アクト・コウベ・ジャパンからマルセイユのアーティストへのメッセージ

 今回、まずわたしたちは、震災のときにあたたかい友情の手をさしのべてくれたすべてのマルセイユのアーティストたちに感謝の気持ちを直に伝えたいと思います。
 1995年1月17日に起きた阪神大震災は私達に大きな被害をもたらしましたが、一方でこれから大きく発展する可能性を秘めた国際的な芸術家のネットワークを生み出しました。それが、アクト・コウベです。アクト・コウベは、芸術家のネットワークであると同時に、交流を通してあたらしい芸術を創造し、社会と芸術家の関わりをより深く考えていこうとする運動です。この活動母体となるのが、1997年に発足したアクト・コウベ・フランスと、アクト・コウベ・ジャパンです。
 以下は、今日に至るまでの簡単な経緯です。
 ■1995年4月~6月 Acte Kobe 1/マルセイユ
 ■1995年9月15日 Acte Kobe 2/ベルン
 ■1995年10月28日「CAPARTY vol.1」/神戸
 ■1996年1月17日~2月29日 Acte Kobe 3/神戸
 ■1997年2月16日「Acte Kobe-France」設立、マルセイユ
 ■1997年6月22日「Acte Kobe-Japan」設立/神戸
 ■1997年7月17日 写真交換プロジェクト第1回/神戸、マルセイユ
 ■1997年9月6日~10月8日「Acte Kobe Exhibition」no.1 /神戸
 ■1998年1月17日 写真交換プロジェクト第2回/神戸、マルセイユ
 ■1998年1月18日「Acte Kobe Exhibition」/マルセイユ
 ■1998年7月7日~7月17日「Acte Kobe Exhibition」no.2/神戸

 1995年4月~6月のマルセイユにおけるActe Kobe 1、1995年9月15日のベルンにおけるActe Kobe2を受け、わたしたちは1996年1月に、マルセイユからBarre PHILLIPS氏、Alain DIOT氏、Ferdinand RICHARD氏、そしてベルンのアクト・コウベ2オーガナイザーのHans BURGENER氏をお招きし、Acte Kobe 3を神戸で行い、彼らと日本の芸術家たちとの交流を行いました。日本では、大災害などが起きると、音楽どころではない、とよくいわれます。日本の南の島である沖縄では、逆に、何か苦しいことがある場合、音楽しかない、といわれます。「音楽どころではない」当時のわたしたちにとって、来日されたアーティストたちとのパフォーマンスは、沖縄の人々のように、苦しいからこそ音楽や芸術が必要なのだということを学んだと思います。
 その後わたしたちは、上記のように写真や作品の交換プロジェクトを通して間接的な交流活動を行ってきました。この交換プロジェクトは、それぞれのアクト・コウベのメンバーの個人的な活動や生活の一端を互いに知ると同時に、交換それ自身がひとつの芸術となることを目指すものです。また、このプロジェクトを通して、わたしたちはまだ顔を会わせていないメンバーとの友情を培ってきました。この間、わたしたちは、震災の時に物心両面で支援してくれたアクト・コウベ・フランスのメンバーたちとの直接的な交流を実現したいと願うようになりました。
 わたしたちのこのような希望をバール・フィリップス氏に伝えたところ、わたしたちの運動の重要な次のステップとして是非マルセイユで交流イベントを開こうという提案を受けました。さっそく、アクト・コウベ・ジャパンのメンバーに渡仏希望者を募ったところ、今回のように、8名がマルセイユでの交流イベントに参加することになりました。
 わたしたちは、アクト・コウベ・フランスによってオーガナイズされる今回の交流イベントは、これまでのわたしたちの活動の重要な第3ステップと考えています。つまり、可能な限り、互いに人的な交流を目指す第1歩ととらえています。
 第1は、震災に対するわたしたちへの連帯、支援の行動である、マルセイユでのActe Kobe 1、ベルンでのActe Kobe 2です。第2ステップが、「Acte Kobe-France」と「Acte Kobe-Japan」の設立です。これは、神戸でのActe Kobe 3で互いに同意された、ネガティブなものからポジティブなものの創造を目指す日常的な交流のネットワークです。
 わたしたちは、アクト・コウベ運動の第3ステップである今回の催しを通して、アクト・コウベの将来の形を互いに話し合い実践していきたいと思います。
アクト・コウベ・ジャパン 中川博志