2010年5月24日(月)

 7時起床。隣の河合はまだ寝ている。地下の食堂へ行った。
 ハム、ソーセージ、パン、オリーブ、サラダなどの朝食。コーヒーを飲もうと、飲み物コーナーのポットからカップに注ぐと紅茶だった。接客係に聞くと、コーヒーポットを持った係員からもらえと言う。ほどなく河合、橋本、南、良慶、良生とフルメンバーが揃った。橋本はゆで卵3つを皿に転がしていた。
 ここで今日の行動予定を話し合った。各自自由行動だが、ワダスはハルンの事務所に行く。昨日やり残した支払い事務がある。それが終わったら、半島の突端にあるスルタンアフメットのあたりを散策してはどうかと提案した。トプカピ宮殿やブルーモスクなどのあるスルタンアフメットはイスタンブール観光の目玉である。独自のプランを持つ人はいないので、ワダスの提案通りになった。
 昨日の話では、ボリスがわれわれの観光に協力してくれると言っていたこともあった。
 みなを残して部屋に戻った。もう一つ気分の乗らない『新物理学の散歩道』を読みつつ、ちょうどいい高さの便座に座った。

エージェント事務所

 9時過ぎに部屋からハルンの事務所に電話した。誰も出ない。あれっ、9時から3時まで確実にいるということではなかったか。10時頃にもう一度かけてみた。やはり誰も出ない。ひょっとして部屋の電話が機能していないかもしれない。レセプションへ行き、そこから電話をかけてもらうとつながった。ただし、英語の分かるスタッフが誰もいない。ハルンがまだ来ていないから後で電話してくれと言っている、とレセプションの男は言いつつ、ワダスに受話器を差し出した。こちらがトルコ語を理解できないことをまったく理解していない。
 レセプションの男にワダスの意向を伝えてもらった。つまり、何時にどうやってそこへ行けばよいのか。レセプションの男は首を振ってらちがあかないことを示した。仕方がないので、11時頃再び部屋から事務所に電話してみたが、やはり応答がない。となるとやはり、部屋の電話が機能していないのか。ここは5つ星のホテルではなかったのか。
 待っている間、ネットブックでメールチェックとかTwitterをのぞいてみようと思った。ホテル・ガイドには無線LANが無料で使えるとあった。ブラウザが立ち上がり、画面にID、パスワードを要求する窓が現れた。そうか、それをもらわないと接続できないことになっているようだ。レセプションに電話した。
「IDはパスポート番号です。パスワードはここでしか出せません」と言うので、レセプションに行った。小柄な女性がワダスを見て言った。
「お部屋は何番ですか。はい、分かりました。パスポートを見せて下さい」
 パスポートを受け取った女性は「ちょっと待って下さい」と言って視界から消えた。しばらくして現れ、パスワードが書かれた紙を差し出した。
 部屋に戻ってネットにつなぐ。メールをチェックし、Twitterにつぶやきを入れた。あまり重要な用件はなかった。起き出して来た河合は朝食に出かけた。
 12時近くになって、ボリスから電話が入った。
「今からホテルに迎えに行くけどいいか」
 ほどなく1人でやって来たボリスの車で事務所に向かった。ゼニのやり取りなので、からだのでかい河合に用心棒として同行してもらった。
 ホテルと事務所の間はそれほどの距離ではないが、一方通行や坂道などがあるため、遠回りになる。
 事務所に入るとすぐに所長室に通された。窓際には秘書らしい女性が座っていた。入り口に近い席にボリスが座る。ハルンが「ドリンク?」と聞いた。河合が即座に「チャイ」と答える。
 ハルンは、昨晩の公演のビデオや写真をたくさん撮ったのでCDに焼いて送ると胸を張った。しかし、予想した通り、2ヶ月たってもなしのつぶてだった。
