2004年 1 2 月 6 日 (月) -ボーカーロ2日目

日記もくじ  前の日◀  ▶次の日


宿舎の少年

 6時起床。晴れ。階段踊り場にあるジーコジーコダイヤル式の黒い電話でコーヒーを頼んだ。しばらくして少年がポットに入れたコーヒーを持ってきた。たぶん16歳か17歳。真っ黒の髪を七三に分け、小さく整った顔をしている。わたしと目が合うとはにかむように下を向いた。全体にひょろっとしていて背はわたしくらい。首回りのくたびれた黄色のTシャツ姿だった。India04

「ネパーリー?」

 鼻にかかった粘つくような口調で少年が尋ねた。

「いや、日本だ」

「ああー、日本。いい国。ソニー。僕、好き」

「明日も同じ時間にコーヒーをもってきてくれるかい」

 5ルピー札を渡してこういうと、パッと明るい表情になって応えた。

「同じ時間ですね。ノオー、プローブレム。明日も同じ時間にコーヒー、と」

 24時間給湯というふれこみのシャワーは水しか出なかった。昨日浴びたときは勢いよく出ていたが、こうなるのではないかと思った通りになった。なんとなく納得した。まだ朝は冷え込む季節なので震えながら体を洗った。

India04 震えがとまったころ、さきほどの少年がオムレツとトーストの朝食を運んできた。

 わたしのいる3階には暗い廊下を挟んで客室がずらっと並んでいるが、宿泊しているのはわたしだけのようだ。聞こえてくるのは敷地内の大きな樹々で戯れるさまざまな鳥の声だけだった。館内は不気味なほど静まり返っている。正面に大きな鏡のある机で一人朝食をとっていると、ふと幽閉されているような気分になった。最後のトーストを咀嚼し終わったちょうどそのとき、少年がノックもしないでいきなりドアを開け「下げてもいいか」と入ってきた。コーヒーといい朝食といい、実に完璧なタイミングで少年がやってくる。どこかに隠しカメラがあるのではないか。

宿舎周辺を散歩

 3時間ほど練習した後、宿舎周辺を散歩。陽がポカポカとして気持ちのいい暖かさだ。宿舎の建物を出て、花壇で縁取られた前庭を横切り守衛詰め所から門を出る。門は直角に折れ曲がる幅広い道路の交点になっていた。敷地を示す鉄製のフェンスと右に曲がる道路の間はかなり幅広い芝生の緑地帯になっていた。棒切れを持った痩せた男と3頭の水牛がゆっくり歩いていた。車も人もめったに通らない。宿舎の敷地は優に1ブロックはあった。宿舎の裏手に続く細い道を歩くと、途中から緩い起伏のある曲がりくねった道に変った。路面は穴だらけだ。

 細い角材の骨組みをブリキの板で囲った掘建て小屋が数軒並んでいた。タバコや小物雑貨を並べている1軒でマッチを購入した。皺だらけの不機嫌そうな老人が「50パイサ」とぼそっという。マッチ1個がたったの1.25円だ。デリーの空港でライターをすべて没収されたのでわたしにはマッチが必需品だった。

 向かいの小屋の「STD」という稚拙な手書き看板が目についたので、若い男二人にヒンディー語で声をかけた。がりがりに痩せた男はパーンで口を真っ赤にし、ときおり唾をビュッと道路に吐き出す。

「日本まで電話できるか」

「もちろんだ。どこへでもかけられる」

「じぁ、後で来るよ」

「ノープロブレム」。

 ほとんど未舗装の道の両側に、小さなレンガ作りの家が寄り添うように建ち並んでいた。丸裸の子供たちが瓦礫とごみの山で遊んでいた。濁った水たまりで洗濯していた女がこちらをじっと見る。その傍らを鶏が羽を広げて走っていた。みすぼらしい集落を抜けるとコンクリート橋に出た。どんよりと濁った水がゆっくり流れていた。流れに揺れる水草が美しい。India04

 同じ道を戻り、途中でさっきの電話屋で日本の自宅に電話した。留守電だった。

 宿舎に戻ったころは汗だくになっていたのでシャワーを浴びた。今度はちゃんとお湯が出た。

少年のタイミングは完璧だ

 ベランダの椅子に座って日記を書いているとノックの音が聞こえた。少年は断りなしにぬっと入ってきて「カーナー(メシだ)」と机に昼食を並べて出て行った。キャベツ、ジャガイモとカリフラワーのカレー煮付け(アールー・ゴービー)、ご飯、ダールだった。昨日の魚カレーの油が多かったので今日はベジタリアンにしてもらったのだ。それにしても少年のタイミングは完璧だ。隠しカメラは間違いなくどこかに仕込まれているのではないか。India04

 これまた絶妙のタイミングで再び少年が現れ、食器を持ち帰った。

「部屋に入るときノックをしろ。こっちが返事したらドアを開けてくれ」

「イエス・サー」

ノキア製の水色のシンプルな携帯

 4時ころまで昼寝。5時ころ、チェータンが明るい色の背広とネクタイ姿でやってきた。勤務先の学校から直接来たという。風邪は治ったようだった。

「どう、ここの滞在は。問題はないか」

「完璧だ。コーヒーも食事も大丈夫。静かなので練習も集中してできるし」

「それはよかった。こっちは大変だった。ジャムシェドプルの主催者がまたドタキャンしてきた。もうまいったよ。校長からはやたら仕事を押し付けられるし、心身ともにくたくただ。ところで、これをもっていてくれ。ムラリーダランから預かった。これでいつでも連絡し合える」

