2010年5月25日(火)

 6:40起床。時差ぼけは解消したようだ。
 7時に地下の食堂へ。昨日と同じように、ほとんどの席は日本人旅行者によって占められていた。野菜中心の簡単な食事の後、屋外のカフェへ行き、タバコとコーヒーの定例誘因セットで静かに待つ。
 今日の予定はとくにない。午前中はネットにつないでTwitterに書き込みし、メールをチェック。
 河合はブルーモスクへ行きたいと言っていた。ただ、観光はくたびれるし、南の足のこともある。昨日と同じエリアに行くのも気が重い。夕方にはおおたかさんの出るパーティーに行くことになっている。旧市街観光はやめて新市街地へ行くのはどうかと提案した。イスタンブール土産もどこかで買えるだろう。

新市街中心地タクスィムTaksimへ

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 12時に集合して、新市街中心地のタクスィムへ地下鉄で行くことにした。地下鉄のGayrettepe駅はホテルに近い。歩いて7分ほどだ。地下鉄駅のある広い通りは高層ビルが並ぶビジネス・エリアだった。銀行などが目につく。
 長いエスカレーターがかなり深くまで伸びていた。改札口広場はほとんど装飾がなく、簡素で衛生的といえるような駅だった。硬貨用と紙幣用の自動発券機が二つだけあった。日本では小さな駅でも自動発券機は数個あるものだが、二つで間に合うということだろうか。その自動発券機で1.5リラのトークンを買う仕掛けである。
 めいめいにトークンを手に改札を通過した。しかし、南と良生がまだ発券機のところでとどまっていた。南が紙幣を何度も挿入している。そのたびに紙幣が戻ってくるらしい。「おっかしいなあ」とつぶやいて首を傾げながら何度も何度も試していた。そのうち制服を着た係員がやって来た。係員は、その紙幣は使えない、と言っているようだ。後で理由が分かった。旧紙幣だったのだ。
 車両はピカピカしているがどことなく無骨なデザインだった。大きさは日本とほぼ同じだ。成型プラスチックの真っ赤な座席が壁面に固定されている。車内はそれほど混んではいない。つり革は天井のレールから前後に動くようにぶら下がっていた。それを橋本がおかしがる。
 10分ほどで終点のタクスィム駅に着いた。電車を降りた人々の流れに従って歩くと左右に分かれる分岐点があった。多くの人は右に流れている。右か左かという判断が必要な場合は常に左を取る、どうしても右を採用せざるを得ない場合は後ろ向きに進むの原理に従い、左の通路を選んだ。長い動く歩道、長い急なエスカレーターで地上に上がって、右をとるべきだったと反省。繁華街ではなかった。中層ビルの立ち並ぶビジネス街だった。すれ違う人たちの服装がなんとなく高そうだ。

イスタンブール銀座

 ゆるい坂道を上っていくと彫像のある広い広場に出た。ここがタクスィムの中心だった。ゆるやかな下り坂のにぎやかな通りを歩いた。ときおり人を満載した1両か2両のチンチン電車が往来する。土産物屋を探すが、見えるのはブランド品の店である。イスタンブールの銀座。値段も高い。安物のキーホルダーなどを売っている店なんてない。
 手に手にオレンジの小さな旗を振ってこちらに向かって来る集団に出会った。ある政党のデモ行進だった。男がワダスに小旗を突き出したので受け取った。デモに加われということか。
 ランチに行くことにした。ビールも飲みたい。この日は抜けるような青空で気温もだいぶ高い。どの食堂に入るべきか。ビールの出る店はないか。奥に長い食堂に入った。入り口の看板と見本をたよりにランチを注文した。カバブ2本、パン、ヨーグルト飲料、野菜サラダのセットで9リラ。700円というところか。コストパフォーマンス的にみればちと高いような気がする。客はわれわれ以外誰もいない。失敗だったかもしれない。ビールはもちろん出ない。
 左手に古い教会が見えた。通りには珍しい旧跡だった。3mほどの高さの鉄柵の子扉を開けて構内に入った。キリスト教会のようだ。派手な装飾のない普通の教会だった。ともあれ味気ない近代的ビルの続く通りで一瞬ほっとする。
 再び大通りに出る。ふと対岸に引っ込んだ薄暗い場所を見つけた。入り口付近の店で雑多な小物を売っていた。奥をのぞくと狭い袋小路になっていて、土産物屋もあった。みんなが探していた青目玉デザインのグッズもたくさん売っている。路地は天井があるので薄暗い。その天井に目を向けると、その路地というか建物がかなり古いことが分かった。天井近くの短い列柱に彫刻が施してあった。ということは、大通りをさっと眺めた感じでは味気ない建物の連なりに見えたが、一つ一つは案外古い建物なのかもしれない。南が土産物を買った。紙幣を差し出したら、ひょろりとした老店主が「これは旧紙幣だから使えない」という。地下鉄の自動券売機で拒絶された紙幣だった。
 かなり歩いたのでみんなくたびれてしまった。どこかでビールでも飲みたい。大通りから少し下り坂になった小路を下りてみた。両岸にカフェ式のレストランが並んでいた。ランチタイムが過ぎていたからか、どの店も閑散としていた。われわれがきょろきょろしながら歩いていると、客引きが声をかけた。
「どうお、食事は。うちは魚介類が新鮮だよ」
「食事は要らないけどちょっと休みたい」
「ノープロブレム。さあ、どうぞどうぞ」
 われわれは案内されるままテーブルについた。対岸を見ると、数人の客がビールを飲んでいるカフェがあった。
「ここはビールは飲めるの」
「いや、酒は出さない」
 落胆する店主の表情をよそにわれわれは対岸の店に移動した。
 店内ではタバコは吸えないので、路上側の席に着いてビールを飲んだ。テントの隙間から差し込む陽光がまぶしく、暑い。ビールを飲みつつ、行き交う人々を眺める。チャイや食材を運ぶ男、腰の曲がった老人、派手なスカーフをかぶった中年女、スーツを着た男たちのグループ、ヨーロッパ系らしい老人旅行グループ。髪の色も顔の形も身長も性別も異なる人々がひっきりなしに通り過ぎていく。こうしてカフェに座って人を眺めていると、ようやく外国に来ているという実感がわいてきた。
 偶然見つけた地下鉄シシャネ駅からタクスィムへ戻った。この路線は1駅分しかない。タクスィムで乗換え、ホテルに戻った。

