2011年9月12日(月)

 起きたのは8時30分。まだ酔いが残っていた。朝食をとり朝風呂に入った。屋根裏の斜めの窓ガラスには水滴がついていたが、雨は降っていないようだ。
 ゆっくりしていたら出発時間の10時に迫っていた。まだ肝心の仕事が残っているというのに。時間を気にしつつMacをもって便器に座った。といきなりSkypeの呼び出しのベルがなった。京都の奥山さんからだった。4月から7月まで毎月曜日泊めてもらう居候先だ。
「あれっ、今、どこ」
「今、ドイツです。朝の9時過ぎ。んこ中だっす」
「あらら、それは失礼」
 10時1分前になんとかシゴトを完了した。あわててレセプションに降りた。すでに全員揃って待っていた。青木さんの姿も見えた。通訳のマーセル青年もいた。彼は今日のケルン見物の案内人である。

電車でケルン観光へ

「10時なになに分初の電車に乗ります。歩いていきましょう」
 ボーフム駅に着いた。河合とマーセルが切符を買ってきた。地下道を通ってホームへ。ほどなくなかなかスマートなデザインの電車が滑り込んできた。自由席というのでみなめいめいに席に着いた。ドイツの電車は中央で座席の向きが変わる。前半分が進行方向、後半分が逆になる。
 メンバーはすべて逆進行方向に座った。ワダスの隣に青木さん。全員が寝不足の疲れた表情だ。八尾はぼそっという。「死んでます」。南もちょっと元気がない。
 電車はデュッセルドルフ空港、デュッセルドルフ、エッセンなどを通過して1時間ほどでケルンに到着した。
 プラットフォームに降り立ってまず探したのは、構内放送のスピーカーだった。以前、サウンドスケープの本に出てきたものだ。細い鉄骨トラスの大屋根に覆われたプラットフォームの頭上に大量に配置されたスピーカー。案内放送が明瞭に伝わるよう位置や個数も計算されていると聞いた。直径15センチほどの灰色の円筒が2個ないし3個、根元で結合された形をしている。円筒の先に白いメッシュがあるのでスピーカーだと分かる。広い構内を見渡すとものすごい量のスピーカーが見えた。これだったんだ、と納得する。構内には絶え間なく列車が出入りしていた。
 地下道を通り駅舎へ。高い吹き抜けのある大きな駅舎にはキヨスク、観光案内所、雑貨屋などが並び、多くの人が行き交っていた。高い天井に達するガラス張りの壁面全体に真っ黒な建造物が見えた。ケルン大聖堂(以下ドーム)だった。駅からこんなに近いところにあったんだ。

ケルン大聖堂

 駅舎から出てドームを見上げた。真っ黒で巨大な量感のある建築物だ。この有名なドームの絵や写真は何度も見ている。ビルに囲まれた街のど真ん中にあるとは思いもしなかった。幅広い石の階段には多くの観光客がたむろしていた。われわれも階段下の広場でドームを背景に記念写真を撮った。
 階段を上りきったところが正面入り口である。そこで八尾の高校時代の先輩である水間氏がわれわれを待っていた。ケルン放送管弦楽団のファゴット奏者ということだった。黒のズボン、ピンクのシャツの上から真っ白なジャケット。長身というほどでもないがバランスの取れた体格。鹿爪らしくなくどことなく遊び人めいた雰囲気の中年男性だった。
「これからどうしましょうか。皆さん、お腹すいていますか。(全員の弱い頷きを見て)ええと、じゃあ、とりあえずこのドームの中を見た後に、地ビールで有名なレストランへご案内します」
 われわれはバラバラになって観光客でごった返す堂内を回った。堂内は、おどろおどろしい外観とは違い、威厳のある空間だった。ボールト構造の織りなす幾何学模様の高い天井、聖人たちの彫像、壁面をカラフルに飾るステンドグラス、重厚なパイプオルガン。われわれはこれまで、ヨーク、ウィンチスター、カンタベリー、ウィーンなどの大聖堂は見てきた。それぞれに特徴がある。おそらくここが最も大きいかも知れない。観光客が多いせいか、反響する話し声がざわついていた。ドーム内の空気はちょっと埃っぽく、床と天井では空気密度が違うのではないか。
「ゲルハルト・リヒターのスタンドグラスがあると聞きましたが」
 水間氏に訊ねた。
「はい。あの辺だったと思います。地元でも議論があるんです。新聞でも、こんなものはけしからん、という論調で特集してました」

