2005年1月7日 (金) -帰国までの宿が確定
8時起床。日記を書いているとドゥルバも起き出して来た。彼も蚊の攻撃であまりよく寝むれなかったらしい。パーンドゥーが作ってくれたトーストとチャーイで朝食。ドゥルバは、今日はラジオの収録があるため12時には家を出るという。
11時に約束のブローカーの事務所へ行った。その前に近くのバザールでクルター・パージャーマーをプレスしてもらうよう頼んだ。依頼したのは8枚。一枚4ルピーなので全部で80円だ。安い。1時には出来上がるという。
対面するベンチと机と電話だけの小さなブローカーの事務所に行くと、トモコが待っていた。若いアンちゃんがベンチにだらっと座っていた。ブローカーのグプタが約束よりも30分遅れてやってきた。陰気な顔をした50代の小柄な男だった。
そのグプタがこれから連れて行こうとしていたのは、トモコが以前にしばらく借りていた部屋だった。トモコが「キチガイ・ハウス」と名付けた家だ。何かと干渉してくる精神障害の一人娘がいるという。
「中川さんに頼んでいい?その家の女主人に3000ルピー貸しているんよ。借用書もあるからすぐに返してくれはる思うから」
トモコがそういって「借用書」なるものを手渡した。それは、ノートの切れ端になぐり書きした英語のメモで、「1月6日に3000ルピー返します」と書かれてあった。
グプタと一緒にオートリキシャで「キチガイ・ハウス」へ行った。ブローカーの事務所から歩いてもほんの数分のところだった。中層住宅街の一角にある鉄筋コンクリート造3階建ての古い住宅。それぞれの階が真ん中で段違いになっている。入り口の門扉に「ジョーティ」という建物の標識があった。ということで、これからはこの家のことをジョーティと呼ぶことにする。
グプタからあらかじめ連絡を受けていた家主のナーギー夫人は、満面の笑みを浮かべて二人を居間に案内した。玄関から数段低い位置にある居間には、青いターバンを巻いた60歳の夫と、落ち着きのない目をした30歳くらいの娘がソファに座ってテレビを見ていた。
50代半ばの夫人は、肌に褐色部分がまだらに残るいわゆる白子の女性だった。パンジャーブ人特有の整った目鼻立ちだ。褐色部分がなければ西洋人女性のように見えるだろう。彼女は、わたしをちらちら見ながら、部屋代のことや家計がいかに苦しい状態かなどをグプタに話した。喉から手が出るほど間借り人を待ち望んでいる感じだ。わたしが2週間だけ借りたい旨を話すと、失望の色を隠さずはっきりとした英語で答えた。
「2週間だけというのは無理だべ。どうしてもというのであれば1ヶ月分の家賃ば払ってもらわねえど」
テレビをじっと見ていたと思うとわたしをじろじろ検分し始めた娘が、われわれの会話にいきなり割り込んで来た。
「トモコは元気だべが。トモコは元気だべが。おめも日本人が」
会話の脈絡からはずれた質問を発したその彼女が、トモコのいう「キチガイ」娘だった。意外だったのはその娘がわりとまともな英語で話しかけたことだ。
ナーギー夫人は、それまでのにこやかな表情から一変し厳しい目つきで娘を叱りつけた。ヒンディー語だった。
「おめは黙ってろ。今、大事な話してんだがら」
娘は母親の剣幕に押され、視線をテレビ画面に移して黙った。
その間、本来の家主であるはずの夫は、われわれの会話にはまったく関心を示さずぼやっとした目でテレビ画面を見続けていた。その夫に、厳しい表情のまま夫人が強い口調でいった。
「テレビばすぐ消せ。うるさいでねえが。散歩さ行げず。分がったが」
夫は意味の取れない言葉をぶつぶついいながらソファから立ち上がり、わたしに英語でいった。
「散歩だど」
そしてゆっくりと玄関から外に出て行った。なんとも奇妙な家族だ。
「とりあえず、部屋ば見しぇでけろ」というわたしの言葉でみんながぞろぞろと上に移動した。
