2004年12月21日 (火) -デリーの結婚式

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 6時ころに起きた。まわりはまだ暗く、みな寝ている。予定では7時すぎにデリーに到着と聞いたが、ほのかに明るくなりつつある車窓からは都市に近づいた雰囲気はなかった。駅まで迎えに来ることになっているスニールには、到着予定時間を携帯で知らせることにしていた。しかし、車内アナウンスもなく車掌もめったにこないので到着時間を知る手がかりがない。携帯電話も圏外を示していた。そうこうしているうちに向かいの中段に寝ていた大柄な男がもぞもぞと起き出し、下段の老婆に声をかけた。

「カアチャン、起きだが。起きだら寝具ば片付げでけろ」

「んー、起ぎったごで。よいしょっと。ハレー・ラーム」

 彼女は、シーツと毛布をていねいに畳んで窓際によせ座席から立ち上がった。男も同じように寝具を畳み、自分の寝ていたベッドの鎖を外した。2段目のベッドは一番下の座席の背もたれになった。母親の隣に座った男は、時計を見たあと車窓の方に目を向けていった。

「ん、アリーガルに近いみでだな。そうすっど、最低あど2時間はかがるな」

「んだな。どうしぇ、いっつも遅れっからすかだねな」

 と母親が大きなあくびをしつつ答えた。

 それを聞いたわたしは携帯電話の電源を入れてみた。圏内になったのでスニールに電話した。

「スニールが、ヒロスだす。8時すぎに着くみでだげど」

「わがった。そのころに駅に迎えにえぐ」

 そうこうしているうちに同室の乗客全員が起き出し、到着の準備を始めた。車窓の眺めが、水平線まで広がる農地から、人家の密集した地域に変ってきた。こんな風に列車でデリーに入るのは20年ぶりだ。

 列車が減速しだすと、同室のインド人たちは大きな荷物を抱えて出口に動いた。出口付近は到着を待つ乗客が殺到し身動きできないほどだった。そんな乗客は、悠然と座るわたしとスペイン女性をじろじろ見る。

●デリー駅に到着

 実際にデリー駅に到着したのは11時だった。バナーラスを出たのが7時半だったので15時間半かかったことになる。停車したとたん、下車する乗客に逆行して赤帽たちが突っ込んできたので罵り合いになった。それまでの単調で静かな車内がいきなり叫喚であふれ出入り口がごったがえす。わたしとスペイン女性は、スーツケースを奪い取ろうとする赤帽たちをはねつけ、ゆっくりとホームに降りた。

「ええ旅をな」

「んだな、おめも」

 一晩の旅の仲間とのお別れだ。

●スニールと再会

 スーツケースをホームに置いたとたん、スニールがわたしを見つけて寄ってきた。

「ナカガワサン。はっはー。電話で8時っていってたべ。んだげんど、この電車はだいたい遅れっから駅に問い合わせてよ、ちょうど今来たなよ。デリーさよぐごさったごど」

India04 といって肩を抱いた。40代後半にふさわしくわずかに下腹がせり出して入るものの、清潔な青いシャツと灰色のズボンに包まれたしなやかな長身の体型はまったく崩れていない。七三に分けた短い黒髪は額から後ろにかけてかなり薄くなっていた。短く整えた髭はきれいなカーブを描いて頭髪までつながり、貫禄がある。温厚な表情は知り合って以来まったく変っていない。

● 

 スニール・シャールダーに会うのは、98年のエイジアン・ファンタジー・オーケストラ(AFO)のニューデリー公演以来だから6年ぶりだ。あのときは、スニールと奥さんのアルカー、姉のビンドゥーさんと夫のアムールが宿泊先のインペリアル・ホテルまで会いにきてくれた。シリフォート・オーディトリアムでの公演にももちろん駆けつけてくれた。

