2017年9月10日(日) ネパール2週間よれよれ日記

 よれよれ日記もくじ 前の日 次の日


 5時40分、起床。マガル家の屋上に登り早朝の谷を見下ろした。7時、ミナ・ディディ茶店で朝食後、近所を散歩。

エヴァの話

 いつも寡黙なエヴァの話を歩きながら聞いた。
 ウィーン在住の彼女は、シタールを演奏するボーイフレンドと暮らしている。ウィーン大学でMBAの学位を取った。優秀な人なのだ。
 今回、井上くんとヴィシャールのレッスンを受けて本格的にドゥルパドの練習をしたくなった。今回は2週間だったが次回はもっと長い期間ネパールに来たいと言う。
 父親の年齢はワダスと同い年の67歳。母親は無類の山歩き好きで、食べられる植物をよく知っている。来年10月に母親は60歳になるのでその時はお祝いしなければならない。ウィーンのラーガ音楽愛好者は少ない。ドゥルパドをやっているのはわたしくらいだろう。バーンスリーを演奏している女性の友人レナータがいる。彼女は知ってる? あなたのことは知ってるって言ってたよ。オーストリアの有名人? たしかにフロイトは有名よね。でも、モーツァルトもいるよ。シュレーディンガー? うーん、知ってる人は知ってるけどどうかなあ。おすすめの作家? そうねえ。ステファン・ツヴァイクは知ってる? あとは、アルトゥール・シュニッツラー、ヨーゼフ・ロートとか。新しい作家だとダニエル・ケールマンかなあ。
 必要なこと以外ほとんど自ら喋ることのないエヴァだったが、大変な読書家のようで以下の書名がすらすら出て来た。日本語タイトルは翻訳されている作品名。
 ステファン・ツヴァイク『チェスの話Schachnovelle』『昨日の世界Die Welt von Gestern』『人類の星の時間Sternstunden der Menschheit』
 アルトゥール・シュニッツラー『輪舞Reigen』『Das weite Land』
 ヨーゼフ・ロート『ラデツキー行進曲Radetzky Marsch』『皇帝廟Die Kapuzinergruft』
 ダニエル・ケールマン『世界の測量 ガウスとフンボルトの物語Die Vermessung der Welt』
 ハインリッヒ・マン『臣民Der Untertan』
 ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演戯 Das Glasperlenspiel』
 ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』は遠い昔読んだことはあるが、ツヴァイクは名前は知っているものの読んだことはなく、他の作家はまったく知らなかった。帰国後『ラデツキー行進曲』(平田達治訳、鳥影社、2007)と『世界の測量 ガウスとフンボルトの物語』(瀬川裕司訳、三修社、2008)を図書館から取り寄せ読んだ。大ヒットだった。他の本も読んでみようと思う。
 9時20分、31日にレッスンを受けたサンデーシュが再びレッスンにやって来た。井上・ヴィシャールは幼稚園の授業に出かけて留守だった。11時40分までレッスン。彼はメモを取らなかった。この日教えたことを覚えたのだろうか。
 12時45分、自室で練習していたエヴァと一緒にプラモード・タクシーでパタン市のうどん屋に向かった。井上・ヴィシャールは幼稚園の授業を終え、店で待っていた。

