めんこい通信2022年5月23日号

◉ふたたび、コロナは続く
 コロナウイルスは、遺伝子をどんどん変化させてしぶとく繁栄を続けているようですね。感染者の数は当初よりもずっと多い(5月21日で35,456人/1年前の同日が41人)のですが、もう打つ手もないし世界中で厳しい対策も終わりつつあるのをまねたのか、日本政府は「なるようになるしかない」という方向に舵を切ったようです。いつ終息を迎えるのかなんともいえませんが、人々の恐怖感が薄らいできたのは間違いないようです。あくまでもゼロコロナ政策を取るという中国の上海は大変なことになっているようですが。

◉ロシアのウクライナ侵攻
 この通信の2月号で「ロシアが実際に侵攻したら世界はとんでもないことになる」と書いたのですが、本当にそうなっちゃいましたね。2月24日のロシア軍のウクライナ侵攻以来、世界がこれまでとはガラリと変わったような気がします。この戦争はどう決着するのか。テレビ報道を見ていると、深刻そうな表情の軍事センモンカも内心嬉しそうだし、ウクライナ・センモンカ、ロシア・センモンカ、アメリカ・センモンカのほとんどは類推ばかりダラダラと申し述べているように見えます。対戦車ミサイルですっかり有名になった「ジャベリン」などを作っている軍需産業が主要スポンサーであるアメリカのNGO「戦争研究所」の情報を垂れ流す日本のマスメディア報道そのものにもバイアスがかかっているようで、戦場に限らず、世界で実際にどういうことが起きているのかを知ることがいかに難しいのかを思い知らされます。サーランギー奏者の中川ユージ君の奥様オレナさんがウクライナ出身ということもあり、人ごとではない気分で戦争報道を消費する日々が続いているのでした。
 それにしても、プーチンはなんでこんなことを始めてしまったのか・・・。プーチンの生い立ちやら「ウクライナはロシアの一部なのだ」なんていう彼の論文やら、大統領になるまでのあれやこれやも報道されたけど、ほとんどのセンモンカたちも押し並べて首を傾げ、「・・・なんじゃないの」みたいな類推しかできない。「ネオナチに対する先制攻撃だ」とか言われても、仮にそうだとしても彼らがいずれロシアに攻め込んでくると考えたのか。それもウクライナとロシアの経済、軍事、人口の規模はあまりに差が大きく、現実的発想とはいえません。プーチンの頭の中にしか理由がないなんて言われてもねえ。プーチンが人を殺したり破壊するのが好きな悪魔であり、彼を支持するほとんどのロシア国民も悪魔なんだと乱暴に決めてしまえば話は簡単そうですが。
 どんな戦争でも双方の損得がかかっているはずなのに、それがはっきりしないのももどかしい。資源が豊富で経済的にそれほど困っていないように見えるロシアの人々にとって、ウクライナを武力で占領してもそのコストに見合う得るものはそんなに多くはなさそうだし、演習気分から実際の戦闘に参加させられたロシア兵にしても、給料が増えるわけでもなく下手すれば死ぬかもしれないし、「あれっ、マクドナルドが閉まってる。なんでや」とハンバーガーを食おうと思っていたモスクワ市民には損な話だし、物凄い経済制裁でこれからもっと暮らしにくくなるわけでこれも損です。つまり、攻め込まれたウクライナの人々はもとより、ロシア人にとってもこの戦争は得になりそうにはない。また、戦場が大穀倉地帯というせいで世界の食糧バランスが崩れ、直接関係していない世界の人々への影響が大きいのでこれも損。戦車、軍用車両、兵站、情報収集なんかに必要な大量のエネルギーは、地球温暖化なんかてんで関係なしに、なんの生産にも結びつかない単なる破壊にだけに使われるというのも人類にとっては損。ま、得している人たちがいるとすれば、戦場で消費される武器や装備などを提供する業者ということになります。アメリカの軍需産業ではあまりの景気にボーナスまで支給されたなんていう話もあるらしい。でも、何かしら生活に役立つ物を生産する産業よりも破壊促進産業が喜ぶというのは、人類にとってあまり喜ばしいことではない。
 また、日本のマスメディアはロシア国民を騙すフェイクニュースを話題にしていますが、かつてフェイクだらけのニュースを垂れ流していた自分たちのやり方を反省した上でのことなのか、ということもちと心配です。さらに、このウクライナ戦争のドサクサに紛れ「敵基地攻撃能力」だの「核共有」だの「防衛費増額」だのと言い出し始めたアベのアホさは笑い飛ばせば済む??ことですけど、本気になって彼に追従するジミントー議員が後を絶たないらしいということはかなり心配です。
 とはいえ、この戦争ばかりではなく、世の中のほとんどの動きに対して0.01ミリも関わっていない72歳の不活発老夫婦は「早く不毛な戦争は終わって欲しい」というほとんど効果がないことがわかっている「祈り」でしか反応できず、今日はんこが出たとか出なかったとか、何食うかなどといった会話に終始する日常なのでした。

