音楽としての聲明

 聲明とは仏教における声の音楽を意味しますが、鑑賞音楽芸術として一般に認識されるようになったのは、公共空間での舞台公演として紹介されてからのことです。それまでは、聲明という言葉そのものも、現在使われているような包括的な意味合いではなく、狭いジャンルのものを指していました。長いあいだ、聲明は、サンスクリット語で歌う梵讃、唐音で歌う漢讃などの外来の曲を指す言葉として狭い意味で使われていたのです。(『日本音楽叢書 聲明[一]』p7)
 最初に聲明公演が行われたは1966年、国立劇場においてでした。そのとき紹介されたのは天台聲明です。以後、ほぼ毎年公演が行われ、現在まで47回を数えます。それぞれの公演の内容は、仏教諸宗派の聲明の他に、高橋悠治、石井真木、近藤譲、ジャン・クロード・エロアといった現代音楽の作曲家に委嘱された作品も含まれます。以来、博物館の仏像や寺院建築が芸術として鑑賞の対象になることと同様、かつては寺院の中でのみ行われていたものが、日本の伝統的芸術音楽として知られることになりました。また、海外における公演も盛んに行われるようになり、英語のShomyoという言葉も定着しています。
 では、聲明を音楽としてみた場合、どんな特徴があるのか。おおまかに以下の点が挙げられます。

・聲明はモノトーンの響き

 西洋音楽の3要素の一つであるハーモニー(和声)は、異なった音を同時に重ねた場合の響きの美しさを鑑賞するという考え方に基づいています。ドミソとかシレソといった和音のことです。西洋音楽は、その響きの多様さを究極にまで発展させてきました。この考え方は、今日のわれわれをとりまくほとんどの音楽で一般的です。
 しかし、聲明はハーモニーに基づく音楽ではありません。旋律が線的に動く単旋律の音楽です。ハーモニーによる西洋音楽がフルカラーとすれば、聲明はモノトーンの音楽といえます。西洋のカノンのように同じ旋律をずらせて追いかける「次第取り」という歌い方では異なった高さの音が重なる場合もありますが、重なりによって響く美しさを意識しているわけではなく、たまたま重なっただけです。
 聲明の起源は、もともと古代インドのバラモンたちが行っていたヴェーダの詠唱にあります。最初期のヴェーダ詠唱はアールチカと呼ばれるスタイルで「詠われ」ていました。いわゆる棒読みの読経で、われわれにも一般に馴染みのあるものです。ついで2音のガーティカというスタイルが現れ、さらに3音、最終的には7音へと詠唱に用いられる音の数が増えていきました。音数は次第に増えましたが、音楽の基本構造は変わりません。旋律はある一定の高さの音から始まり、その周囲を上下しつつ、始まったのと同じ音で終わります。
 この中心となる一定の高さの音を核音と呼んでいます。音数が多いということは核音の上下の範囲が広がることです。3音の場合、核音を中心とした上下各1音を使って歌われます。古代インドでは、3音はスヴァリタ(核音)、ウダーッタ(1音高い音)、アヌダーッタ(1音低い音)という名前で呼ばれていました(『インド音楽序説』p123)。ヴェーダのこのような音楽的構造は、聖典の詠唱ばかりではなく、インドの一般の音楽でも基本的に同じです。現代のインド古典音楽は、その最も高度に発展した形の音楽です。したがって、現在日本で詠唱される聲明とインドの音楽は、古代インドのヴェーダ詠唱から発展したという共通点があるのです。わたしがインド音楽を学んで帰国してからこの共通点を再認識したことが、聲明の舞台公演グループである「七聲会」をプロデュースし、国内外で公演を制作したり、一緒に演奏したりすることにつながっています。
 異なった音を重ねずに歌う、つまりハモらない、核音を中心として旋律が上下する音楽は、聲明だけではありません。先に挙げたインド音楽はもとより、日本を含めた東アジア、東南アジア、西アジアの伝統音楽がほとんど同じ特徴を持っています。むしろハモる音楽の方が特殊といえます。

・聲明のリズム

 聲明は、歌いながらあるいは聴きながら一緒になって手拍子を打つことができないものがほとんどです。聲明は、一つ一つの音を長く伸ばしたり、滑らかに上下に揺らせたりしながらゆっくりと歌われます。旋律の区切りはたいてい息継ぎの部分です。手拍子の打てない音楽は、西洋音楽の定義でいえば自由リズムの音楽ということになります。このような音楽は一般的な西洋音楽にはありません。
 では聲明のような自由リズムの音楽が珍しいかといえば決してそうではありません。追分節といわれるような民謡や尺八の古典本曲などの日本の伝統音楽にも多くみられます。また、モンゴル民謡のオルティンドー、トルコ民謡のウズン・ハワー、ペルシア古典音楽のアーヴァーズ、インド古典音楽のアーラープ、ハンガリーのパルランド・ルバートといったスタイルの音楽もそうです。
 もっとも、普通の読経では木魚などで一定間隔の拍子が刻まれるし、聲明にも手拍子が打てる定曲というものもあります。ですが、それらは非常に少ない。
 手拍子の打てる音楽と打てない音楽が併存するあり方は日本ばかりでなく、ユーラシア大陸全域に広がっています。

