後にワダスがオクターブ上でメロディを吹くということにした。主旋律を吹く人以外はオブリガートで適当に合わせる。コアテペックで写真を撮っていたノルベルトがスピーカーの音量調整をPAスタッフに色々と指示する。
 矢作氏から「アルパ奏者が来るので何か一緒に演奏できたら」と言われていたが、アルパ奏者がなかなかやって来ない。やがて二人の女性が大きな楽器を持って現れた。一人が真っ赤な衣装を着た顔の赤い中年女性のクリスティーナ、もう一人はベージュのワンピースを着た若い女性だった。北海道にいたこともあるというクリスティーナは日本語でワダスに挨拶した。神経質そうな表情だ。アルパのチューニングやマイクのセッティングをしているうちに、オープニング・パーティ開始の7時になった。まずギャラリー・ディレクターの中年男性が我々を紹介。にわかトリオの出番だった。フルート・トリオの演奏はにわか作りにしてはまあまあだった。千奈ちゃんの演奏もしっかりしている。Facebookに掲載された動画。
 クリスティーナの出番の時、彼女の音に合わせてワダスがちょこっと音を出すと、ディレクター氏に前に出るように促された。クリスティーナが弾く「さくらさくら」に適当に即興で合わせた。さらにクリスティーナはギターに持ち替え、スペイン語の歌を歌った。音程がひどく狂っていたが、彼女のギターの音に合わせて適当に吹く。
 演奏が終わると、ディレクター氏、矢作氏、山中玲佳さん、佐久間華さん、ちょっと足の悪い初老の男性がマイクスタンドのある舞台に並んで立った。ティレクターがまずそれぞれを紹介し、ついで初老の男性、矢作氏、中山さんと挨拶が続く。中山さんはメキシコシティに住んでいた関係でスペイン語も流暢だ。
 オープニングは、移動するのに肩がぶつかるほどの人出だった。アルタグラシア、正装した美男美女カップルのアルマンドとジャンタル、矢作氏夫人、ベラクルスから戻ってきたサマディの夫エドソンなど、見知った人たちもちらほら。カナッペと甘いワインをもらって展示を眺めた。
 玄関付近で「私、もう帰る」と言う矢作夫人を見送った後、知り合いに挨拶して我々も先にホテルに戻ることにした。矢作さんたちは最後まで残る。ギャラリーの前の通りをまっすぐ行くと中央広場に出る。広場に面したコンビニでビールと朝食用の甘いドーナツを買ってホテルに戻った。
 11時ころベッドに入ったが、この日はなかなか寝付けなかった。

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