2010年5月26日(水)

 7時頃起床。地下食堂は相変わらず日本人観光客でにぎわっていた。中高年の観光客は帰国なのか、ホテル正面に横付けした大型バスに乗り込み去っていった。

Yazdil工科大学

 10時過ぎ、おおたかさん、赤松さんがホテルへやって来た。
 全員で、トルガが助手として勤めているYazdil工科大学音楽学部へ向かった。
 大学は近い。デデマン・ホテルの通りに直交する下り坂の大通りに面している。丘のてっぺんに位置しているので大通りからはかなり高い位置にあった。
 タクシーは急な坂道をぐんぐん登った。ゲートの警備員に行き先とトルガの名前を告げた。警備員は詰め所の同僚に「お前、トルガなんやらから何か聞いているか」と言っているようだ。相手は「知らんなあ」と言っているようだ。そこへ、後ろのタクシーに乗っていた赤松さんが降りてきてトルコ語で彼らに説明した。警備員は赤松さんの説明で納得したようだ。
 仮設店舗の並ぶにぎやかな場所でタクシーを降りると、そこへトルガが姿を見せた。
「今、大学祭の準備なんです。で、試験もある。学生たちはみなかなり忙しいのよ。では音楽棟に案内します」
 彼の後について構内に入った。建物の配置、たたずまいが大学らしくなってきた。細長い2階立ての建物からピアノの音が聞こえる。トルガは向かいの建物をさして言う。
「ここはかつて皇女がいたところです」
 ピアノが聞こえてきた細長い建物がトルガの所属する音楽棟だった。上がり階段の手前の大きな木の下にテーブルがあった。若い人たちが座ってわれわれを見ていた。そこになんとアイシャギュルもいた。
「あれっ、あなたはなんでここに?」
「わたしもここの卒業生なの。学園祭があるので手伝いに来たのよ」
 偶然なのか、あるいは昨日の話し合いでトルガとよりを戻したのか。よく分からない。
 音楽棟の玄関ホールでトルガが左右を見渡した。誰かを探しているようだ。そこへトルガの知り合いという写真の先生が現れた。温厚な表情の中年男だった。トルガが紹介した。
「彼は、ここの写真学科の先生です。ほとんど毎年バナーラスにでかけてタブラーを習っているんだ」
 彼のグルはキシャン・マハラージだという。ワダスがバナーラスにかつて住んでいたと彼に言うと、バナーラスのローカルな話題で盛り上がった。バナーラスを題材とした写真集をもらった。写真集の略歴によれば、1960年生まれで、名前はエメール・オルフン。

