2004年12月12日 (日) -ムンゲールからバナーラスへ移動

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●インド平原の列車移動

India04

 朝の9時ころ、眼が覚めた。列車は、延々と続く土色の平野をひた走っていた。昨日までの慌ただしい日々が終わり、たった一人で車窓の冷たい鉄格子に額をつけて外を眺めていると、ふと孤独感に襲われる。また同時に、かつての旅の感覚が蘇ってくる。33年前、同じように一人で初めてインドの平原を列車で移動したときのこと、20年ほど前のバナーラス生活のころ、大学が休みになると配偶者と二人で列車でよく旅をしたことを思い出した。列車の一人旅は、過去の記憶を反芻する効果がある。

India04

 列車はときどき小さな駅に長い時間停車した。チャーイやバナナを売る少年のかけ声だけが閑散としたプラッフォームに弱々しくこだまする以外、静まり返った田舎の駅。コンクリート製のベンチにあぐらをかいて座り下り列車を待つ痩せた老人。小さな駅は平安なさびしさに包まれる。何の前触れもなくゴトンと列車が動き出す。

 向かいに座っていた男が話しかけてきた。パトナーまで行くというスーツを着た中年の男だった。わたしが日本人だと知ると、娘の話をし出した。娘はパトナーでファッションデザイナーをしているが、日本で活躍することは可能だろうか、どんな風にしたら日本に行って仕事ができるのか、などと聞いてくる。日本にもたくさんデザイナーがいるが活躍できるのはほんの一握りだ、と答えると彼は急に興味を失い、隣の若い男としゃべり出した。

 午前11時、パトナー駅に着いた。中年男も若い男も、じゃあ、といいつつ降りていった。急に客車内の人が少なくなった。パトナーは、ビハール州の州都なので駅も大きい。隣の客車からスカートをはいた小さな女の子が父親らしい男に手を引かれて出てきた。ホームら降りた女の子はいきなりスカートをたくし上げしゃがんだ。父親は、ここでやれっ、と怒鳴りながらすかさず彼女の尻の下に新聞紙を敷く。女の子は新聞紙の上に脱糞した。娘が仕事を終えると、父親は新聞紙を丸めてゴミの山にひょいと放り投げ、さあ速く速く、列車が出る、と娘の手を引っ張って車内に消えた。

「ケーラー、ケーラー」と甲高い声で叫んでいた少年からバナナを買った。5本で5ルピーだった。10円ちょっと。

 列車は相当遅れていた。時刻表ではバナーラスに着いていなければならない。しかし乗ったときに既に3時間半以上の遅れだったから、バナーラスに着くのはどんなに早くとも3時を過ぎるだろう。やれやれ。7時間以上も乗っているのにまだビハール州内とは。

 パトナーを出た列車は、大小の駅にときどき長時間止まってはまた動くという繰り返しだった。車窓からの田園風景は相変わらずだったが、大小の街の様子も大して違わなかった。鉄道の側がゴミ捨て場になっているのか、どの街でもゴミが目についた。そのゴミに人、犬、牛、豚が群がっている。

 iPodでインドの民謡を聞いたり、チェンタンにもらったシヴ・クマール・シャルマーの自伝を読んだり、チャーイを飲んだりしているうちにウッタル・プラデーシュ州に入っていた。ムガル・サラーエに着いた。もうすぐバナーラスだ。ムガル・サラーエを出ると列車はガンガーにかかる大きな鉄橋にさしかかった。河岸に連なるガートが霧のなかにうっすらと見えた。20年ぶりに見るガートの光景だった。

●ここは撮影禁止だ

 リュックから急いでデジカメを出しその光景を撮影した。再生して確認しようとしていると、斜め向かいに座っていた男が訛の強い英語で突然こういった。

「ここは撮影禁止だということは知っているか。今撮った写真のロールを渡せ。身分証明書を見せろ」。

 パトナーを過ぎた途中の駅から乗ってきた男だった。白いシャツと灰色ズボン姿の一見普通の男だ。がっしりした大柄で下腹がわずかにせり出していた。わたしの隣に座っていた気の弱そうな青年に、尊大な口ぶりでいろいろ命令していたので、わたしは目を合わせないようにしていた。

