2011年9月11日(日)

 5時30分に目が覚めた。雨がしとしとと降っている。フリーマン・ダイソンの『宇宙をかき乱すべきか』を読みつつ朝風呂に浸かった。屋根に開いた小窓から朝の明るい光が差し込んでいた。
 6時30分に下に降りた。てっきりそこで朝食があるものと思い込んでいたラウンジにしばらくいた。静まり返った広いラウンジには誰もいない。朝食の準備もない。掃除のおばさんがぼやっと座っているワダスを見てドイツ語でいった。
「朝食はレストランの方よ」

ホテルの朝

 長い廊下の突き当たりがレストランだった。様々な種類のハム、パン、果物、スクランブルエッグ、ゆで卵、ソーセージ、ベーコン、ジャム、ジュースなどが並んでいた。ビュッフェなので自由に選択できる。野菜が圧倒的に足りない。トマトくらいしかない。コーヒーはテーブルのポットにたっぷりあったのでうれしい。他のメンバーは誰も現れない。まだ寝ているのだろう。

hotel

 レセプションでパスワードの書いた紙切れをもらった。これで無線LANによるインターネット接続ができる。メールやニュースをチェックし、Twitterに書き込む。Twitterはほとんどメモ代わりだ。石川がメールチェックをしたいと部屋にやってきた。今回は昨年10月に購入したMacBookAirをもってきたので、気軽にさくさくとインターネット接続ができる。薄くて軽いのでどこにでも持ち歩ける。ネット好きの河合の書き込みがあった。彼は持参したiPad2で書き込みをしているようだ。

炭坑博物館

 今日は3時~5時のリハーサルまで予定はない。全員で炭坑博物館へ行くことにした。小雨のなか、10分ほど歩いた。目印は高さ30mほどの巻き上げ機である。
 全員でだらだら歩いて博物館入り口まで行った。博物館の建物は広い公園の一部に建っていた。前庭のブナらしい大木と芝生が美しい。雨のせいか、湿って冷たい空気の匂いが清々しい。
 河合が鎖に繋がれた数台の貸し自転車を見つけ「かっこええっすねえ」と感想を申し述べる。胴体にレンタル会社のロゴがついていた。どこかで登録して鍵がもらえるシステムのようだ。
 入り口には団体らしいドイツ人たちが開場を待っていた。10時開館とあり、まだ数分あった。われわれも記念写真を撮ったりして時間をつぶした。
 窓口で一人6.5ユーロの入場料を払い博物館の中に入った。入ってすぐの広間の中央にU字型の島があり、そこで女性事務員が仕事をしていた。広間の横のスロープを上がり右に折れるところに人々が固まっていた。エレベーターを待っていたのだ。
 幅の広いステンレスのドアが開き、われわれも中に入った。30歳代の男性係員がドイツ語で説明していた。聞き取れたのは「われわれはこのエレベーターで地下17mの坑道まで行きます」だけだった。
 エレベーターを出るといきなり坑道だった。地上の蒸し暑さが信じられないほどひんやりしていた。円形の低い天井や壁は白いペンキで塗られ、さまざまなパイプが走っていた。かすかに機械油のにおいもした。足元にはかつて使われていたトロッコ用線路がそのままにしてあった。主トンネルに直行するトンネルが時々枝分かれし、ごつい掘削用マシンや石炭運搬用コンベアーなどが展示されていた。お坊さんたちは運転席に座って記念写真を撮ったりしていた。展示の仕方は無骨で実質的。機械類もいちいちがヘビーデューティーでいかにもドイツらしい。
 1時間ほど歩いて終点に着いた。その終点からはエレベーターで一気に巻き上げ機の頂上へ達する。われわれは閉塞感のある地下トンネルから巨大な車輪のある高所へいきなり上げられた。むき出しの鉄骨枠組みの眼下にボーフムの街が広がっていた。高所の苦手な池上は、橋本に「まだ上がある。いこいこ。ひひひひ」といわれて尻込みしていた。
 地上に戻り、他の展示をだらだらと見て回った。鉱物採掘の歴史がジオラマや道具類などで分かるようになっている。最後はミュージアム・ショップ。写真集、書籍、水晶、岩塩、Tシャツ、マグカップ、キーホルダーなど。ま、よくあるショップだ。

tankou bochum tankou
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中華料理店でラーメン

