「アクト・コウベ運動とCAP HOUSEの活動」

国立中興大学でのプレゼンテーション 2005

 私は中川博志といいます。日本の神戸から来ました。 ご存知かと思いますが、神戸は古くから台湾と関係の深いところです。台湾出身の人たちがたくさん住んでいます。ちまきや、ビーフンや、おいしくて安い台湾料理の店もたくさんあります。
 今日はこうしてこの場に招き、話をする機会を与えてくださった台湾ののみなさんにまずお礼を申し上げます。さて神戸は10年前、大きな地震に見舞われました。阪神淡路大震災。死者が約6000人も出ました。 地震は非常に不幸なできごとでした。しかし、あの震災をきっかけとして、私たちは海外、国内の貴重な友人を得ることができました。 アクト・コウベという私たちの運動は震災を契機に生まれ、育ったのです。阪神淡路大震災が起きてもう10年になりますから、アクト・コウベも10歳を迎えたわけです 。

●アクト・コウベ運動とは●

 アクト・コウベは、今,申しましたように、阪神淡路大震災を契機に、日本、フランス、スイスの芸術家を中心に生まれました。非営利団体です。
 震災直後、被災地では芸術文化に関わる催しが自粛され、中止になるなか、被災地の芸術家は『芸術(家)と社会の関係』という問題に直面しました。「自分の仕事は、社会に必要とされていないのか?人々の生活には芸術は必要ないのか?」職業というより人生そのものとして芸術活動を行っている者にとって、自己の存在意義を問われることになったわけです。
 私たちがこのような状況に直面していたころ、フランスのマルセイユであるイベントが開かれました。それが地震にあった神戸のアーティストを支援しようという義援イベント「アクト・コウベ」で、芸術家150人余りが参加したのです。この運動はさらにスイスのベルンにも飛び火しました。
 そしてイベントで集まった義援金をもって、フランスから神戸にやってきたベーシストと私たちは出会いました。私たちに対する、彼らの連帯の意思表示は震災後の私たちを非常に勇気づけてくれました。
 こうしてフランスやスイスの芸術家たちとの交流活動が始まりました。この交流は芸術家自身に、芸術活動と社会との関係という新たな問いかけを投げかけ、その答を模索する活動となって発展したのです。
 このように、震災は芸術の根本的意義を社会のなかでとらえ直すことを促し、これまでにない芸術家交流運動のきっかけになりました。
 フランスの仲間たちは交流活動を始めるにあたって、三つのキーワードを提唱しました。それは「フラジリテ(壊れやすさ)」、「連帯(ソリダリテ)」そして「創造(クリエイティヴィテ)」でした。
 アクト・コウベとは、この三つのキーワードによって示される芸術家の思いを、国境を越えて共有しようという運動です。この運動は私たちの社会にすぐさま影響を与えるわけではありません。しかし、私たちがフランスやスイスの仲間たちとの交流の体験を通して感じたことは、私たちは芸術活動の交流を通して社会に問題提起を行うことが可能ではないか、ということです。
 震災などによる被災体験は個人的なものです。芸術家ひとりひとの活動もとても個人的なものです。しかし、個人も社会も自然も壊れやすいものであると認識し、被災した他者との連帯と交流を通して新たな創造の芽を育てようという意思は、私たちの例のように個人や地域や国境を越えて広がるのです。そしてこのような意思をもった交流活動は、芸術家個人にフィードバックされ、表現行為や作品に影響を与えるでしょう。  われわれのアクト・コウベ運動は、それまで知り得なかった仲間を知り、その仲間の生活や活動や考えを知り、その仲間を支える社会を知り、「それぞれが固有の価値を持つ」ことを知り、共同で新たなものを造り出す可能性を探すことが目的です。被災というネガティブな出来事は多くの損失と悲劇を生みますが、同時にそれまでにないポジティブな状況をも生み出します。その一つがアクト・コウベの運動なのです。