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ホテルのサウナ

 いったん部屋に戻り、しばらく休息。河合はベッドに横になって寝てしまった。トルガと約束した7時までには時間がある。ワダスは地下のサウナに行くことにした。
 受付で部屋番号を告げた。ロッカーの並ぶ着替え室で脱衣していると、モンゴル系らしい2人の男が入って来た。2人は受付の係員に流暢な英語で話している。1人は、小さな一重まぶた、幅広く凹凸の少ない典型的なモンゴル系の顔だった。朝青龍顔だ。
 サウナと書かれた広い部屋の隣に深そうなプールがあった。5m×10mくらいか。手前の目立たないドアがサウナ室の入り口だった。3段の腰掛けがコの字に配置されたサウナ室はかなり広い。2段目に横たわって熱い空気を吸い込んだ。室内はかなり熱めに設定してあった。首筋に汗が流れた頃、ロッカールームで見かけたモンゴル系の2人が入って来た。最上段に座った彼らが会話するのを聞く。なんとなくロシア語のように聞こえる。2人の会話が途切れたところで英語で尋ねた。
「あなたがたはどこからですか」
 朝青龍顔が私の方を向いて答えた。
「キルギスタンからだ。どこか知っている?」
「国の名前は知っている。そうですか。英語が流暢ですが、学校で習うんですか」
「はい、小学校から英語とロシア語を習います」
「なんでイスタンブールへ?」
「研修なんだ。公衆衛生の」
「じゃああなたがたはお役人だと。お医者さん?」
「そう」
 こんなやりとりの後、遅く入って来た彼らの方がワダスよりも先にサウナを出たので、1人残された。室内は相当に熱い。ぎりぎりまで我慢して外に出た。「氷のように冷たい」と河合がいっていたプールにおそるおそる入る。確かに猛烈な冷たさでしばらく浸かっていると芯から冷えてきた。

