2017年9月5日(火) ネパール2週間よれよれ日記

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 5時20分起床。コーヒー、シャワー。隣の部屋からエヴァの練習の声が聞こえた。
 6時30分、プラモードのタクシーで障害者学校へ行くことになっていたが、プラモードが寝不足とのことで別のタクシーに乗り込んで出発した。向かったのは市街とは逆の方向だった。
 未舗装の凸凹道に入り、ほどなくタクシーを降りた。

村の茶店で朝食

「今日はここで朝食です」と井上くんが平屋の一角にある薄暗い店を指差した。全員、軒下にある屋外のテーブルについた。
 道路の対岸に大きく枝を広げた菩提樹が見えた。
「我々の写真はあそこで撮ったんですよ。その時は周りに何もなかったけど、あんな柵を作ったので醜くなった」とヴィシャール。
 奥から女性がステンレスの汁わんに入ったスープ、ゆで卵をテーブルの上に置いた。マタル・スープだという。これがまるで出しをとったように旨味のあるスープだった。中身は小さく切ったジャガイモ、とうもろこし。実にうまい。お代わりした。しばらくして、一見ソーセージのような色と形のセルローティーが届いた。棒状に成形した米粉を揚げてちょっと砂糖をまぶしたもの。持ってきたバナナと共に、今日の朝食だった。

ブンガマティ地区の障害児童施設で音楽授業

 茶店から道路を横断し坂道を下った。途中、生まれて間もない黒いヤギを抱いた二人の少女に出会った。絨毯を織っている小さな工房が3ヶ所あった。小学生くらいの少女がこちらを見て絨毯の横糸を挟み込んでいる。ブンガマティ(Bungmati)地区は工芸の村として知られているという。


 ほどなく小学校、道路を挟んで障害児童用のホステルが見えて来た。小学校に併設された障害児童用のホステルは地震後に建てられたという。全体に濃い茶色の大きな2階建の建物だった。小学校の校長が人格者で、障害児童の教育に力を入れているという。

 案内する人はいなかったが、建物の2階へ行った。子供たちの姿が見えた。目に問題のある子、小児麻痺のように歩行が難しい子、知能障害のような子たち。壁にギター、ウクレレ、太鼓類などがぶら下がる音楽室で子供たちを待った。
 ちらほらと子供たちが集まって来た。全員で15人。年齢はバラバラだ。健常者のように見える女の子もいた。タブラーのムケーシュ、彼の随伴者のニメーシュも到着した。本業が木工職人のムケーシュは、井上・ヴィシャールと知り合ってからはパカーワジを本格的にやりたいらしい。実家と工房はこの地区にあるが、震災で自宅が全壊し現在はカトマンズ市内のスワヤンブー寺院近くに住んでいるという。おとなしく誠実そうな青年だ。
 まずメーグの音階練習で音楽授業が始まった。ついでヴィシャールがミナ・ディディ茶店でチャイを飲んでいる時に作曲したという「ツバメの歌」をみんなで歌った。小さな録音器で録音する少年もいた。その少年の瞑想姿勢が実に良い。
 ヴィシャールから「今日は想(井上くん)のグルジーが来てバーンスリーを吹いてくれる」と紹介される。演奏したのはラーガ・ブーパーリー。アーラープの後、マッタタール(9拍子)のガット。ムケーシュに9拍子は大丈夫か聞くとOKとうなづいた。15分ほど演奏した。子供たちがまだ聞きたいというので小さい笛でバティヤーリーを吹いた。さらに最上川舟唄。

コカナ村

 9時頃に授業を終え、コカナ(Khokana)村の中心部まで歩いた。といっても家が数件固まっているだけだ。途中、真鍮の仏像の仕上げをしている工房があった。釈迦の坐像の目の部分の細かな仕上げをしている。まるで釈迦が耳かきをしてもらっているか、膝枕で休んでいるように見えた。