 ゲルハルト・リヒターというのは現代美術の作家。ドイツに来る前、デュッセルドルフにもアトリエをもつ彫刻家の植松奎二さんに名前を聞いていた。
 水間氏の指差す方向に歩いていくと、あった。他の、聖人たちやイエスの生涯などの具体的な描写の多いステンドグラスとはまったく雰囲気が違う。様々な色のついた矩形ガラスの小片がはめ込んであるだけだ。ガラスを通った光が木製の欄干に小さな虹を作っていた。伝統のある聖空間に突然現れた現代美術。反対意見を押さえて設置された理由は何だっただろうか。そこだけが歴史から切り離されて異彩を放っていたが、新しい感覚は悪くはない。

水間氏、Sionレストランを案内

 水間氏が案内してくれたのはSionという名前のレストランだった。細かな石畳の道を5分ほど歩いたところにあった。街の喧噪はほとんど届かない。
「どの日本人も、ここの地ビールが一番うまい、という評判の店です。ビールは飲み放題でグラスが開くと次々に追加を持ってきますから、飲み過ぎに気をつけてください」
 われわれは、道路に面した屋根のあるオープンスペースの席に腰を落ち着けた。南、青木、水間、八尾、池上、和田、橋本、HIROS、マーセル、石川の総勢10名だ。
 マーセルが「ここはまかせて」といい地元料理中心に白いエプロンをかけたトルコ人ウェイターにオーダーした。
 小さなグラスに入ったビールが運ばれてきた。ボーフムで飲んだFiegeと違い、苦みが少ない。まろやかでとても飲みやすいビールだった。水間氏の薦めに納得した。
 水間博明氏の話。八尾とは洛南高校の同窓。八尾が1年後輩に当たる。そのまた1年後輩に佐渡裕がいる。ともにブラスバンド。水間氏は京都芸大の後、ドイツ留学。そのままドイツに住みつき30年になるという。現在はケルン放送管弦楽団の主席ファゴット奏者として活躍している。
「ドイツは最高ですよ。環境もいいし、音楽の仲間がいるし。日本に帰る気はないですね」
 音程感覚についての話もあった。
「ドイツ人でも音程感の悪い人もいる。僕はチューナーを使う。これほど正確なものはないので、なんでみんな使わないのか。そのうち僕が使っているのを見てオケのメンバーも使うようになった。おかげでオケのピッチは格段に良くなった。日本のオケの指導をすることもあるけど、そのときチューナーを使うことを薦めるんです。そうすると音程は一発でベルリンフィルに負けない程度になる」

 久しぶりにしかも外国で会ったためか、飲みやすいビールのせいもあり、八尾と水間氏は洛南高校時代の昔話で盛り上がっていた。「1年後輩にバカでかい男がおった」。指揮者の佐渡裕のことだった。
 料理が運ばれてきた。骨のついたブタのかたまりの載った大皿がテーブルに乗った。ブタモモの骨付きのかたまりはフットボールくらいある。ゆがいたものが有名なアイスバインである。グリルで焼いたシュバイネハクセも出てきた。大量のマッシュポテトとザウアークラウトの大皿。チキンと野菜サラダ。馬のペニスのような長いソーセージ。ジャガイモと肉とわずかな野菜。ドイツの標準的なごちそうだ。ワダスは昼食はなるべく軽めか抜きにしようと思っていたが、結局たくさん食べてしまい、後で苦しむことになった。
 小さなグラスに注がれた地ビールが何度も運ばれた。われわれの酔いも加速する。南、橋本、石川の顔がすでに紅潮し、河合が豪快に笑った。

