『聲明源流 SHOMYO GENRYU』

七聲会と「聲明源流」について

 ここでいう源流とは、古代インドのバラモン教聖典であるヴェーダである。今日のインド音楽も、日本仏教の聲明も、もとをたどればともにこのヴェーダの詠唱と関係が深い。
 インドの音楽は、このヴェーダ詠唱の節回しなどから発展したものといわれる。その後、世俗音楽の影響も受け、洗練され、自立した芸術様式になった。
 いっぽうの聲明も、ヴェーダ詠唱の名残りを色濃くとどめている。どちらも、経典に節を付けて読むという点で共通しているので当然であろう。
 仏教は、さまざまなルートを通り、中国に伝わった。経典に節を付けて読む伝統も当然、含まれていた。ただ、サンスクリット語経典が中国語に翻訳された時点で、詠唱のやり方が中国的に変質していったことは容易に想像できる。こうした中国的変質を経た聲明が日本にもたらされ、さらに日本的に変質していったことであろう。
 日本の聲明は、8~9世紀に成立した真言聲明と天台聲明によってほぼ現在に近い形になったといわれるが、その後もさまざまな変質を経てきたに違いない。今回の録音で演奏される七聲会の聲明は、浄土宗が天台宗から分かれた関係で天台聲明の伝統を受け継いでいるが、浄土宗独特の大衆にも分かりやすい節回しを含んでいる。
 いっぽうは僧侶たちによって、いっぽうはインド音楽演奏家によって演奏される音楽は、まったく異質なもののようにみえる。しかし上述のように、共に古代インドのヴェーダを源流として現代まで続く音楽様式であるだけに、音楽的な共通点をもっている。このことは、最後の「聲明源流」を聞くことで体感していただけるに違いない。
 ジーベックホールでの2000年11月24日ライブ録音「聲明源流」は三つの部分からなる。
 最初の部分「梵聲」の旋律は一越調子呂曲の「散華」を基本としているが、テキストは東大寺の凝念大徳(1240~1321)の著した『聲明源流記』の「梵聲唄頌 源起天竺 廣流諸方」である。
 つぎの「聲相清雅」も『聲明源流記』の「聲相清雅悦諸人耳 音体哀温快衆類心」を引用した。しかし、旋律はヒンドゥスターニー音楽のラーガ・バーゲーシュリーに基づいて新たに作曲した。このラーガを採用したのは、古代インドのヴェーダに使われた最も古い音階だろうと言われているからである。
 最後の「仏説阿弥陀経」では、僧侶のいわゆる棒読みの読経にインド音楽の即興旋律を重ねた。「仏説阿弥陀経」は最初ゆっくりと始まるが、次第にテンポが加速される。ヒンドゥスターニー音楽演奏の流れも読経のそれと共通している。最後のクライマックスに向かう高揚感は、こうした時間感覚の共有から生まれている。

                                 中川博志

聲明の響き-七聲会

 平成7年(1995)に聲明グループ「七聲会」は結成された。結成の契機となったことのひとつは、昭和62年(1986)、桜花爛漫の浄土宗総本山知恩院大殿前で繰り広げられた三上人大遠忌記念印度西域音楽法要「天楽西来」であった。お経と民族楽器の和奏というこの試みにより、わたしたちはお経が本来持つ音楽的な面に開眼した思いであった。毎日唱え、耳にしているお経の節に、古代から連なる時間の流れと、インド、シルクロード、中国、日本という遙かな地理的広がりを改めて認識したのである。
 わたしたちが聲明を唱えることは、化他行として衆生教化を目指すものである。上座部仏教においては、個人の娯楽のため歌舞音曲に酔いしれ仏道修行の妨げになることを厳しく戒めている。しかし阿弥陀経に、極楽には百千種類もの楽器が同時に鳴り響く、荘厳な音楽が流れていると示されている。したがって上座部仏教の戒めは音楽そのものに向けられたものでなく、また聲明音楽が衆生を宗教的雰囲気に導入することを禁じたものでもない。
 結成以来、七聲会は公共ホール、寺院本堂、山門、大学図書館、ロンドンのキリスト教会、野外公園など多くの場所でお唱えするご縁をいただいた。「いざや諸人もろともに安楽国に往き生かん」と祈る浄土聲明の響きが聴く人々を癒し、自ずと仏陀のみ教えが尊く有り難くその心に届いたことと確信する。
 聲明を唱えるうえにおいて音楽性をより重視することとは、即ちまた、自らの宗教的内面を深めることでなければならない。よく調えられた音程と拍子による聲明の響きは深く人々の心に共鳴する。わたしたちは清々しく荘厳で聖なる響きをさらに求めて共に精進せねばと願うものである。
 公演のたびに問い合わせがあったこともあり、今回このCDを作成した。まだ世に出すにはおこがましいが、七聲会6年間の活動記録としてお聴きいただければ幸いである。
                          (文:南忠信、七聲会代表)