2005年1月14日 (金) -体調を崩す
6時起床。コーヒーを作ろうとキッチンへ行くと影の薄い家主がいた。彼は、どうしても自分に作らせてくれという。作ってくれたコーヒーはとても薄く、ミルクも砂糖も入っていなかった。
10時半まで練習した後、シャイアンたちとグルクルへ行った。トモコは来ていなかった。
この日のレッスンは、まずラーガ・デーシーのアーラ-プ。音の動きがとても入り組んだラーガだ。わたしは他の生徒たちのようにハリジーの後を追って吹くのではなく、ハリジーの演奏をひたすら採譜した。この採譜は、音の大まかな動きとメロディーの組み立てを把握するのに役に立つ。
デーシーのアーラープが後半に入ってきたころ、珍しくラーケーシュがレッスンに加わった。グルクルで彼を見るのは初めてだった。
デーシーのアーラープの後は、ラーガ・マールカウンスのジョール。ハリジーは、このペンタトニックのラーガに新鮮な音とリズムの組み合わせをいくつも表現した。今回の渡印ではハリジーの公演を2回聴いたが、なんとなくマンネリ気味に思えた。しかし、この日のマールカウンスのように、ハリジーの音楽的想像力にはいまだに驚かされることが多い。
レッスンの後ハリジーに、16日の4時からのレッスンに来るのは難しいと伝えた。
「何か用事があんなが」
「ボーリーワリーでマルハ-ル記念コンサートがあんなよす。手伝いもすねえど」
「あー、んだったな。分がった。んじゃ、朝、こごさ来い。オメだけのレッスンすっから」
集団レッスンでも得るものはあるが、細かなテクニックや演奏構造などを教わるにはなんといっても個人レッスンがベストだ。今回ようやくその個人レッスンをしてもらえることになったので嬉しかった。
生徒たちと外に出て一服していたら、急に吐き気がした。胃が何度も痙攣した。5オエッでなんとか収まったが、気分の悪さは消えない。インドに来て以来一度も体調を崩したことはなかったのでちょっと不安になった。原因として考えられるのは、昨日のカニや魚くらいしか思いつかない。きっとカニに違いない。
シャイアン、ユミと3人でジュフの定食屋へ行ったが、わたしだけランチをパスしてジョーティに戻りベッドに横になった。いつの間にか寝ていた。起きたのは4時半。3時間ほど寝たことになる。気分の悪さは消えていたが、体がなんとなくだるい。それから7時半まで練習した。今日は、朝3時間、レッスンで2時間と合わせて8時間ほど笛を吹いたので右肩と左手の親指が猛烈に痛かった。
ユミが、ご飯を作ったので食べないかと誘ってくれたのでありがたくごちそうになった。混ぜご飯だった。その混ぜご飯の上に鰹節と醤油をふりかけて食べた。やさしい味だった。夕食はこの他にナーギー夫人の作ったスープだった。
食後、配偶者から電話があった。12月の電話代が5万円ほどだったという。こりゃあ便利だと使いまくっていた携帯電話は、相当高くつくことが判明。心しよう。とはいえムンバイ滞在も残すところあと1週間だが。