  ●アクト・コウベ運動の経緯●

   アクト・コウベの活動がどんなふうに始まったか、もう少し詳しく最初からお話ししたいと思います。
 アクト・コウベという言葉を私たちが最初に知ったのは、マルセイユ近郊に在住するコントラバス奏者バール・フィリップス氏が、阪神淡路大震災直後の3月30日、マルセイユから神戸に一人やって来たときのことでした。
 フィリップス氏なる人物が神戸市役所を訪れたい、と友人を通して聞いた下田展久さん、森信子さん、サックス奏者の松原臨氏と私は、彼の市役所訪問に同行することになりました。下田と森は、当時音響機器メーカーTOAの持つジーベックホールのスタッフで、私はそのホールで行われるコンサートの一部を企画制作していました。現在、その下田さんはアクト・コウベ・ジャパン(以下AKJ)の事務局長であると同時に、CAP HOUSEの館長でもあります。また、森さんも現在AKJのメンバーです。  長身のフィリップス氏は神戸市役所国際課の担当者に次のように申し出ました。「神戸市と姉妹都市関係にあるマルセイユ近辺の音楽家、写真家、映像作家、現代美術作家たちが、阪神淡路大震災で被災した芸術家たちを支援しようという運動を始めた。4月には『アクト・コウベ』という催しを行い、そこでの収益金を送ろうと思うのだが、どこに送ればよいか」。
 市の担当者の返答は、おおよそ次のようなものでした。
「非常にありがたい申し出ではあるが、そのような特定の人々に対する義援金は前例がないので市として受け取る態勢にはなっていない。一般的な義援金であれば日本赤十字社の方に申し出てほしい。どうしても芸術家へということであれば、ここに『神戸市文化団体名簿』があるので個々に当たってみてはどうか」
そこで「神戸市文化団体名簿」というものをフィリップス氏は手渡されたわけですが、名簿はもちろん日本語で書かれているので彼は読むことはできません。この対応に当惑したフィリップス氏は、い合わせた私たちに「あなたがたのほうでベストと思う受け入れを考えて下さい」と言い残し帰っていきました。アクト・コウベ運動が始まったのは、こんな、いくぶん奇妙な、また印象深い神戸市との折衝がきっかけだったのです。
 マルセイユでの「アクト・コウベ1」は予定通り開催されました。また、同種の催しがスイスのベルンでも「アクト・コウベ2」として開催されました。その収益金が私たちの元に送られてきました。たまたま義援金受け入れの窓口になってしまった私たちは、その使い道をあれこれ考えた結果、関西の芸術家グループ「C.A.P. (代表=杉山知子氏)」の、プレゼンテーションを兼ねたアートパーティー「CAPARTY vol.1」に使ってもらうことにしました。

  ●神戸での「アクト・コウベ3」●

    翌年、つまり1996年1月に、私たちはマルセイユとベルンに続くものとしてオールナイトのイベント「アクト・コウベ3」をジーベックホールで開催しました。この「アクト・コウベ3」には、マルセイユとベルンの中心メンバー4名を神戸に招待しました。招待したのは、マルセイユからバール・フィリップス氏(音楽家)、アラン・ディオ氏(画家)、フェルディナン・リシャール氏(音楽家)、そしてベルンからハンス・バーグナー氏(音楽家)でした。招待した芸術家たちは、当日参加したアメリカ人や日本人の芸術家たちと混じり合い、それぞれの表現で私たちに連帯を表明してくれました。彼らは、芸術家としてばかりでなく、人間としてもとても魅力的で素晴らしい人たちでした。
 彼らは、たまたま義援金受け入れ係になった私たちの自宅にホームステイしました。
 我が家には、アラン・ディオ氏が10日間ほど滞在しました。顔中ひげだらけでやさしい目をしたディオ氏は、日本語はもとより英語もまったく話しません。会話には困りましたが、お互いに酒飲みなので楽しい毎日でした。悲しいことに、アラン・ディオ氏は昨年3月に亡くなりました。
 この段階は、被災した私たちに連帯の意思表示をしてくれた芸術家たちと直接会って一緒に遊んでみた、というものでした。そのとき、せっかくできた関係を今後も維持していきませんか、と来日した芸術家たちが提案しました。同じように考えていた私たちは即座に同意しました。こうして私たちは、地震というネガティブな出来事から、芸術家による国際的なネットワークの創造という、新たな、ポジティブな関係を作っていこうという点で互いに確認しあったのでした。この同意を受け、翌年の97年2月にマルセイユに「アクト・コウベ・フランス(AKF)」が、ついで6月に神戸で「アクト・コウベ・ジャパン(AKJ)」がそれぞれ結成されました。フランスと日本の持続的な芸術家交流の場ができあがったのです。

