2005年1月8日 (土) -津波コンサート

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 8時ころ起床。ダイニングテーブルで夫人が一人でチャーイを飲んでいた。愛想のいい顔だ。チャーイをごちそうになり、その後コーヒーを作ってもらった。

 電気温水器がついているので温水が出るという説明だったが、スイッチを入れてもお湯はでなかった。10時まで、練習と日記。india05

 10時20分、オートリキシャ(12ルピー=30円)でグルクルへ行った。かなり早めに着いてしまった。グルクル前の路上で買ったバナナを2本(3ルピー=7.5円)が朝食代わり。

 グルクルの練習室に黒のジーンズ上下を着た背の高いスキンヘッドの男がいた。リタと名乗ったその男は、スウェーデン人のジャズピアニストで3年前にバーンスリーを始めたという。住み込み弟子のパールトが電気タンブーラーや敷物をセットしていた。

 この日のレッスンは、今までになく大人数だった。30人くらいいただろう。姉妹の一人プリヤー

もきていた。見たことのない外国人も多数いた。

 レッスンは、ラーガ・マールー・ビハーグのアーラープとラーガ・マールカウンスのジョール、ジャーラー。マールー・ビハーグはこれまでまともに練習したことがなかったので新鮮だった。

 1時すぎにレッスン終了。生徒たちがハリジーに声をかけてもらうのを待っている。こうした儀礼的な時間がどうにも好きになれない。

「今日はアヴィシャーの主催するコンサートがあるって聞いたんだけど」

 わたしがハリジーにこういうと、

「んだ。彼女に会うのも久すぶりだべ、ヒロス。オメも演奏すっか」

 と聞いてきた。もちろんです、と応えた。

●リーンパーシヴァー

 中学生のような感じの小さな女の子が、両親らしい人たちとハリジーに面会にきていた。隣に座っていたトモコがいった。

「彼女の名前はリーンパーシヴァー。とんでもなくすんごいタブラー奏者なんよ。ハリジーとアメリカツアーにも行ったいうとった」

 そのリーンパーシヴァーが、ムンバイ中心部のNCPAで、南インドの有名なヴァイオリニスト、スブラマニアムとコンサートをするという。それを聞いたトモコが、ハリジーに

「行きたい」

 というと、ハリジーは

「よす、んじゃあトモコ・グループということで入場券ば手配してけろ」

 とリーンパーシヴァーの父親らしい男にいった。

 トモコとジュフに戻りいつも利用する食堂へ行った。店内の隅でアヤミが一人で食事をしていたので合流。わたしが頼んだのはチキン焼き飯。ものすごい量だったので余してしまった。アヤミのレッスンも順調そうだ。

●マラードのオールビック・モール

 すぐに帰宅し今日のレッスンでやったマールー・ビハーグを練習後、トモコのアパートで彼女を拾い、マラードのオールビック・モールまでオートリキシャを走らせた。ジュフからは30分かかった。道中はものすごい排気ガスだった。スクーターにビニールシートの屋根をかぶせただけのオートリキシャでは、排気ガスにはまったく無防備だ。

india05 オールビック・モールは、日本にもよくあるような巨大なショッピングセンターだった。デリー近郊のグルガーオにもあったが、この手の新しい総合的商業施設はインドにも増えつつある。店内ももちろん欧米や日本のそれと同じで、清潔健全大量商品整然陳列で面白みがない。

 特設のコンサート会場は、巨大な建物の後ろに設置されていた。テントに覆われた舞台の前にパイプ椅子が整然と並べられていた。300席くらいだろうか。india05

 舞台の下にアヴィシャーが数人の女性たちに囲まれていた。わたしを見つけると両手をあげて近づいて来た。夫のゴーパールクリシュナも近づいて来た。彼らとは、当時住んでいた香港で会って以来だ。二人とも体型は当時とそれほど変っていない。小柄で全体に丸いアヴィシャーは、決して美人とはいえないが相変わらず活動的オーラを発していた。額が広くなり髭に白いものが混じるゴーパールクリシュナは以前よりもずっと精悍な表情になっていた。彼らは、しばらく香港に住んだ後アメリカで2年間過ごし、ムンバイに戻って来たのは2年前だという。現在、ゴーパールクリシュナは日本のワイヤレス電話メーカー、ユニデンのインド総代理店を経営。従業員は8人。事務所は近くのヴィレー・パールレーにあるので、ムンバイ特有の混雑から免れ、ゆったりと生活しているという。

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「先月東京さ行ったのよす」

 という彼の表情には、成功したビジネスマンの余裕があった。

 アヴィシャーは、NPO団体アディシュリー財団を設立していて、今日のハリジーのコンサートはその団体が主催だった。この財団は彼らがアメリカにいるときに設立した。インドとアメリカ両国で活動している。恵まれない子供たちに対する支援が主な活動だった。そんな関係もあるのか、彼ら夫婦には子供はなかったが、養女が一人いた。生後7日後に生母に捨てられた女の赤ん坊を引き取ったという。