ライン河

 仕事があるという水間氏と別れたわれわれはライン河岸まで歩いた。対岸までは100メートルほどあった。河岸にガラス張りの大きな平たい船が係留されていた。ライン下りの観光船だ。案内板には、河下りは3時からの2時間と書かれていた。


 ワダスは美術館に行きたいと思っていたが、お坊さんたちは河下りに惹かれたようだった。迷っていた石川も結局河下りを選んだのでワダスと青木さんだけ別行動となった。ケルン・ドームに6時半集合することにして二つのグループに別れた。

美術館は月曜日休館

 青木さんとドーム横のローマ・ゲルマン博物館まで行ってみたが閉館していた。ここでふと、月曜日はすべての美術館が閉まっているのかもしれないといやな予感がした。ケルン駅コンコースの観光案内カウンターで訊いてみた。
「はい。月曜日はどこも閉まっています」
「開いているとこはないの」
「ええと、ちょっと待ってください。あ、コロンバ美術館はどうですか。開いているはずです」
 ワダスと青木さんは教えられた美術館を探し歩いた。見つかったのだが、どう見ても閉館している感じだ。美術館の建物の並びのカフェのあんちゃんに訊くと、うーん、おれもよく分からないけど、たぶん、閉まってるんだろうね、という。
 仕方がないので、ドームを見上げる大きなカフェで一休みし、ドーム周辺を行き来する人やカフェの客たちを眺めて時間をつぶした。観光地のカフェのせいか、飲み物の値段もけっこうする。カフェはドームを囲む広場をわずかに見下ろす位置にあり、手すりにそって並んでいるテーブルから埋まっていた。髪や目や肌の色、身長、服装、性別、年齢、実に様々な人々が忙しく行き交っていた。ぼんやりと屋外カフェでコーヒーを飲みながら人々を眺めるのは楽しいものだ。あの人はどこで誰とどんな生活を送っているのか、なぜ急いでいるのかなど、想像して楽しめる。