 スニールの一族とは81年来のつきあいだ。81年の暮、わたしと配偶者がBHUへの入学前に1ヶ月ほど彼の家に居候してから、まるで家族の一員のようにつき合ってもらっている。われわれが彼らを知ることになったのは、西宮に住むインド人ビジネスマン、バット氏。神戸で知り合った当時60歳代のバット氏は、日本でのビジネスにある程度成功し老後はインドで暮らしたいという希望をもっていた。そのバット氏と親しかったのがシャルダー氏だった。われわれがカトゥゴーダームという田舎にまず向かったのは、バット氏がしばらくそこに滞在していたからだった。

 ラージャスターンの商人カースト、マールワーリーである彼の一族は、父親のナローッタム・サラン・シャールダー氏のときにカトゥゴーダームにやってきた。ヒマーラヤに連なる山地の麓に広がるシーラーは、デリーの北東約400キロにある小さな集落。近くにはハルドワーニーという比較的大きな街がある。そこから山地を遡上すると、観光リゾートとして有名な湖畔の街、ナイニタールがある。シャールダー氏は農産物の仲買で成功し、地元に産するマルベリーという植物を精製し日本の製薬会社に販売するようになった。日本の製薬会社の指導で建てた精製工場は、その後シャールダー家の資産を殖やし、地元でも有数の資産家になった。その精製工場の横の大きな邸宅がシャールダー家だった。

 われわれの留学中居候していたのは、その邸宅に隣接する事務所棟の横にあった大きな離れの部屋だった。朝になると召使いが紅茶と朝食を運んでくれるという贅沢な居候だった。スニールはそのシャールダー家の長男である。シャールダー氏夫妻は、9人の子どもに恵まれたが、最後に生まれたスニール以外はすべて女子だった。したがって、彼はシャールダー家唯一の男子だ。最後まで旺盛な事業家であったシャールダー氏は数年前に糖尿病で亡くなり、今では彼がすべての事業を引き継いでいる。われわれが初めて居候させてもらったのが一族全員集まる年末だったため、家族全員と互いに知るようになった。以後スニールの姉妹の家族ともつき合うようになった。とくに、われわれと同じ年代のインドゥーさん家族はデリーに住んでいたため、わたしが用事でデリーに行くときはいつも泊めてもらった。われわれはBHU時代にもシャールダー家に何度か訪れ、生活費の足しにと経済的援助をしてもらったこともあった。また、スニールが取引のある日本の製薬会社を訪ねるために来日したときは、たいてい我が家に何日か泊まった。

● 

「今日はよ、親戚の結婚式の初日でよ、家族みんな新郎の家に集まって昼飯食うんだ。1時集合っつうごとになってでな、本当だったら今ごろはアパートがら出発すでねどだめなんだげんど、おめが来っから、ヨメのアルカーど二人の娘も待ってんなよす。オレのアパートからそごまで2時間かがっからよ、急がねどね。わらわらオレの後さついできておごやい」

●ベージュ色のホンダ・アコード

 と、わたしのスーツケースをひょいと手に提げ、ごったがえす下車客をかき分け歩き始めた。じっくりと再会の感慨に浸ることも、デリー駅の雰囲気を味わう間もなく、混雑する駅舎正面にある駐車場へ直行した。駐車場には、真新しいベージュ色のホンダ・アコードがあった。側に運転手が立って待っていた。スニールはいつも日本車に乗っていて、前はたしかセドリックだった。

「旦那、久しぶりだなす。運転手のラヴィだっす。覚えでいっぺ」

 運転手がわたしにいった。

「あらら、ラヴィでねえが。元気だったがす」

 とはいったものの、はっきりと顔を覚えていたわけではない。

「相変わらずだなす。その荷物、オレさおごやい」

 とリュックとバーンスリーを受け取って後ろのドアを開けた。

 後部座席のわたしの隣に座ったスニールは、ラヴィにいった。

「ラヴィ、わらわら車ば出してけろ。急がねど間に合わねがら」

 車はデリー市内を抜け、ジャムナー川を越えた東デリーの一角にあるアパートへ向かった。まだ新車の匂いのする車内はエアコンが適度に効き実に快適だった。

「今がらえぐアパートはよ、パートパールガンジっつうどこにあんなよす。ほら、アルカーが大腸の手術やら入院やら、こご6年ほど続いでいっぺした。田舎ではどにもなんねがらよ、デリーさアパート借っちゃなよ。商売もよ、やっぱり首都だがらね、デリーは便利だす。それによす、娘二人もデリーの学校さ通ってっから、最近はデリーにいるごどが多いなよす」

