2017年9月6日(水) ネパール2週間よれよれ日記

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 5時20分起床。例によって6時30分にミナ・ディディ茶店で朝食後散歩。路上野菜屋でぜんまいが売られていた。

ラメーシュ、ヴィシャールのレッスン

ヴィシャールB、ラメーシュ

 8時30分、ラメーシュがヴィシャールという29歳のモンゴル系青年(以下ヴィシャールB)を連れてきた。勇猛な顔つきだが物静かで大人しい青年だった。NGOで僻地の学校建設などの仕事をしているという。プーリヤー・ダナーシュリーのアーラープを10時30分まで練習。
 井上・ヴィシャールはミトラ小学校の授業があるのですでに出かけていた。エヴァは我々の滞在している大家の娘クリティカに会いに行くという。

秋田家で昼食

 11時30分、プラモード・タクシーに一人乗って秋田宅へ向かった。秋田宅は、ミトラ小学校に近く、細い路地の奥まった場所にある3階建てビルの1階だった。この家に越してきて13年だという。敷地の奥には真新しいビルができていた。大家の息子たちがアメリカで稼いで建てたのだという。
 ミトラ小学校の音楽授業を終えた井上・ヴィシャールと合流し秋田家の昼食をごちそうになった。
 ジャポニカのご飯、豆腐の味噌汁、だし巻き卵、ポテトサラダ、ゼンマイの炒め煮、高菜漬け、フライドポテト、フライドチキン。
 大阪の大蓮寺で生まれた秋田氏はよく喋る。遺伝子、ロスチャイルド、ひも理論、ハンガリー経済、ユダヤ人の世界的陰謀、医療NGOの活動支援で僻地に行っている長男とその配偶者パサン・ラム・シェルパ・アキタ(ネパールで一番知られたシェルパ族女性登山家)などなど、トピックをどんどん変えて休みなく喋る。
 ネパールには多くの人種がいてそれぞれに区別はあるが、インドのような差別はあまりない、とか、日本人はどこでも尊敬されるのでどの社会階層にも入っていけるからいい、ここから200kmほどのところにヒマラヤが見える施設を作りたい・・・。
 横で黙って理解できない日本語会話を聞いているヴィシャールを見て、この人たちはこういうのは慣れているから平気なんですよ、バフンの人もよく知っているし・・・と、マスクを顎にかけてノンストップで話し続けるのだった。
 マスクは?と聞くと、「入れ歯が今ないんで。こっちの歯医者で色々試したけどどうもぴったりの入れ歯が難しいです」
 大阪の応典院の秋田光彦氏はいとこということだった。

ロク・チトラカール氏の伝統絵画工房

 というような秋田氏の猛攻を受けた後、我々は2時過ぎに井上・ヴィシャールがたまに演奏するというカフェへ行った。PAも備えた細長い公演会場もあった。オーナーはディキシットという有力者で、古典音楽の支援者だという。
 ついでマンダラ、仏画などの細密画を描くロク・チトラカール氏(Lok Chitrakar)が主宰するネパール伝統絵画工房へ行った。眼鏡をかけた小柄なチトラカール氏は穏やかな目と同様、語り方も穏やかだった。彼はかつて大阪にいたこともあり日本語もできる。作品は東京のチベット美術館にも多く収められている。3部屋ある工房では若い女性たちが絵を描いていた。飛行機内展覧会に出品するものだという。ガネーシャ神やヒンドゥーの神々、曼荼羅などの大きな絵をカバーを外して見せてくれた。日本人の弟子もここで働いているとのこと。
 パタン門近くで流しのタクシーを拾ってマガル・ガンウに戻った。

ナゲンドラとリハーサル

 ミナ・ディディ店でチャイを飲んでいると、ナゲンドラが約束時間通り5時30分にバイクで現れた。
 井上・ヴィシャール部屋でコンサートの確認をした。ラーガ・キールヴァーニーを約50分、ネパール民謡、ワダスの無伴奏の日本民謡、バティヤーリーという順にした。
 キールヴァーニーのアーラープを練習している時、タブラー奏者のミレーシュが遅れてやって来た。街のアンチャンという感じの青年だった。
 アーラープ、ジョール、ジャーラー、ジャプ・タール、ティーン・タールのガットを続けて演奏していたら1時間半も経っていた。かなり縮めないと本番でも長くなりそうだ。ナゲンドラは互いの旋律を聞いて反応するデュオのアイデアを理解したようで、やり取りはなかなかに楽しいものになった。
 井上・ヴィシャール、エヴァが「よかったよかった」といってくれた。
 ナゲンドラ、ミレーシュが帰った後、夕食。汁麺の上にオムレツを乗せたものと梨の簡単な食事をした。
 9時過ぎ、マガル家の部屋に戻り10時すぎ就寝。

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