 ホテルの部屋で作った領収書を入れたUSBメモリーをハルンに渡した。彼はそれを自分のラップトップに差し込んだ。ところがうまく読み込めないらしく、ボリスと一緒にディスプレイをにらみながらあれこれと試している。結局、読み込めなかった。ネットブックのWordもどきは、彼らのマシンでは通用しなかったようだ。そこへ長身細顔後髪束ね中年男スタッフが顔を見せた。ハルンは彼のマシンで読み込むよう頼んだ。しばらくして首を振りつつ彼が戻って来た。読み込めなかったのだ。
「ここのコンピュータを使わせてもらえたら、領収書は今作るよ」と申し出た。隣の部屋のトルコ語キーボード配列のWindowsマシンを使わせてもらった。長身細顔後髪束ね中年男が後ろから画面をのぞき込む。トルコ語キーボードは英語の配列と違っているのでぱっぱっとはいかない。ある文字を探しているとスタッフが、これっ、と指を指して教えてくれた。プリントアウトしたものにサインをしてをハルンに手渡した。ハルンは「いいだろう」という顔をして収めた。
 ハルンは、昨晩と同じようにインボイスはないかと尋ねる。これがよく分からない。当局に出さなきゃいけないので領収書ではだめと言う。
「日本に帰ってからメールで送る。見本をくれたらその通りに作る」というと、サンプルを2枚くれた。このあたりですでに1時近くになっていた。
 こうしたやり取りの後、ハルンは傍らのカバンに手を突っ込み、ワダスを見て言った。
「さて、現金だ。4000ユーロ。ちゃんと数えてくれ。細かい紙幣もあるけど、問題ないだろう」
「ところで、アテシュには現地エージェントにこの現金から500ユーロを支払えと言われている。トルガという男だ。ずっと連絡を取ろうとしていたがつながらない。申し訳ないが、今あなたの携帯でこの番号にかけてもらえないだろうか」
 ハルンが番号を押すとすぐにつながった。
「はあい、HIROSさん。連絡を待ってた。ホテルに行きます。何時がいいですか。6時すぎ。OK。じゃあ、そのときに」
 ひとまず初期の目的は終わったので帰ろうかと思っていると、ハルンがにこにこしていった。
istanbulphotos「さて、ここには有名な芸術家がいる。紹介したい」と言う。お坊さんたちがわれわれの帰りを待っているのですぐに帰りたいのだが、と言っても意に介さない。ハルンは「さあ」と言って別室に案内した。道路に面した広い事務室に眼鏡をかけた老人が座っていた。画家だという。彼は自分の作品を背後の壁の棚から取り出してみせてくれた。壁面を見ていると「ああ、それはとても古いレリーフなんだ。みんな有名な詩人たちだ」と説明した。
 油を水面に落とすとできる模様を定着させた大小の絵を1枚1枚見せてくれた。んもー、時間がないのになあ。しかし、単に見せていたと思っていたが、実はわれわれメンバー1人1人へのプレゼントだった。プリントではなくオリジナルだ。お礼と握手をして老人の部屋を出た。
 ボリスに尋ねた。
「われわれは全員でグランド・バザール方面へ行きたい。できればトルコ風呂も体験したい。昨日、あなたが請け合ったように車で送ってもらいたい」
 ハルンが、んー、という表情で言う。
「OK。OK。ノオー・プロッブレエム。君たちがここに来た車を使える」
「ええ、でも、僕らは全員で6人だけど」
「そうか。だったらこうしよう。あの車とタクシーを使ってあなた方をそこまで送る。トルコ風呂はハマムというんだが、わざわざ遠くまで行かなくとも君たちのホテルにあるかもしれない。ちょっと電話してみよう」
 電話したがホテルにはなかった。ボリスが「グランド・バザール近くにもハマムは何軒かあるが。そうだ、あそこがいいかな。よし、じゃあそういうことで」とわれわれを促して1階に降りた。エレベーターに乗り込むと、焼き肉と煮物の混ざったようないい匂いがしていた。
 ヒュンダイ車は歩道に直角に停めてあったが、路上駐車の車が連なっていたので車道に出られない。路上の車の運転手にボリスが抗議する。待っている間、ホテルで待っている坊さんたちに電話し、外出の準備を伝える。