 雨はまだ降り続いていた。昼食の時間だ。全員なにげなく街の中心に向かって歩いた。「いやっ、僕はホテルに戻ります」という寡黙な石川を見送り、商店の連なる通りを坂なりに歩いた。日曜日とあってどの店も閉まっている。日本では絶対にない風景である。日曜営業が禁止されているのか、自発的にそうなっているのか。
 特設舞台や屋台のある通りに出たところで雨が本格的に降り出した。数名の男女が特設舞台で賛美歌を歌っていた。屋台には食欲をそそるいろいろな料理や飲み物があったが、いかんせん土砂降りで客はほとんどいない。
「傘もってるんですけど、僕だけさすと何いわれるやらわからん」
 お坊さんの中で最も若輩の河合が肩を濡らしながらいう。お坊さんの世界は先輩後輩関係が厳しい。
「南京酒家」(だったと思う)という看板を見て、だれかが「ラーメンいこか」と声をかけて行き先が決まった。池上と橋本は今朝の散歩でこの辺りをすでにチェックしていたらしい。
 2階にあるかなり広いレストランだった。客はわずかだった。われわれは角の丸テーブルに案内された。ビュッフェ・ランチをやっていたようで、数人の客が奥のコーナーで料理を取っていた。店主らしいほっそりした中国人中年女性が忙しく動き回っていた。
 しばらくして女性がメニューをもってやってきた。「何にするん?」という感じでドイツ語で聞いてきた。料理にはすべて番号がふってある。注文内容をドイツ語で説明するのはできないので番号で注文した。ワダスのドイツ語はさびきっているが数字だけはなんとか使える。やってきた麺類はどれも量が多かった。みな軽い食事のつもりだったが、持て余すほどの量に辟易だった。ワダスはお椀ほどのスープを注文し、他の人たちの麺を少しずつつまみ食いさせてもらった。
 1時すぎ、雨に濡れながらホテルまで戻った。びしょぬれだ。

青木さん

 ホテルには、オランダのライデンからさっき着いたという青木恵理子さんがラウンジで待っていた。龍谷大学社会学部の先生である。主催者には事前に青木さんに今晩の招待券とホテルの予約を頼んでおいた。4月からサバティクスでオランダに滞在している青木さんはこれまで3回部屋を変えたという。最初は他の学生も泊まっているホステル。共同生活はかなわんと次に街で独立した部屋を借りた。天井が高く、高い位置に窓のある石造りの建物は寒くて耐えられなかった。また、何かの修理にやってきた男に襲われそうになったともいう。現在のところは屋根裏部屋だが快適とのこと。研究やいろんな場所で踊ったりしてけっこう楽しいヨーロッパ生活のようだ。

会場へ

venue
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 2時すぎ、運転手のローランド、トーマス、マーセルがやってきた。タクシーで追いかける青木さんともども会場へ向かった。まだ雨は降り続いていた。
 会場は中心からちょっと離れた工場地帯にあった。途中の廃工場のレンガ壁の壁眼に現代アートのようなカラフルなオブジェが並んでいた。芸術祭の一環なのかもしれない。
 会場のJahrhunderthalle Bochumは、かつて鉄製品を生産していた工場跡だった。工場建屋の本体は、正面に後から建て増しされたガラス張りのエントランス、裏面がメッシュの外壁に挟まれていた。ガラス張りのエントランスには、墨で書かれた漢字の書の垂れ幕がずらりと下がっていた。
 裏面入り口付近にスタッフたちがたむろしていた。マーセルと同じ日本語通訳だという若い女の子ベッティーナと、出発前から連絡を取り合ってきたサンドラを紹介された。大柄で30代半ばに見えるサンドラの顔はとても整っていて美しい。小さな顔に比べて腰回りが実に堂々とした女性である。
 まず舞台に案内された。黒い厚手の幕で会場が区切られていた。三角屋根の頂点の採光部のある高い天井を見上げた。むき出しになった細い鉄骨トラスに天井クレーンや各種パイプ類が縦横に走っている。まさに工場そのものだ。とはいえ工場特有の匂いはなく、ちょっと湿った空気は無臭だった。
 舞台は高さ1.5mほど。縦長の薄い反響板によって囲まれた部分が舞台だった。反響板同士の隙間のスリットが舞台全体のアクセントになっていて美しい。自重によって真ん中のたわんだ反響板が舞台の上部を覆っていた。このように仮設素材で組み立てられた舞台は、工場という一切の装飾を排した実質的空間をよりいっそう際立たせ、無駄のない美しさがあった。