「アルカーはもう大丈夫なが」

「もう人工大腸でねぐなったがら、前よりはずいぶん楽になったなす。んでも、体力がねえがらまだまだだけどな」

「娘たづは元気だべな」

「んだ。あの子らは心配ねす。上のリチャーはデリー大学の経済学部の学生だ。真ん中のカンヌーは今ちょうど大学受験で忙すい。IITさえぐっつって頑張ってるみでだ。一番の下のチャンドリカーは、ナイニタールの寄宿学校さ行ってるげんど、今ちょうど休みだがらアパートさいるっす」

「娘らももうそげな年だがした。久代どコーベット自然公園で虎見に行ったどきはまだちちゃこがったもね」

「んだなあ。そんだげおれだも年取ったっつうごどだなす」

 スニール、アルカー、リチャー、カンヌー、チャンドリカー、配偶者とわたしが、コーベット自然公園で年末から年始にかけて過ごした日々は、96年12月だから8年も前の話だ。スニールの商売も当時は順調そうだった。当時ナイニタールの寄宿学校に通う3人の娘たちは、わたしの繰り出すジョークに笑い転げる子どもだった。アルカーはなんの心配もないように見える健康な母親だった。しかしその後、アルカーの先天的大腸疾患による入退院や手術、リハビリ、娘たちの成長と進学など、スニールにとっては変化の多い年月だったろう。アルカーの回復のためにはなんでもやったというスニールの口調には、そうした日々の重さが加わっていた。

「マータージー(カアチャン)もくんながす」

「もう来てる。新郎の家で待ってっぺ。まだまだ元気だごで」

「今回の結婚式はだれのだべが」

「マータージーの兄弟の孫だっす。そごの家は、グルガーオつうどこさあんなよ。オレだのアパートがら、デリー市街ば挟んで正反対のどごだす」

 車は、最近建築された高層住宅の建ち並ぶ地域に入ってきた。ときどき現れる商店街は真新しい。敷地をたっぷりとった低層の建物が続くニューデリー市街と違い、いかにも新しく開発された郊外住宅地の雰囲気だった。

●スニールのアパート

 寡黙な運転手のラヴィは、取り囲む高いコンクリートの塀にUNESCOと書かれたアパート群の大きな門を入った奥の駐車場へ車を進めた。

「さ、着いたべ。ここだっす」

 スニールはこういって素早く車を降りトランクからわたしのスーツケースを取り上げた。

 10数階建てアパートの3階がスニールの家だった。エレベーターから家までの廊下には壁はなく、下の駐車場が見下ろせた。

India04 玄関ドアをあけるとまっさきにアルカーが顔を見せた。以前よりも痩せたとはいえ、ふっくらとして艶のいい顔だった。表情に以前よりも精神的な落ち着きを感じさせる。透き通った感じのつるっとした白い肌と真っ赤な口紅に縁取られた横長の口、特徴のあるツンと先の尖った鼻。20歳を越えた長女を先頭に3人の娘の母親とは思えない華やいだ若さが残っていた。

「ナガガワさ。まあず。よぐござったごと。ずっと待ってだべ。はやぐ中さ入っておごやい」

 玄関を入ったところはかなり広い居間とダイニングになっていた。いわゆる3LDKだが、一つ一つの部屋が日本よりはかなり広い。

「こごが、ナガガワさの部屋だす。まず、シャワーでも浴びでさっぱりしてけろ。なにか用事があれば、ラーダーにゆってけろなす」India04

 ラーダーとは、最近、ビハールからこの家のお手伝いとしてやってきた無口な少女だった。

 4畳半ほどのバスルームは廊下を挟んだ向かいにあった。でかい温水器からはお湯もたっぷり出た。久しぶりにまともな温水シャワーだった。よれよれのTシャツとジーンズから、舞台で使っている絹のクルター・パージャーマー、白いショールのインド的正装に着替える。