音楽教室

 われわれ一行はトルガの後について、ときおりピアノの音が聞こえてくる教室の廊下を歩いた。左右に教室がずらっと並んでいる。トルガはときおり教室のドアを開け「ちょっと待ってて」と言ってどこかへ消えたりする。
 学生がふと出てきた教室をのぞくと、小さなメモ台のついた椅子に座る4人の学生がいた。学生たちはみな大人びて見える。ジーンズ、緑色のポロシャツに茶の皮ベストを着た男が先生のようだ。彼の前に2個1対の太鼓が置かれていた。下腹の突き出た口ひげの先生の手にはスティックが握られていた。トルガが「この人は有名な何々さんだ」といった。
 ついで有名な作曲家が使っていたという部屋に案内された。書架を埋める書籍、ピアノを始めいろいろな楽器、トロフィー、大机など。生前のままそっくり残されているという。
 別の教室ではカーヌーンのレッスン中だった。灰色のスーツを着た先生が2人の女子学生に授業をしていた。金髪に眼鏡をかけた学生と、黒い髪の地味な学生だった。突然どやどやと入ってきたわれわれを見た先生が、学生に演奏を命じた。2人は、学生用椅子に座ったわれわれに、それぞれ短い曲を披露した。素晴らしい音色にお坊さんたちもうなずき感心していた。
 バーラム教室ものぞいた。大きな鏡とアップライト・ピアノのある部屋だった。口ひげ、赤縞のシャツの中年男性の先生が、男1人女1人の学生に教えていた。バーラムというのは、トルコの代表的な弦楽器だ。サズという名前だと思っていたが、バーラムが正確なのだとトルガが言う。サズといっても間違いではないが、サズは楽器一般を指し、バーラムは特定の楽器の呼称という。先生はわれわれ一行に教室内に入るよう促した。
 2人の学生のデモ演奏を聞いた。黒い髪、ひょろっとした細身の女子学生が繰り出すメロディーは滑らかだ。通常の弦とオクターブ低い弦をピックで同時に弾く野太い、切れのよい音が心地よい。黒づくめの大柄な学生の演奏は繊細だった。
「そうだ。最近、ここに録音スタジオができたんだ。僕らの手づくりなんだけどね。そこも案内したい。で、もし反対じゃなければ、録音したいがどうだろうか」
 トルガがバーラム教室を出たときこう言った。
「もしOKなら今からエンジニアを手配する」
 おおたかさんは「そうねえ。録音したものをよそで使わないという条件だったらいいわよ」と言った。橋本、河合、良生の雅楽隊も、問題はない。学生に披露するかあるいは交流の演奏があるかもしれないということだったので楽器を持ってきていた。
 エンジニアの手配ができるまでいったん外に出てお茶でも飲もうということになった。音楽学校の出口に来たとき、トルガが「あっ、学部長だ。紹介します」と言った。細い縞の入った白いシャツ姿の端正な顔の男だった。われわれの方に顔を向けたが、どこか遠くを見ているようだ。学部長は盲目の人だった。トルガから説明を聞いた学部長はうなずきながら英語で言った。
「ようこそいらっしゃいました。機会があれば皆さんの演奏も聞きたかった。ゆっくりしていって下さい」
 そう言って事務員の肩に手を置いて事務室へ消えた。
 壁の近くにカーヌーンのケースが二つ置いてあった。長方形の箱が床に斜めに刺さったようにも見える。それをお坊さんやおおたかさんがおかしがる。
 外は人でいっぱいだった。トルガの元妻も合流し、正門近くに移動した。カフェに行ってみたがいっぱいだった。みんな、木の下になにげなく集まる。

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 赤松さんに、われわれの空港送迎を確認するため、ハルンの事務所に電話してもらった。赤松さんは「オザンという人が担当だからそっちに連絡してくれと言ってますが」という。ワダスはもちろんオザンの連絡先は知らない。
「9時にはホテルに迎えに行くことになっていると言ってます。それでいいんですか」
 ま、ハルンは忘れてはいないということだ。間違いないだろう。わざわざオザンの電話番号を聞いて確認するまでもない。きちんとした予定をあらかじめ知らせてくれればこんな心配はしないですむのに、まったくトルコ人たちの考えていることは分からない。

トルガの相談

 トルガがワダスに近づいてきた。
「ヒロース。どうしても見せたいものがあるんだ。一緒に来てくれる?」
 なんだろうとついていくと、小さな蓮池があった。睡蓮だ。小さな花がぽつぽつと見えた。

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「これを見せたかったんだ」
 トルガがうれしそうな顔で言った。彼は、昨晩の酒を交えたおしゃべりですっかり打ち解けていた。
「ところで、昨日からあなたの言ったことを考えていたんだ。バーンスリーを習ってみたいけど、どうしたらいいだろう。インドに行ってハリジーに会えるだろうか」
「もちろん会えるし、紹介状が必要だったらわたしが書いてあげるよ。でもね、昨日も言ったように、バーンスリーは難しいよ。ある程度自由に演奏できるようになるには、毎日練習しても最低でも数年はかかる。もちろん他の楽器もそうだ。ずっとネイを練習してきたあなただったら分かるよね。それよりは、ネイの演奏をずっと追求したらどうなのかなあ。最終的なゴールは、どんなことをやっていても同じだからね」
「昨日もそう言ってたよね。ずっと考えていたんだ。そうだね。あなたの言う通りかもしれない。ネイをもっともっと練習すべかなあ。そうだなあ」
 しばらく考えてから、トルガが蓮池を眺めながら言った。
「あなたの言う通りだね。ネイに専念することにした。いろいろアドバイス、ありがとう。おかげで吹っ切れた。じゃあ、みんなのところに戻りましょうか」
 蓮池を見せたいといってワダスを誘ったのは、自分の考えを確認したかったからだった。

