2004年12月27日 (月) -ハリジーの伴奏
日記もくじ 前の日◀ ▶次の日7時半起床。キッチンへ行きコーヒーを作って飲んだ。ドゥルバとロザリンはまだ寝ていた。
9時半にハリジーの携帯に電話を入れた。コルカタから彼に電話したとき、この日のこの時間に電話するようにいわれていたのだ。
「おお、ヒロシか。ボンベイさ来たんだな。ちょうどいいタイミングで電話けっちゃな。さっきオランダがら帰ってきたなよ。1時間前だ」
いつもの元気な声ではなく、かすれ気味のよれよれ声だった。
「くだびっちぇだどき電話すて悪がったなす。んで、レッスンどがワダスの泊まるどごどが相談すたえんだげんど、どうすたらええべが。今がらそっちさ行っていいべが」
「もうくたくただがら、今がら寝っこでえ。今晩、オレのコンサートがあっけんど、おめも一緒に演奏すっか。楽器ばもってこいな。レッスンは明日の11時からだがらグルクルさ来い」
グルクルというのは、ブリンダーヴァン・グルクルのことだ。長年来、ハリジーが準備してきたバーンスリー道場である。
「んだがす。コンサートはどごであんなだべがす」
「オレもまだ分かんねなよ。ルーパクにでも聞いでみろ」
ルーパクとは、ハリジーの一番弟子、ルーパク・クルカルニーのことだ。さっそくルーパクの携帯に電話してみたが、つながらなかった。そこでルーパクの兄、ラーガヴェーンドラ(以下ラグー)に聞いてみた。
「おお、ヒロスが。久すぶりだなっす。いづムンバイさ来たなや。なに、ハリジーの今晩のコンサート会場って。今晩あんながす。コンサートのごども知しゃねがった。明日でも家さ来てけろ。昔よルーパクらが住んでだ部屋あっぺした。あそごはよ、今、オレの事務所にしてんなよす。そごに1部屋余ってっから、そごさずっと泊まれっこで。カアチャンも家族もみな元気だ。みな待ってっから来いな」
会場の場所を聞こうと思ったのに、ラグーの招待を受けてしまった。日本にいるときから、彼にムンバイの滞在先をメールで相談していた。それを忘れていなかったのだ。ありがたいことだ。
ルーパクに再び呼び出すとつながった。相変わらずジョーグまじりの早口英語が聞き取りにくい。
「おおー、ヒロスが。・・・・今日の会場はよ、ヴィレー・パールレーにあるパールレー・ティーラク・ヴィディヤーラヤっつう学校のグランドだっす。6時から10時まで。カタックのビルジュー・マハーラージの主催みでだな。どの辺かっつうど、んー、そごさだれがいっか。なに、ドゥルバ。説明すっからちょこっと代わってけろ」
さっき起き出してわたしの横でチャーイを飲んでいたドゥルバに電話を渡した。ドゥルバは、
「ふんふん。んだ。ふん、んだんだ。分がった。オレも行ぐがら。おしょしな」
と電話を切り、
「場所は分がった。問題ねえ。一緒に行ぐべ」
といいつつ親指を立てた。
配偶者にも電話してみた。山形の母親が地震のニュースで心配しているというので電話した。
「大丈夫だったがあ。いぇがったごどお。テレビ見でだら心配で心配でよ。今があ、雪降ってこでえ。元気でな」
Tシャツ1枚でも汗が出るほどのムンバイにいて、雪の積もる山形にいる人とこんな風に話ができるというのは、なんとも驚きである。まるで隣にいるように母親の声が明瞭に聞こえてきた。
宅配のタイムズ・オブ・インディア紙を見ると、スマトラ沖地震のよる死者は1万人を越えたと報じられていた。とくにスリランカやタイに甚大な被害が出ているらしい。Tsunamiのメカニズム、などという解説もカラー図解入りで掲載されていた。わたしがインドにいるときに大地震が起きたのはこれで2回目だ。1回目は、95年にコルカタにいるときに起きた阪神淡路大地震。なにか因果関係があるのだろうか。
