2004年12月16日 (木) -バナーラス5日目

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 7時半起床。例によって向かいのチャーイ屋でチャーイ2杯。リトウィクに電話して今晩8時に訪ねることにした。朝から停電だった。電気タンブーラーなしで練習後、日記を書いた。その合間に正常に機能しなくなったデジタルカメラを分解しもう一度組み立てた。なんとちゃんと動くようになった。

●バブルーと練習

 1時にジョリー・ミュージック・ショップへ行った。昨日、そこでタブラーを教えていたバブルーと練習するためだった。店では、そのバブルーが背の高い気の弱そうな西洋人青年を相手にタブラーを教えているところだった。昨日習っていた男とは違う。その西洋人はダミアンという名のフランス人だった。バブルーはわたしの顔を見るなり、

「おっ、来たね。じゃあ、練習しようか」

 とレッスンをいきなり中断し、この人は有名なハリプラサード・チャウラースィヤーの弟子なんだ、とダミアンにわたしを紹介した。彼は、わたしの笛に合わせて電気タンブーラーとタブラーのチューニングを始めた。

「バーンスリーのキーはなんの音」

「Eだよ。これがスタンダードなんだ」

「このタブラーを合わせるのは無理だな。パでもいいよね」

「もちろん」

 わたしはラーガ・ヴァーチャスパティを9ビートのマッタ・タールで吹き始めた。

「ん、これは何のターラだ」

「マッタ・タールだ」

「ああ、そうか」とバブルーはいったが、叩かない。

「ディン・ティラキタ・ディン・ナー・トゥン・ナー・ディディナディディナ」とわたしがボールをいうと「うん、そうそう」と頷いてようやく叩き始め、向かいに座っているダミアンに

「これはね、9ビートなんだ」

 と教える。わたしは目で彼のソロを促した。しかし彼は、笑顔を向けながらマッタ・タールの基本テーカーを叩くだけでソロをしない。おそらく9ビートはやったことがなかったのだろう。仕方ないので、9ビートから16ビートのティーン・タールに変えた。にわかに彼は元気づき、ソロを始めた。

 彼のタブラーは、繊細さに欠けていた。バナーラス流派の特徴ともいえるが、バーヤンを荒っぽく叩く。ソロのパターンは繰り返しが多い。あまり練習していない証拠だ。外国人の初心者に手ほどきをすることに慣れすぎて、本来の修練をしていないのだろう。

●外国人旅行者目当てのインド音楽教室

 その後も、バナーラスでは楽器屋の店先で外国人相手に音楽を教える自称音楽家に会ったが、バブルーと似たような感じだった。ソーナールプラーのガリー沿いにある安宿の周辺には、外国人旅行者目当てのインド音楽教室が数多くあった。店先でちょっと立ち止まると、中からバブルーのようなアンチャンが

「タブラー教室やってるよ。シタールもバーンスリーも教える」

 といって声をかけてくる。最初に泊まった安宿にも楽器屋や教室の張り紙があった。彼らの店が成り立っているということは、それだけ需要があるということだろう。シタールやタブラーの音色やインド音楽の不思議な雰囲気に惹かれる旅行者がそうした店を支えているのだ。バナーラスでは、安価な装飾品、ヒンドゥーの神々の絵や人形、きらびやかな布製品、線香などと同じように、音楽も一種の土産物のように売られている。このような現象はインドだけかも知れない。インドの楽器は、欧米や日本のように高価ではなく貧乏旅行者にも手が出せる。また、こうした気楽な教室がたくさんあるので、中期滞在型の外国人旅行者が手習いを始めるにはちょうどよい気晴らしになる。しかし、どんな音楽でもそうだが、真剣に取り組んで舞台で演奏するようになるには、とんでもない時間とエネルギーと根気が必要だ。とくに即興を主とするインド音楽はとてつもなく奥深く、ある程度の演奏能力を獲得するためには、それこそ一生を捧げるほどの決意がなければならない。また、長い年月の基礎訓練を経なければ、学習者に音楽的才能があるのか無いのか分からない。バナーラスで音楽を習ったという外国人や日本人に聞いてみると、バブルーのような気楽な先生たちは、段階を追って基礎から積み上げるという本格的な教授よりも、短期間に目新しい内容を次々と教えるのがほとんどだという。こうしたやり方は、インドの深遠な芸術音楽の門戸を大きくしてくれるとはいえ、わたしのような深みにはまってしまった者からみれば、安易に写る。とはいえ、売れるものは何でも売って収入につなげたいバナーラスの先生たちを非難することはできない。それに彼らには、売ることのできるソフトウェアを持っているのだ。