録音

 録音スタジオは手づくりにしては立派なものだった。真ん中に大きなミキサーが据えられ、ガラス窓の手前に1組のまるっこいスピーカー、中央にコンピュータ・ディスプレイが鎮座していた。ま、どこにでもある録音スタジオの景色だ。ミキサー室と録音ブースがガラス窓で分けられている。ミキサーには若い男が座っていた。
 まず橋本、池上、河合の雅楽の録音。3人の前それぞれにマイクがセットされ、ヘッドホンが渡された。演奏したのは「越天楽」。気楽な録音なのでみなリラックスして演奏した。

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 ついで、おおたかさんの番だった。
「何しようか」
「何か民謡音階でできるものがいいですかね。たとえば『音戸の舟歌』とか」
「そうねえ。じゃあ『音戸の舟歌』にしましょう。中川さんはどうする。なんか適当にふわふわと流して吹いてもらいましょうか」
「分かりました。そうだ、ついでにトルガにも加わってもらおうか。ネイで」
「いいわね。そうしましょう」
 ということでトルガ、おおたかさん、ワダスの3人で録音ブースに入った。
 まずネイ、バーンスリーで導入部を即興し、続いておおたかさんが1番、2番を歌う。2番と3番の間でネイとバーンスリーの即興、3番でふわふわと3人で合奏するという流れ。トルガはなんとなく自信のなさそうな表情だ。ネイはときどき民謡音階と異なった音を出した。その外れ方がなかなかネイらしくていいのだが、トルガはそれを「失敗」ととらえたらしく、目で「すみません」と言っていた。
 録音が無事終わった頃、昼食の時間になった。
 おおたかさんと赤松さんは日本領事館でランチの後、地元テレビ局の子ども向け番組に出るというので、われわれと別れた。トルガと写真講師エメールが職員食堂へ案内してくれた。

職員食堂でランチ

 案内された職員食堂は、音楽棟から離れた7階建ビルの屋上にあった。全フロアを使った本格的な大きな食堂だ。ほとんど客はいなかった。開口部が多いためとても明るい。
 強い日差しの屋上テラスにも椅子とテーブルが置かれていた。そこからの眺めが素晴らしかった。大学は丘のてっぺんに位置しているので周辺を見下ろすことができる。ボスポラス海峡はもちろん、半島の先にあるスルタメット、ウシュクダラなど、起伏のあるイスタンブール市街地を一望できた。お坊さんたちは全員デジカメを取り出して撮影。
 食事はスープ、パン、レバー・フライにフライド・ポテト添えという簡単なものだった。職員食堂ということで期待していたのだが、あまりおいしくない。

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ネイを買いに

「さて、これから何をしましょうか」
 トルガが聞く。
 ワダスは「ネイを買いたい」と言った。
「分かった。素晴らしい職人がベシクタシュにいるからそこへ連れて行こう」
 お坊さんたちも特別やることはないので全員で行くことになった。
 学園祭準備の進むキャンパスを抜け、正門から外に出た。キャンパスの下り坂を降りると広い公園になっていた。大学と公園の創立者の銅像を見ながら坂を降り、海をめがけて歩くとベシクタシュだ。