◉『インド音楽序説』電子版

『インド音楽序説』電子版がAmazonで売られています。一般の人にはほとんど関心のない内容ですが、これをお読みになっている方でインド音楽に関心のありそうな人がいたら「こんなの出てる」と宣伝していただければ幸いです。Amazonへ

 


 

 

 

===これまでの出来事===

◉3月5日(土)18:00~/ラーガ基礎講座#26 ~トーディー・タートのラーガ~ /Musehouse、神戸/ HIROS: プレゼンター/

◉3月20日(日)11:00~12:30/アクト・コウベトークセッション/神戸国際コミュニケーションセンター交流スペース(神戸市長田区腕塚町5丁目5-1アスタくにづか1階)/出席者:岩淵拓郎、佐久間新+ウィヤンタリ、下田展久、ジュール・イルマン(在京都フランス総領事、オンライン参加)、角正之、中島康治、バール・フィリップス(アメリカからオンライン参加)、HIROS、森信子、杉山知子(客席)/進行:中川真/主催:神戸市国際課、C.A.P.(芸術と計画会議)

 20年も前に終わったアクト・コウベ(AK)運動に興味を持つ人なんかいるんだろうかというワダスの心配は杞憂で会場はほぼ定員に達していました。長年住んでいたフランスからアメリカのニューメキシコに引っ越したアクト・コウベ運動呼びかけ人バール・フィリップスが、88歳という年齢にもかかわらずオンラインで元気に参加しました。開始が午前11時となったのはアメリカとの16時間の時差があったからです。
 この催しは、神戸市国際課の伊東久美子さんが我々のようなアーティストの国際交流が阪神淡路大震災を機にどんなふうに始まったのかに興味を持たれたこと、そして提案された昨年がたまたまマルセイユとの姉妹都市提携60年にあたるということがきっかけでした。こうした催しが行政の進める国際交流の考え方にどれだけインパクトを与えられたのかはなんともいえませんが、ものすごく久しぶりに一堂に会したAKJメンバーにとっては当時の気分が蘇りなかなか心地よいものになったのでした。


 バールのインタビューに続き、AKJメンバーがそれぞれ活動への思いを喋りました。佐久間君にマイクが渡ると「喋るより踊ります」と立ち上がり会場いっぱい動き回る。その動きに合わせてワダスは「ボニ」(マルセイユのボニ宅の海岸で拾った石笛)を吹き、角さんが踊りで呼応したのでした。こういう、出し抜けの即興がいかにもAKらしい。
 その後まもなく、バールの奥様メアリーさんが亡くなったとの知らせがありました。ワダスがフランスのバール宅に居候していた時もメアリーさんには色々とお世話になっています。興味のある方は下記。
http://tengaku.perma.jp/Shichseikai/FranceTour04Diary2.html

 またアクト・コウベ運動について興味のおありの方は、下記を参照して下さい。
http://tengaku.perma.jp/ActeKobe/ActeKobeIndex.html

