ラーガ・音の悦楽~声楽 Rashid Khan 「慈雨」APAS-9802

apas タイトル「慈雨」は、1曲目の雨季のラーガ、ミヤーン・キ・マルハールにちなんでいる。インドの人々にとって、雨季の到来は大きな喜びである。乾ききった大地に、あらゆる生命の再生をもたらす慈しみの雨が来る。ラシッドの演奏には、そうした雨季の到来への祈りに似た切望感と、雨上がりの快いけだるさが感じられることだろう。このラーガは、15世紀の大音楽家、ターンセーンが作ったとされる。動きの複雑な、難しいラーガだが、ラシッドはその雰囲気と気分を見事に醸し出している。揺るぎないテクニックと想像力、力強く正確なリズムでラーガのもつ感情を余すところなく表現するラシッドには、すでに巨匠の風格すら感じられる。
 さて、1966年カルカッタ生まれのラシッド・カーンは、現在最も将来を嘱望される若手声楽家である。彼の出現は、今日においても北インド古典音楽の伝統的師弟教育がどれほどの奇跡的な結果を生むか、の典型的な例の一つであろう。サハスワン流派の高名な声楽家、故ニサル・フセイン・カーンの元、カルカッタのサンギート・リサーチ・アカデミーでの10年に及ぶ訓練は、ごく普通の少年を、信じがたいほど成熟した芸術家に育て上げたのである。かつては、こうした伝統的な教育訓練が一般的で、その中から偉大な音楽家が輩出していたのだが、近代化の波が押し寄せる今日ではかなり難しくなっているだけに、ラシッドの成功は伝統の価値を示す象徴ともなっている。
 彼がまだ14歳であった1982年、ブバネシュワル(インド、オリッサ州)でのコンサートでは、その完成された演奏に感激した聴衆の一人が大金をプレゼントしたという逸話があるほど、ラシッドの才能は早くから開花していた。1986年、当時の首相、ラジーヴ・ガーンディーの強い支持でもたれたリサイタル、翌年にはオール・インディア・ラジオの「A」ランク音楽家への指名、さらに1988年の最初のアルバム発表、とフルスピードでスターダムに駆け上がる活躍は、「ラシッド現象」といわれた。また1989年、アメリカ、カナダに初の海外公演を行い、各地で絶賛を受けた。現在では、インド国内外で旺盛な演奏活動を行うと同時に、CDなども年齢からすれば異例なほど数多く出されている。1988年に彼の演奏を聞いた男性ボーカリストの巨匠は、インド古典声楽の将来は少なくとも一人の声楽家によって確約されたと語ったといわれている。
 日本では、どちらかというと器楽を中心にインド音楽が紹介されてきたが、インド古典音楽の王様である声楽はもっと聞かれてよい。その意味では、ラシッドの1994年の来日公演は大きな意味があったと思う。このとき一緒に来日したのが、本シリーズのアミット・ロイのCDでも鮮やかなタブラーの演奏を披露しているタンモーイ・ボース、ラシッドの旋律ラインをハールモーニヤムで正確に追奏してみせたデーバプラサード・デーイである。このCDでは、今や若手では群を抜く1963年生れのタンモーイ・ボースは、控えめで堅実なタブラー伴奏で、ラシッドの魅力を背景から支えている。