ラーガ・音の悦楽~バーンスリー Hariprasad Chaurasia 「献身」APAS-9803

apas ハリプラサード・チャウラースィヤーは、現在、もっとも多忙な音楽家の一人である。世界中から出ているソロCDのリリースがすでに100枚を超える。また最近は、過密なコンサートスケジュールをこなしつつ、オランダのロッテルダム音楽院ワールドミュージック科で教鞭を執っている。
 ハリプラサード・チャウラースィヤー(以下ハリジー)、1938年生まれ、今年で60歳になる。今でこそヒンドゥスターニー音楽(北インド古典音楽)におけるトップスターとして不動の地位にあるが、彼の古典音楽家としての成功までの道のりはかなり独特である。まず、公式デビューは意外に遅い。87年の「インディア・トゥデイ」誌の記事をみると、「今から6年前ですら無名に等しかった」とある。計算すると、彼が43歳のときにはまだ「無名」だったことになる。現在の人気からするととても信じられない話である。また、ハリジーは、音楽家の家系出身でもない。父親はインド中北部の都市、アラハーバードのレスラー(インド式武芸家)だという。だから、インドの伝統的な考え方からすれば、当然、ハリジーは音楽家ではなくレスラーになっていたかもしれない。そう考えると、欧米で「フルートのショパン」と称される希代のバーンスリー奏者になったことには、彼の音楽に対する強い意志もさることながら、常にバーンスリーを吹く姿で描かれるヒンドゥー教のクリシュナ神の顕現を思わせるカルマ(因縁)すら感じてしまう。インドの弟子たちの中には真剣にそう考える人もいる。偶然かもしれないが、ハリとはクリシュナ神、プラサードとは贈り物という意味のヒンディー語である。
 ハリジーの現在までを簡単に紹介しよう。少年時代からどうしても音楽の道に進みたかった彼は、家族の反対を押し切り、まずオリッサ州カタックのラジオ局専属音楽家になった。ついで拠点をボンベイに移したあとは映画音楽などで活躍した。そして、そのボンベイでハリジーはグル(師匠)のアンナプールナー・デーヴィーに出会い、厳しい古典音楽の訓練を一から受けることになった。「まったくの初歩からだ」とグルにいわれたハリジーは、それまで右にもっていた笛を左に持ち替える。この、グルの元での集中した猛烈な訓練を経て、ハリジーは一気にスターダムにのし上がる。スターにまで登りつめることができた背景には、訓練や才能もあるが、同時にそれまでの大衆音楽の経験によるところも大きい。なぜなら、大衆の嗜好を熟知した基礎の上に、古典音楽の洗練が加味されたからだ。
 自宅にクリシュナ神の社をもつほど敬虔なヒンドゥー教徒であるハリジーがこのCDで演奏しているのは、夕方のラーガ、ビーンパラスィである。このラーガには、献身という感情が内在しているという。ハリジーは、前半のアーラープでたっぷりとこのラーガの表情を紹介したあと、タブラーとの合奏部分では驚異的な技術を縦横に駆使しながら彼の音楽世界を余すところなく披露している。伴奏のタブラー奏者は、ハリジーによって見いだされ、今やタブラー奏者として確固とした地位を築いている、1966年生まれのスバンカル・ベナルジーである。