 大きなダイニングテーブルには、カシューナッツ入りのポーハーの他に、チークー、りんご、パパイヤ、ドライフルーツなどが並んでいた。ポーハーというのは、炊いた米をペースト状にした後再び粒にして乾燥させた食物。しばらく水に戻し、タマネギやターメリックなどの香辛料を加えて油で炒めたものは、シャルダー家の典型的な朝食の一品である。

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リチャー
チャンドリカー

 8年ぶりに会うリチャーとチャンドリカーも席について一緒に食べた。オレンジ色のハンジャービー・ドレスを着た長女のリチャーは、すっかり成長した娘になっていた。コーベット自然公園へ行ったときのような無邪気さは影をひそめ、自分自身の世界を築き始めた落ち着きがあった。ほんのりとふっくらしたリチャーと並ぶとちょっと背が高いだけにその細さが際立つ末娘のチャンドリカーは、表情にまだ幼さは残しているものの、立派なティーンエージャーになっていた。次女のカンヌーは、大学受験に忙しく家にも帰れないとのこと。彼女通っている学校は、デリー・パブリック・スクール(DPS)だ。ボーカーローのチェータンがいっていたように、DPSはインドでも有数の学校である。その本家本元のデリーのDPSだから、カンヌーはすごく優秀なのに違いない。

●花婿の家へ

 12時すぎにアパートを出た。運転手のラヴィが入ると全員乗れなくなってしまうので、スニールが運転し、アルカー、リチャー、チャンドリカー、ラーダーとわたしが同乗した。

 再び、デリーの中心地を走る。広々としたチャーナキャプーリーの大使間エリアを通りぬけ、ジャイプルへ通じる高速道路に入ってしばらく走ると、デザインの新しい建物がぽつんぽつんと建っている。スニールによれば、アメリカなどのIT企業が進出するインドで今最も開発の進んだ地域だという。アメックス、エリクソンなどの社名のついた大きな建物もあった。道路はビハールとは比べものにならないほど整備され、車の流れもスムーズだった。さすがに首都である。走っている自動車も外国製の新しいモデルが多い。

 32ed Milestoneという看板の目印を右に折れて住宅地域に入った。主要道路を一歩はずれただけだが、いきなり未舗装の埃だらけの道だった。側溝と道路の境界のはっきりしない、典型的なインドの道だ。どの家も新しいが敷地は狭い。日本の新興住宅地という感じだ。その奥まったところに花婿の実家があった。広い駐車場付き鉄筋コンクリートの堂々たる3階建ての建物だったが、敷地が狭いせいか新興中流階級の家という雰囲気だ。隣家の庭に仮設テントがはられ、そこで料理人たちが食事を作っていた。India04

 今日の結婚式の主役は、スニールの母親の弟の息子、ラージ・クマール・マーヘーシュワリー氏の長男、サミールである。彼は父親同様、公認会計士の仕事をしている。アメリカのワイオミング大学で数学の博士過程にいるサミールの弟、サウラブ青年が家族の一大イベントをてきぱきとさばいていた。大柄でハンサム、洗いざらしのチェックのシャツにジーンズ姿というソウラブは、ばりばりのアメリカ英語でわたしに歓迎の言葉を申し述べる。

「よぐござったなす。今、奥でみんな昼飯食ってがらよ、おめも行ってけろ」

●シャルダー家の人々

 スニール一家と食堂に入ると、旧知のシャルダー家の人々が大声でしゃべりながら昼食をとっていた。シーラーのマータージーをはじめ、スニールの姉たちであるスダー、シーラー、アーデーシュ、レーカー、インドゥー、ビンドゥーの顔が見えた。レーカーとインドゥーの間にはもう一人の姉、インドラがいたが、10年くらい前に交通事故で亡くなっている。そのインドラの夫、ナワルの顔も見えた。わたしと背も年齢もほぼ同じで、毛玉のような灰色の髪が後退した額の後ろにちょこんと乗っている。これでスニールの家族全員が一同に集まったことになる。全員がわたしを知っているので、食堂に入って行くと歓声が上がった。

