『ムガールの栄光~アーシシ・カーンのサロード』ライナーノーツ

【曲目について】

ラーガ・ダルバーリー・カーンナラー
 このラーガには他のラーガにはない威厳と重々しさがある。そのムードを損なわずに演奏するのは、一流の演奏家といえども簡単ではないといわれている。このラーガは北インドでは非常にポピュラーだが、若手の演奏家が演奏するのをあまり聴いたことがない。若手演奏家にとっては荷の重いラーガだと思われているのかも知れない。なにか、「襟を正して」その荘重さに浸る雰囲気のあるラーガなのだ。中世の大音楽家、ターンセーンが創造したラーガだといわれるが、真偽は不明である。

ヴァーディー(主要音)/Ri
サンヴァーディー(副主要音)/Pa
演奏時間帯/深夜

 上行 /インド音名 Sa Ri ga, Ma Pa dha, ni S'a

 Cスケール  C D E♭, F  G A♭, B♭ C'

 下降/インド音名 Sa dha ni Pa, Ma Pa, ga Ma Ri, Sa

 Cスケール C' A♭ B♭ G,  F G,  E♭ F D, C

 このラーガの音階をあえて文字で表そうとするとこのようになる。一般にラーガというのは音階型だと説明される。しかし、実際は、ラーガをこうした単純なスケールで表現するのは困難である。このダルバーリー・カーンナラーのような場合は特にそうである。下降を見ても分かるように、このラーガの動きは複雑である。さらに、ga( E♭)とdha(A♭)の音が常に微妙な揺れを伴って表現される。この揺れ(アーンドーラナ)が実はこのラーガの大きな特徴なのである。
 前半は、タブラーの入らないソロのアーラープである。アーシシ・カーンは、このパートでじっくりと的確にこのラーガのムードを表現している。
 後半が、ゆっくりとしたテンポのヴィランビト・ティーン・タール、16拍のリズムサイクルで始まるガットである。2番目のガットが、12拍の早いテンポのドゥルト・エークタール。
 ガットでは、主奏者はテーマや旋律パターンの変奏を即興的に展開する。さまざまな技術を駆使して繰り出される旋律パターンの変形は、あるまとまりをもった段階で解決され、再びテーマに戻る。主奏者がテーマを繰り返し始めると、タブラー奏者は即興的にリズムの変形を披露する。両者はこうしたやりとりを繰り返しながら次第にテンポを加速し、両者の技術の限界に近いスピードまで全体を盛り上げカタストロフィーをむかえる。アーシシとプラネーシュ兄弟の息のあったやりとりは絶妙である。

■ラーガ・ミシュラ・バイラヴィー

 3曲目でアーシシ・カーンが演奏しているのは、民謡などでよく使われる6拍のリズムサイクル、ダードラー・タールに基づいた朝のラーガ、ミシュラ・バイラヴィーである。バイラヴィーは通常、コンサートの締めくくりのラーガとして演奏される。音階を以下に示す。

 インド音名 Sa ri  ga  Ma  Pa dha ni Sa

 Cスケール C  D♭ E♭ F G  A♭ B♭ C'

 上行・下降ともストレートに動く。ミシュラとは「混ざった」という意味で、アーシシ・カーンは、上記の使用音以外の音を混入させて自由に即興している。ダルバーリー・カーンナラーという「重い」ラーガの後なので、肩の荷を降ろしたような軽快な解放感に満ちた演奏になっている。