venue venue
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リハーサル

 舞台に上がって会場全体を見てみた。座席数600の客席は、フラットになった前列と、緩い傾斜のある後列に別れている。後列中央にミキサーが見えた。
 見回していると、トーマスが次々とスタッフを紹介した。舞台監督のイェンツ、安全管理のウヴェ、照明のライナー、音響のイェンツとアルミン青年。みな背が高く服装もプロっぽい。全員英語でコミュニケーションできるのでありがたい。
 まずイェンツに天井からぶら下げる阿弥陀来迎図の掛け軸を渡し、位置などを指示した。橋本も舞台に上がって全体を見渡し公演の実際をイメージしているようだ。「こんくらい」とジェスチャーと日本語で、天井からワイヤでつり下げられた掛け軸の高さをイェンツに指示している。頼もしいなあ。七聲会のメンバーは出演者ではあるが、これまでの多くの海外ツアーの経験からか、舞台設営や公演形態の計画にも積極的に関わってくれるようになったのでワダスとしてはとても楽である。
 黒装束のウヴェが、非常口をさして説明した。
「あそこの緑のサインが非常口。何かあった場合はあそこから外に出る。OK。では皆さん、ここに書類がありますので、住所と署名を書いてください。面倒なんだけど、規則なので」
 非常口に関する説明を受けたことを証明する書類のサインというのは、これまでの公演では経験がなかったので、いかにも規則に厳格なドイツ的な感じがした。

jenz1
uve
イェンツ
ウヴェ
rainer jenz2
ライナー
イェンツ
armin christoph
アルミン
クリストフ
thomas marsel
トーマス
ベッティーナとマーセル
sandra kersten
サンドラ
ケルスティン


 まず全体の進行を確認した。
 開演前の舞台上には、スポットライトを浴びた掛け軸、その前に布で覆った香炉台、お坊さんたちの立ち位置に華と経本を置く華籠(けこ)が弧状に並び、笏を置く台を下手端に置いておく。石川の尺八置き台は、お坊さんたちの立ち位置よりも客席に近い中央の位置に置く。舞台は非常にシンプルなので、逆に緊張感を生み出すだろう。
 公演前半は石川の虚無僧尺八。石川は傾斜した後部客席最上段から演奏しつつ中央通路を進む。突き当たった舞台で右折した後、客席最前列を直進し舞台横のカーテン部分で左折し、階段から舞台に上がって中央に到達する。演奏時間は約40分、曲数は6曲。演奏が終わったら静かに下手にはける。
 石川が下手にはけたことを確認した八尾が上手から登場し、掛け軸に一礼後、上手の端に立って能管の演奏を始める。能管の音を確認した他のお坊さんたちは、後列客席の途中にある黒幕の切れ目から、笏を打つ池上を先頭に念仏を唱えつつ入道を開始する。前後客席の切れ目の通路を直進し右端で左折、そのまま直進して舞台袖の階段に達する。階段を上がり、あらかじめマークしてある所定の位置に立つ。その間も能管の音は止むことなく続く。
 演奏順は以下。笙、篳篥、竜笛の雅楽器による音取(ねとり)、甲念仏(笙つき)、日中礼賛、散華、回向文(次第取り)。約40分。終わったら静かに下手からはける。客席へのお辞儀はなしにした。聴衆にとっては、この公演は静かなエンタテインメントというよりも、最初から最後まである種の儀式のように映るだろう。
 スタッフたちに必要な台などを用意してもらったり、音響、照明の概略について説明する。台の手配、配置、掛け軸、位置のマーキングなど、舞台担当のイェンツは即座にワダスの意図を理解し作業を始める。音量バランスについても担当のイェンツ(別人)と青年が即座に理解する。照明のライナーはじっとわれわれの動きを見てスポットライトの位置やお坊さんの立ち位置を確認し照明計画を考える。それぞれのスタッフが出演者の意図を即座に理解して直ちに準備する。実に無駄のない仕事ぶりだ。これもドイツ式なのだろうか。クリストフ、トーマス、マーセル、ベッティーナ、サンドラ、公演に先立って解説を行う予定のケルスティン・キラノウスキー女史らが客席からこうしたやりとりを見守っていた。

