2017年9月1日(金) ネパール2週間よれよれ日記

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 4時半に目が覚めた。部屋の中は寒く暗い。2時間ほど練習した。
 7時にミナ・ディディの店で井上・ビシャールと合流して朝食。地元風の焼きそばチョウメン、ゆで卵、チャイ。
 井上・ヴィシャール部屋で日記を書いたり練習をしたりしているうちにカトマンズに出かける時間になった。
 11時半、プラモードの軽自動車タクシーで国立劇場へ向かった。大きなタンブーラーを積んだので車内は窮屈だった。途中から雨が降ってきた。12時過ぎに到着した。

国立劇場

 煉瓦色の国立劇場の周辺には隙間なくビルが立ち並んでいた。道路を挟んだ向かい側は広いグランドだった。
 染みのある床や壁、薄汚れた備品が雑然と置かれた5階建ての建物。2階の大ホールでは大音響のショーが進行していたが、スタッフらしい人影は見えない。
 4階の小ホールに入ってみた。誰もいなかった。
 小ホールは、150席ほどの客席が奥行きのない楕円形の舞台を見下ろす形になっている。奥行きの狭い舞台の背後に襞のついたカーテンが吊るされ、外すと白いスクリーンが現れた。公演用というよりも映画用に作られた感じだった。
 楽屋というか関係者用の控え室もない。2階席の上の舞台を見下ろすコントロールルームに入ってみると、埃まみれの照明機材の一部が無造作に床に転がっていた。通常あるはずの音響用ミキサーも見当たらなかった。
 しばらくしてラビンのスタッフが現れ舞台を作り始めた。高さ50センチほどの平台に布をしき、正面と側面にたわんだ布で飾り付けた。

長野くん現れる

 そんな準備中に、昨日デリーからカトマンズに着いた長野研作くんが現れた。会うのは4年ぶりだ。長身の引き締まった外見は変わってないが、グッと成長した表情だった。彼は瀬田にある龍谷大学国際関係学部でワダスの授業を受けた学生だった。卒業してカイワレを扱う農産物会社にしばらく勤めた後、インドの日系企業に就職していたのだ。転職する際「インドに行こうと思ってますが、どんなもんでしょう」と相談に来たことがあった。「ぜひ行くべきだ」と応えたことはいうまでもない。今回、彼に事前に今回のネパール行きを電話で知らせたところ「うわあ。それはすごいですねえ。休みを取っていきます。デリーからはすぐなので」と言ってくれたのだ。
 彼は「録画してもいいですよね」と言いつつ舞台正面に極小サイズのビデオカメラを据える準備を始めた。
 そのうちラビンたちも楽器を持って現れ、スタッフに指示を出して急がせた。全てのセッティングが終わったのは1時40分。開演予定時間の1時30分は既に過ぎていた。サウンドチェックをしていると、ちらほらと客がやって来た。

秋田さん

 かなり昔、大阪でお会いしたことがある秋田氏とネパール人の奥様、ムンバイでハリジーのレッスンを一緒に受けたことがあるスニール(ほとんど顔を忘れていた)も顔を見せた。
 ワダスはお名前の記憶はあるものの秋田氏がどんな人だったのかはほとんど忘れていたし、ネパールに住んでいることも知らなかった。
 開演を待つワダスの隣に座った秋田氏が話しかけてきた。ネパールに60台ほどあるピアノの調律をしていた、王族の顧客もいる、本業は整体をアレンジしたマッサージ店をやっている、店は息子に引き継いで今は引退に近い、将来カトマンズから数時間のヒマラヤの見える土地に極楽寺院のようなものを作るのが夢だ、ネパールには話のできる人がほとんどいない、量子力学の話もできるよ、などなど。ワダスへの質問はなく切れ目なく喋る。

コンサート始まる

 2時過ぎになり、司会役の若い女性のアナウンスが始まった。これが結構長い。
 2時15分、師であるラビンのハールモニウム伴奏でナビンのタブラーソロが始まった。客席は8割ほど埋まっていた。ナビンのタブラーは、演奏態度も堂々として技術も申し分ない。ただ、速いスピードの演奏が連続するので退屈する。昨日の打ち合わせでは30分のソロということだったが、時計を見ると50分を超えていた。ナビンのソロは、弟子をカトマンズの音楽愛好家に知らしめたいという、師の意向があったのだろうか。
 3時10分にワダスの出番になった。タンブーラーは井上くん。まず祖谷の民謡を吹いた。吹き始めると唇が乾いて思ったような音が出ない。ついでラーガ・ビーンパラースィーのアーラープ、ルーパク・タール、ティーン・タールのガット。ラビンの脱力した伴奏が心地よく、思ったよりもストレスなく演奏できた。客席はほぼ満席になっていた。最後にバティヤーリーを演奏してコンサートが終わった。
 演奏後は多くの人たちが周りを取り囲み祝福してくれた。記念写真をせがむ若い女性たちや家族連れなどもいた。
 ダブルブッキングというトラブルもあったが、最終的にはコンサートは無事成立した。これもネパールなんだろう。ギャラとしてもらったのは2500ルピーだった。日本円で約2500円。

モモで打ち上げ

 小降りの雨が降るなか、地下駐車場でプラモード・タクシーを待つ。やってきたタクシーに井上・ビシャール、ガタイの大きな長野くん、ワダスと、助手席まで突き出したタンブーラーが乗った。「ネパールではこんなのは常識です。まだまだいけますよ、はははは」と井上くん。昨晩は市内のホテルに泊まっていた長野くんは今日からワダスの部屋のマガル家に滞在する。
 打ち上げは、市内のモモ専門店。ここは大人気の店で、5時前というのに6テーブルある席は客で埋まっていた。チベット系のぽっちゃりした男が正面入り口の大きな蒸し器を注意深く見つめている。「勤め帰りの人たちが食べに来ているんです」と井上くん。モモの中身は2種類。チキンと水牛。ワダスと長野くんは水牛を食べた。あんの詰まった大きめのモモも美味しかったが、つけダレが絶妙だった。
 混雑したパタン市街を抜けマガル・ガンウに戻った。市内とは空気がまったく違い、涼しくなる。

ミナ・ディディ茶店でビールで乾杯

 ミナ・ディディの茶店でビールで乾杯。ネパールでは最も一般的なTuborg瓶ビールだ。  
 ミナ・ディディが「今日は義母の一周忌で親族が集まるんだ。あんたらも来てよ」と誘ってくれたので、ディディの夫の弟の家に案内された。中庭にテントが張られ、赤いプラスチックの椅子で親族たちが食事をしていた。我々も合流して、ご飯、さやいんげん、パニールなどの食事をいただいた。ミナ・ディディはこの地区のボランティア活動の中心になっているという。近隣に住む親族の人たちが挨拶にやって来た。
 井上・ヴィシャール部屋に戻り、長野くんの持って来た日本酒を飲んだ。長野くんが3センチ角の小さなビデオカメラHERO5で撮ったコンサート映像を見た。
 9時頃、部屋に戻り、ちょっと本を読んで10時、就寝。

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