2004年12月24日 (金) -ムンバイへ移動

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India04
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 スニールがドアをノックした。時計を見ると5時だった。外はまだ真っ暗だ。しばらくするとみんなが起き出した。マータージー、シーラー、アルカー、スニールと一緒に居間でチャーイを飲んだ。そこへアムールとビンドゥーが加わった。いっぽうカンヌーは、われわれの談笑を聞きながらダイニングテーブルに書類を広げて真剣に睨んでいた。入学願書の記載漏れをチェックしていたのだ。願書は、IIT、MIT、CALTEC、ハーバードの順にきちんと並べられていた。

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 エア・インディアからスニールの携帯に電話があった。濃霧のためフライトが11時50分に変更されたとの連絡だった。しばらくしてタクシーの運転手が玄関に現れたのでみなに別れを告げた。  

●スニール宅を出てデリー空港へ

 トランクを下まで運んでくれたスニールとアルカーに見送られてタクシーに乗り込んだのは9時。願書提出のためにDPSへ行くカンヌーが同乗した。   

 スニールが、

「これ、タクシー代だ。また来てけろなす」

 といいつつ300ルピー(=750円)を押し付けた。まったく、スニールには最後の最後まで世話になりっぱなしだ。

 スニールは今日、アルカー、リチャーと一緒に電車でアフマダーバードへ行くという。アルカーの治療に効きそうな医者に会うためだ。マータージーは、彼らがアフマダーバードから帰ってからデリーで合流し、カトゥゴーダームに戻ることになっていた。

「カンヌー、日本さ帰ってがらもおめのために祈るがらなす。イート(IIT)、ミート(MIT)って。頑張れよ」

「はははは、んだなす。祈ってけろ。オズチャンもいい旅を」

 こんな会話の後、カンヌーをDPSで降ろした。彼女は脇目もふらず校門へ急いでいった。

 2005年4月、スニールからメールがきた。残念ながらカンヌーはIITに進むことができなかった。今は、IITに次いで難関であるビルラー・インスティテュート・オブ・テクノロジー・アンド・サイエンスで勉強しているという。

●デリー空港のオレガオレガワレサキ状況

 デリー空港には10時すぎに到着した。さっそくエア・インディアのカウンターに並んだ。カウンターの女性スタッフ二人が乗客を無視して立ち話をしていた。受付を待つ客はほとんどインド人だった。荷物を満載したカートと乗客がカウンターから放射状に広がっている。どれが列の最後尾なのか判然としない。新しい乗客は、列の秩序をまったく無視してわずかな隙間にカートを突っ込む。列は放射状からだんご状になっていった。真ん中へんに立っていたわたしは、3段積みになった巨大なトランクの角で後ろからがつんとやられた。振り向くと、背の高い青年がぐっと睨む。まるで前にいるのが悪いというような表情だ。こうした、インド的オレガオレガワレサキ状況は時間が経つにしたがいハゲシサを増し、カウンター周辺はほとんど身動きでなくなった。受付を待つこうした乗客たちの忍耐が切れかかった11時ころ、カウンターの女性が客に向かって申し述べた。

●ムンバイ行きフライト、濃霧で遅延

「ムンバイ行ぎのフライトは、午後6時に変更だす。市内に戻る人には往復のタクスー代1,000ルピー(=2,500円)渡す。こごに残る人には昼めす代どしで300ルピー(=750円)のゼニ渡すがらあ、とりにきてけろなす」

「ええっ、嘘だべえ。まいったなす」

 人々が口々にそういいつつカウンターに殺到した。

 出発ロビーには待ち合い用椅子もない。300ルピーもらったわたしは、出発ロビーからいったん外に出て、道路をはさんだ向かいの待合所へ行った。入り口で25ルピー(=62円)とられた。有料の待合所なのだ。椅子がずらっと並んだだだっ広い待合所には、椅子で寝ている若い西洋人カップル以外だれもいなかった。

 まだ自宅にいるはずのスニールと、ムンバイ空港に迎えにきてくれる予定のドゥルバ・ゴーシュに電話した。ドゥルバは、

「ははー、スワーミージー。よぐあることだがらすかだねっす。7時半に迎えに行ぐがらなす」

 と能天気に答えた。

 待合所の角の売店で買ったまずいピザとチャーイで50ルピー(=125円)消費しつつ、日記を書いて時間を潰した。

 3時半に再びチェックイン・カウンターへ行った。すでに先客で込み合っていた。なんとなくできた列に並んでいると、後から来た男が平然と割り込んで列が二つになった。しかし、だれも文句をいわない。

●ボーディングパス紛失

 ようやくチェックインし、搭乗待合室へ行った。免税店をぶらぶらしているうちにボーディングのアナウンスが聞こえた。搭乗者列に並んでポケットに入っているはずのボーディングパスを探したが、ない。まずい。これがないと搭乗できない。どこかに落としたのかも知れない。探しに行こうと列を離れたとき、制服を着た係員が近づいてきた。

