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 聲明(しょうみょう)とは

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 聲明あるいは声明と書いて、しょうみょう、と読みます。一般には、仏教の声による音楽を指します。仏教には、棒読みのいわゆる「お経」と同時に、独特の楽譜に基づいて歌われる、いわばメロディーのある「お経」があります。それらを総称して聲明と呼ばれています。元来は、仏教儀式のときに僧侶たちによって歌われるものです。しかし最近、音楽表現の一つとして舞台で公演されたり、現代音楽の作曲家たちによって聲明が音楽語法の一つとして注目されてきました。また、ほとんどの日本の伝統的な声楽の源流が聲明だともいわれ、日本の音楽文化を考える上でも重要視されてきました。
 音楽としてみれば、男声(まれに女声)による単声合唱といえます。ただ、一般の音楽のような興奮や劇的な要素は少ない。しかし、鍛えられた僧侶によって歌われると、単声合唱といういっけん変化に乏しい音が、逆に何重にもたちのぼる倍音を発生させ、独特の濃密な美しい音楽空間を作り出します。


浄土宗聲明概説


 日本の聲明は、奈良時代前後に将来されたものもありますが、大きく真言聲明(南山進流)と天台聲明の流れに集約されます。この二つの流れから、宗派の独立などによって現在さまざまな流派が存在しています。 浄土宗聲明概説 聲明とは、古代インドのサンスクリット語のSabada-Vidyaを漢訳音写したものであり、本来は波羅門の学問である五明の一つであって、今日で云うところの文法や音韻学を意味するものであった。やがて仏教と共に西域を経て中国に伝来し日本へ入ってきた。中世、本来の意味を失い、"梵唄"と称されるが如き仏教の儀式音楽として現在に至るまで伝承されている。
 聲明の曲には、梵文の発音を漢語に音写して唱える四智讃のような梵讃や、梵文の漢訳を呉音や漢音で読む漢讃をはじめ、講式・和讃など幾多の種類がある。
 日本には奈良時代すでに聲明に関する記録があり、東大寺大仏開眼には聲明を用いた法要がなされ、現在も連綿と続く二月堂修二会には、古風な奈良聲明を耳にすることができる。更に平安時代になって天台・真言の二大宗派が立教されて以降、それぞれ独自の発達をとげ、今に至るまで天台(魚山流)・真言(南山進流)共に唱名を相伝している。
 さて、浄土宗が伝承している聲明曲は、宗祖法然上人が比叡山で修学された縁故により、天台宗の法儀より顕教法要の曲を導入してるものであり、特に江戸時代においては、勅会としての御忌[ぎょき]大会(宗祖法然上人の命日の法要)、大檀越としての徳川家の葬儀や法要など、必然的に聲明を研鑽せざるを得ない時期でもあった。
 現在、浄土宗では法要儀式に関する音声を二つに分けて、一つは日常勧行の偈文や六時礼賛など、比較的テンポの速い曲、または音曲の簡略なものを、"節付""音声物"と呼び、その他の音譜(博士[はかせ]と称する)の甚だ複雑なもの、長々と声を引く古曲を"聲明"と称して区分している。しかしどちらも仏教讃歌の声であり、自己反省の懺悔であり、自らの信仰から出た報恩感謝の声であり、その法悦の境地から表現したものにほかならない。

四箇法要

 聲明法要としての最も厳粛な儀式とされるのは、四箇法要である。四箇とは唄[ばい]・散華・梵音・錫杖の四曲のことで、天平勝宝四年(752)の東大寺大仏開眼に四箇法要が修されたといい、平安以降盛んにつくられる講式のはじめに用いられ、また舞楽と併せて執行されることも多かった。

唄(ばい)

『勝鬘経』にある「如来妙色身 世間無与等 無比不思議 是故今敬礼 如来色無尽 智慧亦復然 一切法常住 是故我帰依」の偈文のうち「如来妙色身 世」を序曲旋律で唱える。これは相伝の秘曲とされ、熟練した聲明師のうち、唄匿許可状をもつ唄師により独唱される。数ある聲明曲のなかでも、特に長々と声を引くことから、唄は唱えるとは云わず「唄を引く」という。本来は譜本の他見を避けて、屏風で囲まれた別席でし誦されたものである。偈文の内容は、仏の円満なる相好と広大無辺なる智慧を讃歎するものである。

 

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散華(さんげ)

 仏を道場に迎え、香を焚き華を散らして供養するときに唱える曲で、上中下の三段から成る。上段は『金剛頂経』による「願我在道場 香華供養仏」(我れ道場に在って仏に香華を供養せん)の敬白段であり、下段は『法華経』による「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」(讃仏の功徳が遍く一切に及び、全ての生きとし生けるもの全てが仏道を成就できるように)との回向段である。中段は、本尊の徳を讃える段であるから、釈迦・弥陀・薬師など本尊により異なる文が誦せられる。通常は時間的制約から上段のみを唱える極略法を用い、それにも冒頭部分を散華師が独唱し、あとを全員で斉唱する同音散華と呼ばれる方法と、途中で輪唱形式となる次第散華という唱法もある。散華には、華籠[けこ](金属製や竹製の華皿)に持った散華(生花や紙製の蓮弁)を撒くのであるが、どこで撒くかは各宗派で異なっている。現在、浄土宗では「供養」の供の字で三度散華するよう申し合わされている。

梵音(ぼんのん)

 八十華厳に出る文章「十方諸有勝妙華 普散十方諸国土 是以供養釈迦尊 是以供養諸如来 出生無量宝蓮華 其華色相皆殊妙 是以供養大乗経 是以供養諸菩薩」を唱えて、浄音を仏法僧の三宝に供養せんとするものである。しかしながら文意は華を以て供養することから、散華と同様に華籠を執って作法することもある。

錫杖(しゃくじょう)

  インド伝来の鳴らしもので、行乞のとき蛇や毒虫を追い払うために使用されたという。にちの転じてこの錫杖の音に依り、煩悩を除き三界の苦しみから覚醒する儀となり、別名を智杖・徳杖とも称する。比丘十八物の一具であり、これに長錫杖と短い柄のものがあるが、主に聲明には後者のものを用いる。聲明曲としては九条錫杖と三条錫杖の二種あって、四箇法要には三条錫杖を唱えることになっている。八十華厳を出典とする「手執錫杖 当願衆生 設大施会 示如実道」などの句を唱えて所定の箇所でシャクシャクと錫杖を振る。

浄土宗総合研究所研究員
総本山知恩院法式指導所講師
清水秀浩


HIROSの聲明についてのエッセイ 「七聲会をめぐること」1 2 3 4


声明と古代インドの聖典「ヴェーダ」詠唱 

音楽としての聲明 (2013年3月8日アップロード)

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