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 この界隈はほとんど毎日来ているが、大通りから目につく建物しか知らなかった。トルガの後について路地に入った。意外に混雑した繁華街だった。貝殻を広げたような屋根の魚市場、食堂、ブティック、雑貨屋などが軒を連ねている。タクスィムよりもずっと庶民的で、人々の服装も表情も違う。方角が分からなくなるような複雑に入り組んだ街路だった。ひっそりとした通りの看板を示してトルガが言った。
「あそこがネイの店だ」
istanbulphotosistanbulphotos 看板には「ネイザン」と書いてある。楽器屋とは思えない地味な入り口だ。入り口から奥へ通ずる通路の左壁面にぎっしりと細竹がぶら下がっていた。ネイの材料を乾燥しているのだ。あたりには独特のオイルの匂いもする。
 奥が事務所スペースだった。眼鏡をかけた中年男がトルガを迎えた。店主のユジャル。57歳だという。品が良さそうでいて抜け目のない表情だ。彼の大きな机の上に大きなコンピュータ・ディスプレイが乗っていた。他に2人の若者がコンピュータに向かって五線譜の入力作業をしていた。
 トルガがわれわれを紹介し、ユジャルはみんなを見てうなずく。
 別のコーナーに展示してあるバーラムやナッカラー、カーヌーンなどの楽器を見ながらユジャルがトルコ語で言った。トルガが通訳する。
istanbulphotos「かつてはこういう楽器もここで作って売っていたが、現在作っているのはネイだけだ。ネイを作る職人はトルコにたくさんいるが、プロの使うレベルのものを作るのはトルコ中でも5人はいないだろう。わたしはその1人だ。全国、いや全世界からネイを買いにやって来るんだ」
「さて、どなたがネイをほしいのかな」
 トルガがワダスを紹介した。
 ユジャルは「うーむ」とうなずき、小型巻き尺でワダスの腕や手、指の間隔、長さを計測した。楽器屋というよりも仕立て屋に来た感じだ。
「このネイだったら君にぴったりだろう」
 1本のネイをワダスに見せて言った。
 そのネイをワダスに持たせたまま、今度は机の上にあったプラスチックの三角定規を取り出した。
「こう、真っ正面で唇に直角にネイを当てた水平面から下方30度、右に30度が正しい持ち方だ。歌口から息を吹いて下さい」
 左手に持ってマウスピースを唇に当て息を吹きかけたが、何の音もしない。ユジャルは、本体を適正角度に修正し、ワダスの唇をじっと見た。英語で言った。
「唇はそうじゃなくて、ほら、こんな風に、前に突き出すんだ。口笛を吹くときのような感じだ。そうそう。ほら、息を吹いてごらん。うん、もうちょっとだ。あーあ、唇を引っ込めない。突き出すような感じ。こんな風に」
 ワダスの持っていたネイをユジャルが自分の口に当てがって吹いてみせた。掠れ気味だが、とてもクリアな音だった。
「こんな風に、左の親指を塞いだ状態でまず音を出すこと。この状態で4種類の音が出ているだろう。一番出やすいこの音をまず1週間、ついで5度上の音を1週間、さらに最高音を1週間、最期に最低音を1週間出す練習をすること。そうすれば音が出るようになる」
 本当に出るようになるのだろうか。

これって簡単やないすか

 お坊さんたちはこのやりとりを所在なげに見ていた。退屈させてはいけない、と思ったのか、ユジャルが彼らに言った。
「誰でもできるからあなた方もやってみますか」
 橋本がにやっとして「イエース」と言う。
 ユジャルは橋本の口にネイを当てがい、さあ、吹いてみて、と言う。
 すると、なんとちゃんとした音が一発で出たではないか。つぎに試みた河合も音が出た。それを見てワダスもやってみたが、やはりさっぱりだった。
「中川さん。これって簡単やないすか。誰でも出せますやん。ええ? 出ない。おっかしいなあ。簡単やのになあ、ひひひひひひ」
「あれ、意外と出るんやないすか」
 河合も追い討ちをかける。
 悔しいが、ワダスはてんで音が出ない。トルガが「時間かかるよ。僕もちゃんとした音が出るまで1年はかかったんだ」と慰めてくれるが、なんで橋本や河合にちゃんと音が出てワダスには出ないのだ。
 ユジャルはトルガに向かって言う。
「うーん、この人はフルートの唇なんだな。どんな笛なんだい?」
ワダスがケースからバーンスリーを取り出して渡した。歌口に唇を当てて吹こうとした。もちろんまともな音は出ない。
「これは、難しい楽器ですねえ。とても指が届かないし。お手上げだ。どうもありがとう。ところで、あなたがた、飲み物は何がいいかな」 河合がすかさず言った。
「チャイ」
 ユジュルは、コンピュータに向かっていた青年にチャイをもってくるよう命じた。
 それほど大きくない芝のある中庭に出てみた。ビルに区切られた空は真っ青で気持ちがいい。

