2017年8月30日(水) ネパール2週間よれよれ日記

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 何度か目が覚め悶々としているうち5時30分になっていた。タバコを吸いにキッチンから外に出た。高台に建つこの家からは、対岸の山、ゆるい曲線を描いて流れる川、棚田や畑、まばらな人家が見下ろせた。山の一部に陽が当たりピンク色に染まっていた。

ミナ・ディディの茶屋

「朝はここで食べる」と聞いていたミナ・ディディ(ディディとはお姉さんの意味)の茶屋へ7時前に行った。井上・ヴィシャールはまだだった。ネパールルピーを持ってないのでちょっと不安だが、朝食とチャイを頼んだ。茹でたジャガイモとダール豆を油で揚げて味付けをしたものとゆで卵の朝食。値段は100ルピーだった。

定番の朝食

「今持ち合わせがない」とヒンディー語で言うと、ミナ・ディディは手を振って「大丈夫よ」と言った。ミナ・ディディはぽっちゃりした50代の明るい女性だ。
 そのうち井上・ヴィシャールが約束時間ちょうどの7時にやって来た。近所の人たちも次々とやって来て狭い店内は急に賑やかになった。

ミナ・ディディ 茶店のキッチン
近所のオジサン ミナ・ディディの夫


 朝食後に「布団のカビの匂いが」と言うと井上くんは「これから干しに行ってきます」と言いつつヴィシャールとワダスの部屋に向かった。
 ワダスは井上・ビシャールの部屋に行って楽器と荷物を置き、豆電球1個しかついていない暗い共同トイレでシャワーを済ませた。トイレにもちろん紙はなくバケツに入った水しかない。シャワーの水が冷たい。
 二人は8時40分に音楽授業のため市内の学校へ出かけた。残ったワダスは練習と日記書き。

ミナ・ディディ茶屋のランチ

 昼食もミナ・ディディの茶屋で食べた。マトンの煮物、カボチャの煮物、ペースト状の即席トマト漬物アチャール、ゆるいダール汁とご飯。粘りのないインディカ米のご飯におかずをぶっかけて食べる。どのおかずも味付けが良いのでご飯がすすんだ。この辺りの日常食というが、毎日でも飽きない食事だ。
 1時間ほどの昼寝後、プラモードのタクシーでカトマンズ市内へ向かう。9月1日、つまり明後日、国立劇場でワダスと一緒に演奏するタブラー奏者ラビン・シュレスタ(Rabin Shresta)と、彼の自宅で打ち合わせだ。

カトマンズ市内へ

 比較的空気のきれいなパタン市を抜け、カトマンズ市内に入った。


 カトマンズはものすごい空気汚染だった。建物が爆発的に増加し、交通量もすごい。通りの電柱にこんがらがった細い電線が糸玉のように絡まっていた。ここを最初に訪れたのは1972年だが、その頃の面影はまったくない。道路は、15年の地震のせいもあるが、いたるところ穴だらけだし、未舗装なので車が埃を舞い上がらせて走る。バイクに乗る人も歩行者もほとんどマスク姿だ。かつてのヒッピーの聖地は姿を消し、欲望の錯綜する混沌とした汚染都市になってしまった。

ラビン・シュレスタ宅

 ラビン・シュレスタ宅は中心部タメル地区にある6階建ビルの最上階だった。未舗装の2車線街路の両側には、土産物、メガネ、携帯電話、衣類などの店が並んでいる。
 最上階の練習室で打ち合わせと練習。隣では奥さんのビナ(Bina)が3人の女性にシタールを教えていた。
 ラビンは最近になって脳腫瘍であることがわかり「デリーの病院から帰ってきたばかりだ」とか細い声で話した。
 さっそく楽器を出して練習開始。練習したラーガはムルターニー。ターラはジャプ・タール(10拍子)とティーン・タール(16拍子)。それとバティヤーリー(ベンガルの舟歌)。体調の悪さもあってか、タブラーの音が優しく響く。ソロを出しゃばることがなく、演奏も堅実でとても気持ちの良い伴奏をしてくれた。
 練習後、コンサートの順序の確認をした。主催者はラビンの主宰するJayshree Music Societyだった。ラビンの弟子ナビン(Nabin Shresta)のタブラーソロ30分、ワダスの古典音楽50分、インドと日本の民謡20分、という時間割になった。

ラビン・シュレスタ 奥さんのビナ

ダブルブッキング?

 こんな話をしている時、ラビンのスマホに電話が入った。話を終えたラビンが聞き取りにくい小声で言った。
「国立劇場からだった。我々のコンサートは5時開始のはずが、当日は別の団体の予約も入っていたので1時からに変更できないかという話だ」
 ヴィシャールがすかさず言った、と思う。思う、と書いたのは、会話はネパール語なので。
「ええー、そんなあ。もう5時開演というチラシもできているんですよ。今からお客さんに伝えるのも無理です。しかも1日は平日ですよ。勤め人は無理じゃないの」
「こういうダブルブッキングはよくあることなんだ。どうしようか。Jayshree Music Societyにはなんとか変更を伝えることができると思うが。彼らの言うように1時30分開演しか無理なようだから、それでやるしかない。なんとかなるんじゃないの」
 これもネパールなのか。というわけで開始時間がずれることになり、演奏ラーガも変えなければならなくなった。

ちょっと観光

 埃だらけのカトマンズからパタン市へ抜けマガル・ガンウへ戻った。ちょっと離れただけで空気も澄んでくる。
「ちょっと観光」ということで坂道を下って川に出た。流れの速い濁った川を見下ろす橋から谷全体が見渡せた。大きな橋と平行してワイヤーで吊られた細い吊り橋がかかっていた。その下は両側が切り立った峡谷。ビシャールの説明によると、ここはカトマンズ発祥伝説の場所という。
「カトマンズ盆地は太古の昔は湖でした。スワヤンブー寺院を参詣しに来たマンジュシュリ(文殊菩薩)が湖を囲む山を剣で切り開き、湖水を流し出して人が住めるようにしたという話です。で、ここが切り裂いた場所なんです」

ナゲンドラ・ラーイくん

 井上・ヴィシャールの部屋に戻ってしばらくすると、8日にデュオをやることになっているナゲンドラ・ラーイ(Nagendra Rai、31歳)くんがリハーサルのためにバイクでやって来た。体型も顔つきも丸く小柄なモンゴロイド系の青年だ。ラーイ族は主に東ネパールに住む部族だという。

 50本も入った大砲のようなケースから、ワダスの笛に合うピッチのものを取り出して吹いてもらった。一緒に演奏するのはラーガ・キールヴァーニーにした。デュオ演奏のやりとりやメロディーの動きなどを確認した。
「初めてのラーガなんで、大丈夫かなあ」と自信無げだったが、何度か練習すれば問題なさそうだ。
 練習後、ビシャールが料理したダール汁のおじや、キチュリーで軽めの夕食。


 10時近くになり、マガル家の部屋へ戻った。停電で部屋の電灯がつかなかった。寝るしかない。1時頃、轟音で起こされた。雷だった。激しい雨と稲妻、爆弾のような轟音がしばらく続いた。あんなすごい雷鳴は経験がない。

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