ドームのてっぺん

 お坊さんたちとの待ち合わせまではまだたっぷり時間があった。せっかくなのでドームのてっぺんまで上ってみることにした。青木さんはケルンは二度目だが上まで上るのは初めてだという。
 ドームのてっぺんに上がるには、駅とは反対側にある階段をいったん降りて上ることになっていた。地下鉄の駅に行く案配で幅広い石段を下りた。ドームの地下構造やジオラマなどの展示コーナーを抜けチケット・ブースでお上りチケットを購入した。笑いながら降りてきた数人の若い女性たちと螺旋状の狭い階段ですれ違いつつ、後ろについてくる青木さんとともに上り始めた。
 踏み面がすり減って湾曲した石の階段が螺旋状に延々と続く。これまで上ったことのあるバルセロナのサクラダ・ファミリアやヨーク大聖堂のものよりは広めの階段なので、降りてくる人たちとすれ違うことができる。ヨーク大聖堂では時間差を設けて上りと下りを管理していたのを思い出した。ところどころ細長い窓があり外からの光が入り込んでいる。
 まず3階分くらいのところで脚全体が重くなりしばらく休んだ。息切れもする。ふくらはぎが不満を漏らしたところでまた休んだ。太ももが小さな悲鳴をあげたところでまた一休み。一気に上るのは体力的にかなり苦しい。休憩所のようになっている鐘楼のところで若い女性二人が休んでいた。青木さんは軽やかな足取りでワダスの後をついてくる。と、頂上とおぼしき広い空間に出た。尖塔の内壁沿いに石のベンチが弧状に設置してあった。座って上を見ると鉄骨の階段がまだ続いていた。さきほどの若い女性たちも追いついてきて休んだ。
「どこから」
 ドイツ語で訊ねた。
「スイスのローザンヌよ」
「ほら、まだ上があるみたいだよ」
「ええーっ、やだあー」
 ようやく最上部に到達した。尖塔の突端部分だ。遥か下に広場、駅、町並みが見下ろせた。尖塔を中心とした狭い廊下沿いにぐるっと巡る。どんよりとした曇り空の下に蛇行する大きなライン河が見えた。なだらかな起伏が地平線まで広がっていた。発電所の、真ん中のすぼまった円柱形をした大きなコンクリート冷却棟が3棟並んでいるのが見えた。原発だろうか。
 鉄骨の階段を降りたところでベンチに座ってしばらく休んだ後、階段を下りる。がやがやとした東洋人中年集団とすれ違った。韓国語をしゃべっていた。
「アンニョンハセヨ」
 太り気味の背の低い女性に挨拶すると早口で返答してきた。まったく理解できなかったのであわてていった。
「イルボン・サラム・イムニダ(日本人です)」
 彼女は「あーあ」と納得してうなずき、仲間たちと一緒に上っていった。
 すれ違う人たちも、実にさまざまだった。ドームはドイツ有数の観光地なのだ。
 入り口に戻って青木さんにつぶやいた。
「脚が痛いなあ」
「あら、わたしは平気よ。踊ってるからね」
 あたりは夕暮れで薄暗くなっていた。
 ドームの駅側の広場でお坊さん、石川と合流した。みんなけっこうご機嫌な顔だった。聞けばライン下りの船の中でしこたまビールを飲んだという。真っ赤な顔の石川がいった。
「いやあ、つられてけっこう飲んじゃいましたね」
「ICE(新幹線)でボーフムへ帰りますよ。一人21ユーロです」
 河合が告げた。われわれは券売機でチケットを購入したマーセルの後をぞろぞろとついてプラットフォームへ。

ボーフムへ

 睡眠不足と観光にくたびれてみんなの口数は少ない。われわれの立っているプラットフォームには様々な行き先のやや流線型をしたICE(新幹線)が滑り込んでは去っていった。ボーフム方面行きの電車は定刻になってもこなかった。表示には20分遅れと出ていた。ICEに乗れると期待しつつ待っていると、そうではないことが分かった。マーセルが「スミマセン」と頭を下げた。やってきたのは、けっこう無骨なデザインの「普通」の車両だったのでみんなはちょっとがっかりしたようだ。
 車窓から次第に暗くなっていく景色をなにげなく眺めた。牧草地、畑、農家、工場などが現れては後方に消えた。バラバラに席に着いた一行は目をつむってぐったりと背もたれに背を預けていた。目の合った池上に近づいてなにげなくつぶやいた。
「脚がねえ、パンパンでねえ、あのお、ちょっとマッサージとかしてほしいなあ、とかいっちゃって」
 04年のイギリス・ツアーのとき、右足の親指の付け根が急に痛みだし、脚を引きずってしか歩けなくなったことがあった。そのとき池上にマッサージを受けたのを思い出したのだ。ほとんど即座に返答が返ってきた。
「今晩は無理ですね。むっちゃくたびれてもた」
 来るときと同じ約1時間でボーフム駅に着いた。地下道からコンコースを抜け、駅舎の外に出て後ろを振り返ると、誰の姿も見えない。どこかに立ち寄ったのだろうか。探しに戻ろうかと思ったが、お坊さんたちはマーセルや青木さんも一緒だし、ホテルの場所もすでにみんな知っているはずだ。エアロスミスのSweet Emotionを大音量で聞きつつ一人で夕暮れの街を歩いた。街の風景が映画のワンシーンのように見えた。小さい街なので道に迷うこともない。20分ほどでホテルに着いた。8時過ぎだった。
 しばらくして河合に電話した。
「売店によってたんですよ。みんなですか?。もう休んではるんちゃいますかねえ」   
 11時過ぎ就寝。

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