「おめさの名前はナガガワだべが。ひょっとすてボーディングパスば落どすてねえべが」

「ナガガワだっす。んだす。どうもねえみでだす」

「んだべ。あそごさ立ってる男がらもらってきてけろ」

 彼はセキュリティー・チェックをしていた男を指した。

「ナガガワが。ほれ、おめのボーディングパスだ。なくしたら大変だべ」

 といいつつその男がパスを渡してくれたのでほっとした。普段はこんなことはめったにない。昨夜の下痢と睡眠不足で集中力が欠けているせいだ。

 セキュリティー・チェックの列に戻った。後ろにいた表情のない若い男がわたしとの距離どんどんつめて体を押しつけてくる。密着するので背中が生暖かい。

「おめよ、ちょっと離れろずう。座席は決まってんだがら、あしぇっこどねえごで」

 振り返って英語とヒンディー語で訴えたが無表情に見返すだけだった。特殊工作員だったのかも知れない。

 濃霧が続いていたせいか、搭乗してもなかなか離陸しなかった。機内で1時間半待たされ、7時半に離陸した。

●ムンバイ空港に着陸

 ムンバイ空港に着陸したのは9時半だった。ただちドゥルバに電話した。

「到着時間が分がんねがらよす、空港へは行がなかった。サンギータ・マハーバーラティーで待ってから、プリペイド・タクスーで来てけろ。ロザリンはきんなの晩着いでおめば待ってる」

 機内預け荷物を待った。便名の書かれたコンベアーに人が群がって荷物を待つが、いっこうに出てこない。そのうち、隣のコンベアーが動き出して荷物を吐き出した。

「こっちみでだ」

 だれかがこういうと人がぞろぞろ移動した。変更のアナウンスもなにもない。群がった人たちがコンベアーぎりぎりまでカートを突っ込む。早めに出てきた荷物回収の邪魔になることなどおかまいなしだ。インド的オレガオレガワレサキ原則はここでも厳然と守られるのであった。そのうち、さらに隣のコンベアーが動き始めた。そこからもわれわれの荷物が出てきた。まったくいったいどうなっているんだろう。そのころには頭が朦朧としていて憤慨する気力もなかった。

 6年ぶりのムンバイは、デリーよりも蒸し暑く空気がねっとりしていた。空港の建物もタクシー乗り場も周辺の匂いも懐かしい。ただ、睡眠不足で正しく頭が働かず、ムンバイに着いたという感慨が沸かない。

●ドゥルバとロザリンに再会

 185ルピー(=462円)のプリペイド・タクシーでサンギータ・マハーバーラティーまで行った。場所は、有名な映画俳優アミターブ・バッチャンの自宅向かいなので分かりやすい。門の前でドゥルバとロザリンが待っていた。東京のコンサート以来4年ぶりに会うドゥルバも、ほぼ10年ぶりのロザリンも、以前よりもかなり体重を増してまん丸くなっていた。

 本来二人乗りの座席にヘビー級の二人とわたしが乗り込んだ重量オーバーのオートリキシャは、喘ぎつつワルソーワーの船着き場に到着した。乾燥した魚の強烈な匂いのする船着き場だった。泥道を歩いて列に並んだ。平底の小さな船がちょうど対岸から着いた。大量の人間と自転車が、ふわふわと撓む危なっかしい道板を渡って降りてくる。降りきらないうちに乗ろうとするものがいて口論が起きる。

 人と自転車をぎっしりと乗せた船が動き出した。満員電車なみの混みようだ。木製の粗末な甲板の端から突き出た数本の細い鉄柱がビニールの屋根を支えている。進行方向正面の小高い丘にライトアップされたビルが見えた。鋭角の屋根が夜空にふわっと浮かび、まるでお城のようだ。

「まさが、あそごさえぐんではねえべ」

 わたしが冗談まじりにドゥルバにいうと、

「あさごさえぐなだ。おれだの新すい家だす」

 船は数分で対岸に着岸した。コンクリート製の桟橋なのでみなスムースに下船する。こちらの船着き場は二三軒の小さな建物がまばらにあるだけの閑散とした場所だった。見上げると星が夜空いっぱいに広がっている。

●堂々とした白亜の建物

 わたし。のトランクを持ったドゥルバは、道ばたに停めてあったごついRVに近づき、

「オレの車だ。家までは歩いでも行けんなだけんどね。乗ってけろ」

 とドアを開けた。彼は、船から見えたお城のような建物のある区域に車を進めた。高い金網で囲まれた敷地は相当広い。別荘地として開発されたこの区画全体の名前は、カサ・マルベッラ。名前も建物のデザインもスペイン風だ。

 ほどなく彼らの新しい家が見えてきた。堂々とした白亜の建物だった。ライトアップされた2階の半円出窓の上に「No.5 VILLA CADIZ」と書かれている。まさに別荘だった。透明ガラスの縁取りのある玄関扉を入った。1階は、高い吹きぬけの居間、コンピュータのある事務室、広いキッチン、トイレが2個所あり床はすべて白い大理石だった。螺旋状の大理石階段を上がると、娘サマエが来たときに泊まるという寝室と彼らの寝室。それぞれの寝室にはもちろんバストイレがあった。「豪邸」と呼んでもいい贅沢な空間だった。これからはゴーシュ御殿と呼ぶことにする。

「今日がらはスワーミーの部屋だす」

 こういってドゥルバは、サマエの部屋にわたしを案内した。20畳ほどありそうだ。ぴかぴかの白い大理石の床にキングサイズのマットレスが敷いてあった。意識朦朧状態のわたしはどさっとマットレスに沈没した。

「今日はよ、クリスマスイブだがら、こごの住民だづが夜通しのパーティーしてんなよ。オレだも顔出さねえどんまぐねがら行ってくる。スワーミーは寝てでけろなす」

「そうする」と返事をしたわたしはそのままダウン。時計を見ると午前1時半だった。

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