居間から数段の階段を上がると、天板が透明ガラスの大きなテーブルのあるダイニング。その奥に縦長のキッチンがあった。案内されたのはそのキッチンの真裏にあたる15畳ほどの矩形の部屋だった。入り口の左手に机と椅子、衣装ダンス、中央に薄汚れたカバーで覆われたキングサイズのベッドがあった。衣装ダンスのある壁に直交する奥の壁にドアが二つあり、一つが部屋専用のバスルーム、もう一つが小さなバルコニーへの出入り口になっていた。部屋は北東の角にあるので薄暗いが、広さは問題ない。グプタ、夫人、わたしが部屋の出入り口に固まっていると、30代後半のすっきりした男が一人、交渉に加わってきた。
「家賃はなんぼだべが」とわたしが聞くと、グプタが不機嫌そうに答えた。
「本来だど8000だけど、7000ルピーでええごで」
「でも、オレはは2週間しかいねがら安ぐなんたべ」
「いや、2週間なんて契約はねえなよす」
「んで、おめにコミッション払うんだべ」
「んだ。1ヶ月分だがら7000だ」
「えーえ、つうごどは合わせで14000。つうごどは1日1000。高いなっす。ホテルの方が安いべ」
「おめはなんぼまでだったら出せるんが」
「んだな。半月すかいねえわげだがら半分だべな」
「んだがら、半月なんて契約はこの辺ではねえっつっだべ。そげな条件だったら難すいな」
そこへナーギー夫人が割り込んだ。
「6000でどうだべが」
「それでも高いな。別の部屋も見しぇでけるってグプタもいってるがら、そっちのほうも見ねえどなっす」
わたしがそういうとグプタが頷いて、夫人にこういった。
「5000っつうごどでいいんでねえが、奥さん」
夫人はちょっと考えていた。後から参入して来た男が夫人にいった。
「いいんでねえがあ。次の入居者ば紹介すてもらうごどば条件にすてよ」
「んー、んだな。んじゃ、5000で」
夫人がわたしにこういった。
なんとしても収入が欲しいという表情だ。
「とすっと、コミッションはなんぼになんなや、グプタジー」
とわたしがグプタに尋ねた。
彼は即座にいった。
「家賃が5000だがら、コミッションも5000」
「そげには無理だ。2000でどうだ」
「分がった。んじゃ3000だ。いいべ」
「OK。ほぼ決まりだなす。最終的には、オメがいってた別の部屋ば見しぇでもらってがら決めっけんど」
後から入って来てナーギー夫人に取りなしたのはインドラジート・スィンと名乗る、別の不動産ブローカーで、家主とは親戚関係にあるということだった。そのインドラジートがわたしにいった。
「オメが出だ後に入る人がいだら、必ずオレがグプタさんさいってけろなっす」
グプタも彼も、借り主と家主が直接交渉するのを恐れているのだ。
半月分の家賃として5000ルピー(=12,500円)と仲介料が3000ルピー(=7,500円)。
こんな風にして交渉が終わった後、トモコの依頼をナーギー夫人に伝えた。
「トモコにおめに貸してだ3000ルピーばもどすもらってけろって頼まれだのよす」
と彼女から預かった借用書代わりのメモを見せた。ナーギー夫人は渋い顔をして次のようなことをまくしたてた。
トモコから次の月の家賃の前払いとしてたしかに3000ルピー受け取った、しかし彼女は月の途中に出ていった、次の月もいると思って別の借り手からの申し出を断った、そのために自分は損失を被った、したがって自分には彼女に返す義務はない、と。なんとなく筋は通っている。しかし借用メモには、1月6日、つまり昨日だが、まで全額返すと書いてあった。であればそうした条件をこのメモに書いておくべきではなかったのか、とわたしがいうとインドラジートがその通りだと頷いた。
「とにかく、この件に関すてはトモコと直接話すがら」
