2005年1月19日 (水)-外出せず
6時起床。10時まで練習した後、洗濯屋へ。プレスのみ4枚(1枚4ルピー=100円)、洗濯物5枚(1枚25ルピー=63円)頼んだ。午前中は日記を書いた。ナーギー夫人が、
「ランチ、こごで食うが」
と訊いてきたので用意してもらうことにした。1時すぎに、ご飯、ダ-ル、ヨーグルトサラダ、パニール(コテージチーズ)とピーマンの炒めもののランチ(20ルピー=50円)。
16日のコンサート会場で、今日だったら訪問できるかもしれないと伝えたヴィーレーシュワル・ガウタムに電話してみた。前年11月にイギリスの小さな港町で会った声楽家だ。
「ハーイ、ヒロシ。オレどごさ来てけんなだべ。オレ、今日はよ、9時ころまで仕事だがら、その後でもいいべが。晩飯作って待ってっからな。楽器もってきてけろなす」
「えっ、9時があ。ちょっと遅いなあ」
「遅ぐねえべ。ノープロブレムだす」
この、ノープロブレム、で訪問を断ることにした。誘った自分に問題がないから誘われた当人にも問題がないと考えるタイプでは、訪ねてもあまり楽しそうにない。こういう人の家を訪ねると自慢話の集中砲火を浴びることになる。
「行き帰りの電車のごど考えっとちょっと難すいな」
「何語ってんなや。そっからだどこごまですぐだべ。オレんどごは遅くてもぜーんぜんノープロブレムだす」
「いや、そういうごどでねくて」
「んじゃ、8時半でどうだべが。オレもなんとかすてそれまでには帰るようにすっからよ」
「悪いげんどやっぱり今回は難すいな」
なかなかに粘り強い勧誘だったが、結局、断った。彼は日本に招待してくれることを期待していたのかも知れない。
3時半まで昼寝。トモコが練習のチェックをしてほしいと訪ねてきた。わたしがやってきた正確な音程把握の仕方や基礎練習の方法を紹介した。ただ、練習というのは個人的で孤独な作業なので結局は自力でそのやり方をつかんでいくしかない。速い旋律の動きでは誰でも音程は曖昧になる。これをクリアーするのは、誰にとっても大きな課題だ。どんな楽器でもそうだが、ある程度楽器に慣れてくるとどうしても速さの技術にのめり込む。彼女はすでに何年もハリジーの元で修行しているので、ラーガの理解やスピードは初心者のレベルを越えている。彼女が自分の音程に自信がなくなってきたという自覚は、次の段階へ進む良いサインだと思う。
練習を終えたときトモコが、
「中川さん、この部屋の話、知ってはる。この部屋、気味悪いことあれへん」
と聞いてきた。
「えっ、何の話」
「あっ、知らんかったん。この部屋で、殺人事件があったらしいんよ。ここの壁んとこ血しぶきが飛び散ってたらしい」
「ほんまかあ。で、誰が殺されたって」
「この家の親戚か誰からしいよ。だからわたし、ここにいるとなんか気味悪うて」
彼女が何の理由でこんな話をしたのか分からない。
7時すぎ、トモコとアラーフ食堂へ行き夕食をとった。でかい唐辛子が混入したカレー焼きそば「ヌードル・シンガポール」なるものを食べた。味はまあまあ。
8時に帰宅し、11時までラーガ・ジンジョーティーのアーラープの練習。