くれぐれもマイクには当てないで

「このマイクはとても鋭敏なので、くれぐれもその紙がマイクに当たらないように気をつけてほしい」
 散華のリハーサルのとき音響担当のイェンツが舞台に近づいてきて申し述べた。kem
「了解。高いってことね」
「そう。すごく」
 舞台の中央先端に細長いマイクが2本セットされていた。聲明の場合はマイクがなくとも十分なのだが、尺八の微妙な表現を客席全体に伝えるには必要になる。たった2本のマイクで十分なのかどうか。イェンツは「十分だ」と自信を見せた。後日、メールでトーマスから使用マイクについての情報が送られてきた。それによると、Microtech Gefell社製のKEM970。ウェブサイトによれば、Microtech Gefel社は、チェコに近い旧東ドイツの小さな村に本社があり、相当な老舗のようだ。値段は1本約1万ドル。たしかに高価で、鋭敏な感度なのだろう。

佐々木剛、渡辺摩里夫妻

 スタッフたちとの打ち合わせをしているときに、ミュンヘンから佐々木剛、渡辺摩里夫妻が到着した。二人に会うのは数年ぶりだ。今回の公演だけのためにわざわざ来てくれたのだ。

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佐々木剛さんと青木さん

 摩里さんは仙台日独協会でドイツ語を習っていたこともあり、ドイツ語習得のため2度目のミュンヘン生活をしていた。佐々木さんは高校の社会の教師だったが、摩里さんに引きずられるようにドイツにやってきた。ワダスの仙台、塩釜ライブを主催してもらったこともあり、古くからの知り合いだ。ドイツで生活していると、福島原発に対する政府や東電の情けなさが気になるという。お土産にドイツのコーヒーと、摩里さんの作っている和紙のコースターをもらった。今日は午前3時ころの新幹線でミュンヘンに戻るとのこと。
 リハーサルを滞りなく終え控え室に案内された。控え室は裏口にあるエレベーターで上がった3階にある。着替え用と待機用のかなり広い2室が用意されていた。
 本番まで時間はたっぷりある。会場を離れいったんホテルに戻ることになっていた。青木さん、佐々木夫妻も同行した。外は依然として激しい雨が降り続いていた。

キラノウスキー女史と打ち合わせ

 ホテルのラウンジでケルスティン・キラノウスキー女史と打ち合わせ。彼女は元々は地方新聞のジャーナリスト。チベット仏教の倍音に詳しいということで今回のわれわれのコンサートの事前レクチャーを担当することになったという。レクチャーはコンサート会場とは別の部屋で行われる。尺八の歴史、仏教儀式、浄土宗などについて、答えるのにややこしい質問が多い。曲目の説明なども難しい。回向という言葉一つとっても、それを英語ではどういったらいいのか。離れた席に座っていた佐々木さんがときどき辞書を引きながらドイツ語でいってくれたのでちょっと助かった。この打ち合わせに30分だけ時間を取ってほしいといわれたのだが、実際は1時間以上かかった。