  ●アクト・コウベという交流の場●

   私たちは、まず郵送できる作品の交換とお互いの顔を知るという目的の写真プロジェクトを始めました。写真プロジェクトは、毎年1月17日と7月17日に、互いのメンバーが使い捨てカメラでそれぞれの日常を撮影し、未現像のまま交換し公開するというものです。このプロジェクトによって、私たちはまだ見ぬ双方の芸術家たちの顔や生活の一部を知ることになりました。それぞれの写真や作品は、マルセイユと神戸で一般に公開されました。この他に、フランス人音楽家が送ってくれたテープに日本の音楽家が音を加えて送り返す、フランス人現代美術作家が製作して送って来た小さな作品に日本人作家が形や色を加えて一つの作品にするというようなことも行いました。

  ●「アクト・コウベ・プロジェクト1999」●

   アクト・コウベ運動は、最初はこのように手紙をやり取りするようにして継続されてきました。そのうち、日本側から、マルセイユに行ってAKFの人たちと直接会ってみたいという気運が盛り上がりました。そのことを当時代表であったフィリップス氏に伝えると「それは素晴らしいことだ。こちらも受け入れ態勢を準備するので是非に」と興奮気味に返事が来ました。
 この催しには、AKJのメンバー8名が参加しました。「神戸アート・エイド」からの助成をいただいたほかは、全員自己負担でした。こうして、1999年1月14日から16日までの3日間、マルセイユのアルハンブラ劇場で「アクト・コウベ99」が開かれ、私たちもそれに参加することになったのでした。
 渡航前、フィリップス氏からは詳細な予定表が届いていました。それによると、私たちの到着予定日から「異動する創造のアトリエ・・・ワーク」という計画になっていました。そのため私たちは、フランス側の音楽家や画家たちと劇場公演のためのリハーサルが続くものとばかり思っていました。しかし着いてみると、3日間の劇場公演以外は、日仏のメンバーが固まりになって移動して飲み食いと見物の日々でした。もちろん途中で、自然発生的なセッションなどはありましたが、劇場公演に向けてのリハーサルというよりもそれぞれが楽器をもちよった音遊びに近いものでした。しかし、実はこのプロセスがAKFの提案する「移動する創造のアトリエ・・・ワーク」のねらいでした。この「ワーク」によって、相互の人間関係が日を追うごとに加速度的に緊密になり、劇場公演での展示やセッションの独特の暖かい雰囲気につながったのです。
 アルハンブラ劇場でのライブパフォーマンスは、ほとんど即興演奏が中心でした。これは、バール・フィリップス氏をはじめAKFの音楽家たちにある程度共通した活動スタイルだったせいもありました。同時に、もともとこのアクト・コウベ運動が、特定の芸術的テーマからではなく、アーティストの連帯から始まったことと関係しています。ステージは、クラシック演奏家、即興演奏家、インド音楽演奏家(私)、コンピュータ音楽家、現代音楽家、画家、ダンサー、サウンドアーティスト、紙芝居の人たちなどが混じり合って連日、深夜まで続きました。
 この不思議な交流イベントは、地元でも話題になり、テレビ、ラジオ、新聞などで紹介されました。マルセイユ市の姉妹都市担当助役ベルナール・ルシア氏、日仏議員連盟のフランス側代表であったイヴ・ルッセ・ルアール氏も劇場まで足を運ばれました。また、マルセイユの日本総領事館も私たちの活動を注目し、夕食会まで設けていただきました。  さて、私たちがこのようにフランスに渡航して交流を行う2ヶ月前の9月21日未明、台湾中部で大地震が発生し大きな被害が出たというニュースに接しました。この震災に対する私たちと台湾の仲間たちに関しては後で触れたいと思います。