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アムール
スニール、ナワル
ラーシー、リチャー、チャンドリカー
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インドゥー、ハリジー
マータージー
娘、孫娘たちとマータージー
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シーラー
ビンドゥー、アルカー、レーカー

 マータージーは、低い椅子にちょこんと腰掛けて食事をしていた。わたしを見ると食事の手を休めて皿を床に置き立ち上がろうとした。わたしはそのまま座るよう手で押しとどめ彼女の足に手を触れた。かなりの年齢になるはずだが、小柄で丸い体型、柔和な表情、皮膚の艶も変っていないように見えた。

 姉妹で唯一の独身であるシーラーは、白に近い灰色の髪に地味なサリー姿だが、背筋がピンとして知的な表情をしている。デリー大学でサンスクリットを教えていた彼女は、最近退職し、鋳物の街として名高いモラーダーバードの貧しい子どもたちのための学校の校長をしているという。同じマールワーリーのビジネスマンたちに嫁いだ姉妹とは違った雰囲気を今でも漂わせている。

 デリーを訪れるたびにわたしを泊めてくれたインドゥーは、わたしよりも2歳ほど年上だ。細長い顔に黒い髪、ゴージャスな絹のサリーを着たインドゥーは、わたしを確認するなり近づいてきて手を取った。そのかたわらで老眼鏡をかけた夫のハリジーが、にこにこしながらインドゥーとわたしを見守る。工具メーカーに務めていたハリジーは去年定年退職した。来年には、この近くに家を建て、現在住んでいる北デリーから引っ越すつもりだという。彼らの自慢の息子、アーデーシュはハネウェル社南アジア販売統括担当として頑張っている。また、娘のグリヤーはデヘラー・ドゥーンに嫁ぎ、今では二人の子どもの母親だという。アーデーシュとグリヤーに最初に会ったのは彼らが小学生くらいだったから、本当に月日の経つのは速いものだ。

 ビンドゥーと夫のアムールは、二人とも以前会ったときよりも細くなっていた。昔から常に明るい表情のビンドゥーの頬はわずかに痩け、なんとなくやつれて見えた。豊かそうな彼女の姉たちの堂々とした体型と対照的だ。灰色の短い髪、落窪んだ眼窩からぶら下がった大きな鼻の下に短い鼻髭を蓄えたアムールも、背が高いだけにその細い体が余計に強調され、これまで苦労を重ねたような雰囲気が漂っていた。いっぽう、かつてのビンドゥーとそっくりの彼らの23歳になる長女マドゥラーは、すっかり大人びてとても魅力的な女性になっていた。隣に座っていた小柄な次女のラーシーは、初めて会ったシーラーの庭でマドゥラーを追いかけ回していたころの面影はまったくなく、落ち着いた少女になっていた。

India04 食事が終わると、広い居間で家族の儀式が始まった。金ぴかのターバンと刺繍のあるシルクのクルター・パージャーマーに正装した花婿が飾りの着いた椅子に座り、その脇に両親が立つ。親戚一同が一人ずつ花婿の額にティーカーをなすり付けて祝福し、封筒に入れたお金を手渡す。居間はすれ違うのがやっとというほど混雑し、この儀式がなんとなくだらだらと進行していた。

 わたしはそれを見ながら屋外に出てタバコを一服。そのうち、派手な肩飾りのある制服を着たブラスバンド隊が家の前に整列して派手な音で演奏し始めた。ほとんどユニゾンで演奏される曲は伝統的な祝い唄のようだ。道路には、何重にも花輪で飾られた軽自動車が停めてあった。花婿はその車で花嫁の待つ結婚式会場へ向かうのだ。India04

 式まで時間があったのでアムールが、わたしとナワル氏を近くのヨーガ・アーシュラムへ連れて行った。そこでなんとなく時間をつぶして戻ってくると、花婿の家にいた全員がそれぞれの車に分乗して会場へ向かった。わたしは、ナワル、シーラー、名前の知らない小さな女の子と一緒にアムールの車に乗り込んだ。長い車列が動き出した。あたりは既に薄暗い。