と夫人がいったのでわたしは引き下がった。トモコの依頼と夫人の返答で、仲介人のわたしはまるで子どもの使いをしているような気分だった。
とりあえず、今日の夜からここに泊まることにいちおう決めたが、グプタが別の部屋も見せるといっていたので、それを見せてもらってから最終的に決めることにした。グプタとは夕方6時半に事務所で再び会うことにした。
プレス屋で衣類を受け取り、ブティック兼用両替屋で2万円を8100ルピーで両替した後、モナミ・アパートに戻った。ドゥルバはラジオ局に行っていて留守だった。掃除をしていたパーンドゥーが帰って来たわたしにランチを作ってくれたので食べた。ダール、ご飯、ジャガイモのサブジー。
トモコに、3000は返してくれなかった旨を電話で話した。彼女は
「そんなあ、ひどいわあ。あれほど返すいうとったのに」
という。
「僕が3000を差し引いて、家賃として2000だけ支払うというのはどう。それがだめなら別の部屋を借りることをちらつかせるから。あるいは、ブローカーのコミッション3000はナーギー主人からもらえといってもいい」
「そんなん、中川さんは関係ないんやから、ええわあ。わたし、彼女と直接会って話しますわ。辺のことに巻き込んじゃってごめんね」
ランチをたっぷり食べたので眠くなったが、荷造りをした後、6時近くまで練習した。練習をしていると、ドゥルバが録音から戻って来た。今日のブローカーや家主との会話、トモコの借金取り立てのやりとりを話すと、ドゥルバは
「ははは、いかにもインド人ぽいなあ。ひどいんだよ、奴らは」
と笑っていった後、自分がいかにブローカーからむしり取られたかを話した。父親が現在のアパートを買うときももめたらしい。ちなみに、隣のナヤンの分と合わせたアパートは当時120万ルピーで購入したという。20年前の120万ルピーはどれほどなのか。
6時半になったのでブローカーの事務所へ行った。グプタが待っていた。別の部屋の持ち主の老人は、7時半に戻り部屋を見せてくれるという。しかし、時間が来ても老人は現れなかった。待っている間に、ナーギー夫人から間借り人つまりわたしがいつ来るのかと2度も電話があった、とグプタがいった。
老人がやってきたのは8時半。長い白髪の品のよさそうな老人だったが、かなりの年配で、出来の悪いロボットのような歩行だった。グプタに私の希望を訊いた老人は、2週間だけ借りるというのは無理だ、1月14日から1ヶ月ほど家を留守にするので少なくとも戻るまではいてほしいといった。ということで、わたしは「キチガイ・ハウス」を借りるという選択肢しかなくなった。
9時ころ再びグプタとジョーティへ行き正式に契約した。ナーギー夫人は、とりあえずトモコに1000返すので、と差し引いた部屋代4000ルピーを受け取った。グプタには仲介料3000ルピーを渡した。グプタはその半分をインドラジートに渡していた。
すぐさまわたしはモナミ・アパートに戻り、オートリキシャに荷物をすべて積みこんで「キチガイ・ハウス」ことジョーティの部屋に落ち着いた。ダイニングテーブルで夕食を食べていたナーギー夫人が、夕食はどうかというのでいただくことにした。ほうれん草のカレー煮付け(サーグ)、ダールのおかずでご飯を食べた。じっとわたしを見ていた夫は、おかずとご飯を混ぜる手を休めながらいった。
「食事が必要なときはいつでもいってけろ。いっくら食ってもいいがら。オレ、英語できねえんだす」
昼過ぎにここを初めて訪れたときも彼は家にいたので、どこかで働いている感じではない。しかも、なんとなくぼやっとしていてしゃべることが要領を得ない。
うーむ、この一家はどこから収入を得て生活しているのだろうか。
蚊とり線香用の皿をもらって部屋をいぶし、借りた真っ赤な毛布をかけて11時にベッドに横になった。固いベッドだった。