ドゥルバとロザリンは、使用人のプラガティーを医者に診せるためヴィレー・パールレーへ出かけていった。
今日はコンサート以外やることがない。二人が外出している間、古くからゴーシュ家で働く初老の使用人パーンドゥーの調理したダールとキャベツの煮つけの昼食を一人で食べた後、昼寝。半島突端の小高い場所に位置するゴーシュ御殿エリアは、街の喧噪とは無縁で実に静かで平和な別世界だ。
部屋でまどろんでいると、ドゥルバから電話が入った。
「はーい、スワーミージー。4時ころには戻れるみでだがら、待ってでけろな。今、病院なんよ。体調悪い悪いっていってだプラガティーがよ、妊娠してだなよす。4ヶ月だど。そすたらな」
彼らは4時半に戻ってきた。
コンサートは6時開演なので5時すぎには出かけなければ間に合わない。ところが、ドゥルバはほうぼうに電話をかけたりしてなかなか動き出さない。結局、家を出たのは6時前だった。
わたしも舞台に座ることになっているので内心はかなり焦っていたが、ドゥルバは悠然と構えている。
「なあに、時間通りに始まるごどはねえべ。聴衆は絶対に遅れでくっから、大丈夫だ。それにハリジーの演奏は後半部のはずだがら」
昨日の講演会のときも彼はなんとなくぐずぐずして結局遅れてしまったが、この時間感覚にはなかなかついていけない。
フェリー降り場でオートリキシャに乗り継いだ。夕方のラッシュで渋滞していた。車中、ドゥルバは確認のためルーパクに電話した。ルーパクの返事を聞いてさすがのドゥルバも真顔になった。
「ハリジーの演奏は前半だど。もう舞台で準備してるみでだ。いやあ、まいったなあ。間に合わねがもすんねな」
ヴィレー・パールレー駅に着いたのが6時半。駅からすぐといっていたが、会場を探すのに手間取った。人に尋ねるとそれぞれ逆の方角を示すのでなかなかたどり着けない。舞台には間に合わないとあきらめかけたころ、なんとか会場に着いた。
パールレー・ティーラク・ヴィディヤーラヤの中庭はぎっしりと人で埋まっていた。1000人以上はいたかも知れない。ひときわ明るい舞台を見上げると、ハリジーや伴奏者が舞台で準備中だった。
「スワーミー、まだ始まっていねえみでだ。わらわら舞台さ走れ」
とドゥルバに背中を押された。ジーンズ姿のまま舞台に駆け上がり、ハリジーに挨拶した。舞台の床から20センチほど高い平台の端にちょこんと座っていたハリジーは、わたしを見ると頷き、顎で後ろを示し
「わらわら準備すろ」
といった。
急いで楽器を取り出した。音響スタッフがばたばたとやってきてマイクを準備した。高い舞台から会場を見下ろすと、聴衆が演奏開始をじっと待っているのが見えた。
マイクに向かって笛を吹いた。ところが取り出した笛はタンブーラーの音と合わない。ハリジーが後ろを振り返り、じろっとわたしを見た。別の笛をあわてて取り出してもう一度吹いた。デリーで今回新しく買った笛だった。今度はぴったりだ。
ようやく落ち着いて舞台を見回す。ハリジーは、布団の敷かれた平台の最前面の端を椅子代わり座っていた。平台の中央で胡座をかいて座るのが正しい演奏姿勢なのだ。胡座の姿勢がとれないということなのだろう。ちょっと薄くなってきた灰色の髪、垂れ下がった頬、疲れきった表情から、ああこの人も年とったなあと実感した。彼は66歳になる。疲れて見えるのも無理はない。今朝ヨーロッパから着いたばかりなのだ。
わたしの右前にタブラー奏者がいた。初めて見る顔だ。年齢は30代後半か40歳前半。真ん中でふっくらと分けた長くて濃いもじゃもじゃ黒髪は肩まで伸び、口のまわりの髭も全部つながっている。柔和な中にもふてぶてしさを感じる表情だ。インド人タブラー奏者はおおむねふてぶてしい顔をしている。