「撮影禁止だということは知らなかった。そういうあなたはいったいだれだ」

「いいから、そのカメラのフィルムをよこせ」

「これはデジタルカメラだから、フィルムはない」

「なに、ぐすぐずいわずにフィルムを出せ」

「あなたは警察か」

「そうだ。オレはポリスだ。身分証明書を見せろ」

 わたしの目をまっすぐ見て命令した。有無をいわせぬ表情にちょっとひるみ、パスポートを渡した。「これは預かっておく」なんていわれたらどうしようと思ったが、案外そっけなくパッと見て返してくれた。

「ふん。とにかく、ここは撮影禁止なんだ。フィルムをよこさないと大変なことになる」

 久しぶりのバナーラスの風景を見て感傷に浸っているところをいきなり命令口調でいわれたので、わたしはむっときた。「君は警察だと自称しているが本当なのか。本当だったらそっちこそ身分証明書を見せてはどうか」といおうとしたが、こんなことで厄介事になるのは馬鹿げていると怒りを抑えた。

「デジタルカメラというのは、フィルムではなくメモリー・カードに絵を記録するのだ。だから、何度もいうようにフィルムはないのだ。ほら、写真はこんな風にして見るのだ」

 と撮ったばかりの写真を見せた。走っている列車から撮ったので、目的のガートはほとんど見えず鉄橋のトラスだけが何本か写っていた。

「消せないのか」

 男は首をかしげていった。

「もちろん消せるよ」

 ほら、もうないだろう、と消した後の別の写真を見せた。

「ティーケ」(ならいいよ)

 不機嫌そうに彼がいった。表情に、小遣い稼ぎに失敗したという失望もあったような、気がする。

 彼が本当に警察官だったのか、警察とは別の公安関係者だったのか、なんらかの政府機関で働く役人だったのか、あるいはインド版CIA秘密情報員だったのか、あるいは単なる外国人嫌いの人だったのかは分からない。大きな橋梁の撮影が軍事的理由で禁止されることはなんとなく理解できるので、彼のいい分はきっと間違いではないのだろう。タダの人だったとしたら相当な演技力の持ち主だが、こんな風に居丈高な態度を取れるのは、それに慣れたものでしかなかなかできないだろうから、おそらくなんらかの公安関係者だったと思われる。ともあれ、あまり愉快な出来事ではなかった。

●バナーラス駅に着いた

 陽が沈みかける夕方4時20分にバナーラス駅に着いた。ひょっとしてヴィノードが出迎えにきているかとホームを見回したが、彼の姿はなかった。ヴイノードとは、チェータンとともに来日公演をしたタブラー奏者のヴイノード・レレである。チェータンが、わたしがバナーラスに向かったことを彼に携帯で連絡していたので、ひょっとして出迎えにきているかと思っていたのだ。

 改札口の待ち合い所へ行こうとホームから階段に向かうと、オートリキシャはどうか、宿は決まっているのかと、二三人の男が近づいてきた。友だちがいるから要らないといってもしぶとくついてきて荷物を奪おうとする。駅のコンコースは人でいっぱいだった。ヴイノードを探したがそれらしい人間は見当たらなかった。最後まで食い下がってきた男に従うことにした。駅前の広場はオートリキシャ、サイクルリキシャ、タクシー、自家用車、人で埋まり、身動きできないほどだ。20年ぶりのバナーラス駅もこうだったような気がする。駅舎の堂々とした建物も変わっていなかった。埃っぽい空気も、漂う匂いも20年前と変らない。

「ダイヤモンド・ホテルまで行ってくれ」

「30ルピーだ」

「いいよ」

 薄暗くなった道をオートリキシャはのろのろと進んだ。運転手は手押しクラクションをひっきりなしにならす。ものすごい交通量だった。なんとなく見知った道に沿って現れる露天の野菜市場、商店、尻尾を振りながらのったりと歩く牛、寺院などを見ているうちに、バナーラスに戻ってきたという感慨が少しずつ高まってきた。