うどん屋

 うどん屋は環状道路沿いのビルの2階だった。表に看板がないのでわかりにくい。青のガラスにJNKという文字があるだけだ。JNKは、Japanese Noodle Kitchenの略。入り口には韓国語教室などという案内も見えた。
 店内は広々としていた。我々のテーブルの後ろに日本人の中年女性と若い男、窓側にはネパール人らしい男女の姿も見えたが、がらんとした雰囲気だった。度の強そうな丸い眼鏡をかけた店主の松井さんが写真のついたメニューをもってきた。天ぷらうどん、きつねうどん、ざるうどんなどなど、日本のうどん屋と変わらない。
 ワダスが神戸から来たこと、讃岐うどんツアーに何度も行ったことがあることを話すと、松井さんはむっつりした表情を変えずノンストップで喋り出した。
 松井さんは実家が神戸の鴨子ヶ原で、ワダスの知り合いだった画家の故中西勝さんのことも知っていた。年齢は62歳で独身。金沢美大で彫刻を学んだがジャズに親しんだ。今でも暇があればやりたい。ピアノも1年半ほど習った。普通の人よりも習得が早かったとか。仏像彫刻を始め、多くの仏像を作った。壺阪寺の涅槃像も担当した。他にも寺院に納められたものが多数あるんだとアルバムを見せる。84年にインドのオリッサに渡って数年間、研鑽を積んだ。オリッサはインド中の彫刻家が集まる場所なのだという。その後、バンガロールに3年滞在した後、ネパールに移ってきた。彫刻への意欲が枯れてしまったので、好きだった料理を本業にすることにした。大韓航空で韓国へ向かう途中、アンカレッジ空港で韓国人乗客が走ってうどん屋に殺到したのを見て、韓国人はうどんが好きなのでうまくいくかもしれないとここでうどん屋を開業した。何度か、讃岐にも行った。いちばんのお気に入りは「中村」、ワダス一押しの「谷川」は醤油なのでもう一つだったという。この近辺には韓国人のキリスト教関係者が多く住んでいてお客さんは多い。材料は全て地元のものだが、醤油はシンガポールの高価なキッコーマンを使う。出しに使う干し魚は地元のもの。色々な干物をアレンジして作る。最近凝っているのは編み物。近くここを退職する従業員のためにピンクのセーターを編んでいるとのこと。従業員は全て現地の女性にしているなど。秋田氏ほどではないとはいえ、彼もあまり他者には関心がないようだ。ワダスへの質問はまったくなかった。
 コシのある硬めのうどん、天ぷらはなかなかの味だった。
 背後のテーブルで大きな話し声がしたので振り向くと、カトマンズに長く住むという日本人中年女性が若い男を相手に話をしていた。「そらあかんわあ、あないなってもたら、そやからな・・・」生粋の大阪弁というものか。声も大きいので目立つ。

カトマンズ市内観光へ

 ヴィシャールはエヴァと一旦マガル・ガンウに戻ることになった。授業で使っていたタンブーラーを部屋に置いてまたここに戻る予定だったが、エヴァは練習したいというので、我々とは後でスワヤンブー寺院で合流することにした。
 外で井上くんとヴィシャールを待つ間、ネパール在住の日本人のことなどを聞いた。ここには日本人子弟のための日本人学校はなく、子供たちは地元のインターナショナル学校へ通う。日本語を忘れないようにと週一度の日本語の授業はあるが、教師は現地採用だという。韓国人はキリスト教関係が多く、いろいろな教会が乱立している。それぞれ自派の主張に忙しく協力し合うことはないようだ。最近ネパールにやってくる旅行客で一番多いのが中国人。ルンビニには、仏教を習うという目的で滞在する中国人スパイが多い、など。

 プラモード・タクシーで戻ってきたヴィシャールと合流し、カトマンズへ。
 まず繁華街タメル地区のラビン宅を訪問した。か細い声で話すラビンは前よりも弱って見えた。薬を3種類ほど毎日飲んでいるという。2015年にハリジーの公演を主催した時の話などを聞いた。
 隣の部屋からシタールの音が聞こえていた。9日間ノンストップで演奏し続けるのだという。聞きなれないメロディーだったので聞くとラーガ・マール・グンジだという。同じメロディーを何度も弾き続けている。ラビンの妻ビナが年配の女性3人を指導していた。
 そのビナが縁起物という5種類の豆のスープ、ローティー、チャイを持ってきたのでみんなで食べてから街に出た。