イスタンブール旧市街

 ホテルでタクシーを頼み、移動開始。ボリス車にワダス、河合、良生、タクシーに南、橋本、良慶が乗り込んだ。

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 坂が多く特徴のないビルが立ち並ぶ新市街から、ガラタ橋を渡り旧市街に入った。昨日、会場へ行くのと同じルートだ。
 ゆるい坂になった裏通りの真ん中辺で、ボリスが車を止めた。タクシー組が合流したのを確認して言った。
「ええ、あそこがハマムです。マッサージ付きだとたぶん50リラほどしますけど、いいですか。で、正面のあの通りを右に行くとグランド・バザールです。わたしはこれから事務所に戻りますので失礼します」
istanbulphotos ハマムの入り口は、通りから5mほど引っ込んだところにあった。外から見る限り普通のチープな建物なので、そこが風呂屋とはとても思えない。正面に「歴史的なんとか風呂、男・女の入り口、創業1475年」と書いてあった。500年以上も前からあるということのようだ。右手には入浴風景の写真のある看板。入り口から10段ほど階段を下りた大広間の左手に受付があり、若い男がいた。広々とした大広間の高い、白い漆喰塗りの天井のてっぺんに円形の小窓から陽光が室内を照らす。漆喰の壁面に円形の縁取りや植物の模様が装飾されていた。周囲を脱衣用小部屋が取り巻く中央には木製の椅子やテーブルが整然と並んでいた。
「どうしますか。風呂だけだと35リラです。マッサージ付きのコースだと50」
 男が英語で尋ねた。
 風呂に入ると宣言したのは、南、橋本、良慶。橋本は、南の脚の調子を気遣っていた。じゃあフルコースで、と男に告げた。
 河合、良生、ワダスの3人は、グランド・バザールへ行くことにした。ハマムの通りを右折し、ゆるい登り坂を上がりきると、トラムの走る広い通りに出た。そこを横切った正面がグランド・バザールの入り口だった。バザールと通りとの間はちょっとした広場になっている。広場にはパン、カバブ、焼き栗、土産物などの屋台が並び、多くの人々が行き交う。見上げると、ミナレットを従えた巨大なモスクがあった。ブルーモスクだ。
 通りの角にあった魚料理屋で白身魚のフライを挟んだサンドイッチを買った。われわれ3人はサンドイッチをかじりながらバザールへ向かう。巨大なバザールの入り口は意外に狭かった。しかし、中に入ると商店がびっしりと並び、四方に広がっていた。

グランド・バザール

 バザールのたたずまい、匂い、客待ちの店主たちの様子が、22歳のとき初めてここを訪ねたときの記憶を蘇らせた。ブルーモスクに近い安宿から、ドイツで仕入れたポルノ雑誌をもって毎日通い、毛皮のチョッキとの交換に成功したのがここだった。ほぼ40年も前のことである。

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 ゆるい勾配のある通路を歩く。散策には不釣り合いな大きなリュックを背中に背負い、ごついレンズのついた一眼レフデジカメを抱えた河合も、方々に視線を走らせる良生も、次々と現れる商品を眺めるのに忙しい。似たような外観の店が延々とつながり迷路に入り込んだ感じだ。何を買うという目的もなく、ただただ歩き回る。瀬戸物、革製品、小物、絨毯、土産物、化粧品、宝石・・。ふと、皮のジャケット屋の店内に入った。通りでぶらぶらしていた初老の店主が近づいてきた。天井に届く棚のハンガーに吊るされたジャケットはどれも高く、デザインが悪い。しぶとく食い下がる店主を振り切って再び散策。間口の狭い店の絹のスカーフが目についた。中に入って商品に触っていると、若い男がどこからともなく現れ「コンニチワ」と声をかけてきた。気に入った色のスカーフを相手に見せて値段を聞いた。istanbulphotos
「70。安いよ」
 思わず「50」と返答してから、しまったと後悔。せめて半値から始めるべきだった。結局、60リラ相当分の25ユーロを支払い購入してしまった。
 途中でタバコを吸いながら歩いていると、商店の男が「やばいよ。罰金だよ」と注意してくれた。手に包めば見つからないよ、とも言う。
 河合が「おおー、あったあー。探してたんすよ」と言って入ったバックギャモン屋の向かいに楽器屋があった。バーラム、ウード、カーヌーン、ダルブッカなどの伝統楽器がガラス越しに飾られていた。入り口から2歩ほど入ったところにネイもあった。値段を聞くとけっこう安い。竹製で1本70リラ、練習用のプラスチック製は30リラ。竹製を買ってもいいかと思ったが、楽器としての品質が分からないのでやめた。今晩会う予定のトルガに聞いてからにしよう。河合は「ひひひ。買っちゃいました」とバックギャモンのケースを振った。
 単に商品を壁にもたせて並べただけの店でイスタンブールの地図を買った。英語の分からない老人が、近くの店主に通訳してもらいながら値段を言う。高いような気がしたが4ドルで買った。全体にバザールの商品は、主に旅行者が対象からなのか高く感じる。
 ワダスは店を巡るのにくたびれてきた。バザールは何かを買わなきゃ面白くないし、なによりも歩きすぎて足がだるい。いったん外に出ることにした。バザールの中は迷路になっているのでなかなか出口が見つからない。入ったところとは違う出口から外に出た。出口の屋台で焼き栗を買う。焼き栗なんて久しぶりに食べた。
「やっぱりワダスもトルコ風呂に入りたいので、後でそこで会おう」
 まだまだ体力のある河合と良生を残してハマムに向かった。