再び会場へ

 7時、ローランドがやってきた。車に乗込み再び会場へ向かった。外は薄暗く、相変わらず雨は降っていた。
 全員控え室に入り本番の準備に入った。
「ドライヤーってあるんすかね」
 河合がワダスに訊ねた。笙をあぶるためだ。トーマスにメールで準備を依頼していたが、楽屋には用意されていなかった。控え室周辺をうろうろするトーマスに聞いた。「問題ない。用意してある」。しばらくしてトーマスが別室からもってきた。石川はコーヒーやスナックなどが用意されている控え室で羽織袴の制服に着替え、静かに瞑目していた。
 ワダスのやることはほとんど何もないので会場へ行った。客席にはまだ客の姿はなく、スタッフたちが最終チェックで忙しく動き回っていた。舞台に上がって、橋本が指示したように香に火をつけた。

開場

 開場の7時30分になった。聴衆がぼちぼちと客席に入ってきた。7時45ころ、聴衆の流入は加速し、7時59分にはぴったりと席が埋め尽くされた。時間に正確なドイツ人。
 8時、勾配のある後列客席最後部に待機していた石川が「鹿の遠音」を演奏しつつ歩き始めた。ざわついていた客席が即座に静まり返った。石川は薄暗い開場をゆっくりと進んだ。尺八の音は鮮明に聞こえた。スタッフ用座席に座っていたワダスには、客席の緊張感が伝わってきた。なんというか、ガチガチになっている感じだ。

虚無僧尺八

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Photo(c)Michael Kneffel

 石川が舞台中央に達した。照明の色が変化した。1曲目を終えた石川は両手にもった尺八を客席に向かってわずかに持ち上げた。曲の終わりのサインだ。しかし、しわぶき一つない緊張した聴衆は身動きしない。この緊張を破っていいものか逡巡している様子だ。石川はその空気を読み取ったか、長さの違う尺八で次の曲「本調」の演奏を始めた。長管の響きはさきほどとまったく異なった色合いだった。曲が終わり、石川は静かに右手を口元に持っていき、楽器を垂直から水平に持ち替える。さきほどと同じように両手で持った楽器をわずかに持ち上げた。客席からはやはりなんのアクションもなく、静かな空気だけが会場を支配した。曲は「雲井獅子」「鶴の巣籠」「手向」「産安」と続いた。石川が下手にはけたところで、それまでの緊張が一気に解放されたかのように聴衆から大きな拍手が湧きしばらく続いた。時計を見た。8時35分だった。予定よりも5分ほど早い。1曲ごとに受けるはずの拍手がなかったので、石川の時間計算が狂ったのかもしれない。

七聲会公演

 石川が下手から消えたのを合図に上手から八尾が登場。舞台中央の中空にかかる阿弥陀来迎図に向かう。合掌の後、静かに上手の定位置につき、腰にさした能管を取り出した。能管の鋭さと柔らかさの混じった音が流れた。八尾の能管を聞いたのは初めてだった。音色といい間の取り方といい、素晴らしい演奏だった。
 後部客席横のカーテンの位置に待機していた池上が、鋭い音で笏を打った。リハーサルのときに激しく打って割れてしまったが、トーマスに木工ボンドを用意してもらってくっつけたので大丈夫だったようだ。笏に続いて「南無阿弥陀仏」の念仏が僧侶全員で唱和される。心なしか聴衆がぎくっとしたように感じた。舞台の八尾の奏でる能管を聞きつつ、僧侶たちが客席を縫って舞台へ向かう。ついで予定通り、笙、篳篥、竜笛の雅楽器による音取(ねとり)、甲念仏(笙つき)、日中礼賛、散華、回向文(次第取り)。日中礼賛では倍音がくっきりと聞き取れ、美しい響きだった。
 甲念仏の途中で一人がオクターブ低い音で歌っていたが、思わぬ効果を生み出していた。表情からすると、南らしい。声の調子が思わしくなかったようだった。
 切れ目なく続く聲明に聴衆は固唾をのんで舞台を見守り、お坊さんたちが下手にはけると同時に大きな拍手が湧いた。お辞儀もアンコールもない。最初から最後まで儀式的なパフォーマンスになった。
 舞台に上がり、経本ののった華籠(けこ)、笏、香台、笙などを回収した。華をもらおうと舞台に近づいてきた聴衆に床に散らばる華を配った。