 日本はどうだろう。日本にやってくる外国人たちが、土産物を買うように気軽に尺八、筝、雅楽、三味線、太鼓を習う、という図式はあまりピンと来ない。習おうとすると気難しそうだ。バブルーのような気楽な先生は、本筋の人からは無視されるか排除されそうだ。

●モナリザ食堂

 バブルーと練習しながらこんなことを考えていた。彼とは1時間ほどにわかセッションをした。ダミアンが次のレッスン時間を聞いて立ち去ると同時に、インド人の若い男が店に顔を出した。ディップーという24歳のけだるい感じの若者だった。バブルーからバーンスリーとセッションすると聞いたのでやってきたという。バブルーが

「もう終わったよ」

 というとがっかりしていた。彼はバーンスリーがとても好きなのだという。

 そのディップーに尋ねた。

「この辺に、インターネットと食事ができる店知らないか」

「もちろん知ってるよ。ついてこい」

 彼は、狭いガリーをゴダウリアー方向に向かって歩き出し、表に「Monalisa」と書いた看板のある店に連れていってくれた。食堂の入り口正面に3台のコンピュータが並び、日本人らしい若者二人と初老の白人が背中を向けてディスプレイに向かっていた。その左手に3段ほどの階段があった。上がると両サイドにテーブルと椅子が並び、欧米人や日本人らしい外国人旅行者が食事をしていた。ハングルが聞こえたので、日本人だと思った旅行者は実際は韓国人だった。

 隅のテーブルにダミアンがいたので合流した。ここを案内した後どこかへ行くものと思っていたディップーがわたしの隣に座った。ダミアンは、「悪くないよ」という焼き飯を食べていた。わたしは30ルピー(=75円)のチキン・ラーメンを頼んだ。ステンレスのボウルに入ったスープ麺はまずかった。ディップーは焼きそばを食べた。彼は、わたしとダミアンに「おごりだ」とマウサンビー(柑橘類の一種)のジュースを持ってこさせた。

 ダミアンは英語があまり得意ではないらしく、わたしにいろいろ質問されてもぽつんぽつんとしか返事が返ってこない。30代前半に見える彼はフランスのブリタニア出身。今回が始めてのインド旅行だった。ここバナーラスでタブラーを習い始めた。

「タブラーはとても難しい。今回は、夏と冬にレストランでバイトして金をため、インドに来た」

●僕の名前は、シャイアン

 こんな話を聞いているときに、あご髭男がわたしに近づいてきた。映画『アマデウス』に出てきたサリエリを思わす顔だ。

「あなたはひょっとしてヒロスか」

「そうですが」

「バーンスリーのケースをもっていたのでそうじゃないかなと思った。僕の名前は、シャイアン。イギリスから来た。なんという偶然だろう。実は昨日、あなたのウェブを見ていたのだ。僕はバナーラスのソーハン・ラールにバーンスリーを習ったが、ムンバイのハリジーのところでも2年間習っている。バナーラスを出たらゴアに向かい、その後でムンバイに行くつもりだ。是非ゆっくり会っていろいろ話を聞きたい。どうしたらあなたと連絡がとれるのか」