  ● アクト・コウベ・プロジェクト2000●

   フランスから帰国した私たちは、渡航メンバーの報告も兼ねた総会を2000年2月にもちました。総会では、台湾大震災への対応や、AKFのメンバーを神戸に招待したイベント「アクト・コウベ・プロジェクト2001」を行なうことなどが話し合われました。当時の私たちは、台湾の芸術家の情報がまったくなく、支援活動は義援金での支援など個人の判断に委ねられました。
 さて、この「アクト・コウベ・プロジェクト2001」の準備作業を始めたころ、かねて私たちの活動への助成申請をしていた国際交流基金から、その年の渡仏費用と滞在費用を助成するとの連絡を受けました。このことをAKFのメンバーに伝えたところ、全員が興奮しているというメールが届きました。  こうして私たちは、2000年3月11日から10日間、マルセイユとベルンを訪れました。参加したのは15名でした。
「アクト・コウベ・プロジェクト1999」は、日仏会員が互いに知り合うための交流が中心でした。しかし、2000年の「アクト・コウベ・プロジェクト」は芸術交流の具体的な活動が中心となりました。双方の参加者も前年より増えました。その結果、人間関係のみならず、芸術的な意味でもより幅の広い緊密な関係を築くことがました。
 AKFの仲間たちは、私たちが活動をする上で必要なものが完備された素晴らしい空間、GMEM(Groupe de Musique Experimental de Marseille)を用意していました。私たちは、毎日その会場に集まり、それぞれができること、やりたいことを出し合い、音楽、美術、舞踊のさまざまなコラボレーションの試みを行いました。それは、アクト・コウベ運動のコンセプトである「壊れやすさ」と「創造性」をはらんだ芸術家たちの自発的で自由な「遊び」でした。
 2000年にはまた、ベルンの仲間たちとも交流しました。スイスの芸術家たちの活動拠点であるベルンのダンプツェントラーレ(元水力発電所の建物)を会場として、マルセイユの活動の精神を引きつぎつつ、2日間にわたる公演が行われました。公演の共同作業を通して、マルセイユに続いて連帯の意志表示をしてくれたスイスの新しい仲間たちと知り合うことになりました。

  ●アクト・コウベ・プロジェクト2001●

   アクト・コウベ・プロジェクト2000の興奮が冷めないまま、今度はフランス、スイスの仲間たちを神戸に招待してアクト・コウベ・プロジェクト2001が神戸で開催されました。期間は1ヶ月間の直接交流を含め約半年でした。参加したのはアクト・コウベ・フランスの21名、スイス人1名と私たちAKJのメンバーです。また台湾からも頑石劇団の9名が加わりました。
 このプロジェクトは1997年以来の交流活動、とくに99年、2000年と連続してフランス、スイスで行われたアーティスト交流の総集編ともいうべきものでした。日本側は多くの協力者を含め、50名以上もの参加になりました。  以下が、プロジェクトの具体的内容です。
  ■1月より6月・・・AKJ披露宴
  トークセッションやアーティストの活動プレゼンテーション/CAP HOUSE ■7月1日~7月30日 ---来日AKFアーティストが、CAP HOUSE内のそれぞれのアトリエで作品制作。アトリエとそこで制作中の作品、アーティストが持ち込んだ作品を公開。神戸電子専門学校、こうべ小学校、六甲アイランド高等学校、神戸山手女子短期大学でワークショップ、特別講義など
○7月20日~30日・・・総合プログラム期間 ---ワークショップ、トークイベント、コンサートなど
○7月27日~28日(メイン・パフォーマンス) ---神戸電子専門学校ソニック・ホールでの日仏、台湾のアーティストによるパフォーマンスと展覧 ○7月30日・・・シンポジウム「芸術と社会」
■会場:CAP HOUSE、神戸電子専門学校ソニックホール、FELIX、神戸山手女子短期大学、こうべ小学校、六甲アイランド高等学校
   このプロジェクトを通して私たちが獲得したものは少なくありません。  まず、阪神淡路大震災を契機に知り合うことになった海外のアーティストたちの創造動機、手法、作品の一端に濃密に触れ、互いの共通性や異質性をより深く理解することができました。
 つぎに1か月の間、ほぼ毎日、彼らと顔を合わせ、話し、行動した結果、アーティストとして以上に人間としての彼らを改めて知り合うことができました。これだけの長期間、日常的な、密度の濃い接触をもつことができ、芸術という共通の土台に立つ人間どうしであるだけに、いっそう言語の壁をこえて深いコミュニケーションが成立しえたことは、素晴らしい体験であり、大きな成果でした。
 芸術活動は、表現者それぞれが固有の表現動機と手法をもつ、基本的にきわめて個人的で孤独な活動です。私たちはアクト・コウベというこの運動の当初から、こうした個人的活動としての制作を尊重しつつ、同時に表現者それぞれの活動をつなぐ試みをも模索し、実現してきました。アーティストどうしの共同作業の過程も芸術活動であると考えるからです。ソニックホールの舞台やロビーでのパフォーマンスはその一つでした。最終日のシンポジウムにおいては、容易ではないこうした個人的活動をつなぐことの意義を確認しあいました。
 さらに、神戸小学校、神戸六甲アイランド高校、神戸電子専門学校、神戸山手女子短大といった教育の場で公開ワークショップ行ったことは、文化交流のあり方や、今後の私たちの活動を考える上で大きな示唆を与えてくれました。
 2001年のプロジェクトは、神戸市とマルセイユ市の姉妹都市提携40周年という節目において実現した市民主導の活動です。また「神戸21世紀復興記念事業」の国際文化交流助成事業として認定された事業でもありました。