チュラン・パレス・ケンピンスキ・ホテル

 7時前、トルガがやってきた。2台のタクシーに分乗してチュラン・パレス・ケンピンスキ・ホテルヘ向かった。ベシクタシュの船着き場で左折し、海沿いの混み合った通りをしばらく走ると、かつて宮殿だったというホテルだ。
 建物に足を踏み入れた瞬間、目もくらむような豪華な広間だった。凝った装飾のある高い天井、何トンもありそうなシャンデリア、ピカピカに磨かれた大理石の床、壁には高価そうなタペストリーや絵画が飾ってある。
 会場を係員に尋ねた。若い女性は「あっ、それは宮殿になります。この通路をずっと奥に進んで下さい。すると別の建物が見えてきます。そこが宮殿です」
 その宮殿の大広間に入った。ホテルのエントランスよりもさらに豪華だ。着飾ったトルコ人に混じってスーツ姿の日本人男性の姿も見えた。和服姿の女性もいた。みな手に手にワイングラスをもって談笑している。よく反響する空間なので話し声がうるさいほどだ。
 二つの階段にはさまれた吹き抜けの空間に、小さな舞台が設置されていた。高いスタンドに支えられた2本の黒いスピーカーが舞台の両側にあった。広間の壁面には、主に日本人作家による絵や染め物が展示されていた。
 8時の開会式までまだ間があった。宮殿の海側のドアからみんなで外に出た。海と宮殿の間に大理石の石畳が広がっている。対岸にはウシュクダラの町や、右手遠方にはアヤ・ソフィアを従えたトプカピ宮殿の半島が見えた。トルガによれば、ここはサルタンの数ある宮殿の一つだという。「ほら、あそこにも宮殿がある」といくつか指差す。オスマン・トルコ時代のサルタンの宮殿である。数百年間にわたる富の蓄積の壮大な象徴。
 そこへ、胸にプラスチックのタグをつけた日本人女性が現れた。
「あの、七聲会の皆さんですか。わたしはおおたかさんのお手伝いをしている赤松です。みなさんがいらっしゃると静流さんに聞いています。静流さんの本番は8時30分くらいからです。歌うのは3曲だけですけど。その前に日本舞踊があります」
 赤松さんはイスタンブールの大学に留学したことにあるという。トルガとはトルコ語で話した。
「そろそろです。みなさん中に入りましょうか」
 赤松さんに促され、われわれは再び会場へ。広間にはすでに多くの人がひしめき合っていた。トレイの飲み物を配るスーツ姿のウェイターが泳いでいた。小さな丸テーブルには、オリーブの塩漬け、生野菜スティックなどのつまみが用意されていた。
 タバコを吸いたくなったのでトルガを誘って海と反対側の玄関に出た。タクシーや自家用車が頻繁に横付けされ、着飾った招待客が広間に吸い込まれる。
 大きな円形の噴水のところでタバコを吸いつついろいろ話した。トルガは、ここで演奏したことがあると言う。日本に行って尺八を習いたい、カナダかどこかへ行ってみたい、ハリジーにバーンスリーも習ってみたい、などなど。

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 戻ると舞台横の階段でトルコ人の老人が挨拶をしていた。かつての駐日トルコ大使だった。元大使の短いスピーチを受け、日本人の、たぶん外交官らしいスーツ男が挨拶した。ついで、今日出品している作家が紹介された。広間で見た和服の女性は作家だった。挨拶の間も人々のおしゃべりは止まらない。かなり騒々しい開会式だ。トルガが「ついて来い」と言ったので階段の中間の踊り場に移動した。舞台がよく見える。そこでも多くの人が手すりに身を持たせかけて挨拶を聞いたり、撮影をしたりしていた。ビデオカメラを肩に担いだ男もいた。放送局の人かもしれない。後ろに髪を束ねた黒いジーンズ姿の中年男がカメラを持って移動しているのが見えた。トルガは「ああ、あの人はとても有名なカメラマンだ」と言う。七聲会のお坊さんたちがどこにいるのかよく分からない。
 2階のがらんとした空間に、派手な和服を着た小柄な女性が1人座っているのが見えた。日本舞踊家だった。日本髪、顔は真っ白いドーランが塗られている。この日のためにわざわざ日本から呼ばれたのだろう。あまりに小柄で素顔の表情が伺えない。おどおどした子どもにも見えた。
 トルコ人司会が紹介し、舞踊家が静かに階段を下りて舞台に進んだ。三味線伴奏の長唄が流れる。舞踊家がゆっくりとした動作で舞い始めた。豪華なシャンデリアの光が舞台の上まで届かず暗いため、衣装や化粧は派手だが、舞踊家も舞台も小さく見えた。参加者は舞台を見るよりもおしゃべりに忙しそうだ。
 さきほど舞踊家が待機していた場所を見るとおおたかさんが長椅子にちょこんと座って出番を待っていた。細い体つき、和服を模したカラフルな衣装、縒った色布の絡み付いた髪型。橋本が近づいて何か話しかけ、彼女が答えている。おおたかさんは一昨年の知恩院での催しに参加してもらったので、七聲会の人たちも旧知なのだ。ワダスも彼女のところに行って挨拶した。
 日本舞踊は20分ほどで終わった。拍手に送られた舞踊家は静々と階段を上っていった。入れ代わりにトルコ人青年が1人、見慣れない弦楽器を手にして舞台に登場した。階上からおおたかさんがそろそろと下り、舞台中央に立った。青年が弦楽器を弾き出した。しばらくしておおたかさんが歌い出す。彼女の声質とたたずまいは、トルコでも、ヨーロッパでも、アルメニアでも、山形でも、どこでも違和感を感じさせず、不思議な存在感がある。彼女は「ウシュクダラ」を含め、3曲歌った。20分ほどだった。この20分のために12時間かけて日本からやって来たのだ。それにしても客席のざわつきが気になった。
 てっぺんが平らなスキンヘッドの男が舞台横の奥に見えた。見覚えがある。われわれの公演の後で登場した地元バンド<Karde? Tu¨rku¨ler> の中年ボーカリストだった。
 階段の踊り場に、カメラを下げた赤松さんが近づいてきた。河合もわれわれを見つけて上がってきた。彼は手すりに身を持ち出し、でかいカメラを構えた。
 おおたかさんが退場し、パーティーのアトラクションは終わった。出品作家の紹介後、人々が移動し、ざわつきが大きくなった。トルガとワダスも下に移動し、ワインをもらった。そこへ、お坊さんたちも合流。
 トルガが「地元の酒で強いものがある。飲むか」と聞き、ワダスと河合を飲み物コーナーに案内した。
「ラクというんだ。けっこう強い酒だ」
 ギリシアのウーゾやフランスのパスティスと同類のアニス酒だった。
 パーティーのざわめきは終わる気配がない。トルガが手を口にやって「タバコ行こう」のサイン。2人でまた宮殿正面玄関の噴水のところへ行った。何人かがやはりタバコのために外にいた。
「バーンスリーをやりたいがどうしたらいい?」
「グルについてしっかりやらないとなかなかだけどね」
「どうしたらいい?」
「インドに行ってハリジーに直接教わるのがベストだね。ま、難しいだろうな。それに君はネイ奏者だろう。中途半端に違う楽器を修行するのは難しいことはよく知っているよね。ものすごく大変ですよ、バーンスリー」
「だよね。日本に行きたいな。尺八もちゃんと習ってみたいし」
「学習意欲は認めるけど、どの楽器も一筋縄では行かないなあ」
 戻ると、着替えを終えたおおたかさんが見えたので、トルガを紹介し、ちょっと話す。彼女はこの後、関係者の夕食会があるという。
「明日、時間がある?」
「うん、日中だったら時間が取れます。いちおう、シゴトはこれで終わったので」
「じゃあ、トルガの音楽学校見学に行きませんか」
「いいわねえ。行きたいわ」
 お世話係の赤松さんも一緒に学校訪問することになった。
 舞台袖に見えた頭頂部扁平スキンヘッド歌手にちょっと挨拶。聞けば、おおたかさんのイスタンブールでの録音に参加したという。
 ほろ酔い気分にはなったが、ちゃんとした食事はしていない。
「どこか酒を飲んでちょっとした食事をできるところはないか」
 トルガに尋ねた。
「分かった、じゃあ今から行こうか」