ハマムに入る

istanbulphotos ハマムの広間では、南、良慶、橋本が談笑していた。3人ともお揃いのチェックの腰巻き姿で、薄手のタオルを頭にぐるぐると巻いている。すっかりリラックスした感じだった。
「どうでしたか」
「いやあ、最高。ただし、マッサージは痛いけど」
 南が紅潮した顔で答えた。
「とろけそうやわあ」
 まだ汗の引かない良慶も言う。
「これってどうしたらいいんですか」
「小部屋が並んでるでしょう。そこで着替えるんです」
 ベンチに浅く腰掛けて足を投げ出した橋本が言う。

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 受付で料金25ユーロを支払い、9号着替え室に案内された。ベッドと椅子があるだけの、独房のような狭い部屋だ。素っ裸になり、備え付けの薄手のタオルを巻いて広間の奥の蒸し風呂へ行った。
 もちろん湯船はない。床も壁も大理石の大きな部屋だった。湯気は出ているがそれほど暖かいわけではない。洗い桶や大理石の台がある。その部屋の奥にもう一つドアがあり、そこが本格的な蒸し風呂だった。
 部屋の中央に、腰くらいの高さの白い大理石の台があった。畳6枚ほどのその台には大の字で横になった先客が1人いた。顔にタオルを巻いていたのではっきりしないが、ヨーロッパ系の若者のようだ。クッション代わりのゴムの水枕を、首筋ばかりでなく手足にも差し入れている。ワダスも彼に習って仰向けになった。枕にした水枕のゴムの匂いが、子ども時代の水遊びをふと思い出させた。背中の大理石が温かい。ぽかぽかしてくる。真上を見上げるとドーム状の天井が見えた。お椀の底のようなドームの先端に直径1mほどの明かり取りの丸い窓が見えた。そこから強い陽光が室内に差し込んでくる。蛇口から漏れる水滴の音だけが響く。サウナのように熱くはなく、じんわりと体が暖まるようになっている。何時間でも横になっていれそうだった。男が「ふー」と言って出て行くと、室内はワダスだけになった。初めてイスタンブールに来た22歳のときもハマムに入っている。ひょっとしたら同じ風呂だったかもしれない。ぼんやりとそのときのことを思い出しながら、背中から伝わって来る熱を楽しんだ。
 熱に飽きて隣の部屋に行ってみた。すると半裸の男が近づいてきた。
「マッサージ? OK。まずそっちの部屋へ」
 通されたのは石のベッド、湯だめ槽などのある部屋だ。低い段になった石に腰掛けたとたん、頭から湯をかけられ、洗髪を始めた。ついで彼はワダスの右足に触れ、伸ばすよう指示した。タオルにたっぷりと石けんをしみ込ませ、股間は慎重に避けつつ、全身をこするように洗う。洗い終わると、石けんで滑りやすくした体を力を入れてもみほぐす。それが終わると、マッサージ男は向こうに移動するよう身振りで示した。言われるままに移動し大理石のベッドに横になった。マッサージで体をなでてくれるのは心地いい。しかし関節のほぐし方が不自然で痛かった。膝頭が固い石のベッドに当たって思わずうなった。さらに、彼の両手が首にかかったとき、かなり恐れた。ぐいっと横にされるのが怖い。やばいと思っていたら有無を言わさずいきなりグギッときた。タイ式や中国式マッサージと違い、ツボを押さえるようなことはしない。
 マッサージを終えて広間に出た。男から乾いたタオルをもらう。長めの薄いタオルを腰に巻いていると、男がもう1枚をワダスの頭に巻きながら「チップ」とつぶやくように言った。理解できなかったようなふりをして尋ねた。
「あなたは何歳なの?」
 マッサージ男が隣にいた別の男を向いた。その男はトルコ語で何か言った。それにうなずいたマッサージ男が答えた。
「48」
 まぶたの垂れ下がり具合や顔の皮膚の感じからワダスと同じくらいの年齢だろうと見当をつけていたが、実際はずっと若い人だった。一般にトルコ人は老けて見えるようだ。
 南、橋本、良慶はすでに着替えをすませて談笑していた。買い物から戻った良生、河合もいて、全員が揃った。