  ●アクト・コウベ・プロジェクト2005●

   2005年の今年は、阪神淡路大震災10年という節目の年です。神戸市や兵庫県では、震災復興10年に関するさまざまな催しが今年1年間続けられています。私たちのアクト・コウベ・プロジェクト2005も、その一部として公的助成金を受け行われました。
 アクト・コウベ・フランスからは音楽家2名、美術家2名、事務局スタッフ1名の5名が参加し、CAP HOUSEを中心に約2週間行われました。2001年に比べれば規模が小さくなりましたが、それだけに来日したアーティストたちとの関係はこれまでになく親密なものになりました。  活動時期と内容は以下です。
■期間 2005年7月1日(金)~7月18日(月)
 ○7月2日・・・アーティストトーク   アクト・コウベ・フランスから参加の美術家2名による作品内容や創作動機についての解   説  ○7月6日、7日、8日・・・コンサート
  アクト・コウベ・フランスから参加の音楽家2名とAKJの音楽家、   舞踊家、パフォーマーが加わった3日間連続コンサート ○ 7月9日・・・公開ディスカッション 芸術活動と日仏の社会生活、「壊れやすさ」「創造性」「連帯」について語る両アクト・コウベのアーティストによる公開討論
 ○7月9日~18日・・・「アクト・コウベ・プロジェクト2005」展    両アクト・コウベの美術家メンバーによる展覧会

  ● 台湾の仲間たち●

   1999年9月21日の台湾中部地震の報道は私たちAKJのメンバーにとってもショックな出来事でした。当時私たちは台湾の被災者や復興支援活動を行っている人々と直接関係するメンバーはほとんどいなかったため、フランスの仲間たちと行ってきたような活動をするには情報がありませんでした。それでも、メンバーの一部からの提案で、その年の12月に「台湾中部地震被災アーティスト応援パーティ」を開き、その売り上げを義援金として確保していました。
 その後、2000年2月より1年間台湾に滞在し被災地でのプロジェクトに取り組んでいたAKJのメンバー歳森勲が、台湾の芸術家団体、中華民国視覚芸術協会が主催する「心霊重建、藝術重生(精神の復興、芸術の再生)」というプログラムに講師として参加しないかという要請がありました。このプログラムは、特に被害の大きかった地域の小学校を芸術家達が訪れ、児童達とワークショップを行うというものでした。歳森はAKJの他のメンバーに呼びかけ、東野健一(絵巻物師)、原久子(アート・プロデューサー)、林口砂里(アート・マネージャー)の4人が講師として参加し、またAKJの義援金を贈ることになりました。
 ワークショップは2000年8月4日から6日までの3日間、台中で活動する頑石劇団のメンバーと共に総勢12名で台中縣和平郷のタイヤル族の村で行われました。このときは、族長であるワリス氏の要請により仮設住宅の入口にある塀に壁画を描くなどの活動を行っています。こうした活動の過程から生まれた歳森のインタビューによる映像作品「Pleasant Days- 歓びの日々」は、2001年6月に台湾、7月にアクト・コウベ・プロジェクト2001で発表されました。
 このような経緯で私たちと頑石劇団のメンバーとの交流が始まったのです。アクト・コウベ・プロジェクト2001では、主宰者朗亞玲女史をはじめ頑石劇団の7名が来日し、ソニックホールでのシアター・ピースに参加しました。
 その後、2002年4月の「新竹フェスティバルHsinchu Art Festival」にAKJ6名とAKF2名、2004年8月の「Fu-To-Pei(虎頭牌?)アートフェスティバル」にはAKJ5名、AKF2名が、そして今年は今回の「台中国際芸術祭」にこの私も含めAKJ4名と日本人の友人3名、AKF3名が参加と、私たちの台湾の仲間たちとの交流は続いてきました。ただ、これまでの関わりは、組織としての参加というよりもAKJメンバーである個人の参加が基本です。台湾の仲間たちとのこうした交流活動が今後も続いて行くことを願っています。