足にも羽の付いた鳩

istanbulphotos 出入り口ドアのすぐ右手に鳩小屋があった。中に白い鳩が数羽いた。この鳩が変だった。足にも白い羽が生えている。逃げないようにくっつけたとしか思えない。トルガが見て言った。
「この鳩は特別なんだ。ものすごく高価なんだよ」
「飛べるのか」
「もちろん飛べるよ。ちゃんと元に戻ってくるし」とわれわれの後からチャイをもって中庭にやってきたヤジュルが言う。
 再び事務室に戻り、ヤジュルが自分の作っているウェブサイトを見せた。彼の巨大なデスクの上に乗った巨大なディスプレーにつぎつぎとページが現れた。
「わたしのウェブサイトには、ネイに関するあらゆることが載っているんだ。楽譜も、ほら、あるだろう。古い曲や新しい曲、初心者用のものもある。彼らは、集めてきた楽譜を電子化する作業をしているんだ。で、わたしのネイを購入した人は生涯補償がつく。もちろんわたしが死ぬまでということだけど。何年後だろうと、わたしからネイを買った人は、このシリアル・ナンバーをいえば無償で修理したり交換する。お客は世界中にいるよ。ほら、この人はロシア人、これはドイツ。晴れてネイザンとして演奏家になったときには、ほら、ここのネイザンというところに名前と写真が掲載されるんだ。初心者ももちろん掲載される。君の名前はなんだっけ。うん? Hiros NAKAGAWAと。あっ、名刺にあるな。よしと。ほら、もう君の名前は登録されたよ。写真を送ってくれれば掲載するよ」

ネイを買う

istanbulphotos もうワダスが購入することを前提とした口調でどんどん話を進めていく。
「さて、今、君が持っているのはプロ用のものだ。品質は保証付き。ただ単に練習するのであれば150ユーロのものもある。もっとも、練習用だと十分な音が出るかどうかはなんとも言えない。どうしますか。どちらにしますか」
 ユジャルは、プロのプライドをうまくくすぐる。ワダスが迷わずプロ用を選ぶと確信しての問いだ。
「プロ用のやつですね」
「そうしたほうがいい。あとあとのことを考えれば。で、どうやって持っていくかな。そのバーンスリーのケースに入れてく? どれどれ。うーん、大丈夫のようだ。ただ、マウスピースがちょっとひっかかるな。実は、わたしんとこではケースも扱っているんだが、見るかい?」
 ケースのことは考えていなかった。1本用、2本用、4本用など本数に応じたハードケースを出してみせた。
「開閉金具はね、日本製なんだ。ほら、よくできてるだろう」
 金具をいじる腕の高価そうな青い文字盤のロレックスがきらりと光る。足の羽根のついた鳩といい、ロレックスといい、ユジャルはかなり商売上手な男のようだ。
 結局、ネイと2本用ケースを275ユーロ+10ドルで購入した。3万円以上だ。購入を見届けたトルガは学校の用事があるのでと途中で帰っていった。最初から入手したいと思っていたワダスは、高すぎたかなというかすかな後悔はあったが、満足だった。
 ユジャルの店を出た。途中のカフェでビールを飲みつつ、行き交う人々を漫然と眺めた。帰国が迫ってきたためか、お坊さんたちは最近の知恩院人事の話で盛り上がっていた。

ホテル予約の手違い

 6時頃ホテルに戻った。部屋に入ろうとカードキーを差し込んでも開かない。
 あわててレセプションに行った。
「あんたたちのチェックアウトは今日の12時だ。また部屋を使う場合はエクストラ料金がかかるが、それでもいいか」
「えっ、何かの間違いだろう。エージェントには明日まで部屋が使えると言われている。この契約書を見てくれ」
「そんなことを言われましても。私どもは12時チェックアウトということで部屋も空けているんです。皆さんのお荷物はそのままにしていますが。契約書? どれどれ。ふうむ。ちょっとお待ち下さい」
 レセプションの男はワダスの差し出した契約書をもって事務室に消え、再び戻ってきた。
「どうやら、わたしどものミスだったようです。お部屋はもちろんお使いいただいてけっこうです。追加料金もありません。カードキーも登録し直します」
 部屋に入って荷造りし、ベッドに横になってぼやっと過ごした。橋本と良生がノックしてきた。
「サウナへ行ってきますわ」
 9時前に荷物を持ってロビーへ降り、チェックアウト。電話代、ルームサービスの食事代などの支払いを済ませ、われわれを送るミニバスが到着したので乗り込んだ。