海岸を歩く

 海岸まで散歩しようということになった。イワシフライをかじり、サクランボを食べながら、坂道を下った。遠くに海が見える。途中に池のある公園があった。遊具で遊んでいる親子連れ、池に面したベンチでまどろむ老人たち。白いスカーフをかぶった老女が編み物をしていたので写真を撮らせてもらった。それを見たメンバーもそれぞれカメラを取り出して撮影を始めた。良慶は小さな男の子を見て「かっわいいーー」と言いつつカメラを向けた。

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 下りの道をたどれば海岸につけるはずだが、なかなか海は見えてこない。袋小路のような狭い道に出てしまう。ひっそりとした住宅街だった。ときおり、野菜などを売る小さな店があった。貧乏旅行者用らしい安宿もあった。
 偶然、鉄道の下をくぐる狭いトンネルを抜けると海岸と平行する広い道路に出た。しかし、対岸に渡る横断歩道も信号もない。中央には金網のある中央分離帯しかない。はるか先に信号らしきものが見えたが、そこまでは相当歩かなければならない。猛烈なスピードで行き交う車が途絶えるのを見計らって横断し対岸に渡った。ところが、早く走れない南だけが中央分離帯に取り残された。
 海岸まで来ると展望が開けた。大小さまざまの船が金角湾を航行している。対岸は新市街、右手奥がアジア側の市街地である。海岸沿いの土地は点々と樹木のある芝の公園になっていた。ときどき思い出したようにベンチが置かれていた。その先は海岸と平行した遊歩道だった。開放的で気持ちのよい散歩道だった。遊歩道には、散歩客を当て込んだ露天商の姿もあった。海際の岩に風船を並べた射的屋もあった。黄色い風船を見て何かと思ったが、歩道に銃がセットしてあったので射的屋と分かった。客は誰もいない。こんなんで商売になるのだろうか。良慶は「あれは、ほんまもんの銃ちゃうかあ」などと言う。
 チャイ、駄菓子、釣り道具レンタル屋、移動パン屋など。どれもはかない商売だ。荷室を海に向けたバンが止まっていた。2人の男が積んであった大量のパンを海に捨てていた。魚の餌として撒いているのだろうか。
 釣りをしている人もいた。中年男に「何が釣れる?」と聞くと、瓶に入れた魚を見せてくれた。イワシだろうか。遊歩道の途切れるところで、少年たちが飛び込み遊びをしていた。

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スピード狂のタクシー

 タクシーに分乗してホテルへ戻ることにした。河合、良生、ワダスの乗った運転手は、走り出したときメーターを動かさなかった。抗議するとしぶしぶ動かした。50代だろうか。それなりに英語を話すので、退屈しのぎにあれこれ聞いた。
 妻と子供2人の父親。稼ぎは悪くないという。
「ムスリムだったら妻を4人までもてるのだから、もう1人どう?」
「そりゃあそうだけど、そんなにもてないよ。なにしろ、マシンがちゃんとしているかが問題だろう。お前のマシンは機能しているか」
「ときどき」
「ははは、ときどき。オレも、ときどき、妻1人と」
 車は来たときと同じようにガラタ橋を渡り、坂の多い新市街を猛烈なスピードで走る。イスタンブールのタクシーはみなスピード狂だ。ちょっとでも前があくと思い切りアクセルを踏み込んで加速する。たいていは渋滞しているから、失った時間を取り戻そうと焦っているのか。市街地の一般道を100km近くで走るのは当たり前だ。車道のどこにも速度制限表示がない。ハンドルを握ったとたん凶暴になることが分かっているからか、単に標識の予算がないのか。ともあれイスタンブールのタクシーに乗るのはスリリングだ。

