2004年12月26日 (日) -TSUNAMI発生ニュース

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 7時半起床。今日はムンバイ中心部マートゥンガー・ロードでアニーシュの主催する講演会に行くことにしていた。講演会は10時半からなので9時には家を出る必要がある、とドゥルバがいっていたので早起きしたのだが、肝心のドゥルバはいっこうに起きてくる気配がない。日記を書き、1時間ほど新しい笛の指ならしをした。昨晩食べ過ぎたので食欲はあまりない。バナナを1本だけ食べた。

 9時半ころ、ドゥルバと家を出た。フェリー、オートリキシャを乗り継ぎアンデーリー駅まで行った。アンデーリー駅は、市中心部と郊外を結ぶ電車の主要駅だ。ゴーシュ御殿から最も近いのはヴィレー・パールレー駅だが、急行が停まるというのでアンデーリー駅まで行った。マートゥンガー・ロード駅までの乗車券はたったの5ルピー(=13円)。信じられないほど安い。

ムンバイのバッテラ通勤電車

 ホームに滑り込んできたチャーチ・ゲート駅行き急行電車は、日曜日だというのにものすごい混みようだった。ごつごつした分厚い鉄板の箱に縦の鉄格子のある小さな窓が横一列に並び、下が焦げ茶、窓から上が黄色にペイントされた車体は、わたしが最初にムンバイに来た87年のときと同じだ。常に開け放たれた出入り口の中央にステンレスの丸い支柱が1本立っている。出入り口周辺の乗客は、電車から振り落とされないようにその1本のステンレスの支柱につかまっていた。スピードを緩めた電車が停車する前に出入り口から乗客がバラバラとこぼれ落ちた。完全に停車するとホームで待っていた人々が、密集した乗客の固まりに突っ込んでいく。降りようとする客は、ここで油断すると乗り込んでくる乗客の圧力に負けてしまう。客は降りようとする一つ前の駅で出入り口付近まで移動し、怪我しない程度の速度に減速したとたんホームに飛び降りるのだ。人々が電車からホームにこぼれ落ちるように見えるのはそのせいだ。アンデーリー駅の上り線は、降りる人よりも乗る人が常に多いので車内の人口密度は限界に近くなる。人を飯粒に例えればほとんどバッテラ状況だ。

 ちょうど入ってきた電車は完全バッテラ状況だった。わたしとドゥルバは乗車をあきらめ、次の電車を待った。ほどなく次の電車が滑り込んできた。状況はほとんど同じだった。仕方がないので出入り口に密集する人々のわずかな隙間に身を突っ込んだ。片足でも自分の立地点を確保すればしめたものだ。後ろからの圧力に身を任せていればどんどん車内に押し込まれる。四方からの猛烈な圧力で体は安定するので、ちょっとぬるっとする鉄の吊り輪に掴まる必要もない。

 それにしてもなんという混みようだ。通勤ラッシュでもない日曜日の午前10時だというのに、なぜこれほどの人が電車で移動するのか。修業時代はこれほどではなかった。

 絶対人口が増えたのか。多分そうだろう。現在のムンバイの人口は、1,500万から1,600万と推定されている。そのうちの6割がスラム住民ということだ。81年のある統計では770万とあるから、20数年で倍増したことになる。人口の流入はますます増えると予想されている。ムンバイ市自体のバッテラ化。このような猛烈な人口増加のスピードは、道路や鉄道などの交通インフラの整備スピードをはるかに越えているようだ。

 ドゥルバによれば、電車が常に混雑するのは、道路状況が劣悪なので車よりも電車を使う人が増えたからだという。

「車の増加ど道路の整備がおっつかねのよす。ソ連がら習った社会主義的制度がガンだなす。少すずづ改善すてるみでだげど。入り組んだ土地所有のせいで路線拡張はでぎねえす、仮に拡張計画の予算がついでもみんな役人が私物化するすよ。賄賂だらけよ。絶望的だっす」

 ハリジーのレッスンを受けるのにかつては電車で通っていたが、電車が常にこんな感じだと通うのも憂鬱になる。可能ならハリジーのアーシュラムに泊めてもらうか、近くに住むことを考えた方がよさそうだ。

●ラーナデー博士の講演会

India04 講演会場に着いたのは11時半だった。ラーナデー博士の講演が既に始まっていた。

 ラーナデー博士は有名な音楽学者で、96年ムンバイで3日間に渡って開かれた「インド音楽と西洋」セミナーでの鋭い批評が印象に残っている。直接話したことはないが、彼の著書を何冊か読んだことがあるので親近感があった。大きな近眼眼鏡、側頭部の短い白髪がかろうじて残る横顔は精悍な印象だ。India04

 学校の体育館らしい会場は、数百人ほどの聴衆で埋まっていた。入り口付近で、ますます球形化してきたシュバー・ムドゥガルがわれわれを迎えてくれた。有名な声楽家であるシュバーは、アニーシュの妻でもある。彼女と会うのは98年のAFOデリー公演以来だった。

「アニーシュは最前列さいるがら前の方さ行ってけろ」

 シュバーがこういった。後ろにいるというドゥルバから離れたわたしは一段高い舞台の隅に座った。比較的年配者の多い聴衆を一望に見渡せる位置だ。講演者が真横に見える。最前列に座っていたアニーシュと眼が会った。彼は手を振って頷いた。India04

