CAPARTY vol.1レポート

 10月28日土曜日、急に寒さが増してきた神戸にたくさんの方々がやってきて下さいました。勿論「CAPARTY」に参加するためにです。
「CAPARTY」とはC.A.P.とPARTYをつないだ造語だったわけですが、C.A.P.に関してもアクト・コウベについても既に前号までに紹介されているのでその記述は省略します。
 このOne Day Art Partyは、三つのパートから構成されていました。まず時間を追ってご紹介すると、ホールでのスライド・インスタレーション「Pachi Pachi 1000」 は1000枚のスライドを1000人の人達から公募し、天井に設置した12台のプロジェクターから床にむかって上映するというものでした。静かな音にのせ、ポジに焼き付けられたさまざまな表現が、ゆっくりとしたスピードで次のビジュアルを誘いだしてゆき、心地よい空間ができ上がりました。マルセイユやベルンでアクト・コウベ1、2を開催してくれたアーティストたちの参加を含めて、ホールのなかだけでは収まり切らない1000枚以上のスライドが集まりました。来ていただいた皆さんはホール内を歩き廻ってみたり、しゃがみ込んでじっと自分の作品がでてくるのを待ったりとそれぞれの楽しみ方をして下さったようです。
 パートIIでは「芸術センターについて話そう」というシンポジウムが午後3時から二時間にわたり行なわれました。まず、C.A.P.がパブリックな場所で行なうはじめての催しでもあったので、C.A.P.代表の杉山知子からC.A.P.の紹介とC.A.P.が提案する「旧居留地ミュージアム構想」のプレゼンテーションを行ないました。それに引き続き、ゲストのパネリストからそれぞれが関わってこられたスペースやプロジェクトについてお話ししていただきました。
―――「旧居留地ミュージアム構想」は街に美術館をつくろうというのではなく、街全体が美術館となるためのプランです。震災前からこれまでの美術館のありかたや、行政の考える芸術文化関係のプランに対して疑問を感じ続けてきた私たちは、まず代表者の杉山のアトリエのある旧居留地で、ゲリラ的にでも既存の空間を使いなにかできないものかと考えていました。旧居留地は神戸のなかでも特に古きよき神戸のイメージを残した街です。しかし、ことを始めようとした矢先、今回の阪神大震災でこの街の建物も約三分の一が破壊されてしまいました。目先の手段としてのチャリティーイベントなどではない復興への参加を考えたとき、C.A.P.としては自分たちが作成したプランを各方面に提案して、少しでもこれからの街づくりの方向性が変わって欲しいと願いました。私たちは「1.今を発信する 2.芸術・文化を街に点在させる 3.魅力的かつ洗練された街並みを創る」という三つの要素を発展させていくことによって旧居留地らしい、知的刺激に満ちた新しい街づくりが可能となると考えます。1から3のそれぞれについての具体的な内容としては、今を発信するミュージアムの核となる旧居留地芸術センター(仮称)の設立を推進したいと思います。ここでは国内外を問わず他の芸術機関や美術館、大学とのネットワークにより集められた情報や資料を基に企画運営を行ないます。また、市民参加型の芸術講座や芸術教育プログラムを組み、それらの活動や情報を機関誌などを通して発信してゆきます。二番目に魅力的な空間の活用を行なうことで街の魅力を十分に引き出し、隠された魅力を再発見してゆきたいと思います。様々な動きの中枢を担う芸術センターが企画する展覧会、ライブアート、レクチャー、上映会、リソースセンター、ワークショップ、アーティスト・イン・レジデンス、カフェなどを展開し、人々の交流の場となる芸術空間を街に点在させようと考えています。また、景観づくりにも配慮するとともに、海外の機関の誘致なども考え旧居留地らしさを増すための付加価値をつけていくことなどにも興味を感じています。すでにこの構想は行政機関に紹介するなどしています。神戸市や兵庫県は震災後の復興計画のなかに、芸術文化に親しむような場を増やしていこうという考えはもっておられるようですが、先に着手しなければならないことも山積みなので、まだこれからという感じです。
 ゲストからのお話はまず、「自由工場」の元運営委員である井上明彦氏からでした。
