2005年1月17日 (月)-レッスンだけ

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 7時起床。キッチンでお湯を沸かしていた。そこへ目の焦点が定まらない家主が、自分にもコーヒーを作ってほしいと入ってきた。彼は、毎日色を変えるターバンをきちっと頭に巻き清潔なシャツを着ていた。見た目は一家の主だが、この家での存在感は無に等しい。娘のルーマーも相当に変だが、彼もかなりおかしい。わたしがカップにネスカフェの粉を入れ、冷蔵庫から出したミルクを注ぎ砂糖を投入してスプーンでかき混ぜるのをじっと見ているので不気味な感じがする。

 10時30分まで練習。チェータンから携帯にメールが入っていたので彼の職場に電話した。ツアー報告の印刷が出来上がったのでボンベイに送るので宛先を知らせて欲しいという依頼だった。郵便では帰国まで間に合いそうにない。日本に送ってもらうことにした。

 シャイアンたちにまた待たされるのはこりごりなので一人でグルクルへ行った。

●一人でグルクルへ

 今日のレッスンは、スウェーデン人リタのリクエストでラーガ・ラリトだった。ラリトのアーラ-プの後は、ラーガ・ハンスドワニのジョール。軽快なラーガだ。

 1時すぎ、レッスン終了。グルクルの電話を借りてアニーシュの携帯に電話した。

「いいタイミングだなっす。今、プ-ナがらボンベイに戻るどごだっす。晩飯いっしょに食うべ。8時にSMBの門の前で待ってでけろ。」

「了解。とごろで、例の本とCD代払わねどな。全部でなんぼになんなや。両替すんなねがら教ぇでけねが」

「んーと、ジャーの本は日本まで郵送料込みで1800、ケールカルのCDつきブックレットは200だ。全部で2000ルピーになっこで」

「分がった。晩飯のどきに払うがらよす。んじゃ、夜に」

 続いて昨日ルーシジーの携帯番号を尋ねたニッティヤーナンドに電話した。

「オメは知ってから電話してもいいど。番号は・・・だす。ムンバイにいる間どっかで会いたいげど、今日からオレもツアーたがら無理みでだな。まだ来んなだべ。そんときでも」

 彼はそういって電話を切った。これでひょっとしたら今回もピシュマーに会えるかも知れないと期待した。

●「シャイマール」でタ-リーのランチ

 トモコとジュフの人気菜食レストラン「シャイマール」でタ-リーのランチ(50ルピー=125円)。ここのターリーは味もボリュームもなかなかだ。テーブルにつくと、グルクル仲間のイスラエル人とネパール人が入ってきた。

 カトマンドゥ-出身のスニ-ル・シュレースターは25歳。レッスン室ではたいてい一番後ろに座る地味な男だ。彼の音程は生徒の間でもひときわずれているのでよく目立つ。前回のレッスンでハリジーに、

「オメの音は狂ってっから、分かる人にちゃんと聞いで練習すろ」

 といわれてしょんぼりしていた青年だった。ネパールの人気バンド「スールスダー」のバーンスリー奏者から手ほどきを受けた。ハリジーからレッスンを受けるネパール人は初めてだという。4ヶ月の予定でムンバイに来た。郊外のワーシーから1時間以上かけてグルクルに通っていた。

 イスラエル人の生徒は、アルノンと名乗る小柄なスキンヘッド青年。35歳、独身。イスラエルで介護のアルバイトをして金を貯めムンバイに来たという。

「インドさ来るイスラエル人が多いのは、兵役逃れのせいもあるなよっす」

 といっていた。二人ともバーンスリーはまだ初心者だった。

●ピシュマーには会えず

 帰宅して1時間ほど昼寝した後、昨日ニッティヤーナンドに訊いたルーシジーの携帯に電話してみた。ルーシジーは、

「はーい、ヒローシー。元気がす。ピシュマーに会いでってが。彼女は今体調崩してでよ、誰ども会わねなよ」

 という。残念だがピシュマーを訪問するのはあきらめざるを得ない。

 4時から7時まで練習。

 ユミが、夕食を作ったのでどうかと聞いてくれたが、食事の約束があると断った。

 SMBの門のところで待っていると、約束の8時半ぴったりにアニーシュが車でやってきた。

「ヒロッサーン、何食うべ」

「軽めの南インド料理でどうだべ」

「あららあ、オレも同じごど考えでだ。んじゃそうすんべ。ジュフのチャウパーティー近ぐに、オレの知っている店あっからそごさ行ってみんべ」

 といいつつアニーシュが車を走らせたが、あいにく閉店していた。

「ピザでもいいがっす」

 というのでで、近くのピザ・ハットへ行った。アメリカ資本のチェーン店だが、ムンバイに来る白人たちの間では、ベジタリアン・ピザは絶品だ、と評判らしい。

●アニーシュとピザ夕食

 店内はアメリカ的に明るく清潔だった。きびきび動く制服制帽姿の若いインド人店員が店内を泳ぎ回っていた。4人がけのビニール張りソファはじめ、全体にオレンジ色の配色がいかにもアメリカ的だ。われわれはスープと評判のベジタリアン・ピザを頼んだ。どれもインドで食べているとは思えないほど本格的でおいしかった。india05

 アニーシュの話を聞いた。昨日までプネーから250キロほど離れた小さな町にいた。そこでタブラ-ソロとワークショップをしてきた。田舎町だが、熱心な主催者がいて年々人が多く集まり出しているフェスティバルだった。会場いっぱいの数百人の聴衆が、朝から始まる公演を静かにじっと聴いていた。大都会の聴衆よりもずっとレベルが高い。今年は3月にオーストラリア、4月にはヨーロッパ・ツアーがある。最近は1年のうち半分がツアーだ。スタジオの仕事は好きじゃないので、忙しいけど旅がいい。シュバーもめちゃくちゃ忙しいので、なかなか会うチャンスがない。などなど。ここでもアニーシュは、わたしの申し出を頑強に断り食事代を支払った。

 10時近くにジョーティに戻った。隣のシャイアンの部屋で12時すぎまでおしゃべり。シャイアンは、常に会話の土俵を自分の領域に引き込むのでわたしはほとんど聞き役だった。

「オメの練習ば聞いでっと、ちょっと音程がずれてるみでだげどな」

 というと、

「んだべが。オレは合ってるどおもうげどなあ。ユミもそういってるすよ」

 隣の部屋で彼の練習を聞き、音程の狂いが気になっていたのでアドバイスのつもりでいったのだったが、こう反論されると何もいえない。彼は他人からなにか指摘されるのが嫌いなのだ。ユミは他者の話に耳を傾けるのでバランスのよい会話ができるのだが、シャイアンとはどうもやりにくい。彼らはインドの後、日本でしばらく住むという。大阪のどこかに住んで演奏活動をしたい、一緒にコンサートしようといっていたが、多分会うことはあまりないだろう。この二人は今のような関係でいるかどうかすら、人ごとながら気になった。

 1時ころ就寝。

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