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All Photos (c)Michael Kneffel

こんなの、初めてです

 お坊さんたちは控え室に戻り着替えをしていた。なんとなく口数が少なかった。いつもはやれやれ感でにぎやかなのだがどうしたんだろう。
 隣の控え室では、石川が衣装を丁寧にたたんでいた。儀式のように厳かな手順で羽織袴をたたみながら石川がいった。
「こんなの、初めてです。なんでなんですかねえ。なんか、ちょっとがっくり」
 曲終わりで拍手がなかったのを気にしているようだ。
「大丈夫ですよ。演奏も素晴らしかったし、聴衆は感動していましたよ。ただ、拍手のタイミングが分からなかったみたい」
「そうだといいんですけどね」
 隣で河合がいう。
「いやあ、あせりました。投げた華があのマイクにもうちょっとで当たるとこだったのよね。やばーっって思ったけど。当たってたら大変でした」
 トーマス、マーセル、ベッティーナ、サンドラが控え室周辺を動き回る。トーマスから七聲会分のギャラをユーロの現金でもらい領収書にサインした。石川もすでに個別に支払いを受けていたようだ。

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打ち上げ

 激しい雨の中、ホテルに戻った。青木さんは定員超過だったがわれわれのミニバスの助手席に座った。
 ホテルに荷物を置いただけですぐさま打ち上げ会場へ移動した。会場は地元のレストランだった。青木さん、佐々木夫妻、七聲会、石川、HIROSの他、主催者側からはクリストフ、照明のライナー、トーマス、マーセル、ベッティーナ、サンドラ、運転手のローランドが参加した。豚肉を主にしたヘビーな地元料理、ワインで盛り上がった。石川は途中で睡魔に襲われ、お坊さんたちにいじられていた。
 ワダスは佐々木夫妻、青木さんやクリストフとよくしゃべった。
 クリストフがわれわれを今回の公演に呼ぶようになったきっかけなども聞いた。このトリエンナーレのテーマは「仏教」ということだが、どういうものをやるべきか考えていた。そこへ、ベルリン在住の吉田(女史)を介して中川真さんを紹介された。実際に真さんとは会っていない。彼に相談すると「七聲会という聲明グループがある」と紹介されたので早速あんたに連絡をとったというわけだ。彼自身はこのトリエンナーレ専属というわけではなく、企画の依頼を受け実際に制作するまでを主な仕事にしている。主なジャンルは演劇だという。
「今日は9.11だ。われわれの公演とこの日付は偶然なの?」
「偶然だ。もっとも首謀者のビンラディンが殺されたわけだがらその儀式といってもいいかも」
「9.11の首謀者がビンラディンだというのは決定的ではないんじゃないの。だって、未だにアメリカ政府は物的証拠を開示していない」
 ワダスがこう返答すると、クリストフは一瞬顔を斜めにし、横目でワダスをあらためて見直し、いった。鋭い視線だった。
「まあね。ただ間違いないとオレは思っている」
 ワダスと配偶者が9.11の4カ月前にニューヨークにいたこと、WTCを見上げる位置のホテルに滞在したことなども話した。
 右隣の青木さん、左隣のライナーがわれわれの会話を聞き、ときどきコメントを挟む。L字型の一方のラインに並んだお坊さんたちと石川の席では、酒量が増えるにつれて悪ふざけの度合いがましてきたようだった。くたびれてどす黒い顔つきで寝ている石川の頭に帽子をかぶせたりしている。
「ははは、石川さん。もうわしらと同類やあ」
 宴会がお開きになったのは1時過ぎ。3時のミュンヘン行きICE(新幹線)に乗る佐々木夫妻と別れた。
 外に出ると、激しかった雨も小降りになっていた。歩いてホテルに戻り、河合とワダスが八尾の部屋に集まって二次会。南がドバイ空港で購入したヘネシーXOをさらに流し込み、寝たのは4時だった。