2017年9月9月11日(月) ネパール2週間よれよれ日記

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 5時30分起床。7時、ミナ・ディディ茶店で定番朝食。

スキンヘッド

 朝食後、ビハール出身のインド人がやっている近所の床屋でスキンヘッドにしてもらった。あっという間だった。スプレーで頭全体に水を吹き付けゴシゴシと手もみした後、カミソリで一気に剃っていった。どういうわけか、頭頂部の一部の髪を残していた。ヒンドゥースタイルということか。料金は100ルピー、つまり約100円。
 エヴァのレッスン後、井上くんとヴィシャールはミトラ小学校の授業に出かけた。
 10時過ぎにアマンくんがレッスンにやってきた。タブラーのスシルも来ると言っていたが結局、現れなかった。12時30分までレッスン。明日は見送りに来たいと言った。
 1時過ぎ、ヴィシャールが帰宅した。学校での授業の後、秋田氏からワダスへの土産を託された。歯医者に行っていた井上くんもまもなく戻り、エヴァともどもランチ。昨日の残り物やミナ・ディディが作ったおかずで食べた。


 3時にラメーシュがレッスンに来るはずが現れないので、一旦マガル家の部屋に戻った。隣のエヴァのレッスンを聞いているとラメーシュがやって来た。「あなたが今度いらっしゃる時はきっと喜んでもらえるように練習します」と申し述べ、ヴィシャールBからだというガラスのガネーシャ像、そして彼から菩提樹の実の数珠をもらった。

テクビール・ムキア氏宅のホームコンサート

 5時過ぎ、井上くん、ヴィシャール、エブァと地元に住む有名な画家の自宅を訪問した。塀に囲まれた邸宅だった。よく手入れされた芝生の庭が美しい。案内された応接室の壁には額装した彼の作品が飾られていた。まるでヨーロッパの家のようだ。なんども訪れて勝手を知っている井上くんが、応接室に続くキッチン、アトリエを案内してくれた。やはり壁には彼の絵がかけられていた。ヒンドゥー神を題材としたもの、抽象的なもの、人物画など、どの絵も奥の深い美しさだ。
 画家の名前はテクビール・ムキア氏、80歳。メガネをかけた小柄なモンゴル系の老人で、柔和な知性のある目をしている。ヴィシャールによれば、ネパール政府系印刷物、児童書の装丁画はほとんど彼が手がけたものだという。ヴィシャールが子供の時に読んだ本の絵もムキア氏が描いたものだった。井上くんとヴィシャールがこの辺りに越してきてまもなく彼らの演奏を聞いたムキア氏はいろんな支援をしてくれるようになったという。


 ムキア氏は、ネパール出身だがインド軍の軍人だった父の赴任地、ダージリンで生まれた。後にコルカタの学校に通った。ダージリンで当時のネパール首相や国王と出会い、知り合った。その後ネパールに渡り、政府系の印刷物の装丁画を手がけるようになった。そんな関係で、現在のマオイズム系政権では王党派とみなされ、仕事が減った。今では彼を知る人も少なくなったという。海外を何度も訪れ、79年には日本に初めて行った。その後も展覧会や日本語に翻訳された児童書の装丁画のために何度か日本を訪れた。
 現在の家は6年前に建てた。今は住宅が周りに多くなったが、当時はすべて畑だった。ここに越してくる前は現在のアリアンセ・フランセーズの辺りに住んでいた。
「あの家は500ルピーで買った」とムキア氏。前庭の芝生を褒めると「あれは家内が手入れしている。日本の芝だよ」と笑った。
 小柄で上品な雰囲気の夫人がクッキー、ビスケットと紅茶を運んできた。ほのかにチーズの香りのするクッキーはムキア氏が作ったものだという。
 応接室にかかっていた大きな抽象的作品の下に100号ほどの新しい作品が立てかけてあった。井上くんとヴィシャールが「うわーっ」と驚いた。なんと二人が菩提樹の下で歌っている姿を描いた絵だった。「1年くらいかかったかな。描き終えるのに」とムキア氏が言った。ムキア氏はこの二人が好きなのだ。
 井上くんたちは、8日のコンサートで花束やカターを出演者に渡す役割をムキア氏に依頼していたという。ところがムキア氏に用事ができてしまい、代わりに知り合いの作家パンデー氏に頼んだということだった。井上くんは、用事があっというよりは、年齢もあり、公の場に出たくない気持ちもあっただろうと言っていた。そんな事情もありムキア氏はワダスの演奏は聞いていなかった。井上くんとヴィシャールがワダスを連れて来たのは、彼にワダスの演奏を聞かせたかったからだと言った。
 演奏したのはラーガ・ジァイト(Jait)のアーラープと祖谷の民謡。聴衆が井上くん、ヴィシャール、エヴァ、ムキア夫妻だけのミニコンサートだった。

ナゲンドラとブッダ・ラーマ

 7時、井上・ヴィシャール部屋に戻る途中の路上で、訪問予定だったナゲンドラとブッダ・ラーマ(Buddha Lama)と会った。
 彼らと今回の演奏会のことなどを話した。眼鏡をかけたブッダ・ラーマは、パッと見た感じでは日本人としても通りそうなモンゴル系の36歳の男。笑顔を絶やさない涼しげな表情だ。ジーワンのグルバイ(弟子仲間)でもあるブッダ・ラーマだが、ナゲンドラやその生徒たちが使っているバーンスリーはほとんどが彼の製作だとのこと。
 最近はネパールだけではなく、ムンバイでも彼のバーンスリーが使われ始めたという。ハリジーのネパール人弟子からハリジーの使うGバーンスリーの特注がきて納めたこともある。
 ナゲンドラは技術も才能もあるのできちんと基礎をやり直せばインドはもとより世界でももっと活躍の場が広がるだろうとワダスは申し述べた。するとブッダ・ラーマは「僕もいつも彼にそう言ってるんだ」と言った。
「もっとも彼は家族を抱えているのでなかなか難しいんだけど」とナゲンドラに向かって話した。インドの音楽事情をよく知っているブッダ・ラーマは視野が広い。
 我々の8日の演奏を聴いた秋田氏がナゲンドラに演奏を依頼したという。彼の活動の幅が少し広がったとすれば我々の演奏会も意味があったのだろう。
 ブッダ・ラーマは最後に「これはあなたへのプレゼントです。今はEがなくてAなんですけど」と新聞紙に包んだ短い笛を差し出した。

 彼らが去った後、焼酎を飲みながら下階の女性が届けてくれたローティーとサブジーをつまみ、井上くん、ヴィシャールと今回のワダスのネパール訪問について喋った。 
 ネパールの、特に演奏人口の多いバーンスリー演奏家たちのレベルはまだまだで、ワダスが来ることで刺激になるだろうというのが彼らの招聘目的の一つだった。またワダスが彼らと数多く接触することは、自分たちのネットワークの拡大にも寄与することになったので感謝している。おかげで、これまであまり交渉の多くなかった彼らとぐっと近づくことができ、良かった。交通費を払ってワダスを呼んだ意義は十分にあった。これからどうなるかは予測できないが、少しずつネパールの古典音楽事情を良くしていきたいと二人は話した。頼もしい二人だ。
 9時過ぎ、停電。即座にイケアのスタンドが活躍。「本当に役立つ。素晴らしいものをいただきました、先生」と井上くん。
 10時前、雷の音を聞いているうちに意識を失う。エヴァに聞くと、嵐だったという。

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