 運転手は、走りながらしきりに宿は決まっているのかと聞く。

「ダイヤモンドに予約している。場所は知っているか」

「知っている。でも、あそこは高いよ。もっと安くていい宿がある。そこへ連れて行くからとりあえず見てくれ。ホットシャワーがついて200ルピーだ。ガートにも近いし」

 こう何度もいうのでだんだん根負けしてきた。チェータンが別れ際に、ダイヤモンド・ホテルの部屋を取るようにヴィノードに頼んであるといってくれたが、わたしはもっと安い宿でもいいかなと思っていたのだ。留学時代に近所で唯一エアコンがあるというのでよく食事に行ったダイヤモンド・ホテルは、今は1泊1,000ルピー(約2,500円)と聞いていた。ここで10日も過ごすことを考えると少なくない出費である。

●オーム・ヴィシュヴァナート・ロッジ

 見るだけだからと運転手がわたしを案内したのは、ソーナールプラー大通りからちょっと引っ込んだところにある4階建ての「オーム・ヴィシュヴァナート・ロッジ」だった。3階の小さな部屋が1泊200ルピーということだった。ベッドがほとんど面積を占める狭い部屋だった。荷物を置くスペースは、枕元の棚と入り口ドアのところにわずかしかない。わりと清潔そうなタイル張りのバスルームがついていた。お湯も出る。今夜はとりあえずここに泊ることにした。運転手は他の宿も案内するといっていたが、疲れていたこともあり宿探しは面倒な気分だった。

 荷物をといて携帯電話の接続をチェックすると、なんと圏内になっていた。駅からオートリキシャに揺られているあいだも携帯が使えるかどうかチェックしていたが、ずっと圏外の表示が出ていたので、バナーラスでも携帯は使えないのかとあきらめていた。

 日本の配偶者に電話したらつながった。ジャールカンドとビハールにいる間はまったく携帯電話が使えなかったので連絡できなかったがこれで一安心だ。

 コルカタのラート氏、ムンバイのピライ博士、チェータン、BHU時代に声楽を習ったリトウィク・サンニャール、ヴィノードと次々に電話した。

「ムンバイに着いてからの宿はなんとかする、空港へはドゥルバ・ゴーシュに迎えに行ってもらうことになっている。待っているよ」とピライ博士。

「今日は何もないのでひたすら休養をとった。母親は元気だ。ときとどき電話かメールで連絡をくれ」とチェータン。

「チェータンに頼まれてダイヤモンドに予約したけど、電話したらチェックインされていないというので心配していた。でも無事バナーラスに着いたと聞いて安心した。明日、そのロッジまで行くよ」ヴィノード。

「あれー、ヒロシ。久しぶりだね。日中はずっと大学なので、8時すぎに来なさい。家は前と一緒だから分かるよね。トゥルスィー・マーナス・マンディル・コロニーだ。ドゥルガー寺院のすぐ近くだからすぐ分かるよ」リトウィク。

 屋上が食堂になっているというので行ってみた。がらんとした屋上にはテーブルが3つゆったりと並べられていた。塔屋に裸電球が一つ点いているだけなので暗い。男二人、女一人の西洋人グループが食事をしていた。テーブルに座っているとネパール人とおぼしき青年がラミネートカバーのメニューをもってきた。トマト・チキン・スパゲティとサラダを注文した。暗いテーブルで一人で食べる気がしなかったので、部屋に持ってきてもらうことにした。

 部屋に戻ってしばらくすると、油の多い焼きそばのようなスパゲティが運ばれてきた。

 バスルームにあったバケツにお湯を入れて、たまっていた衣類を洗濯。干すところがないので、ドアのフックや椅子にぶらさげた。蚊が多い。蚊取り線香をつけると部屋中が煙だらけになったが背に腹は代えられない。しばらくシヴジー自伝を読み、10過ぎに就寝。毛布一枚では寒いのでショールをかけて寝た。

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