2011年9月13日(火)

ふくらはぎがパンパン

 6時頃起床。ふくらはぎがパンパンに張っていて、歩くたびに筋肉がきしんで痛い。ドームお上りが原因だ。
 ネットのニュースを見ていたら、フランスの原子力施設で爆発とあった。作業員が一人死亡したらしい。放射能漏れはないということだが、福島の例があるだけに直ちには信頼できない。すぐにテレビをつけた。チャンネルをいろいろと回してみたが、事故の報道はなかった。深刻な事故であれば速報が出てくるはず。たいしたことのない事故だったのか。

フランスの事故

 石川の奥様からワダス宛にメールが届いていた。フランスの事故はドイツにも影響を与えるかもしれない。石川には外出する際は必ずマスクをするようにいってもらえますか、という内容。福島の後だけに原発関連事故には相当敏感になっているようだ。事故のあった場所はアビニョンに近い。アビニョンにはアクト・コウベの知り合いがいる。何ごともなければいいが。ともあれ、アビニョンからここまではかなりの距離なので「直ちに健康に影響する」ようなものではないと思う。
 6時30分、朝食。スクランブルエッグ、ソーセージ、トマト、ハム、パン、ジャム、コーヒー。終える頃、橋本現れる。部屋に帰ってゆっくり風呂に浸かった。
 ホテルのチェックアウトは11時となっていたが、12時まで大丈夫との確認をとり全員に知らせた。ほとんどの人が買い物に行きたいといっていた。

池上の痛いマッーサージ

 9時ころ、池上が「マッサージしますわあ」と部屋にやってきた。覚えていてくれたんだ。うれしいなあ。しかし、喜びは最初に一押しで苦難となった。左右、とくに左のふくらはぎを押されると飛び上がるほど痛い。池上は「痛いでしょう。痛いはずや」といいつつ容赦なくぐいぐいとつぼを押す。あまりの痛みにベッドから転げ落ちた。彼のマッサージは、いわゆる気持ちのよいマッサージではなく、スポーツ系の実利的なものだ。それにしても痛かった。

街へ買い物

 一人で10時ころ街へ出かけた。歩くとふくらはぎが猛烈に痛い。
 この辺の商店は10時にならないと開かない。ホテルに近い割と大きめの雑貨屋のショーケースに白いキャリングケースがあった。値段を見ると29ユーロとある。特価品として飾ってあるようだ。頭にメモして坂なりの商店街の一角にあった小さな店でソーセージ、ハムなどを購入。結構なかさになったので、リュックに全部入りそうにない。やっぱり何か別の入れ物が必要だ。来た道を戻り雑貨屋でキャリングケースを購入した。ハム、ソーセージをそれに入れて転がしつつチーズを買いに再び街に戻った。Kaufenparkというスーパーでチーズを各種購入。日本よりは格段に安い。痛む脚を引きずりつつ、11時ころホテルに戻り荷物をまとめた。
 11時半、部屋を出て青木さんのいるラウンジへ。ほどなく河合がやってきた。三々五々、お坊さんたちも帰ってきた。全員のチェックアウトが終わるころローランドが顔を見せた。トーマスとサンドラも見送りにやってきた。

デュッセルドルフ空港へ

 デュッセルドルフ空港への道すがら、ローランドが話す。
 Li Buddhaというバーの名前の由来。60年代に活躍した地元出身のサッカー選手の名前。「神でなければ彼のドリブルをパスできない」といわれた名選手だったが、名前が仏陀を連想させ、仏陀とサッカー選手が結びついた。店内には仏教系の絵画とサッカーの写真があるのだという。彼がなんでこの話をしたのかよく分からない。
 ローランドがわれわれを降ろした場所はエミレーツのチェックイン・カウンターから最も遠いところだった。池上のマッサージで鋭さを増した脚の痛みのせいか、空港の端から端まで移動するのはつらい。
 出国手続きを終え、お坊さんたちはお土産のために免税店を物色した。しかし、小さな空港だけに免税店の数も扱う品物も少ない。とにかく何か買って帰るという決意に満ちた南や和田は、チョコレートを大量に購入していた。アジア系軽食屋で幅広ビーフンを食べ、予定より20分遅れの1時45分、ドバイへ向かった。

朦朧として帰国の途へ

 疲れが相当にたまっていたせいか、チキンの機内食を食べた後、重い眠気がきた。中央列に河合、南、HIROS、和田と並んだが、座席間隔があまりに狭くて身動きできない。不自由な姿勢でまどろんでいるうちにドバイに着いた。みなあまりにくたびれていたため、もはやドバイ空港の免税店巡りの元気がなかった。朦朧としたまま関空行きに乗込み、朦朧としたまま帰国した。14日午後5時になっていた。
 3泊5日のドイツ旅行はこうしてくたびれつつ無事終了した。

前ページ