 セッション終了後、メンバーや進行役の中川真さん、伊東さんらと近くのベトナム料理屋「サイゴン・チュンハイ」でランチ宴会でした。ベトナムビールで盛り上がった勢いで7月に「アクト・コウベ披露宴」をやろうということになったのでした。別れがたい集団はその後、お好み焼きもやっている喫茶店でしばらくしゃべり、少しばらけた集団となって近くの「シティー・ギャラリー」へ。途中の交差点でなんとエノチュー(榎忠さん)と遭遇。「シティー・ギャラリー」からの帰りだったようです。
 というわけで7月の「披露宴」が楽しみです。

◉3月24日(木)/ミニ同窓会/ニュー・ミュンヘン曽根崎店、大阪

 ごくたまに飲み会をやるミニ同窓会。コロナのため久しぶりでした。参加者はいつものように、安藤朝広、奥山隆生、HIROS、湊隆、矢尾真の5人。東京在住の八尾君が関西に来るというのでみんなで集まろうとなったのでした。久しぶりに見るとみな確実に年取っているのが分かります。
 場所はニュー・ミュンヘン曽根崎店。ワダスにとっては2年ぶりの大阪です。
 広い店内には結構な数の客がいて飲み食いしていました。我々が案内されたのは6人がけテーブルで、早速座って注文すると店員がやって来て「1テーブル4人までとなっていますので、隣のテーブルとで分かれて下さい」と申し述べる。店員に不満を述べても仕方がないので1人だけ離れて飲み食いするの図となったのでした。話は共通の知人の噂話とか取るに足らない世間話ですが、滅多に会わない友人たちと飲み食いするのはいいものです。

◉4月4日〜8日/Yoshikei給食
 何を食べるかを毎日考えるのが面倒で、たまたま入っていたYoshikeiのチラシを見て試しに注文してみたのでした。それなりに変化のあるメニューで1食分1人300円ほど(キャンペーン価格)で、調理もごく簡単というのはリーズナブルといえます。とはいえ、量も味付けも最大公約数的に標準化されているせいで驚きや感動とは程遠く、注文前に想像していた通りでした。どちらかが認知症みたいな状況になったら役立ちそうですが。

◉4月9日(土)18:00~/ラーガ基礎講座#27 ~タートに入らないラーガ~ /Musehouse、神戸/ HIROS: プレゼンター

◉4月12日(火)15:00~/AKイベント打ち合わせ/海外移住と文化の交流センター、神戸
 7月の「アクト・コウベ披露宴」打ち合わせの後、川崎ヨスヒロ、角さんと高架下の「高田屋金盃」でちょい飲みでした。

◉4月19日(火)/短足麻雀/中川宅/植松奎二、塚脇淳
 1月にこのメンバーで麻雀をやりましたので、その第2弾でした。この日は久代さんがバカ勝ちし、マイナスだらけのワダスをカバーし、中川家としてはほっとしたのでした。

◉5月7日(火)18:00~/じっくりとラーガを歌ってみる#1 /Musehouse、神戸/ HIROS: プレゼンター

◉5月8日(日)/CAP総会/神戸市立海外移住と文化の交流センター、神戸
 いちおうメンバーでありながら会議などにもほとんど参加していないのですが、ものすごく久しぶりにCAP総会に出席したのでした。最近はメンバーも代替わりし、見知った人は半分ほどです。

◉5月10日(金)/シヴクマール・シャルマー氏逝去
 ワダスのグルと同様にインド音楽界の大スターだったサントゥール奏者が亡くなり、改めて人は死ぬのだと実感しました。84歳でした。シヴジーとはたびたび演奏会でお会いしたばかりではなく、ご自宅のランチを呼ばれたり、どこかの会合で奥様のマヌジーと一緒におしゃべりをしたこともありました。マールカウンスというラーガの練習を真夜中にやると幽霊が出るという話に興味を持ち、演奏家たちにインタビューをしていた時期がありました。シヴジーからも面白い逸話を聞きました。ムンバイでサントゥール奏者として大活躍中の新井たかひろさん、日本のジミー宮下さん他、彼の弟子たちにはショックだったと思います。 
 シヴジーとの「シヴハリ」コンビで一時代を築いたワダスのグル、ハリプラサード・チャウラースィアー師とシヴジーは同い年で、二人ともムンバイ住まいで自宅も近い。年来の仲良しを失い、気を落としたことでしょうが、グルにはまだもうちょっと長生きして欲しいものです。