「ダイヤモンド・ホテルに泊まっている。明日の午前中だったら来てもいいよ」

「分かった。そうする。僕のガールフレンドは日本人なので少し日本語は分かる。来年の4月には京都へ行きたい。一緒にコンサートできないかと思っている。じゃあ、明日」

 シャイアンと名乗る、妙になよなよとした30歳代の男はこういって出て行った。彼がなぜわたしのホームページを見ようとしたのか、なぜわたしがバナーラスにいることが分かったのか、わたしの顔を見てヒロスだと思ったのか、は分からないが、まったく知らない男に、しかもこんなバナーラスの小さな食堂でこんな風に話しかけられたのには驚いた。

 店のコンピュータでメールをチェックした。配偶者が、一昨日の誕生日に一人で食べたカニは不味かった、などと書いていた。ディーパク・ラージャーがメールで何度も電話せよといっていた、と書かれてあったのでムンバイのカズオ・オガワ事務所に電話してみた。連絡相手であるレーシュミー・ジェインとつながった。若い女性で、大きな声だった。

「ようやくつながりましたね。良かった。ディーパクからあなたのことを聞いています。日本人の有名な宝石デザイナー、カズオ・オガワが1月中旬にムンバイ店の開店披露イベントを計画しているのですが、わたしが担当しているんです。そのときに是非あなたの演奏をお願いしたいのです。あなたがムンバイにいらっしゃったら、詳しく打ち合わせしたい」

「わたしはインドの音楽を演奏していますが、それでいいのですか」

「いいえ、日本の音楽です。日本のプリンセスなども参列する予定です」

「分かりました。ではムンバイにつきましたら事務所に伺います」

 というような、なんだか雲をつかむような依頼だった。ひょっとしたらギャラが出るかも知れない。ダメモトで期待しよう。

 わたしがこんな電話する間もディップーはわたしの隣に座ってチャーイを飲んでいた。英語の分からない彼は、

「何の電話だったか」

 などと親しそうに聞いてくる。彼の分も合わせて勘定を支払って店を出てからも彼はついてきた。こんな風にじっとりとまとわりつかれるのはなんとなく落ち着かない。

●旧友ジョーシーを探す

「僕は今から古い友人を捜しにいくけど、君は仕事はないのか」

「父親がゴダウリアーでボートの商売をしていて手伝っている。その友だちに会ったら、ボートに乗らない?安くしておくから」

 彼の目的はボートに乗せることだったのだ。

「いや、ボートには興味が無い。それよりも友人の家を探さないと」

 こういうとディップーはちょっと悲しそうな顔を見せた。しかしすぐに立ち去るつもりはないらしい。

「なんという名だ」

「ジョーシーだ。コダウリアーで占星術の仕事をしている」

「ああ、それなら、自宅を知っている。俺の家のすぐ近くだ。ついてこい」

 ディップーはこういって元来た方向へ歩き始めた。

「ここだ」

 と彼が示した大きな家の呼び出しブザーを押すと少女が出てきた。少女は

「ジョーシーさんなら真向かいだよ」

 といってすぐドアを閉めた。

 向かいの事務所のような部屋に入った。髪の薄い太った男が、壁際のベッドにだらしなく寝そべり2人の訪問者を応対しているところだった。50代半ばに見えるその男の顔は、目鼻立ちの造作が混乱していて貧相だった。年齢的には合っているが、どう見てもわたしの覚えているジョーシーの顔ではない。しかし、顔記憶に自信がないので確信できない。

「あなたのお名前は、ジョーシーさんですよね」

「そうだが」

「以前、BHUにいませんでしたか」

「いたよ」

 と、壁に飾ってある卒業証明書のようなものに目を向けた。

「前はゴダウリアーのあたりに事務所を構えていませんでしたか」

「いや、俺はずっとここで仕事をしている。ゴダウリアーだったら、ラーケーシュ・ジョーシーのことじゃないのか。彼の事務所だったら知っている」

 と、ディップーに場所を説明した。

 まったく別人だった。内心では、ひょっとすると彼がわたしの知っているジョーシーではないか、だとすれば20年の間にこれほど顔つきが変わるものだろうか、などと思っていたのだ。明日にでもジョーシーの事務所を探してみよう。事務所を出た後、わたしにボート意欲がまったくないことを確信したディップーは、