南上人、車椅子に座る

 20分ほどで空港に着いた。チェックイン・カウンターで男性の係員にワダスが囁いた。「車椅子は用意できますか」「もちろんです。すぐに手配します」
 チェックインが終わると、車椅子を押してきた中年の男がやって来て言った。
「どなたです? 車椅子の必要な方は」
 ワダスは後の南を指差した。
 南は、えっ、な、なんですか、車椅子、ええーっ、と唸った。
「空港内ではけっこうな距離を歩かなきゃだめなので頼んでみたんです。どうなるのかなという好奇心もありまして」
 係員に車椅子に座らされた南を見て橋本がはやした。
「センセ、似合うてますよ。ひひひ。ばっちりですやん。これでだいぶ楽になりますよ」
 椅子を押す係員が「介護同行者はどなた」と聞くのでワダスだと応えた。
「じゃあ、一緒にわたしの後について来て下さい。後の皆さんはあの列に並んで出国手続きをして下さい。さ、行きましょう」
 南、ワダス、トルコ人中年男の車椅子3人組はほとんど列のない出国審査カウンターに直行した。われわれの後にも車椅子に座ったヨーロッパ人らしい老婦人がいた。係員が管理官に何かを言うと、係員が「さあ」とわれわれを促した。あっさりと出国手続きは終わってしまった。後ろを見ると、橋本、河合、良生が長い列の後ろに並んでこちらを見ていた。
 車椅子係員は、免税店の並ぶ広いエリアを抜けた待ち合い場所まで連れていった。南をソファに座らせた後「じゃあ私の勤務時間は終わりです。交代要員は後で来ますので、それまでここでお待ち下さい」と言い残し、車椅子を押しながら行ってしまった。
 しばらくして橋本、河合、良生が合流したが、お土産を買わなきゃと免税店へ散っていった。ワダスは南1人を置いていくわけにはいかない。まだリラが残っていたのでワダスも免税店に行きたかったのだが仕方がない。われわれのまわりは車椅子を必要とする老人、子供だけだった。にわかに気弱そうに見えてきた南が言った。
「土産も買わんとなあ。ちょっとなら歩けるけどなあ」
「そんなことしたら、歩けるということがばれてしまいます。じっとここにいるしかないようです」
「そうやなあ」
 南は力なくつぶやいた。
 メンバーが戻ってきた。ワダスは南のリラも預かって免税店を回った。どの商品も恐ろしく高い。ヨーロッパの空港よりも高いかもしれない。ちょっとしたサンドイッチでも2000円くらいしたし、ブランド品などはムチャクチャだった。
 トルコ音楽のCDは1枚100リラ。日本円で6000円だ。コンサートでは七聲会のCDを1000円で売ったのに。いくらなんでも高すぎる。余っても仕方がないので南のリラと合わせて2枚CDを買ったが、街で買っておくべきだったと後悔した。
 そうこうしているうちに関空行きの便のアナウンスが聞こえた。フライトは23:50である。橋本、河合、良生も、セキュリティー・チェックを終えて待ち合いロビーに移動していた。ところが、われわれのところに来るはずの車椅子交代要員が現れない。深夜なので乗客や空港関係者の姿もまばらになってきた。待ち合い場所の方を見ると、セキュリティー・チェックの係員たちが機械を片付けているのが見えた。構内アナウンスが「関空行きの乗客はただちに○番待ち合い場所でボーディング手続きを済ませよ」と何度も繰り返す。心配になったワダスはセキュリティー・チェック要員がいる場所までいって尋ねた。
「あのお、関空行きに乗るんですけど、車椅子係員が来ない。間に合いますか?」
「ええっ? 関空だって? セキュリティー・チェックもほとんど終わってるんだよ」
「でも、車椅子が・・」
「分かりました。こちらからも言っておきましょう。しばらく待って下さい」
 ぎりぎりの時間になって交代要員が現れた。
「急ぎましょう。ついて来て下さい」
 彼はほとんど走るように椅子を押して飛行機に向かった。2人分の手荷物を抱えたワダスはその後から駆け足で従った。
 われわれが最後の乗客だった。機内には手荷物の収納もとっくに済み、離陸を待つばかりだった。座席はほぼ満席だった。ほとんどが日本人観光客だ。関西弁のおしゃべりも聞こえる。途中でおおたかさんの姿も見えた。
 音楽学校で「同じ便なんだあ。わたしは関空からすぐに伊丹に移動して次の日、新潟に飛ぶのよ」と言っていたのを思い出した。
 南とワダスの席は最後列。席に落ち着くと機はただちに離陸した。ふと気がつくと、朝食の時間になっていた。ヨーロッパ往復でもそうだが、帰りのフライトはいつも短く感じる。帰宅したのは27日(木)の夜だった。機中2泊現地4泊の濃縮された旅がこうして終わった。

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