メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

9月6日(金) 前日 翌日
 1時半ホテルを出てピノ・スアレス駅からレボリューシヨン駅へ。昨日の反省からレボリューション駅から地上に出てメトロバスでナポレスへ。
 地下鉄やメトロバスに乗ると相変わらずイライラしてしまう。まず、ドアの開閉時間が極端に短い。ぼやぼやしていると乗り込む前に閉まったり、下車できないうちに閉まってしまう。またホームの停車駅表示が少ないので今どこを走っているのかわからないことが多い。メトロバスは車内のディスプレイに現在の駅と次の駅が表示されるが、地下鉄車内の路線図の停車駅はシンボルマークで示されていて、その下にある文字が極端に小さい。乗り慣れている人には不要かもしれないが、慣れない外国人でかつ小さい文字が苦手な乗客には実に不親切だ。さらに発着が乱暴。これはバスも変わらない。急停車、急発車の訓練を受けているとしか思えないほどだ。駅に停車すると立っている乗客は衝撃に備える必要がある。初乗りがたった6ペソ(36円)と料金がむちゃくちゃ安いのだからそれくらい我慢すべし、というポリシーがあるのだろうか。とはいえ、嬉しいこともある。我々がキョロキョロしていると必ず親切な乗客がいて助けてくれる。
 ナポレス駅に約束時間の4時よりずっと早く着いたのでどこかで食事しようとなった。駅周辺には近代的なビルが立ち並び、たいてい1階には洒落たレストランやカフェが軒を連ねている。
 アルゼンチン・レストランの看板が見えたのでのぞいてみた。値段が分からないのでボーイにメニューを見せてくれと頼んでみた。持ってきたメニューを見ると、とんでもない高額だった。食事をしている客は、バリッとした身なりの男たちで、なんとなくヤクザっぽい。ナポレス駅近くにはカジノもあるので、それっぽい人たちが出入りするのかもしれない。


 恵光寺のある裏通りに面した食堂Trotamundoに入った。値段もそこそこだしかなり賑わっている
。ほとんどの客が食べていたのは大きな丼に入ったポソレだった。名物なのかもしれない。我々はセットになった定食を頼んだ。たしか一人140ペソ(840円)。ワダスがチキン、久代さんが牛のハラミのアラチェラ。味も量もなかなか。パツクアロでは140ペソの定食は豪華版の認識だが、メキシコシティではなんとなく安いという気分になる。


 食後、恵光寺の建物の一画にある日本人経営のアマノ・カフェへ。入り口に今晩の我々のイベントチラシが張り出されていた。メニューには丼物やうどんなどもあった。ときおりカウンターと厨房を隔てる暖簾から日本人の男が顔を見せた。その横のガラス越しに恵光寺の中庭も見えた。エスプレッソを舐めつつ約束時間の4時まで時間を潰した。


 4時前に恵光寺へ。昨日に続いて本番リハーサル。主導するのは咲子さん。昨日とは若干異なったが、全体の流れはつかめた。
 ベビーカーに赤ちゃんを乗せた女性と彼女の母親らしい老婦人が軒下のベンチでリハーサルを眺めていた。赤ちゃんの名前はマリア・ホセだという。
 1階の控え室で着替え。今回のワダスの衣装は上下とも黒で行こうとなった。しかしワダスはジーンズしかないのでエスパルタのものを借りることになった。長身痩せ型のエスパルタのズボンなのでかなり長く裾を折り返す必要がある。久代さんが裾を上げた。
 リハーサルを終えた咲子さんは儀式で歌うことになっている仏教歌謡の練習に余念がない。