 貧相なマクドナルド店のような作りの店に入った。調理場の見える壁面いっぱいにメニューと値段が書かれた写真があった。これもマクドナルドを模しているようだ。
 この地区の自慢のお菓子、ヨマリー(Yomaree)とバラ(Bara)、そしてチャイのおやつ。蒸した米粉の皮にココナツや黒糖のあんを包んだものがヨマリーだ。ねっとりして甘い。井上くんはこれが大好物だという。バラはダール豆の粉でできたパンケーキ。
 店近くで乗り合いバスに乗った。運転席の真横まで乗客で埋まっていた。10分ほどで降り、井上・ヴィシャール部屋に戻った。


 ヴィシャールが「先生、10時30分に来るといっていたサンデーシュとアマンは来られないと連絡があったよ。よくあるんだよね、こういう直前キャンセルは」

シンマ・ライ、ラメーシュ

 マガル家の部屋に戻ってしばし練習。隣の部屋でエヴァが井上くんのレッスンを受けていた。ダニのせいか体のいろんなところが痒い。布団と部屋を掃除機で掃除した。
 井上・ヴィシャール部屋へ戻り、軽めの昼食。その前に、プロの歌手だというシンマ・ライ(Simma Rai)がヴィシャールのレッスンを受けていた。YouTubeには彼女のプロモーションビデオがあった。ジャズも勉強し、かつMBAの学位ももっている。

MBAは将来のカフェ経営に活かすという。彼女にグレース・ノノを聞かせようとiPodを動かすと全てのデータが消えていた。ヴィシャールに曲をコピーしようとしてPottranというソフトで色々やっているうちに消えてしまったみたいだ。ショック。
 3時、ラメーシュのレッスン。バイラヴィー(Bharavi)のターンを12個、パルター、アーラープ。彼は毎日通いたいと言う。
 5時、ミナ・ディディの店でチャイ。井上・ヴィシャール、エヴァ、ラメーシュとワダス。
 ラメーシュによれば、ネパール人がミュージシャンになるには、インドのアラハバードで試験を受ける必要があるという。試験には面倒なラーガがたくさん出る。マールー・グンジ(Maru Gunj)、プーリヤー・ダナーシュリー(Puriya Dhanashree)、デーシー(Deshi)、ミヤーン・マルハール(Miyan Malhar)など。どれも難しいラーガだ。これって意味ないよね、ということで盛り上がった。ラメーシュは明日またレッスンに来たいと言った。

ヴィシャールの家族

 井上・ヴィシャール部屋に戻りジョークなどで歓談。3人ともジョークの食いつきが悪いのでヴィシャールの家族についてトピックが移った。
 ヴィシャールの家族の話がすごい。彼の姓はバッタライといい、ヒンドゥー教のバラモン・カーストで、一般にバフンと総称されている。民族としてはネパール最大のパルバティ・ヒンドゥーに属し、インドではクシャトリアといわれるカースト、チェトリの家系がマジョリティーである。
 バラモンである父は3人の妻と結婚し、18人の子供をもうけた。出産時に死亡した最初の妻は男3、女1、第2の妻は男4、女5、ヴィシャールの母である第3の母は女4と男1。自宅でヴィシャール出産した時、家には10歳の娘しかいなかった。産んですぐに母は何事もなかったように畑仕事に出た。65歳くらいで亡くなった父は、村の有力者で、バナーラスで修行を積んだという。ヴェーダや長いマントラを暗唱できたので村人の尊敬を受けていた。王政時代の行政下部組織パンチャヤットのメンバーだった。現在、実家では兄たちが建材屋などの事業を営んでいて、音楽をやっているヴィシャールには冷たいという。
 9時、長野くんが置いていった日本酒を持ってマガル家の部屋に戻る。コップ一杯飲んで読書を始めようとしたら、電気スタンドの灯が消えた。昼に太陽に晒して充電したはずなのに。10時過ぎ、就寝。

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