アクト・コウベ Acte Kobe

 Acte Kobeとは、1995年1月17日の阪神淡路大震災を契機に結成された国際的なアーティスト連帯組織です。Acte Kobe-FranceとActe Kobe-Japanという組織が設立され、2005年までさまざまな交流を行いました。双方の活動は団体としては現在休眠中ですが、この運動によって生まれた絆は関係した個人に引き継がれています。
 もともとは、神戸の姉妹都市である、フランス、マルセイユの音楽家バール・フィリップスとAMI協会(代表:フェルディナン・リシャール)が、阪神大震災で影響を受けている神戸の芸術家を支援するためにアクト・コウベというイベントを1995年4月9日に行ったことから始まりました。
 このイベントには音楽家、造形作家、写真家、映画人、舞踏家、詩人、作家など、たくさんのアーティストが主旨に賛同し参加しました。この運動は、スイスのベルンにも飛び火し、同年9月15日には、やはり音楽家のハンス・バーグナーとW.I.M.協会が同じ主旨のもと、アクト・コウベ2という昼夜にわたるイベントを行いました。これらのイベントの収益金は神戸に送られ、一部はCAPARTY (C.A.P.ホームページ参照)のために、また残りのお金はビデオ等による神戸支援のイベントドキュメント展覧(1996年1月17日~2月末)と、オールナイト・コンサート+パーティー(1996年1月27日) としてジーベックで開催の「マルセイユ~ベルン~神戸:アクト・コウベ」のために使用されました。
 このイベントのために来日したBarre PHILLIPS氏、Alain DIOT氏、Ferdinand RICHARD氏、Hans BURGENER氏らとわれわれアクト・コウベ実行委員会は、ヴェトナム春巻きが絶品の鴻華園で会議をもちました。会議では、こうした連帯が単に被災支援に終わるのではなく、今後もなんらかの芸術交流を互いに推進していくことが合意され、その結果、その後の交流活動が始まりました。
 このような、大災害を契機として生まれたアーティスト交流の運動は、その後、台湾中部大震災をはじめ、中部ジャワ大震災の被災アーティストへの支援から始まった「ガムランを救えプロジェクト」、東日本大震災に対する活動として引き継がれている。

これまでの流れ(詳細はサイドメニューから)

     ●1995年1月17日 05:46AM 阪神淡路大地震発生
     ●1995年4月9日/Acte Kobe/マルセイユ
     ●1995年9月15日/Acte Kobe 2 /スイス・ベルン
     ●1995年10月28日/「CAPARTY vol.1」/神戸
     ●1996年1月28日~29日「マルセイユ~ベルン~神戸:アクト・コウベ」
     ●1997年2月16日/「Acte Kobe-France」設立/マルセイユ
     ●1997年6月22日/「Acte Kobe-Japan」設立/神戸
     ●1997年7月17日/写真交換プロジェクト第1回/神戸、マルセイユ
     ●1997年9月6日~10月8日/「Acte Kobe Exhibition」no.1 /神戸
     ●1998年1月17日/写真交換プロジェクト第2回/フランス、神戸
     ●1998年1月18日/「Acte Kobe Exhibition」/マルセイユ
     ●1998年1月30日/アクト・コウベ・ジャパン第1回総会/神戸
     ●1998年7月6日/アクト・コウベ・ジャパン第2回総会/神戸
     ●1998年7月7日~7月17日/「Acte Kobe Exhibition」no.2/神戸
     ●1998年7月17日/写真交換プロジェクト第3回/フランス、神戸
     ●1999年1月/Acte Kobe 99/マルセイユ
     ●2000年3月/Acte Kobe 2000/マルセイユ、ベルン
     ●2001年8月/Acte Kobe Project 2001/神戸
     ●2004年4月/映画「ヒバクシャ」上映会/CAP HOUSE、神戸
     アクト・コウベのメンバー、鎌仲ひとみさん制作映画の上映会
     ●2005年7月/Acte Kobe Project 2005/神戸
     フランスからアーティスト5名(クリスティアン・ブラズィエール、ジャン・ピエール・ジュリアン、マガリ・ラティ、オリヴィエ・ウア、パスカル・プレー)来日
     ● 2005年9月/Acte Kobe Project 2005/台中市、台湾
     台中市で行われた「台中国際芸術祭」でアクト・コウベ運動のプレゼンテーションを行った。 ▷スピーチノート