ベシクタシュの居酒屋

 タクシー2台に分乗して船着き場のあたりまで行った。昨日のレストランとは対岸にあるビルに入った。みなトルガの後をついて3階へ。ここの従業員もトルガを知っているらしく、階段ですれ違うたびに挨拶する。トルガはこの辺では顔なんだろうか。客席は1階から3階までいっぱいだった。
 3階のひっこんだ壁際に席を作ってもらった。まずはビールで乾杯。どんな話からそうなったのか記憶にないが、いつのまにかトルガの離婚の話題になった。トルガは2年前に離婚して独身なのだ。細身で背が高く顔もなかなか。しかもミュージシャンとくればもてるはずだ。ところが彼は、別れた女性に未練がある。先方さえ許してくれれば復縁したい。そんな話をすると、向かいに座って静かにビールを飲んでいた南が言った。ワダスが南のことを宗派の高位の導師だと紹介したので、トルガは「マスターなら、どんなアドバイスがありますか」と尋ねたのだ。
「君はねえ、独占欲が強いんだ。相手の立場になって考えたことはあるのか」
 それをワダスが英語にして彼に伝えた。トルガは神妙な顔をして南の言葉を考える。
「その通りなんです。実は、これまで相手がどう思うか考えていなかったんです。でも努力すれば彼女も分かってくれると思うんです」
 ちょっと目のすわってきた南が言う。
「うーん、どないかなあ。そんなに簡単にいけるやろか」
 こんなやりとりをしていると、いきなり女性がわれわれの席に加わった。誰だろう。
「実はこの人が別れた妻なんです。名前はアイシャギュルといいます」istanbulphotos
 紹介された彼女が皆に挨拶した。目元にはかすかに気の強そうな表情があるが、美しい女性だった。30代前半か。元妻の突然の登場にみな、ええっ、と驚いている。「なんでおれらに会わせたいんやろ」と河合。「なんやねん」と橋本。良生はマイペースでビールを飲む。
 聞けばアイシャギュルはピアノの先生。しかもYAMAHA音楽スクールの教師で、子どもたちにピアノを教えているのだという。イスタンブールにもYAMAHAスクールがあるとは驚きだ。
 フライド・チキンをつまみながらどんどん酒が進み、みんなかなり酩酊した。ワダスも通訳に疲れた。トルガは元妻とトルコ語でなにやら話していた。座は次第に集中力を失っていった。12時近くなり、解散となった。
 われわれはタクシーでホテルに戻った。タクシーはやはりレーシングカーのように猛スピードだった。

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