  ● アクト・コウベ運動のこれから●

   震災という出来事から時間が経てば経つほど、震災を契機とした団体としての交流活動は難しくなっています。理由は、メンバー個人の運動参加の動機の違いや、それぞれの生活や芸術活動や考え方が変化するからです。こうした変化を許容しつつ共同で活動を続けて行くためには、それぞれの芸術活動を支える「哲学」のようなものをより強固に共有し深化していくことが必要だと思います。そのためには、これまでの共同プロジェクトのように、お互いが直接議論したり創造活動をしなければ難しい。しかし、そうしたことをじっくり取り組んでいくためには、時間とエネルギーと費用がかかります。今年の「アクト・コウベ・プロジェクト2005」では、そのことが話題になりました。おそらく私たちの組織としての運動は今年が最後になるかもしれない、というのがフランスの仲間たちとの共通した認識です。  私たちAKJもAKFも、ある共通した芸術的目標は持たない極めてゆるやかな個人の集合体です。そのゆるやかさは同時に、組織としての活動の制約をできるかぎり排除する方向に向かいます。そのバランスをどうとりながら今後の活動をどう進めて行くか。これが現在大きな課題です。ただ私は、これまでの台湾の仲間たちとの交流や、2003年の南仏プジェ・ヴィル村(Puget Ville)での芸術祭への参加といった、組織レベルよりも個人レベルの自発的な交流活動は今後もずっと続いて行くだろうと思います。なぜなら、私たちはアクト・コウベという運動を通してたくさんの芸術家や友人と知り合えたからです。私には、震災がなければ決して知り合うことはなかったアクト・コウベ運動の仲間たちは大きな財産になりました。これからもいろいろな機会を通してその財産を増やしていきたいと思っています。

  ● CAP HOUSE●

   CAP HOUSEは、特定非営利活動法人「芸術と計画会議(C.A.P.)」が旧神戸移住センターを使って企画・運営するアートプロジェクトです。
 CAP HOUSEは、アーティストが集いそれぞれの制作活動を行い、あらゆる人々が交流し、互いに新しい価値を創造していく場を築くための実験を行っていくプロジェクトです。
 C.A.P.は、1999年11月3日より約半年間、当時空きビルとなっていた旧神戸移住センターで「CAP HOUSE - 190日間の芸術的実験」を行いました。当初は、ほとんど放置された建物を使ってどういうことができるのかというまさに実験でした。荒れ果てたゴミだらけの建物の内部を掃除し、できる範囲で少しずつ空間が整備されていきました。この間の費用はすべて参加した芸術家が負担しました。そしてこの実験で、アートを軸とした多くの人々との交流を生み出す際の「場」の重要性を確認することができました。
 一方、時期を同じくして世界各国の日系人から、海外移住を物語る歴史的建造物である「旧神戸移住センター」を保存整備してもらいたいとの要望がありました。このビルは、1928年に国立海外移民収容所として建設されたものです。この建物は何度か名称を変更しながら、海外移民していく人達の導入教育に利用されてきました。神戸移住センターという名称で移民業務を終了する1971年まで、全国から延べ25万人余りもの移民をブラジルなどへ送り出しています。その後は神戸市立准看護学校や海洋気象台仮庁舎など様々に使われていましたが、震災後は空き家の状態で放置されていました。
 神戸市では2008年のブラジル移住100周年を機に、この建物が国立の「海外日系人会館(仮称)」として整備されるよう運動を推進しています。
 C.A.P.は2002年の春より神戸市から委託を受け、建物の管理、海外移住者の資料展示、そしてCAP HOUSEの企画・提案を行っています。
 現在は「移民資料館」として4階建てビル1階の一部のみが使われ、他の部分はC.A.P.の芸術活動の場として自由に使っています。  CAP HOUSEは、私たちが現在使っている建物を現すと同時に、それ自身が芸術活動です。以下に紹介するNPO法人設立「趣旨」で述べられているように、「芸術とは完成された作品を鑑賞するだけのものではなく、芸術家の考え方や、作品の完成に至るまでのプロセスをも芸術活動ととらえます」。このように芸術活動を総体的にとらえた結果、CAP HOUSEは「場」であると同時に芸術的活動そのものを指しているわけです。