 講演内容は、20世紀前半にムンバイを中心に活躍した伝説的女性声楽家、ケーシャルバーイー・ケールカル(1890-1977)の人と音楽ついてだった。グルであるアラーディヤー・カーンとの出会いとその猛烈な訓練、同僚音楽家の嫉妬、声楽技術の天才性などなどが紹介され、なかなかに面白い講演だった。講演は流暢な英語が主だったが、ときどきマラーティー語も入るので理解できない部分もあった。聴衆からの質問の後、ケールカルの古い録音が流された。

 わすがな歪みはあるものの録音は比較的明瞭だ。アニーシュのアナウンスで紹介された曲は、ラーガ・カンバーワティー、ラーガ・ガウリー、ラーガ・カーフィー・カーンナラー、ラーガ・カーフィー、ラーガ・バイラヴィー。彼女の歌唱は速くて正確だが、わたしには機械的で潤いが少ないように感じた。当時の録音の状況もあるのだろう。彼女が録音した当時は、SPレコードの時代だ。当時は短い時間に表現のすべてを盛り込まなければならなかったのだ。それぞれのラーガの絶妙な表現に人々はときおり歓声を上げた。この録音は、実はアニーシュが最近立ち上げたレコード会社Under Score Recordsから復刻版CDとして出版されたものだった。

●アニーシュと再会

 終了後、壇上にやってきたアニーシュと抱き合った。アニーシュとは日本にいるときも頻繁にメールのやりとりをしていたが、実際に会うのは前年(2003年)6月のAFOアジア・ツアー以来だった。

「記念撮影すっから、おめも並んでけろ」

 アニーシュがこういったので、ムンバイの音楽界のお歴々と一緒に記念撮影した。音楽関係者との社交に忙しかったドゥルバも撮影に加わった。

 撮影が終わると、

「おれのカアチャンだっす」

 と小柄な品の良い母親を紹介した。

「あらら、いっつも話聞いでいだっす。おめがヒロスさんだが。一度、お茶飲みに家さ来ておごやいなす」

 母親は小さなよく通る声でこういった。

 アニーシュとシュバーは今日の主催者なので、終わっても忙しそうだった。彼らと別れたわれわれは、途中から参加したドゥルバの生徒パテールとともに会場を後にした。

●ゴーシュ御殿帰還

 帰りの電車はそれほど混んでいなかった。来るときと同じコースをとってカサ・マルベッラのゴーシュ御殿に戻った。

 2時ころ遅めの昼食。魚カレーとご飯だった。典型的なベンガル風魚カレーだ。小骨の多い魚だったがとてもおいしかった。いつになく大量に食べた。にわかに睡魔が襲ってきた。

 6時くらいまで昼寝。

 奇妙な夢を見た。AFOが日本国内をツアーしている。四国のどこかで公演の後、移動のため飛行場へ行った。あまりに疲れていたので、スーツケースなどの荷物を横に置いて待合所で寝てしまった。気がついたらだれもいない。次の目的地をスケジュールで見ると姫路になっている。そこでテレビの収録予定だった。どうなるだろうと思いつつ、ふとテレビを見ると、クルター・パージャーマー姿のわたしが画面の中で踊っている。生放送のはずだからなんとも奇妙だ。さてどうしたものかと思案していると、背後から配偶者が現れた。この奇妙な夢にはどんな意味があるのだろうか。

 ビールを飲みつつドゥルバ、ロザリンとおしゃべり。インドの建築工事、職人の質などが話題になった。豪華に見えるこの家だが、水まわり関係に問題が多い。わたしが寝ている部屋のバスタブは水漏れがあって使えなくなりタブごと取り外した。窓枠からも漏水し壁を汚す。

「パイプの接続なんかが実にいい加減だす。設計はまあまあだげんど、職人の質が問題だす。教育も関係すてんべなす。ほら、隣で高僧アパート、建築すてっぺ。あそごの外壁工事見でっと、こわいなす。あげな丸太足場で左官工事すてっけど、危険だべな。現に職人が一人よ、落ずて死んだみでだよ」

 使用人や建物の維持管理と、インドで家を持つというのはなかなかに苦労が多そうだ。

 ドゥルバとラーガ・デーシュを練習した。出前の夕食が届いたところで中断。

 届いたのはチリチキンと焼きそばだった。どうもここでは夕食はすべて出前にしているようだ。朝食やランチは使用人の女性が作っている。自分たちで料理はしないという方針のようだ。食べ始めたのは11時をまわっていた。これがドゥルバたちの生活リズムなんだろう。ドゥルバの体型もこのような食生活の結果なのかも知れない。居候としては拒みにくいとはいえ、彼らのリズムに合わせるのはなかなかにつらい。

●史上最大規模地震発生報道

 「ニュースでも見でみっか」

 食事を終えた後、こういってドゥルバがテレビのスイッチを入れた。BBCの女性アナウンサーが深刻な表情でニュースを読み上げていた。

 マレーシア、スマトラ、アンダマン海で史上最大規模の地震が発生したようだ。インドでもチェンナイ、ポンディシェリーで多くの死者が出た。また、タイのプーケット島、スリランカなどでも津波による大きな被害が出ているという。アナウンサーが「Tsunami」と何度もいっていた。「津波」が英語になっていることを初めて知った。

 12時30分就寝。

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