生き神様クマリの巡行

 土産物屋で正面にスワヤンブーの目玉の刺繍のあるTシャツ2枚(800円)、毛糸の帽子(250円)を購入。

 自転車リキシャを拾って中心部に向かう。座席に3人のスペースはないので井上くんは腰を浮かして乗った。カトマンズ一、つまりネパール一賑やかな繁華街だというのに未舗装の穴だらけの道なのでリキシャは上下左右に揺れた。街は埃と排気ガスが充満し、人はマスクをして行き交っていた。15年の地震で崩れた建物や再建中の建物があった。
 人の群れが多くなったのでリキシャを降りて歩いた。沿道で佇んでいる人たちは、パレードか何かを待っている様子だった。聞けば、今日は生き神様クマリの巡行の日だという。
 進むにつれ、祠や広場に群がる人の数がぐっと多くなってきた。太鼓を叩いて練り歩く若者たちが通り過ぎた。崩れた寺院に隣接する階段状の見物台にはびっしりと人々が座っていた。飾り付けられた椅子のある鉾も3基見えた。制服を着た軍人、群衆を整理する警察の数も多い。
 群衆の流れに逆行して集団を離れ、川へ向かう道を探した。狭い道に供え物が盛られたヒンドゥーの祠があった。丸い玉を背中に背負った生魚が四角錐の段に乗っかっていた。

Freak Street

 下り坂を降りて川へ出る道に着いた。72年や81年にはこの近くのどこかの宿に泊まったはずだが、町の様相が変わりすぎていて見当がつかない。昔ヒッピーたちがよく通ったので名付けられたFreak Streetの辺りのはずだ。
 未舗装の道を下りきって川へ出た。コンクリート橋だった。かつては小さな木造の橋があり、早朝は人々が草むらに隠れて用を足していた。現在は河岸が整備され、昔の面影はなかった。
 ほとんど人家のなかった対岸には3、4階建ての建物が密集し、車やバイクの往来が激しかった。

スワヤンブー寺院

 タクシーでスワヤンブー寺院の門前まで行った。土産物屋が立ち並んでいた。何百とある小さな灯明皿に油を注いでいる女性たち。多くの仏像があるものの、汚染された空気と雑多な要素が混ざりすぎ聖性はほとんど感じられない。
 スワヤンブーのある頂上まで続く急な石の階段を登った。きつい。讃岐の金比羅さんを思い出した。何度か休憩して頂上に達した。
 例の目玉が見えた。目の輪郭がはっきりしていた。時々描き直されているのかもしれない。マニ車を回しながら直径40mほどの円周を反時計回りで回った。
 猿や犬が多い。多くの観光客が写真を撮っていた。ほとんどがスマホだ。眼下に夕闇迫るカトマンズの市街が見下ろせた。低層の四角い建物が広い盆地に広がっていた。


 赤いチベット法衣を着た尼僧の集団が集会所に佇んでいた。一人に聞くと18歳だという。尼僧といってもまだ少女だ。
 お茶を飲みにちょっと下ったところにある茶屋へ行った。地元の若者らしいグループが通り道に椅子を並べて集まっていた。一人はギターをかき鳴らし、一人はカホンを叩いている。酒を飲んだりガンジャの回し飲みをしたりしていた。
 しばらくしてエヴァが上がって来た。10分ほど目玉塔の周囲をぶらぶらし帰ることにした。
 来る時とは別の寺院横の道を下りてタクシーが停まっている広い場所に出た。辺りはほとんど真っ暗だった。タクシーと交渉するも値段が合わない。さらに下って街に出たところでタクシーを拾い帰途についた。カトマンズ市内はどこもそうらしいが、ものすごい渋滞でなかなか動けない。パタン市に入ってからようやく普通に走り出した。
 8時過ぎ、市街から50分かけてようやくマガル・ガンウに到着。けっこうくたびれたカトマンズ観光だった。
 井上・ヴィシャール部屋で3人が食事をするのを見ながらしばらくおしゃべりをしていると停電になった。ここでお土産に持って来たイケアの太陽光電気スタンドが役に立った。
 9時過ぎに部屋に戻る。電気は回復していた。遠くで稲妻が光り激しい雨が降ってきた。そのまま10:30頃、就寝。

 よれよれ日記もくじ 前の日 次の日