「仕事があるから」

 とどこかへ歩き去った。

●スニール・プラサンナー、31歳

 パッラヴの経営するサヴィター・ゲストハウスへ行ってみようとケーダール・ガート方面へぶらぶらと歩いた。途中に楽器屋があった。ちらっと中をのぞいただけだったが、クリストファと名乗る背の高いインド人青年が即座に中から出てきた。

「楽器教えるよ、楽器売ってるよ。その黒いケースはなんだ」

「バーンスリーだ。演奏しているんだ」

 こう答えると、店先の椅子に座っていた小柄な肌の黒い男が、急に親しげに話しかけてきた。男の名前は、スニール・プラサンナー、31歳。彼はこの店でバーンスリーとシャハナーイーを教えているという。

「ラージェーンドラ・プラサンナは俺の叔父さんだ。今、ボーラーナートの生まれた家に住んでいる。家族はみなシャハナーイーかバーンスリーの演奏家だ」

 ということは、さきほど一緒に練習したタブラーのハブルーも親戚ということか。

「音楽家の家系だね。ラージェーンドラ・プラサンナもボーラーナートも知っている。とくにラジーェンドラは、ラヴィ・シャンカルが83年にバナーラスで主催したコンサートで聞いた。あのとき、バーンスリーという楽器の可能性を知り、今こうして吹いているきっかけになったんだ。それに、ボーラーナートは僕の師匠の師匠だしね」

「その師匠というのは」

「ハリプラサード・チャウラースィヤーだ」

「そうだったのか」といいつつ彼は、自嘲気味に続けた。

「こういう旅行者向けの音楽教室は、本当はやりたくないんだ。でも、食えるほどコンサートもないしね。最近の若者はポップスばかりでクラシックに興味がない。仕方ないからこんなところで教えているんだ」

 われわれの会話を聞いていたクリストファは、わたしに対する興味が失せたと見え店の奥に引っ込んだ。

「俺の家に遊びにこいよ。ダイヤモンド・ホテルに近いよ。たいていいる。家族はみんな音楽家だし」

「時間があったら訪ねるかも。ところで、サヴィター・ゲストハウスはどこか知っているか」

「すぐそこだよ」

 とスニールが指差した方向を見ると、突き当たりの左側に小さな看板があった。

●サヴィター・ゲストハウス

 まだ話したそうなスニールと別れてゲストハウスの門をくぐった。小さな中庭を囲む3階建ての古い建物だ。タンブーラーの音が聞こえる1階の部屋をのぞくと、パッラブとサリーを着た小太りの金髪の女性がいた。

「やあ、アンクル。どうぞどうぞ。そこへ座って下さい」

 とパッラブが奥の席を指指した。壁を背にして座るパッラブの向かいでタンブーラーを弾いていた金髪女性にいった。

「君はとてもラッキーだぞ。このアンクルに会えたんだから。24年前に父親にバーンスリーを習い、今では日本で音楽活動をしているナカガワジーだ」

 20代後半に見える女性はデンマーク人で、パッラブからドゥルパドを習っているという。彼女はわたしに挨拶してすぐに出て行った。わたしと会えてラッキーだとは思わなかったようだ。

 わたしと二人だけになったパッラブは、ほとんど一方的にしゃべる。

 チャーイを運んできた少年チョットゥーのこと。近所に住む貧しい家庭の出だが、自分を慕っていて息子のようにしている。2000年にこのゲストハウスを開いたとき手伝いとして来てもらった。来たときはものすごく汚かったので床屋で髪を切ってもらった。最初のうちは大人しくかったが、そのうち音楽の興味を持ち始め、今は熱心に練習している。あと数年したら自分のコンサートで伴奏しているだろう。また、自分はどうも商売は駄目で、宿代の踏み倒しもけっこうある。だから、最近ではゲストハウスの運営を彼に任せることが多くなった。