 携帯電話をわたしに手渡して彼はいう。ノキア製の水色のシンプルな携帯だった。もちろんこれで国際電話はかけられないが、チェータンとの連絡には役に立つ。

「今日は僕のグルジーを訪ねようと思っているけど、いいよね。久しく会っていないので楽しみにしているんだ。できればバーンスリーを持ってきてほしい。あ、そうそう。日本から僕の家に電話があったらしい。母親が受けたけど、配偶者もヒンディー語をしゃべったので驚いていた。たいした用事ではないということだったけど、後で電話したらいいよ。で、僕は今から自宅に戻って着替えをしてからまたここに来るので、1時間ほど待ってほしい」

 きっちり1時間後にやってきたチェータンの車で市街に向かった。彼は運転しながら携帯電話でひっきりなしにだれかと話している。途中の路上でムラリーダランを拾った向かったのは印刷屋だった。チェータンのプロモーション用印刷物を作るための打ち合わせだった。そこで「バッテリーが切れたらチェータンにその携帯電話を渡して下さい。充電しますので」というムラリーダランと別れた。  

グルジー宅へ

 われわれは、夕闇が迫る旧市街を抜けグルジー宅へ向かった。主要道路から枝道に入った住宅地は真っ暗だった。どの家からも光が見えない。停電のようだった。曲がりくねったがたがたの狭い道をしばらく走ってチェータンが車を停めた。エンジンを切るとあたりは完全な闇だった。そこへ、男が石油ランプをもって近づいてきて、われわれを平屋の家の中に案内した。

India04 通されたのは、大きなベッドが面積の半分を占める部屋だった。石油ランプとロウソクで照らされた青い壁には、賞状や写真などが飾られていた。ベッドに座っていたのがグルジーだった。

 グルジーの名前は、アーチャールヤ・ジャグディーシュ・スィン。60歳代といっていたが、見た目はもっと老けた感じだ。チェータンによれば、若いときに、ガンジャはもとより、酒、タバコ、パーンとありとあらゆる薬物に耽溺し、数年前に右半身が不随になってしまったという。

「彼は、バナーラスの出身で、5歳のころから民謡などを歌い始めた。あの辺の民謡はほとんどを知っていたが、病気のせいで往時の5%くらいしか覚えていない。残念だけど。僕の民謡のレパートリーは全部この人から教わったんだ」

 チェータンがこうグルジーを紹介した。

 チェータンは、そのグルジーにわたしのことや今回のわれわれのツアーのことを説明した。グルジーは、そうかそうか、と頷いて初めて声を出した。

「クチュ・バジャーオ(何か、演奏しろ)」

 チェータンが、電気タンブーラーのチューニングをして演奏を始めた。ラーガはヘーマーヴァティーだった。わたしも彼に続いて音を出し、次第にデュオ演奏になっていった。われわれを部屋に案内した眼鏡をかけた中年の男と若いアンチャン風の弟子が、ときどき「キャー・バート・ヘ(すごい)」と声をかける。グルジーは目を閉じて聞いていた。途中から若いアンチャンがタブラーを持ち出してきて演奏に加わった。タブラーのチューニングはちゃんと合っていないし、演奏も初心者なみだった。

 われわれが1時間ほど演奏した後、チェータンに乞われてグルジーが短い民謡を2曲うたった。張りのある声だったが、息が続かず伸びきれない。

 ひととおりセッションが終わり、若い娘が運んできたチャーイ、サモーサー、ラス・グッラーをいただいた。その間、デジカメで娘やグルジーを撮った。India04

 撮ったばかりの写真をグルジーに見せると、へへえーと感心してカメラを持って部屋の奥に行き奥さんに見せてきた。グルジーが、娘の歌も聞いていってくれという。

India04 横顔の美しい娘だった。20歳代前半だろう。彼女は、ベッドの下にあったハールモーニアムを引っ張り出し弾き出した。父親に似た張りと艶のある声だが、伸ばしきったところで微妙に揺れる歌い方だ。曲は、ラーガ・ゴーラク・カリヤーンの民謡。グルジーが「この娘はBHUで勉強したんだ」と自慢げにいった。娘は、わたしの同窓生だったわけだ。

空を見上げると星が

 10時近くにグルジー宅を出た。停電のために真っ暗だったせいもあり、空を見上げると星がくっきりと見えた。

 チェータンがわたしの夕食の心配をしてあちこち果物屋やレストランを探すが、みな真っ暗で閉まっていた。唯一開いていたサルダールジーの店でチキン・ヌードル・スープを飲んだ。チェータンは見ているだけ。支払いは彼がした。帰途の車中は、ジョーク大会になった。わたしの連発するジョークにチェータンは大声でげらげら笑った。

「この季節は、結婚式だらけなんだ。何故か分かる?夏は汗をかいて衣服が汚れるという理由から」などという話をしつつ、11時すぎに宿舎に帰った。チェータンとは車のところで別れた。

 その夜は毛布2枚でも足りないほど寒く、なかなか寝付けなかった。

日記もくじ  前の日◀  ▶次の日