●結婚式会場へ

 10分ほどで着いた結婚式会場は相当広いオープンエアのスペースだった。会場入り口に電飾のアーケード。このアーケードの向こうが花嫁側になる。花嫁側の用意した会場に花婿側を迎えるというのが標準なんだ、とアムールがいった。

India04 電飾アーケードの内側に、ナワルの娘、イーラーが子供と一緒にいてわたしを手招きした。初めてシーラーで会ったときのイーラーは、子どもたちの中では一番年上だったので親分のように親戚の子どもたちを引き連れていたが、今ではふくよかな二児の母親だ。

「あれー、イーラーでねえが。あれ、なしてこっち側にいんなや」

「久すぶりだなす、アンクル。今回はワダスは花嫁側なんだす。花嫁はグワーリヤルの人だげど、ワダスはそっちの家系の人ど結婚したのよす」

 という。というわけで花嫁側にも見知った顔があった。

●花婿が車で到着

India04India04 そのうち、花婿が花輪で飾られた車で到着し、電飾アーケードの手前にたむろする親族一同から拍手が沸き起こった。気恥ずかしそうな表情の花婿は、父親に先導されて電飾アーケードまで進んだ。GloomArrive2.JPGそこに花嫁の母親が待っていて花婿を出迎える。花婿は義理の母親に頭を下げ、彼女から散華の祝福を受けた。この儀式をもってようやく花婿側の人々が結界であるアーケードをくぐって会場へ移動。人々が広い会場への通路をぞろぞと歩くと、特別に作られた細長い台の上に座った4人のミュージシャンたちが演奏を始めた。裾の長いシェールワーニー姿で正装したシャハナーイー奏者が、首を振りつつおめでたい曲を吹き、隣に座るナガーラー(太鼓)奏者の一団に合図を送った。ナガーラー奏者はそれに応えて激しいビートを連打する。

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 サッカー場ほどの広さのオープンエアの空間には、テーブルが点々と置かれ、それを囲むように点滅する電飾で照明された食べ物コーナーが設置されていた。食べ物コーナーの隅では、調理人や助手たちが忙しく料理の仕上げにかかっていた。右手に大きな風船でできた子供の遊技場があった。中央には円形の特設舞台があり、それを巨大な縦長のスピーカーが挟んでいた。その舞台には、花婿、花嫁用の屋根の着いた雛段スペースが設けられていた。その雛壇に、きらびやかな刺繍のある真っ赤なサリー姿の花嫁が、親戚の女たちに囲まれて待っていた。サリーの端を頭からかぶり、ずっと下を向いている。目鼻立ちのくっきりした線の細そうな花嫁だった。その花嫁のいるところへ花婿の集団が合流し、飲食会場の奥にある平らな屋根のある建物へ移動した。そこで結婚の儀式が行われるのだ。

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●バラモンの儀式

India04India04 花婿は花嫁側の両親とともにバラモンの祝福を受けた。ついで中央に設けられた火壇を、それぞれの衣装つないだ二人が時計回りに7回まわった。両サイドの親戚の女性のたちがそれを見守る。インドゥー、ビンドゥーなどスニールの姉たちも、その様子をじっと見つめた。男たちは、テーブルに固まり世間話をしていた。数百人という参加者は一点に集中するということがなく、てんでになんとなく物事が進行している感じだ。火壇の儀式を写真に取って一つのテーブルに行くと、スニールがいた。そのスニールに近づいてくる親戚たち一人一人を紹介されたが、とても覚えきれない。そのうち、儀式に参加していた人も会場全域に散らばり始めた。雛壇に並んで座る新郎新婦と記念写真をとったり、目当ての料理コーナーに人々が群がるなど、人々がざわざわと動く。豆電球に縁取られた大きな台に乗せられているのはすべてベジタリアン料理だ。飲み物はあったがどれもソフトドリンクだった。酒類は一切ない。

