2017年9月4日(月) ネパール2週間よれよれ日記

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 5時起床。6時30分、ミナ・ディディ茶店で朝食。じゃがいも、ひよこ豆、ゆで卵の定番朝食。
 井上・ヴィシャール部屋で練習。
 10時40分、井上・ヴィシャール、エヴァ、ワダスがプラモード・タクシーでパタン市内の小学校へ向かった。

ミトラ小学校

 日本人女性マサコさんが38年前に創設したミトラ(友だち)小学校。東京芸大のピアノ科学生だったマサコさんが、当時、一橋大学に留学していたネパール人男性バルワさんと結婚してネパールに移り住み、学校を建てた。現在は二人とも80代。バルワさんは今でも日本大使館に勤めている。かつてこの学校からは優秀な生徒が育ち、有名校だった。しかし、近年は小中高大学一貫校が一般的になり、単独の小学校経営は難しくなりつつあるという。現在生徒は25人ほど。

 3階建校舎の最上階の図書室が今日の授業だった。日本語、英語、ネパール語などの学習書籍が本棚や机に並んでいたが、量はそれほど多くない。2階には教室が3部屋並んでいた。黒板と反対側の壁には生徒たちの絵や注意項目などの掲示があった。日本と同じ作りだが、日本の教室と比べると小さい。
 図書室には平台が置かれていた。そこにタンブーラーとミニスピーカーを準備した。ほどなく、タブラー伴奏のムケーシュも位置について準備を始めた。
 生徒たちがぼちぼち集まってきた。全員で19人だった。低学年が多いようだ。現在日本に帰国しているマサコ校長の代理の女性教師が授業を見守る。他に教師らしき女性二人、サリー姿の年配の副校長、子供の親かもしれない女性二人が生徒たちの後ろに座っていた。
 まず、ラーガ・メーグの音階練習。子供たちの音程が意外に正確で驚いた。ヴィシャールの顔をじっと見て一生懸命歌う姿が健気で愛らしい。ヴィシャールも彼らの関心ポイントをつかむのがうまい。井上くんは黙ってヴィシャールを支えていた。背後の白板に書かれた歌詞をまず読ませ、歌に入っていく誘導が巧みだった。子供たちが歌い出した。中には音程のはずれた子もいたが、ほとんどが正確に歌った。時々一人の子供を指名して歌わせることもあった。 
 ついでワダスの出番。生徒たちの中で最も背の高い女の子が舞台に立ってワダスを紹介した。一生懸命暗記してきた感じだった。
 ラーガ・ジョーグの短いアーラープとティーン・タールのガット。子供たちは意外に大人しく聞いていた。短かい笛でバティヤーリーも吹いた。20分くらいの演奏。

 教室を出て、学校に隣接する校長の自宅で昼食をご馳走になった。校長夫妻は不在だが丁重にもてなしてくれと日本にいる校長から昨晩電話があったと、料理を作ってくれた若い女性が言った。典型的なネパールの日常食だった。軽くて胃もたれしない食事だ。
 子供たちに見送られてマガル・ガンウに1時30分に戻った。部屋に戻って昼寝。

ラメーシュくんのレッスン

 昨日に引き続き井上・ヴィシャール部屋でラメーシュくんのレッスンの時間になった。ラメーシュはきっかり3時にドアの前にいた。律儀な青年だ。頭髪の少なさから30代後半と思っていたが、30歳の独身だった。昨日の初レッスンと比べて、音程と吹き方がぐっとよくなっていた。ちゃんと練習したようだ。アランカールの作り方、アーラープの構造などを教えた。レッスン中、ヴィシャールはパソコンをにらみ、エヴァは布団の山に背を預けながらレッスン風景を見ていた。ラメーシュが年齢を言った時、エヴァは「あら私と同じだ」と言った。
 井上くんは歯医者へ行くと言っていた。パタンに日本で訓練を受けて日本語も喋る優秀な歯医者がいるのだという。

ナゲンドラと練習

 5時過ぎにレッスンを終え、みんなでミナ・ディディ茶屋でチャイ。そこへナゲンドラがフルフェースのヘルメットを抱えて現れた。
 ナゲンドラとアーラープの練習。デュオらしくなるためにはもうちょっと練習が必要だ。彼は多くの音を使いたがり、作るメロディーにテーマ性がなく、それぞれの旋律の関連性がないので、なかなかこちらが割り込む隙がない。
 7時、練習終わり。井上・ヴィシャールはどこかへ行っていなかったが、ほどなく部屋に戻ってきた。
 井上・ヴィシャール、エヴァがキチュリーの夕食をとるのを眺めつつ、おしゃべり。3人はほとんどジョークが通じない。いろんなジョークを連発して笑わそうと試すのだが、反応が鈍い。3人とも修行僧のようなのだ。
 9時、マガル家の部屋に戻る。日本からお土産として持ってきた太陽光発電の電気スタンドの明かりが突然消えた。充電が足りなかったようだ。
 夜空の月はほぼ満月だった。

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