トルガ

 5時頃ホテルに着いた。部屋に戻って、おおたかさんのホテルや携帯に電話したが、つながらない。メールを見ると「携帯に手間取っている」とあった。
 河合は「ちょっとサウナに行ってきますわ」と地下へ行った。
 Twitterに書き込みを入れているところで電話が鳴った。トルガTolga U¨nald?からだった。あれ、女性だったんだろうか。念のために「君は男だよね」と聞いた。
「友だちにも間違われるけど、男ですよ。今、1階のレセプションにいる。どうしよう」
「部屋まで上がって来て」
「OK」
istanbulphotos ほどなくノックがあった。長身、長髪、無精ひげのほっそりした青年だった。アテシュから依頼された500ユーロをまず手渡した後、笛談義になった。
 彼は、肩に担いだ太い筒ケースからネイ、尺八、バーンスリー、エジプトのカワラなどを取り出し、ベッドに広げた。
「アテシュにあなたはバーンスリーを演奏すると聞きましたが」
「ええ、まあ」
「誰に習っているんですか」
「ムンバイのハリプラサード・チャウラースィアという人です」
「ええっ、あのハリジーに習ってるんですか。それはすごいなあ。僕もバーンスリーを習いたいと思っているんです。ほら、ここにもバーンスリーがあるでしょう。この楽器はディーパク・ラームから買いました。彼がイスタンブールに来たとき、ちょっと手ほどきを受けたんですけど、難しい楽器ですよね」
 ディーパク・ラームとはアメリカ在住のハリジーの弟子だ。ハリジーの自宅でレッスンを受けていた頃、一度だけ会ったことがある。トルガはネイ奏者として演奏活動をしたり、大学で教えているという。
「本当は、世界中の竹製の笛を研究テーマに博士論文を書きたいと思っています」
「アテシュとはどんな関係?」
「親戚みたいなもんです。イスタンブールに彼が来るとたいてい会うことになっています。ところで、今日はどこかへ行かれたんですか? グランド・バザールでネイを見たって? ええと、ネイはバザールで買わないほうがいい。ごみですよ。あさって時間がとれたら、ちゃんとしたメーカーに連れて行ってあげるよ」istanbulphotos
 河合が部屋に戻ってきた。
「まいったっす。サウナの横にあった水のプールがあったけど、その水がむっちゃ冷たくて。尋常じゃない冷たさでした」
 トルガを紹介した。そのうちお坊さんたちも部屋に集まってきた。
「ところで、どこか典型的なトルコ料理の店で食事をしたいのだが。ただし、われわれの1人が今晩の便で帰国することになっていて、9時にホテルに迎えに来ることになっているので、ゆっくりはできないけど」
「OK。あ、いいところがあります。わたしがよく行くレストランですが、そこでもいいですか。場所は、ベシクタシュ。船着き場のあたりです。歩いてもたいしたことありません。歩きましょうか」
「何分くらい」
「20分」
 ワダスは前日に河合とそこまで歩いていったので30分はかかることを知っていた。南の足の状態もよくないのでタクシーで行こうと言った。
「そこではビールが飲めるか」と橋本。
「飲めない。トルコのレストランでは酒類は置かないんだ。酒を飲むんだったら、レストランの後で行ける場所を知っている」

トルコ料理

 ホテルで拾ったタクシーは猛烈なスピードで走り、昨日散歩した船着き場の手前で停車した。所要時間10分弱だった。
 レストランは3階まで客席がある大きな建物だ。1階がキッチンになっていて、調理人や料理を運ぶ人間でごった返していた。われわれが通されたのは3階の窓際だった。案内したウェイターはトルガと知り合いだった。