◉5月13日(金)駒井家招待宴会/中川宅
 正月にはこちらから出かけて宴会を楽しみましたが、今回は西明石からポートアイランド まで出向いてもらっての久々の親戚宴会でした。人参シリシリ、サラダなどのおかずでダラダラと飲み食いし、最後はチキンとシーフードの2種類のカレーで終了となりました。

◉5月14日(土)家住邦男氏来宅/CAP、えびす寿司
 家住さんから「久しぶりです。今日本に来ています。今回大阪まで足を延そうと思っています」というメールが届いたので我が家にも来ていただきました。家住さんは、メキシコシティーから西へ車で1時間ほどの小さな町、テポストランに長年住み、絵を描いている人です。彼の絵は東京のリッツ・カールトンホテルのスイートに数点展示されているとのこと。痩身長髪メガネのいっけん小室等にも似た容貌で、年齢も近く、20代前半に世界をうろうろしていたワダスとの共通点もあり、メキシコ滞在中は彼のご自宅にしばらく居候をし、コンサートの機会を作っていただいたりしてお世話になりました。
 この日は時間があったのでまず北野町方面の坂をのぼり、安藤忠雄の建築などを眺めながら島田ギャラリーへ。たまたま島田さんが路上にいたので挨拶。家住さんを紹介すると、耳たぶに手を当て「いやあ、すっかりヨボヨボで」と申し述べておられましたが、相変わらずダンディーなたたずまいでした。その足で「神戸市立海外移住と文化の交流センター」へ行き、事務所のあるCAPへ。下田代表自らアーティストの部屋を案内していただいた後、しばらくメキシコの話題などで歓談。
 三宮まで歩いて戻ったのですが、そこで久代さんと待ち合わせをしていたビルの9階にある「もりもり寿司」には長い行列ができていたのでした。仕方がないので近くの「えびす寿司」で腹ごなしをした後、我が家で焼酎を飲みつつダラダラと宴会が続くのでありました。

◉5月16日(月)夫婦対抗麻雀/中川宅
 同じマンションに住む木村夫妻との月例麻雀です。

◉5月17日(金)/シスワディ逝去
 Facebookの佐久間新君の投稿でシスワディが亡くなったことを知り、ちょっとショックでした。享年63歳とのこと。インドネシア語しか話さない彼と直接話ができなかったのが残念です。すごいガムラン音楽家なのに、口数が少なく全体としてほんわかした雰囲気のある人でした。たしかジョグジャカルタの芸術大学の副学長だったはずです。
 来日して居候していた佐久間宅、マルガサリの練習場、中川真さんとの十津川、那智滝、那智勝浦の芝先さん宅、「ガムランを救え」団のジョグジャカルタ活動など、何度もお会いしています。印象に残っているのは、真っ暗な深夜の那智滝でワダスがバーンスリーを吹き出した時、擦弦楽器のラバブで追奏したこと。彼がほんのわずか低い音程でワダスのメロディーを追いかけるので、「ちょっと気持ち悪かった」と申し述べると、中川真ことタマゴは「それがガムランの名人芸なのよ」とのこと。相対的な音程に厳密なインド音楽からすると落ち着かない感覚ですが、違った文化では評価されるということを初めて知りちょっと視野が広がったような気がしたものでありました。

◉5月23日(月)/神戸大学ゲスト講義
 今回のテーマは「少ない音でもいかに即興演奏のバリエーションを作れるか」というもの。インド音楽の自由リズムの即興部分であるアーラープを中心に話しました。受講した学生たちは面白かったんですかねえ。ま、音楽にはいろいろあるのだということがわかればいいかな。

===この間に読んだ本===
(*読んで損はない、**けっこういけてる、***とてもよい)