・聲明で使われる音階

 聲明の旋律の骨格はほとんどが5音音階でできています。
 5音音階とはなにか。西洋音楽ではピアノの鍵盤を見れば分かるように、1オクターブには白鍵7つ、黒鍵5つの合計12の音が配置されています。5音音階というのは、これら1オクターブの中の5つの音からなる音階のことで、英語ではペンタトニックといいます。
 聲明の代表的な音階は律(りつ)と呂(りょ)です。「酒に酔って呂律(ろれつ)が回らない」の呂律です。律と呂の音階を、ドを核音とした場合の西洋音階におおまかになぞらえると以下のようになります。
 律 ド レ ファ ソ シ♭
 呂 ド レ ミ ソ ラ 
 聲明の曲では律と呂の他に、7音を使う中曲という音階も使われます。また、ある音から上下する際に経過的に半音が使われる場合があります。浄土宗の聲明はほとんどがこの律と呂の音階が使われますが、まれに陰旋法という特有の音階も使われます。
 陰 ド レ♭ ファ ソ ラ♭ 
 この音階は民謡や歌舞伎の音楽などによく使われ、一般には都節(みやこぶし)音階と呼ばれています。
 このように、聲明の旋律の骨格は5音音階で成り立っていますが、実は日本の伝統音楽においても同じことがいえます。こうした音階や特有の節回しなどの共通性から、日本の声による伝統音楽は聲明が原点だといわれています。

・聲明の声の魅力

 女性僧侶による聲明はまったくないとはいえませんが、ほとんどの場合、聲明は男性僧侶の地声によってユニゾンで歌われます。とても単純な合唱です。ところが、日常的な読経によって鍛えられた僧侶の声が重なり合うと、まるで女性の声のような高音の倍音が同時に立ち現れてきます。人間の声は、ある高さの音を出しているつもりでも同時にいろいろな高さの音が出ているからです。これを倍音といっています。西洋音楽の合唱では倍音が強く響くとハーモニーが濁ってしまうので、できるだけ倍音の出ない特殊な発声法で歌うのですが、聲明は僧侶の自然な地声で歌われます。
 この倍音による濃密で美しい音響空間が聲明を魅力的にしている一つの要素です。東大寺僧だった凝然(ぎょうねん、1321年没)の『聲明源流記』にある「声相清雅にして諸人に耳を悦ばしめ音体哀温にして衆類の心を快からしむ」の「声相清雅」や「音体哀温」という形容はまさにこの倍音の響きだったのではないかと思います。
 
・聲明の記録と伝承
 
 西洋音楽に五線譜があるのと同じように、聲明にも博士(はかせ)という独特の楽譜があります。経典の漢字の横に音の高さや節回しを書き表したものです。
 節回しはすべて型で示されます。たとえば、ユリ、ユリ上ゲ、スグ、イロマワシなど数多くあります。ユリとは音を揺らすこと。ゆっくりとしたビブラートです。ユリ三という指示があれば、三回揺らす。スグはまっすぐに伸ばす。このように、型は音の動きを表しますので、それを覚えてしまえば音高の指示に従ってどのように歌えばよいかが分かります。天台聲明にはこうした型が42種類あります。
 ただし聲明は先に触れたようにほとんどが自由リズムの音楽なので読み取る人によって違いが出てきます。博士では伸ばす音の長さや揺らし加減を正確に記録することはできないのです。そのため、聲明の伝承には博士の解読とともに口伝がどうしても必要になってきます。したがってある程度きちんと訓練されなければ聲明を歌うことは難しい。普通のお坊さんではできないのです。
 聲明は、このように師匠から弟子への口伝でこれまで長い間伝承されてきました。しかし、これからもずっと伝承されるかどうか分かりません。聲明は仏教儀式に付随する音楽ですから、儀式の機会が減少してくると当然聲明の出番も少なくなります。宗派によっては儀式の音楽として西洋音楽様式のものも使われています。こうした状況に危機感をもつ仏教関係者も少なくありません。
   
 聲明は1000年以上の長い歴史をもつ現存する世界最古の音楽の一つであり、日本の伝統音楽の原点でもあります。また、内外の作曲家から音楽としての価値が高く評価され、さまざまな作品に取り込まれています。仏教教団内の伝承の維持も大事ですが、舞台公演などを通して今後も多くの人々の「耳を悦ばしめ」「心を快からしむ」ことを願ってやみません。

佛教大学宗教文化ミュージアム公演パンフレット掲載 原稿(2013年5月25日)