―――岡山市の中心部にある九階建のビルのオーナーが現代美術の振興に熱心な方だということがことの発端でした。テナントビルは建て替えのためテナントも次第にでてゆき、取り壊しまでの約一年間「自由工場」として、"工員" の制作現場、展示会場等として機能しました。所謂中心はないままに運営されていました。建物自体を素材かつ仕事場として24時間開放されていました。参加したスタッフも立場は多岐にわたっており、参加することにより各々が変わっていくということが大切でした。空間の機能も特定されないことがかえって様々な可能性を引き出したようにも思います。―――
 福岡市の天神地区で隔年開かれる「ミュージアムシティ天神」の実行委員会で事務局長を勤められる山野慎吾氏からは、――― '90年からはじまったこのプロジェクトは'94年に三回目を迎えました。'90年当時はバブル経済期の最後の時期で企業協賛も約4,000万円集めることができたが、現在は資金繰りも大変です。作家との調整、スポンサーや場所を貸してくれる人との調整や警察への許可申請などがパブリックな場所を使って行なう展示の場合生じます。またみる人が不愉快になるような視覚的な表現がある場合などは慎重になります。この天神という場所は過去の建築をほとんど残していない街なのですが、かろうじて残った明治の西洋建築の前といった空間を利用したり、街の魅力を再点検できるような展示を美術家が行なってくれることで、街を新たに発見する喜びがあります―――といったお話を伺いました。
 寺院の地下で運営されているオルタナティヴ・スペース「P3 art and environment」のディレクター芹沢高志氏からは―――最初の企画でバックミンスター・フラーに関わるワークショップを三カ月にわたり行なったことで、観客と一緒につくっていくことの重要性を確信したこと。その後、ドイツのインゴ・ギュンターとの展覧会づくりなどを通して、展示をただ単にやっていくスペースとしてではなく制作を行なう機関としてP3が存在することに意義を感じた―――といった発言がありました。
 幾つかのアーティスト・イン・レジデンス(以下A.I.R.)構想の策定にかかわってこられた荻原康子氏は、―――行政が考るのは、A.I.R.で行なわれる活動を地元にどういったかたちで還元できるかといったことですが、地元とのコミュニケーションを密にすることはなかなか容易ではないわけです。アートを通して様々な交流ができるまでには少しずつ実験的な活動を繰り返すことが必要でしょうし、始まっている茨城県のアーカス構想なども実にその途上のもの―――と実際の運営の難しさを語られました。
 アサヒビール株式会社の加藤種男氏からは、他の演者と異なる立場から、実際に様々な芸術文化活動をすすめていくには、だれに対して発信していくものなのか考えた上でのマーケティングを行なうことが必要だろうというお話しがありました。
 時間の都合で、最後に一言ずつコメントをもらうことになりました。それは次の通りです。「街のなかに出ていき、"美術館芸術" ではない、人との対話の密かな喜びを確かめてはどうか。(井上)」「地方都市でのファウンドレージングの問題。(山野)」「文化のヒエラルキーを壊したい。開かれたシステムをみいだすことが大切。内輪で閉じてしまっては意味がない。(加藤)」「ハードとしての場にこだわるのではなく、人が出会える場のソフトのプランニング。マネージメント能力。核となる人材の育成。(芹沢)」「集うこと自体が運動体であり、大切。(荻原)」
 このシンポジウムと併行して野外ではアーティスト・ユニットのRGによるドライビング・パフォーマンスが行なわれており、整理券を幸運にも手に入れることのできた人達だけがそのなんたるかをエンジョイしたのでした。パーティーがはじまってからも、反重力音楽を奏でるジョニーの演奏や久田舜一郎氏の小鼓の演奏などのパフォーマンスを交えながら、終始和やかな雰囲気のなか皆さんの会話も進んでいたようです。遠くは埼玉や名古屋、四国からも360人以上のご参加をいただき、最初の試みとしては、まずは成功と言ってよいのではないか、と自負しています。
 '96年1月27日にはアクト・コウベのイベントも予定されているので、皆さんとまたXEBECでお会いできるのが楽しみです。 原久子(C.A.P.)

C.A.P. メンバー

杉山知子  C.A.P.代表、美術家、京都市立芸術大学非常勤講師
赤松玉女  美術家、京都市立芸術大学講師
石原友明  美術家、嵯峨美術短期大学非常勤講師
江見洋一  デザイナー、DIAMOND INC.代表
田辺克文  美術家、芦屋芸術情報専門学校非常勤講師
椿  昇  美術家
砥綿正之  美術家、京都市立芸術大学講師
藤本由紀夫 音楽家
マスダマキコ 立体造形作家
松井智恵  美術家
松尾直樹  美術家、神戸美術研究所講師
原 久子  京都造形芸術大学勤務