2005年1月5日 (水) -引っ越し

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 7時半起床。今日はこのゴーシュ御殿を閉める日なのでドゥルバとロザリンは忙しいはずなのに、わたしが練習をしたり日記を書いている間、家の隣のプールやジャグジー風呂に入ってリラックスしていた。India05

 11時ころ、プラガティーがコリアンダーのチャツネとトマトのサンドイッチ作ったのでみんなでブランチ。食事中、二人は御殿退出後の管理や使用人の扱いなどを議論していた。二人が薦めるのでわたしもプールでひと泳ぎした後、練習した。

 そうこうしているうちに2時半にランチ。魚カレー2種とほうれん草のサブジーだった。フライした魚の味がなかなかによかった。ランチ後、荷造りをしてちょっと昼寝。India05

 ロザリンのフライトは深夜の2時45分だという。最初は空港へ見送りに行こうと思っていたが、「スワーミー、真夜中だがら見送りはえごでえ。気の毒だべ。それによ、フライト時間はちょくちょく変っからな」

 と二人がいうので、彼らの言葉にしたがった。

●モナミ・アパートへ

 4時、二人と別れ御殿を後にした。スーツケースは後でドゥルバが車で運んでくれるという。リュックと楽器を持ってパーンドゥーと一緒にジュフのモナミ・アパートへ向かった。

 ジュフのアパートは寝室が基本的には1つしかなく、わたしが寝るのはレッスンに使っている居間だった。楽器などが並んでいるので、モノを置くスペースがない。御殿とは比べ物にならないが、当分の滞在には十分だ。ドゥルバの好意に感謝した。

 パーンドゥーはキッチンまわりを整理した後、「サンギート・マハーバーラティーさ行ぐ」といって出かけたので、わたしは一人残された。

●日本食パーティー

 7時前に、日本食パーティーをするといっていたトモコのアパートへ向かった。まだ位置関係を正確に把握していなかったので、オートリキシャを拾った。あっという間に着いた。モナミ・アパートからトモコのアパートまでは歩いても数分だった。

India05 トモコのアパートには先客がいた。きれいなスキンヘッドに髭、真っ赤なTシャツを着たブレット青年と、ブロンドの長い髪をした大柄な女性、タリーだった。二人はオーストラリアのケアンズ出身で、ほぼ夫婦のような関係だと紹介した。ケアンズといえばカジキマグロを釣るところで有名なんでしょうというと、ブレットは笑って答えた。

「カジキマグロ釣りは、ありゃあスポーツだっす。釣り上げでもだれも食わねなよ。もともとアメリカの俳優リー・マーヴィンが始めたんだ。それですっかり有名になったみでだ」

 ブレットは、元オーストラリアBMWのセールスマネージャーだった。インドには休暇で来た。ヨーガを習ったり音楽を聴いて過ごしているという。先祖はドイツ系。今回は、ガンガーの源流のゴームクまで行った。リシケーシュでバイクを買いここまで2週間かけて走って来たという。

「インドにくる直前はスリランカさいだんだけど、こっちさ来るのが2日遅れでだら大変だったっす。南の海岸沿いさ2週間ほどいだのよす。あのどきまだあそごさいだ知り合いはどなったんだべなあ。ニュースだど、オレのいだどこは全滅だったのよす」

 ブレットはスマトラ沖大地震後のインド洋津波をかろうじてかわしてムンバイに着いたのだ。

「オレもよ、そごさ行ぐがなあと思ったげんど、行がねくてえがった」

 ベッドに座っていたタリーが補足した。

 タリーは、SMBでタブラーを習っている。習い始めて3年ほどになる。以前はSMBの最上階に寝泊まりしていたが、ブレットが来たので近所のアパートを借りて住んでいる。SMBはもともと2階建てだったが最近になって1階分を建て増しし、そこを生徒たちの宿舎にしているとのこと。3人1部屋で宿泊料が一人1日600ルピー(=1500円)というから安くはない。

India05 トモコは、醤油とシソであえたきゅうり、大根葉とトマトのサラダ、干し椎茸炊き込みご飯のり巻きを作っていた。

「味、どない?不味がったらどないしょ思て心配やったんやけど」

と彼女がおそるおそるわれわれに聞いたが、どれもおいしかった。作るのに時間がかかったに違いない。

 アヤミも後から合流することになっていた。そこで、アヤミはのり巻きを何個食べるか、という賭けをした。タリーが12個、ブレットが8、山本が11、わたしが10個と賭けた。掛け金は10ルピー。

 しばらくしてアヤミがやってきた。彼女はみなが見守る中、猛烈に食べ始めた。

「なして見るなやす。しょすいがら止めでけろ」

という彼女の訴えを無視してわれわれは摂食個数を勘定した。アヤミは、皿に盛ってあった16個の乗り巻きをすべて食べてしまった。最も多い数を予測したタリーが賭け金を総取りした。India05

 ザキール・フセインの主催する津波被害者救済コンサートの話になった。7日に開かれるオールナイトコンサートで、ヒンドゥスターニー音楽の主だったスターたちが演奏するという。トモコは、インドの水準からすると安くはない500ルピー(=1250円)のチケットを購入したといった。彼女はザキール・フセインの大ファンだ。ブレットとタリーも行きたいといっていた。わたしは気が進まなかった。

 12時前にパーティーはお開き。オートリキシャでモナミ・アパートに帰った。同乗したアヤミはそのリキシャで自分のアパートへ帰って行った。まだドゥルバは帰っていなかったが、わたしのスーツケースが床に置いてあったので、空港へ行く途中に寄ったのだろう。彼が帰ってきたのは1時すぎだった。

「ロザリンは時間通り飛行機さ乗ったみでだ。オンタイムだった。やれや、今日はくったびれだ。おやすみ」

 彼はこういって奥の寝室に姿を消した。

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