◉『群れのルール』**(ピーター・ミラー/土方奈美訳、東洋経済新報社、2010)
 一つ一つの個体はほとんど何も考えない(と思う)のに集団で見事な建築物を作ったり修復したりするシロアリや蜂、ニシンやムクドリの、まるで単体の生き物のような群れ、共食いの恐怖から逃れようと大集団になって移動するバッタなど、群れを作る動物の行動原理はどうなっているのか。ムクドリの個体は自分に近い左右の6羽から7羽しか見ずに自然に一塊の群れを作っているらしい。そうした群れの原理からアルゴリズムを導き人間社会やインターネットによる情報管理に応用しようとする様々な試みや、人間が群れになりコントロール不能になった場合の危険性など、群れにまつわる考察は実に興味深いのでした。

◉『一万年の進化爆発』再読(グレゴリー・コクラン、 ヘンリー・ハーペンディング/ 古川奈々子訳、日経BP社電子版、2010)

◉『ノーサイド・ゲーム』*(池井戸潤、ダイヤモンド社、2019)
 ほとんど興味がなかったラグビーにちょっと魅力を感じました。それにしても池井戸潤は話を作るのがうまい。重い本の読書の箸休めにちょうど良い。

◉『生物学的文明論』**(本川達雄、新潮新書、2011)
『ゾウの時間ネズミの時間』の著者による文明論。近代文明を謳歌しているように見える我々人間は、当たり前だけど細菌やネズミと同じ生物であること、そして地球の生物は環境と微妙にバランスをとって成り立っていることを思い知らされる。

◉『過去への旅 チェス奇譚』***(シュテファン・ツヴァイク/松山有紀子訳、幻戯書房、2021)
 2本の短編小説だけの小さな本。2編とも登場人物は少なく、微細な心理描写がしつこく最後まで展開されるが、読み始めると止まらなくなってしまった。特に著者の自殺後に出版された最後の作品「チェス奇譚」は、突然現れて世界を驚かせたチェスの天才少年と偶然乗り合わせた船上で対戦することになった名家の紳士の話。その紳士は実は実際の駒を使ったチェスを一度もさした事がなかった。ナチスのゲシュタポによって完全な孤独と狂気の空間に追いやられて見つけた唯一の想像の逃避先が、一人の脳内で白黒二手に分かれて対戦するチェスであったと。著者の目指した「内的自由」について考えさせられる。80年ほど前に書かれたとは思えないほど新鮮な読書体験でした。ツヴァイク恐るべし。

◉『マチネの終わりに』**(平野啓一郎、毎日新聞出版、2016)
 なかなかに読ませる恋愛小説。日本人天才ギタリストと危険と隣り合わせのイラクを取材する美貌の知的ジャーナリストという、二人とも知性的であまりにも格好よく出来過ぎ感のある組み合わせなだけに、読み始めた当初は通俗的な恋愛小説のような趣でした。とはいえ、演奏家としての音楽に対する考え方や演奏の描写、著名なクロアチア人映画監督と長崎被爆者の日本人女性を両親に持つ多言語で活躍するジャーナリストの自己アイデンティティーの不安定さなどを、社会情勢の背景と絡ませて丁寧に描写されていて読後感は悪くない。それにしてもつくづく日本人は「気分は西洋人」なんだなあと思うのでした。この小説を読んだついでにアマゾンで同名の映画を見ましたが、最後までとても見れない最悪の出来でした。

◉『サル化する世界』*(内田樹、文芸春秋社、2020)
 現代社会、特に日本の社会や政治状況についての鋭い指摘はあるものの、この人の著作にはどこかふわふわした雰囲気がある。

◉『デッド・ゼロ』**上下(スティーヴン・ハンター/公手成幸訳、扶桑社ミステリー、2011)
◉『狩のとき』**上下(スティーヴン・ハンター/公手成幸訳、扶桑社ミステリー、1999)
◉『数学をつくった天才たち』(立田奨、辰巳出版、2018)

◉『ふしぎな君が代』*(辻田真佐憲、幻冬舎新書、2015)
「君が代」という歌がいつどのようにできたのか、それがいつ国歌と見做されるようになったのか、「君が代」が法律の上で正式な国歌になったのは1999年。それなのにいまだに「面倒臭い歌」なのはなぜか、などなど一つの曲から国家観を考えさせられる。