左に座ってタンブーラーを弾いていたのはギーターだった。ハリジーの自宅やコンサート会場で何度も会っている女性だ。大柄の丸い体を糊の利いた派手なサリーで包んでいた。濃い化粧の額の真ん中には大きな赤いビンディー。彼女は、演奏者でも、主催者でも、スポンサーでもないのに、たいていハリジーの側にいるなんとなく謎めいた女性だ。彼女の向こうにもう一人女性タンブーラー奏者がいたが、ギータに遮られてよく見えない。さらに向こうに、きれいに髭を整えた30代前半らしい痩身の男がバーンスリーを構えていた。彼も初めて見る顔だった。その彼の前に座っていたのは容貌魁偉のパカーワジ奏者。彼も初めて見る顔だ。ハリジーの舞台にこんな風に座るのは10年ぶりくらいなので、伴奏者の顔ぶれも代わって当然だろう。
わたしのマイク調整が終わったとたん、舞台袖の女性司会者がアナウンスを始めた。
それを聞きつつ隣のギーターに小声で聞いた。
「何のラーガすんなや」
彼女は口に手をよせて応える。
「分がんねげんど、多分、サンディヤ・シュリーでねえべが。さっきの音出すではそうだったす」
困った。聞いたことはあるが一度も練習したことがないハリジーのオリジナル・ラーガだ。
豪華なサリーを着た美人女性司会者は、ハリジーがいかに偉大な音楽家であるかなどと長々と話した後、伴奏者の名前を紹介した。タブラー奏者はビジャイ・ガーテー、パカーワジ奏者はバワーニー・シャンカルという名前だった。わたし以外のバーンスリー伴奏者(たしかプネー在住といっていた)とタンブーラー奏者の名前はすぐ忘れてしまった。わたしの名前も紹介された。
「東京からヒロシ・ナカガワ」
ハリジーは未だに日本といえば東京と思いこんでいるようだ。
女性司会者の後を受けて、ハリジーが短い挨拶と曲目を紹介した。ラーガはヤマンだった。わたしが加わったのでラーガを代えたのかも知れない。ヤマンは慣れたラーガなのでちょっと安心した。
演奏はまずアーラープ、ジョール、ジャーラー。時間の関係なのか、どれもかなり短めの展開だ。ほんの2分ほどだったが、わたしだけの出番もあった。一定のテンポのあるジョール、ジャーラーのときパカーワジが加わったのには驚いた。新しい試みなのだろう。ただ、パカーワジの音量が大きく、音質も粗野なのが気になった。速いテンポになってくると、バーンスリーの伴奏は難しくなる。ついで、マッタ・タール、ティーン・タールのガット。初めて聞くガットなので、ハリジーに追いかけていくことすらおぼつかない。わたしは途中で笛を膝の上に置き、聴くだけに専念した。ハリジーは、ガットでは素早いずらしや複雑なティハーイーを多用しぐいぐいと聴衆を惹き付けていった。切れ目のないスリル感は相変わらず迫力があった。
客席を見下ろすと、ハリジーの奥さんのアンヌージーや、妻らしい若い女性と一緒に座る甥のラーケーシュが最前列に座っているのが見えた。
1時間ほどでヤマンが終わった。ハリジーは、もういいよな、という感じで主催者サイドを見た。客席からは、ヴァーチャスパティだあ、バイラヴィーだあ、パハーリーだあ、と声がかかった。ヴァーチャスパティをやってくれといういしぶとい声にハリジーは応えた。
「悪いけど、それを演奏する時間帯ではねえなよす、早ぐ帰んねえどカアチャンにごしゃがれるごで」
と冗談でかわした後、民謡のパハーリーを演奏した。
舞台で楽器を片付けていると、ハリジーがやってきて抱擁してくれた。
「ヒロシ、まあず久すぶりだったごでね。元気だべ。楽屋さ行ぐがらついてこい」
舞台袖にはハリジーに声をかけたい聴衆が密集していた。肩を叩かれふと後ろを見ると、ルーパクが