  ● C.A.P.とアクト・コウベの関わり●

  「アクト・コウベ運動の経緯」でちょっと触れていますが、マルセイユとベルンで行われた震災義援イベント「アクト・コウベ」の収益金の提供先がC.A.P.でした。たまたま収益金の受け入れ先となった下田さんや私は音楽系で活動していましたが、これがきっかけとなり、美術家と関係ができたわけです。以来、C.A.P.とAKJは重複するメンバーが多く存在しています。私自身もC.A.P.会員であると同時にAKJ会員でもありますし、C.A.P.代表の杉山知子氏、CAP HOUSE館長の下田展久氏もAKJの重要なメンバーです。
  C.A.P.というのは、震災以前にはすでにあった団体でした。美術作品の発表というものが、美術館やギャラリーというような閉じられた場所だけで展示されるべきではなく、街全体がそういう場所であってもいいのではないか、という問題意識をもつ作家たちが立ち上げたものでした。このような既成の枠にとどまらない自由な活動を目指すという考えは、アクト・コウベの運動とも共通します。
 したがって、1999年にC.A.P.がCAP HOUSEというスペースを獲得してからは、アクト・コウベも積極的に活用するようになりました。アクト・コウベの日常的な集まりやプレゼンテーションぱかりではなく、アクト・コウベ・プロジェクト2001、2005の主要活動拠点としても使われ、C.A.P.のメンバーたちも全面的に協力しています。

  ●NOP法人C.A.P. (The Conference on Art and Art Projects)設立趣旨


   芸術活動とは、限られた時間で計られる効率や成果だけで評価することはできません。それは、あらかじめ存在する価値を流通させるのではなく、価値そのものを生み出し、新たな価値基準を問いかける活動だからです。現代社会において、多くのものが短期的な経済効果や付加価値の有無によって価値判断されていますが、芸術活動はそのような価値体系で簡単に判断されるものではないはずです。
 今の社会において、美術館やホールなど、芸術作品の発表のための「場」はすでに存在してます。しかし、私達は、芸術とは完成された作品を鑑賞するだけのものではなく、芸術家の考え方や、作品の完成に至るまでのプロセスをも芸術活動ととらえます。また、それら芸術は生活の中で息長く育てていくものであり、発表の「場」としての美術館やホールだけでは、多様な活動に充分に対応できないと考えます。今、芸術活動やその試みは新たなもう一つの「場」を必要としています。
 私達は、社会的な機能として、芸術を媒介に職業、年齢、性別、国境などの境界を越えてあらゆる人々が集まり、対話し、意見交換ができる場を持つということが重要だと考えます。更に、この意見交換を通して様々な人が深く芸術を探究し、またその可能性を広げ、且つその可能性に形を与え実現させる事が重要ではないでしょうか。1994年よりその必要性を日々感じている芸術家が集まり、任意団体として様々な活動を行ってきましたが、今までの実積を基に更に活動を充実させ継続していくことが、芸術を社会に広く浸透させ、芸術に触れ親しむ人たちの可能性を開き、真の豊かさを育んでゆく社会の創造に寄与する事であるとして、2002年4月(予定)本法人を設立いたします。
  ■目的 「芸術の探究と普及」   l 現代社会に活きる芸術の研究 l 芸術を社会に浸透させる新たな仕組み作り l 芸術を通した社会教育の推進 l 芸術を軸とした国際交流活動
 ■活動内容  定期的な研究会の開催 l 新しいかたちでの展覧会の企画、開催 l シンポジウム、レクチャー、ワークショップの開催 l 芸術に関する情報の交換、および提供親睦と交流を目的としたイベントの開催 l メディアの発行(研究会報誌、その他)
  ■ 事務局 〒650-0033  神戸市中央区山本通3丁目19ー8 CAP HOUSE内 TEL/FAX:(078)230―8707 URL=http://www.cap-kobe.com E-mail=caphouse@cap-kobe.com