◉『アナキズムを読む』(田中ひかる編、皓星社、2021)
 一般に無政府主義と訳されるアナキズムの厳密な定義は確立されていないので、国家や行政府、つまり個人の外側にある管理システムと関わりのない社会的活動は何でもかんでもアナキズムの例として取り上げられてしまうのだなとこの本を読んで思ったのでした。国民国家という概念があやしくなってきた今日、人間の幸福とは何かを考える意味でアナキズムは今後重要な考え方になると思ってはいるのですが。この本で紹介されていた『エマ・ゴールドマン自伝』が大ヒットでした。

◉『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』**(山際寿一、朝日新書、2021)
 いつの間にか祭り上げられ、選ばれないようにと書いた文がどういうわけか評価されて総長になってしまったゴリラ学者の大学、教育、今日の社会を、霊長類の観察を通した人類的視点で考えた、とても読みやすく、示唆に富む内容の新書でした。ワダスは著者の奥様を昔から知っていることもあり、ちょっと贔屓目に評価してしまいますが、語られている内容は実にまともで雄大で面白い。著者の見た目も背中に銀色の毛のはえたでかいボスゴリラを思い起こさせる風貌と貫禄です。

◉『うんちの行方』(神舘和典+西川清史、新潮社選書、2021)

◉『エマ・ゴールドマン自伝』***上下(エマ・ゴールドマン/小田光雄+小田透訳、ぱる出版、2005)
 読破するのに2週間かかった上下巻3500枚の大著。厚くて重い。寝っ転がって読むと腕が疲れる。
 アナキズム(無政府主義)運動に生涯をかけたユダヤ系アメリカ人女性アナキスト、エマ・ゴールドマン(1869 -1940)は、まさに波乱万丈の人生だった。100年くらい前に繰り広げられた社会運動や、そうした活動に対する当時のアメリカや革命ロシアの徹底した弾圧を受けながらの彼女の生涯、人間関係、思想が詳細に語られる。関わりのあったものすごい数の人名、出来事がとても具体的に描かれ、100年も前のことなのに全く古さを感じさせない。
 ほとんど無学なユダヤ移民の女性がふとしたことでアナキズム運動にのめり込み、講演と執筆、反政府組織や雑誌の立ち上げ、投獄といったことが繰り返され、後にFBI長官となるフーヴァーをして「アメリカで最も危険な女」と言わしめた。特に印象的なのは、アメリカ国外退去の後に訪れた革命ロシアの惨状。プロレタリアート革命維持の名の下に独裁へ向かうボルシェビキのレーニン、トロツキーらの、革命に協力したアナキストへの裏切りと過酷な弾圧、殺戮のありようが凄まじい。ウクライナのユダヤ人虐殺などということもあったらしい。学生時代にロシア革命についての本はずいぶん読んだけど、知らないことだらけだった。
 なんとなくニュースで眺めている現在の戦争の原因もどうも単純に理解できないのかもしれないとこの本を読んでみて思う。幸徳秋水、菅野スガ夫妻を初め12名が政府のでっち上げによって刑死させられた大逆事件についてもちょっと触れられている。他にいくつもありますが、印象に残った言葉が以下。
「太古から、賢者や現実主義者はあらゆる英雄的精神を非難してきました。しかし私たちの人生に影響を与えたのは彼らではなかった。理想主義者や空想家たち、そして大胆な行動を取り、何かしらの崇高な行為に対して熱意と信頼を表明するほど愚かだった人々が人類を前進させ、世界を豊かにしてきたのです」。
 アメリカでもソビエトでも、ま、世界のどこでもいつでも、権力の魔力が人を狂わせるように思える。人間社会が多くの権力を集中させる人物をどうしても必要とするのならば、今後も狂った状況が続くということなのか。
 この本を読んでそれほど興味のなかったアナキズムに興味が湧いた。と同時に、純粋な読書体験の喜びに浸ることができた。読書は、現実との距離が離れた広い世界へ我々を連れて行ってくれる素晴らしい体験であることを改めて教えてくれた1冊でした。