【演奏家について】

アーシシ・カーン

 アーシシ・カーンは、アラーウッディーン・カーンを祖父とし、現代サロードの巨匠、アリー・アクバル・カーンを父にもつ音楽家の家系の長男として1939年に生まれた。彼の音楽的訓練は、その祖父の指導の元、5歳のときから始まる。祖父アラーウッディーン・カーンは、近代北インド古典音楽の中興の祖といってもよい人物で、彼の元からはきら星のごとく優れた演奏家が輩出した。息子であり現代サロード界の巨匠アリー・アクバル・カーン、娘のアンナプールナー・デーヴィー、ラヴィ・シャンカル、故ニキル・ベナルジーなど、まさに近代インド音楽を代表する人たちである。アーシシは、こうした輝かしい音楽家系のまさに直系の音楽家であり、連綿と築かれてきたインドの音楽伝統の正統な継承者として自他とも認める存在である。
 13歳での公式デビュー以来、常に第1線の演奏家として父や叔父のラヴィ・シャンカルとともにインドのみならず世界中で演奏活動を続けている。ビートルズのアップル・レコードの最初のアルバム<不思議の壁/ジョージ・ハリスン>(1968)にゲストミュージシャンとして参加しているように、欧米でも早くからよく知られた音楽家である。
 彼の修行ともいえる長年の集中した訓練に裏打ちされた超絶的な技巧と、その技巧を巧みに取り込んだ高い音楽性は内外で認められているところだが、同時に彼は、音楽的可能性を拡張し続ける大胆な改革者でもある。1969年の《シャンティ》、フュージョングループ《ザ・サード・アイ》の組織や、「サロード協奏曲」の作曲などの活動がそれを物語っている。また、ジャズ、フュージョン、クラシックの音楽家たちとの共演、映画音楽などの分野における国際的な活躍ぶりをみると、もはや彼らを「インド古典音楽家」とくくるにはあまりに多彩でエネルギッシュな音楽家といえる。
 1989年には、オール・インディア・ラジオの国営オーケストラ「ヴァーディヤ・ヴリンダ」の作曲家兼指揮者にラヴィ・シャンカルの後をつぐ形で指名された。
 多忙な演奏、作曲活動のかたわら、アリー・アクバル音楽学校(サン・ラファエル、アメリカ)、ワシントン大学(シアトル)で教鞭をとり、欧米、カナダ、アフリカ、インドに弟子が多数いる。

プラネーシュ・カーン

 1950年生まれ。主奏者アーシシ・カーンの弟である。輝かしい音楽家の家系に生まれた人の例にもれず、幼少のころから豊かな音楽環境に浸り、タブラーなどの打楽器を始める。主要なインド古典音楽家たちの伴奏者としてだけではなく、西洋音楽、映画音楽、フュージョンなどの音楽家たちと積極的に共演するなど、国際的なタブラー奏者として活躍し続けている。アリー・アクバル音楽大学(カリフォルニア)の事務局長でもある。

【サロードについて】

 サロードは、25本の弦をもつ撥弦楽器である。右手にココヤシの固い殻から作られたピック(ジャヴァーJava)で弦を弾く。本体は、チークやマホガニーなどの固い木材1本をくり貫いて作られ、胴には山羊の皮が張ってある。指板は滑らかな鉄板で、フレットはない。それぞれ径の異なる弦はすべてスチール製。旋律演奏用が4本、演奏するラーガに合わせて調弦されるジャワーリー弦が3本。リズムを刻むときやドローンに使用されるチカーリーと呼ばれる弦が3本。残りのタラフと呼ばれる15本は共鳴用で、演奏のたびにラーガの音階型に合わせて調弦される。指板のネック側の背面には、トゥンバーという真鍮製の補助共鳴用のボールが取り付けられる。
 サロードは、中央アジアのラバーブという楽器に形がよく似ているため、もともとインドにあった楽器ではないという意見がある。しかし、アジャンター(AD2~8世紀)やアマラーヴァティー(BC1世紀~AD2世紀)などの遺跡のフレスコ画にもその粗形が描かれていることからも分かるように、この種の楽器はかなり古くからインドにあったようである。現在のような形になったのがいつごろなのかは諸説があるが、アーシシ・カーンによれば、彼の祖父アラーウッディーン・カーンと弟アエート・アリー・カーンによって、それまでの短く狭い指板、非常に太いネック、少ない弦数のものに改良を加えたという。歴史や起源はさておき、サロードは北インド古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)の主要な弦楽器の一つとして一般的な楽器である。