 7時過ぎにマリア・ホセの「お宮参り」儀式が始まる。ワダスは後ろでその様子を見ていたが、ときおり今夜のパフォーマンス目当てにやってきた人たちが覗いていく。式の最後に咲子さんに呼ばれたワダスは前に出て「いつも何度でも」を吹いた。咲子さんのリクエストだった。「女の子の成長の歌なのでふさわしいと思ったの」
 30分で終わる予定だった「お宮参り」は結局1時間ほどかかり、8時になっていた。本堂の外で待っていた人たちが中に入って落ち着くと同時にワダスのソロ演奏だった。本堂の壇上の平台に座り準備を終えて客席を見渡した。ほとんど満席だった。曲名や内容の簡単な解説を咲子さんに通訳してもらい、まず客席の写真を撮った。客席から笑いが起きる。テポストランやハラパでも舞台から写真を撮りこれが結構受けたのだ。
 演奏したのはRaga Kirvani、最上川舟唄、バティヤーリー。解説を入れた持ち時間が30分ということだったのでそれぞれを短く演奏した。
 続いて「耳なし芳一」の本番。8時過ぎていたがまだ空に明るさが残っている。咲子さんが物語についての口上をスペイン語で述べた後、客席に中庭への移動を促すジェスチャーを示した。それを合図にワダスが笛を吹きつつ誘導していく。2階の廊下に置かれた椅子にもお客さんたちが座った。観客が落ち着いたのを見て咲子さんが、駐車場の天井から吊るした鐘を鳴らし開始の合図。


 中庭の奥に待機していた白装束のエスパルタを確認し、小さな笛に持ち替えたワダスが吹き始める。エスパルタが登場しゆっくり移動していく。芝生の庭に達するとリズミカルな笛に変わり、それに連れてエスパルタは白装束を脱ぎ捨て、全身白塗りでフンドシだけを身につけた姿に変わる。照明の当たった中庭の中央で亡霊を相手に平家を語るシーンを動きで表現していく。庭の隅に到達すると、咲子さん扮する筆を持った僧が登場し、芳一ことエスパルタの全身に般若心経の経文を書いていく。ワダスは喉歌そして「散華」に切り替えた。隅から中央に移動しながら咲子さんが体のいたるところに経文を書いていく。書き終えた僧が退場し、そこへワダスが小脇に抱えた太鼓を打ち鳴らし芳一ことエスパルタの周りを囃し立てる。囃子は次第におどろおどろした音声へと代わり、最後に芳一を睨むワダスの一声で耳が引きちぎられ、芳一はのたうつ。僧が袖に再び登場し物語の口上を述べ、その後にワダスの笛が響く。終了の合図である能のひしぎが聞こえたら照明が落とされブラックアウト。再び照明が点灯し、我々3人が中央に進み出て観客に挨拶。拍手が湧いた。パツクアロでやった時も好評だったが、これはなかなかよくできたパフォーマンスだった。咲子さんがFacebookに掲載した写真。
 観客たちには次々と記念撮影をせがまれた。どうもこの終演後記念撮影依頼はメキシコ全体の習慣のようで、これまでのワダスの演奏会でも同じだったし、去年のタカンバロ でもそうだった。
 ちょっと小太りのメガネをかけた青年に英語で話しかけられた。医学関係の通訳をしていると言う。
「ソカロ近くに止まっているんだったら、とても美味しい日本料理屋がある。あなたを招待したいけど」「嬉しい申し出ですが、もうお腹いっぱいだ」とお断りをした。
 こうした青年以外にも多くの人たちから「素晴らしかった」と声をかけられた。

 居残っていた観客が帰ったのが10時過ぎ。ミヤビはまだ起きていて咲子さんに甘えている。


  我々もホテルに戻ろうとしたら、お寺に勤めているアルマンドという中年の男性が「いつもはここに泊まってるが、週末で今日は自宅のあるインディオス・ベルデスに戻るのでホテルまで乗っけて行ってあげるよ」と願ってもない申し出。咲子さん、エスパルタそして子供達とメキシコ最後の別れを告げ、アルマンドの大きなSUVに乗り込んだ。アルマンドの奥様も同乗した。

 車中で彼らの話を聞いた。娘さんが日本人男性と結婚して孫もでき、現在山梨に住んでいるという。ソカロまでは大した距離ではない。しかしアルマンド自身はあまり市中を走ることがないらしくスマホのナビを聴きながら夜道を走らせた。メキシコシティは一方通行が多い。一旦ある方向へ走ると目的地まで遠回りを余儀無くされる。所々で道を尋ねたり「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と日本語で呟いたりしつつ、隣に座る奥様の指示を聞きながらアルマンドは車を走らせた。ホテルまで結局1時間以上かかった。

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