 スニールに尋ねた。

「どごが、タバゴ吸えるどこねえべが」

「タバゴが。んだなす。ついてきてけろ」

 彼は会場全体を仕切る布幕の裏側へ案内した。そこでは、数人の男たちがタバコと酒で談笑していた。見えないところにこういうコーナーもちゃんと用意されてあったのだ。スニールと一緒についてきたアロークが背広のポケットから急いでタバコを取り出して火を点けた。40代半ばに見えるアロークは、スニールの子供時代からの友人で、現在ナイニタールの銀行支店長だという。アロークがバーからウィスキーの水割りを持ってきてわたしに手渡しながらいった。

「ところでよ、スニールに聞いだけど、おめはヒンドゥスターニー音楽やってるって。すんげえなす。オレはよす、ナイニタールのお祭りを手伝ってるんだけど、おめさば呼ぶどなんぼかかるなやす」

「ギャラはいらねけど、日本がらの飛行機代かかっこでなす。10万くらいだ」

「んだがあ。10万があ。そんげに大金でもねえなす。おめば呼ぶよに頑張ってみっか。まあ、あんまり期待しねでけろなす」

 アロークはこういいつつ、ウィスキーをがぶっと飲んだ。丸いテーブルを囲んで酒を飲んでいたのは地元の人達だという。

 テーブルに戻って食べ物をとっていると、スニールの親戚たちが次から次へと挨拶にやってくる。シーラーが近づいてきて話し出した。

「ワダスはね、サンスクリット知ってぺ。デリー大学ですばらく教ぇでだなよす。ヒンドゥスターニー音楽も学生時代に習ったす。んだがらラーガ、ターラはある低度知ってこで。ここさいる人だつはほどんどししゃねげんどよす。今の学校でも、がぎべらに音楽も教えよかと思ってるなよす」 

 彼女は顔をぐっと近づけて一方的にしゃべる。

 インドゥーがやってきて、やはり顔をぐっと近づけていった。

●おれんちでナガガワさのコンサートすんべ

「おれんちでナガガワさのコンサートすんべ。23日はどうだべ。大丈夫だべが」

「ありがでなす。ワダスはデリーではなんにも仕事ねがら、大丈夫だす。んでも、タブラー奏者手配できだらもっといいけどなす」

「んだが。分がった。ちゃんと手配すっから。よす、これで決まりだべ」

 数百人という招待者たちはこんな風に離合集散を繰り返しつつ結婚パーティーが続くのでありました。円形舞台付近では、耳を聾する強烈な音量のディスコミュージックが響き渡り、若いリチャー、チャンドリカー、マドゥラー、ラーシーなどが体をくねらせて踊っていた。

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 スニールたちのカーストではほとんどが見合い結婚である。今回もその例外ではない。スニールは、

「恋愛結婚はねえな、ワダスらのマールワーリーでは。おれだつには、家と家の新いい繋がりが、商売の上でも大事なよす。だれも離婚したこどもねえすね。見合い結婚はうまぐ機能すてるっつうごどす。まあ、ただこれがらは分がんねげどなっす」

 といっていた。

 今回のような規模の大きい結婚式の費用は、まだまだ物価や人件費の安いインドの事情を考慮しても相当のものに違いない。粗末な衣服で額に汗して調理に励む数十人の男女、汚れた食器を片付ける制服の男たち、テープル、椅子、凝った装飾を施した料理台、風船式の大きな子供用遊戯場、1キロは越えるだろう会場仕切りの布幕、休みなく演奏し続けるお雇いミュージシャン、カメラをぶら下げて会場を泳ぐ記念写真家と照明助手、会場周囲を照らす豆電球の電飾、その準備にかけたエネルギー。ここでは、結婚式は単なる一対の男女の個人的祭事ではない。当事者家族の財力の誇示もあるだろうが、一族のものが一同に介して飲食を共にすることで結束を確認し合い、それぞれの家族のことやビジネス情報を交換する場としてどれほど重要なことかは、それにかかる費用をざっと推測しただけでも想像することができる。結婚しなくともいい、シングルマザーでもいい、などという風潮とはほとんど無縁に見える世界だ。

 11時に帰宅し、12時ころ就寝。『裸の猿』を読了。この本を読むと、みんなサルに見えてくる。

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