◉『数学の真理をつかんだ25人の天才たち』(イアン・スチュアート/水谷淳訳、ダイヤモンド社、2019)
 歴史上の天才数学者について書かれている。取り上げられて人たちはちょっとは名前も業績も知っていてそれぞれに魅力的だが、著者のピントのぼやけた解説によって没入できず。単純に取り上げた人たちの評伝だけに徹した方が良かった。

◉『象の消滅』**(村上春樹、新潮社、2005)
 表紙に「ニューヨークが選んだ初期短編集17編」とある。とても読みやすい文章で、どこにでもいそうな主人公たちの奇妙キテレツな物語が綴られている。印象に残ったのは「眠り」「パン屋襲撃」「沈黙」。特に「沈黙」は妙に強く残った。ニューヨーカーはこの種のショートストーリーを好むのかもしれない。

◉『梨の形をした30の言葉』**(椎名亮輔、アルテスパブリッシング、2022)
「サティのうた」というNHKのアンコール放送を見た数日後、著者の椎名さんからこの本が届き、あまりのタイミングの良さに嬉しい驚きだった。作曲家エリック・サティ(1866-1925)の30の不思議な箴言の解説を通して、人物や当時のフランス音楽界、ひいてはいわゆる現代音楽にも通じる彼のアイデアなどを浮かび上がらせるという趣向はなかなかに鮮やかで、数多くの未知の人物の登場にもかかわらず一気に読むことができた。印象に残った言葉が以下。「エリック・サティ、この世紀に迷い込んだ、心優しい中世の音楽家」(ドビュッシー)、「『家具の音楽』は本質的に工業的なものだ。私たちは『有用な』必要を満たすために作られた音楽を作り出したいと思う。<芸術>はその必要には入らない。『家具の音楽』は空気の振動を生み出す。それ以外の目的はない」(サティ)、「芸術家の夢は、平たくいえば美術館にたどり着くことであるが、デザイナーの夢は市内のスーパーにたどり着くことである」(ブルーノ・ムナーリ)
 ちょっと前に読んだエマ・ゴールドマンの生きた時代と重ったせいもあり、19世紀後半から20世紀前半にかけての欧米の雰囲気がなんとなく想像できる1冊でした。

◉『定本 見田宗介著作集Ⅱ』*(見田宗介、岩波書店、2011)
 今年4月1日に亡くなった社会学者、見田宗介の著作集を久代さんが図書館から大量に借りて来たのでその1冊を読みました。
 小阪修平との対談がほとんどを占めています。対談は普通読みやすいものですが、二人の話す単語のいちいちの定義をこちらが分かっていないので、ほとんど頭に入らなかったのでした。

==これからの出来事==

 我々の絶対ヒマ状況は、コロナやウクライナ戦争とは無関係に維持されそうです。

◉6月4日(土)19:00~/インド古典音楽演奏会/Musehouse、神戸/藤澤バヤン:タブラー、 HIROS:バーンスリー/前売り予約2500円、当日3000円/ご予約・お問い合わせ:info@musehouse.net
 去年同じ場所でミニライブをしたのが11月3日でした。実に半年以上ぶりの演奏です。今回は京都のバヤン君にタブラー伴奏をお願いしました。演目はいちおう決めています。キールヴァーニーというとてもロマンチックな雰囲気のラーガです。ご興味おありの方はぜひ。
<https://www.facebook.com/events/540433924370447/?ref=newsfeed>

◉7月31日(日)14:00~20:00/AKJ披露宴/海外移住と文化の交流センター5階講堂、神戸/出演予定/稲田誠(cb)、岩淵拓郎(パフォーマンス)、ウィヤンタリ(ダンス)、江崎将史(tp)、川崎義弘(音)、C.A.P. 山下和也(日本画・破墨)+柴山水咲+山村祥子、佐久間新(ダンス)、シモダノブヒサ(Q2ペリカンズ)(歌 )、白井ひろみ(パフォーマンス)、杉山知子(カレー制作)、角正之(ダンス)、中尾幸介(タブラー)、中川真、Hiros(笛+カレー制作)、松原臨(sax)