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 料理は、漬物汁のような飲み物シャルガム、ヨーグルト飲料、カバブ料理。カバブというのは炭火で調理したもの一般を指すのだという。シャルガムは、酸味と塩味のある紫色の飲み物。柴漬けの汁だ。
「健康にいいので地元の人はけっこう飲むんだ」
「げっ、なんだこりゃあ」と舌を舐めるメンバーに、トルガがそう説明した。
 野菜サラダ、エビの唐揚げを、コチジャンのようなペーストをつけ葉っぱでくるんで食べるものが前菜。韓国料理のような雰囲気だった。ついで大皿に盛られたチキン、マトン、茄子、細長いピーマンなどのカバブ料理はなかなかにおいしかった。ピーマンと思って食べた細長い野菜は、しっかりと辛みのある唐辛子だった。
「ここはわたしがお連れしたので勘定は私がもちます」
 トルガが最後に申し述べる。なかなかに義理堅い青年のようだ。しかしワダスは、トルガをむりやり押さえて食事代を支払った。
「明日、友人の演奏がチュラン・パレス・ケンピンスキ・ホテルであるけど、一緒にどうですか」
「それは素晴らしい。ぜひ連れてってほしい。あそこはすごいゴージャスな宮殿だったところだ。前に演奏したことがある。楽しみです」

良慶、1人で帰国

 トルガと別れ、9時前、ホテルに帰った。玄関にビュレントの姿が見えた。われわれを待っていた訳ではないようだ。アルジェリア系フランス人ミュージシャンを待っているという。オザンとファトマも姿を見せた。彼らはフェスティバル参加ミュージシャンの送迎で忙しいのだ。
 玄関外のカフェで煙草を吸いながら待っていると、フセインという名の貧相な運転手がやって来た。
 空港まで良慶と同行したいとオザンに申し述べた。
「うーん。それはOKだが、帰りはどうする?」
「えっ、どういうこと?」
「つまり、契約では空港まで1人送るとなっていて、復路は入っていない。あんたは空港からどうやって帰るつもりなのか」
 そばで心配そうにやりとりを聞いていた良慶に説明した。
「えっ、そんなあ。あかんやん、そんな。嘘やろおー。1人で行くんかいな。まいったなあ」
 それを聞いて橋本がいう。
「ひっひひひっ。池上、そういうことや。あきらめや」
「約束がちゃいまっせえ。どないしてチェックインせえちゅうの。まいったなあ。マジかよ」
 良慶はこう言いつつ大きな黒いバンのトランクにスーツケースを入れ、乗り込んだ。残った全員で良慶を見送った。
「イギリスにも1人で行ったさかい、大丈夫ですよ」と冷静な表情の良生。残ったメンバーも茶化しこそすれ心配している人はいない。こうして良慶はみんなに見送られて空港へと去った。帰国した後の良慶がこう言っていた。
「まいったよ。なにしろ、ホテルとか主催者とか中川さんの連絡先、なーんも持ってへんやろ。しゃあさかい、もし何かあったらどないなるんやろ思うた。けど、なんとなくスムーズにチェックインでけたし。ま、ええ経験さしてもろたわ」
 ビールでも飲みましょうか、となり、ホテルの屋上のビアガーデンへ行くことにした。全員がエレベーターに乗り込んでいざR階ボタンを押そうとしたら、反応しない。
「やってないんとちゃうますかね」河合が言う。
 とりあえず最上階の16階まで行ってみた。景色は通常の客室と同じだ。屋上へ通じる通路らしきものも見当たらない。エレベーター内の案内をもう一度確かめると、屋上ビアガーデンは閉鎖し、1階に移動したと書いてあった。再び1階に下り、バーでビールを飲んだ。
 ワダスだけ部屋に戻り、おおたかさんの携帯にかけてみた。ようやくつながった。
「ホテルではネット接続できると聞いていたのに、工事中とかでつながんない。仕方ないので近くのネットカフェでメールチッェクしてました。日本から持って来た携帯でいけると聞いていたのに、これも新しいものを買わないとだめと言われたの。で、新しい電話機にしたのでようやく使えるようになったのよ。この中川さんからのが初着信でえす」
「そうでしたか。で、メールでは明日、おおたかさんの演奏があるんですよね。場所はなんとなく分かったので、みんなで聞きにいこうと思ってるんですが。それと、1人、トルコ人演奏家も一緒にと思っています。どうですかねえ」
「あら、いいわよ。だったら6人ご招待ということにしますね」
 というわけで、明日はわれわれとトルガを招待してもらうことになった。来る前に彼女からもらっていたメールでは、国際交流基金主催の日本・トルコ交流展覧会開会パーティーで歌うとあった。われわれの公演と時期が重なったのは偶然だった。
 バーから戻って来た河合と、お葬式、戒名、これからの仏教界はどうなる、などという話をした。彼も現在の仏教界を巡る状況には危機感を抱いているようだった。

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