「コンバンワ、ワタシハルーパクデス」
といって抱きついてきた。ラーケーシュとも握手した。しばらくぶりで会う二人は貫禄十分のオーラを発していた。われわれは聴衆をかき分けながら控え室に入った。可動格子の鉄扉にガードマンが張り付く控え室の入り口で、少女たちが待ち構えサインをねだっていた。わたしも何人かにサインをせがまれてしまった。
ルーパク、ワダス、ラーケーシュ夫妻 鉄扉の向こうに日本人女性が見えたのでガードマンにいって中に入ってもらった。彼女がトモコだった。瓜実顔の小柄な女性だった。30代の半ばくらいだろうか。
「中川さん、舞台にいはったんでびっくりしましたわ。近々ムンバイに来はるってグルジーに聞いてたんやけど。あっ、わたし、トモコです」
「あれ、どこかでお会いしましたか」
「中川さんは覚えてはらへんかもしらんけど、大阪で領事館主催のコンサートあったでしょう。あんとき聞きにいったんです」
「あそうでしたか。あ、そうそう、これ、アヤミからあなたに渡してほしいと預かったんですが」「あーあー、そやった。彼女、部屋代わりたいいうてはってん。それと、ハリジーにも、ヒロシの部屋も探すよういわはったんですけど、どないしよう。今、どこにいてはるん」
「ドゥルバの家です」
わたしはこういって隣に来ていたドゥルバを彼女に紹介した。
ハリジーは控え室でテレビのインタビューを受けていてなかなか終わりそうになかったので、ドゥルバと帰ることにした。ハリジーとルーパク、ラーケーシュに挨拶して会場を離れた。
舞台では次のプログラムの準備中だった。ビルジュー・マハーラージのカタック舞踊ということだったが、ドゥルバとわたしはそれを見ずに会場を離れた。
10時すぎに帰宅。ドゥルバは例によって出前の夕食をとった。昨日と同じ、チリ・チキンと焼きそば。食後、ドゥルバが作曲中だという歌を演奏した。わたしもそれにバーンスリーで参加。ラーガ・ジンジョーティーをベースにしたロマンチックな曲だった。二人の演奏を聞いていたロザリンが、
「ベルギーでヒロスもまじぇでレコード作れるみでだな。考えでみんべ、パンディット・ジー」
パンディットジーと呼ばれたドゥルバも
「んだな。いいアイデアだなす」
と応えた。その後、わたしが冗談半分でラーガ・チャンドラカウンスのアーラープを、笛ではなく声で歌った。二人はそれをじっと聞き入っている。おいおい、冗談だってばあ。
しかしドゥルバは真面目な顔で、
「スワーミージー、声楽もやってみだらええんでねえが」
と冷やかした。この日は、無事、ハリジーの伴奏もまあまあうまくできたし、なかなかに充実した一日だった。
寝る前に聞いたドゥルバの話が面白かった。彼が一時停止をしないで左折すると、そこに警官が立っていた。警官は車を止めるように指示した。その道路で一時停止をしなかかったために停められる車はほとんどいない。彼の前を走っていたオートリキシャーもタクシーも普通の車も停められなかった。路肩に寄せたドゥルバにその警官が近寄ってきた。
「こごは一時停止だべ。免許証見せろ」
「でも、前の車もみんなそのまま走ってたがらいいど思ったんだけど」
「がだがだいわねで免許証出せず」
ドゥルバは仕方なく免許証を差し出した。警官は免許証を長々と見ていっこうに返してくれない。時間がなかったドゥルバは、財布から100ルピー(250円)を取り警官に差し出していった。
「約束の時間があって急いでるなよす。これで勘弁してけろ」
金を受け取った警官は紙幣をじっと見て、
「えっ、こんなに」
といいつつポケットから50ルピー札を取り出し、免許証と一緒に差し出した。この「えっ、こんなに」というところが大笑いだった。
1時半就寝。