 彼らはショッピング・センターの支配人を紹介し、彼にわれわれの記念写真の撮影を依頼した。眼鏡をかけた長身の若い支配人はびしっと背広で決めていた。

●ハリジー到着

india05 黒いクルター姿のハリジーがグルクル住みこみ弟子達と到着した。アヴィシャーは、ハリジーを舞台裏の控え用テントに案内した。控え用テントにはスナックや飲み物類のあるテーブルと椅子が設置されていた。ハリジーがテーブルを前に座ったとたん、待機していた多数のハエが食べ物類に猛攻撃を加え始めた。ハリジーはうわっといって腕で振り払った。しかしハエの黒い集団はわずかに膨らんだだけで再び食べ物に取り付いた。それを見たアヴィシャーが、あわててスタッフを呼び移動するよう叫んだ。命令に慣れた口調だ。彼女がテーブルの一端をもったわたしにいった。india05

「こごらへんは、元はでっかいごみ捨て場だったのよす。その上さショッピンセンターを建てだもんだがらハエがすごえなよす」

 PAの準備が整ったので舞台に上がった。舞台床面から一段高い平台には隙間なく布団が敷き詰められ、その上に白い布がかぶせてあるので歩くとふわふわする。平台のちょうど真ん中に矩形の穴があいていた。まるで掘りごたつのようだ。その穴は胡座がかけないハリジー用の特別座席だった。

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 このコンサートはハリジーのみなので、多くの弟子たちが伴奏者として彼を取り囲む形になった。グルクル住み込み弟子3人組のパールト・サルカール、サミール・ラーオ、ヴィシャール・ヴァルダーン、ヴィベークとわたしだ。ヴィベークは、以前ヴィレー・パールレーのコンサートでわたしと一緒に伴奏した青年だ。きれいに刈り込んだ細い髭に眼鏡をかけている。ヴィベークは当然のような顔でハリジーのすぐ右手に座った。その斜め後ろに3人組とわたしが座った。タブラ-はビジャイ・ガーテー、タンブーラーが伴奏はギ-タと、ヴィレー・パールレーのときと同じメンバーだ。ビジャイ・ガーテーは薄紫のクルター姿。ボタンはよく無くすのでホックでとめるように自分でデザインしたという。彼はプネーに住んでいるが、最近はムンバイや海外に出ることが多いといっていた。

●津波コンサート

 開演予定は5時半だった。しかし、時間が来ても、ずらっと並べられた椅子には客がほとんどいなかった。グルクル仲間のオーストリア女性、トモコ、ラーケーシュ夫妻と息子のリトウィクが最前列に見えた。まわりがかなり薄暗くなって来た6時ころ、マイクをもったアヴィシャーが舞台袖に立った。このコンサートは津波被災者救済のために急遽企画されたこと、寄付金を募っていること、主奏者は世界的に有名なハリジーであること、伴奏者の名前などを紹介した。そのころには客席も少しずつ埋まり始めていた。

 ハリジーはアヴィシャーの挨拶を聞きながら、真後ろに座るギ-タからタンブーラーを受け取りチューニング。サ、サ、サ、ダと調弦した。日没のタイミングとダ音から、ラーガ・マールワーを演奏するのかなと思った。ところが彼が吹き始めたのはラーガ・ブーパーリーだった。アーラ-プ、ジョールに続いて9ビートのマッタ・タールのガットを約1時間演奏した。バーンスリー伴奏者が5人もいたので、ハリジーの隙間を埋めるソロの出番が少なかった。住み込み3人弟子の伴奏は経験不足気味だった。彼らのうちサミール・ラーオはきちっと音程を合わせることができていたが、残り二人はまだまだのようだった。

 ラーガ・ブーパーリーの後、ラーガ・ヴァーチャスパティを演奏。短いアーラープの後、ティーン・タールのガット。

●コンサートが終わって

 8時すぎ演奏が終った。舞台裏に戻ったハリジーは、テレビの取材班に取り囲まれインタビューを受けていた。弟子や主催関係者たちはなんとなくその周辺をたむろする。そこへインタビューを終えたハリジーがみなに声をかけた。india05

「腹減ったべ。みんなで何か食いにえぐべ」。

 われわれは彼の後をぞろぞろとしたがって巨大なショッピング・モールの3階にある大食堂へ歩いた。ある買い物客が、10人以上に取り囲まれつつ歩くハリジーを見てわたしに尋ねた。

「あの人は誰だべが。どごがで見だごどあるみでだげど」

 わたしが

「ハリプラサード・チャウラースィヤーさんだっす」

 と答えると

「あー、あの有名な」

 と頷いてハリジーに近づき握手とサインを求めた。

 かなり広い面積を占める大食堂は大勢の客でにぎわっていた。若い支配人は、一般客でごった返す客席の奥に広がる立ち入り禁止区域にわれわれを案内した。もうじき拡張される食堂予定の場所だった。われわれは、支配人がスーツ姿のスタッフに命じて急いで整えさせたテーブルについた。一行は、ハリジー、住みこみ3人組、スウェーデン人のリタ、アヴィシャーとゴーパールクリシュナ、ギ-タ、ラーケーシュ、彼の妻と息子、トモコ、初めて見る弟子二人、ショッピング・モールの支配人とスタッフ3人、そしてわたし。飲食はすべて店側の提供だった。わたしはウタパム、アイスクリーム、エスプレッソを頼んだ。

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 10時すぎにお開きとなり、オートリキシャでトモコとジュフに戻った。

 トモコをアパートの門まで送り届けた後、徒歩でジョーティに戻った。玄関ドアを開けると家の中は暗かった。家主の家族が下の居間に布団を敷いて寝ていた。1時ころ就寝。

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