 ボーパールでの修行時代の話。師匠のファリドゥーッディーン・ダーガルはとても厳格で、感情の起伏が激しい。真夜中にいきなり起こされてレッスンを始めたりするので、睡眠時間はほとんどとれなかった。よく師匠にマッサージをした。音楽的な妥協を決して許さない人だった。大師匠のズィヤー・モーヒーヌッディーン・ダーガルのことも尊敬しているが、自分にとっての本当の師匠はファリドゥーッディーンだ。自分のグルは、まず父親、そしてファリドゥーッディーン、それにリトウィクだ。リトウィクはすごい声楽家だ。ドゥルパドの正しい後継者は彼しかいない。彼はそれほど学識と音楽的創造性がある、などなど。

 しゃべり疲れたのか、話のネタが尽きたのか、パッラブは歌い出した。ラーガ・デーシュだった。途中で停電になったので、ロウソクだけの暗い部屋で彼のアーラープを聴いた。師匠のファリドゥーッディーン・ダーガルの歌い方とそっくりだった。彼は、ときどきデーシュの音の動きのバリエーションを解説しながら続けた。なんだかパッラブのレッスンを受けているような気分になった。それほど彼は自信たっぷりに歌い、解説するのだった。

●リトウィクの家で演奏する

 7時ころホテルにいったん戻り、8時ちょうどにリトウィクの家に行った。居間には、シュブラクシュミー夫人、息子のリシャブと若い女性が座っていた。サンギータという名のBHUの学生だった。ラサ論についての論文をリトウィクにチェックしてもらっているという。しばらくすると、別の女子学生に続いて背の高い痩せた白人もやってきた。デイヴィッドという28歳のイギリス人だった。2年前からリトウィクに声楽を習っている。デイヴィッドを見たリトウィクは、

「イギリスはいいところだよな」

 といった後、自慢話へ移行した。ロンドンのなにがしは自分のことをとても高く評価している、ロンドンではどこそこという高級住宅地に滞在した、ケンブリッジには親しい友人がいていつでも泊まれる、スコットランドにも行ったなどなど。それを聞くデイヴィッドは、すんげえ、俺だってほとんど行ったことがない、などといって相槌を打つ。

 リトウィクは

「じゃあ、ヒロシの演奏を聞こう」

 と立ち上がり、みなを隣のレッスン室へ移動させた。

 壁に立てかけてあった大きなタンブーラーを手に取った彼が尋ねた。

「何のラーガをやる?」

「デーシュです」

「オーケー。君のサをくれ?」

 わたしがロングトーンでサを示すと、

「かなり高いね」

 とつぶやきつつ彼はタンブーラーを調弦し、それを無言でデイヴィッドに渡した。デイヴィッドが静かにタンブーラーを弾き始めた。なんだか試験を受けているような感じだ。

 ラーガ・デーシュのアーラープを40分ほど演奏した。5人の聴衆は静かに聴いていた。息子のリシャブは、新しく買ってもらったというMDレコーダーで録音していた。終わってもだれもなんの感想もいわずじっとわたしを見ている。リトゥイクが、

「バンディッシュもやるか。なんのターラがいい?」

「ええ、じゃあジャプ・タールで」

 彼はタブラーマシンのスイッチを入れ、10ビートのジャプ・タールにセットした。わたしは、パカーワジュのような低い音の機会音に合わせてちょっと演奏した。終わると、リトウィクは

「まあ、悪くないんじゃない」

 とぽつりと感想を申し述べて立ち上がった。それが合図のように、他の人たちも立ち上がり居間へ移動した。試験には通ったのだろうか。

 「もう行かなきゃ」というデイヴィッドと一緒にリトウィク宅を出た。10時半だった。

 停電のせいで真っ暗な夜道をリキシャでホテルへ戻った。室内がいつになく寒かったのでなかなか寝付けなかった。2時ころ就寝。

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