AFO 1998~Asian Tour よれよれ日記風報告 デリー編(3月1日~3月7日)

 最初のうちはいい思いをさせておこうという配慮からか、タイ航空バンコク経由デリー行きはミュージシャンはビジネスクラス、スタッフがエコノミークラス。「こんなことは続くはずがない」と思いつつ、じゃっかんエラくなったような気分でデリーに入った。
 デリーのホテルは、中心街コンノート・プレイスに近いインペリアル・ホテル。どっしりとしたコロニアル風の古い建物は風格があり、改装したばかりの広々とした部屋はとても一人で寝るにはもったいない広さだった。シャワーを引っかける取っ手がなかったり、ガラス張りのシャワーブースから湯水があふれ出るといった、見た目と違うアメニティー関係の使い勝手の悪さは差し引いても、贅沢な部屋だった。

 フリーの1日は、ドライデーのためにビールの飲めないプールサイドで一日が始まった。白い制服の係員に「こっそり出せないのか」と聞くと「わたしクビになる」というので、プールサイドのビール悦楽は断念。
「もうこれで二度目。わだしだけ被害者」とぴかぴかの靴に泥をかけられて怒る服装不均衡の賈鵬芳、「中川さんどこか連れてって。わだしサービスするから」と少女ファッションの小青、「シャツがないので買いだい」という張林、「ちょっと怖いけど街を歩きたい」あやの、「スズコって呼ばねでけろ、みんな誤解すっから。わだすの名前はシズコなのお」というスズコと、物乞いのしぶとい営業活動をかわしつつ、デリー最初の外出でジャンタル・マンタル(天文台)へ。30ルピーの短いバーンスリーを少年にもっていかれて憤然とする賈鵬芳の服装、たたずまい、所持品は、もっとラフにしないと、デリーのプロフェッショナル物乞いのターゲットになりやすい。ジャンタル・マンタルの芝生に座っていたとき、小青は「このままもって帰りだいくらい、かわいい」と横に座らせたインド少年をまるでペットのようになでる。
 この日の晩は、国際交流基金デリー事務所の招待で、すぐ近くの「ゲイロード」でディナーだった。基金の安藤所長は元からそうなのか、あるいはインド生活の影響か、自身のステイトメントを間断なく照射し続ける典型的な「インド人」なのであった。ディナー後、梅津バーが早速開設され、広々とした彼の部屋で宴会。各所勝手バー開設状況の始まりです。

 2日は、水に入ってから泳げないことに気がついたタケカオおぼれ寸前事件などというプールサイドから一日が始まった。プールの水はふるえるほど冷たい。「新聞記事になぜオレの名前が欠落しているのだ、ぷんぷん」と怒るインド公演のゲストアーティスト、アーシシ・カーンとプロダクションルームで打ち合わせ。久しぶりに会うアーシシのブルージーンズにボタンダウンのシャツ姿は、相変わらずなかなかダンディーだ。
 オプショナル観光ツアーバスにタッチの差で乗り遅れた中原と、スクーターリキシャで本屋へ行った。数万円分の本を買いホテルに戻ると、観光ツアーから帰ったストリングス隊8名が待っていた。タンドーリー・チキンで有名な店に連れていくことを約束していたのだ。タクシー2台に分乗したわれわれは、「モティ・マハル(真珠の館)」へ。タクシー車内からデリーの町の様子を初めて見た女性たちは「うわあー、すんごおいー。ちっさい子が新聞売ってるうー。あぶなそう。うっわあー。リキシャかっわいいー。はあら減ったあー」と叫ぶ。男性はわたしと中原だけで、あとはお美しい女性たち。インド人客が来るには早い時間帯だったためか、屋外テーブルの周りはヒマを持て余すウェイターたちがたむろしていた。われわれは、ひまなウェイターたちの相手をしたり、カッワーリー歌手の歌を聞きつつタンドーリーチキンに舌鼓を打つのでありました。美女たちに囲まれた至福の晩餐の後は、矢野バー、梅津バー、三好バーと移動バーをはしごし、肌頭梅津和時氏蛇笛購入顛末などを聞きながら夜は更けていくのであった。

 3日、リハーサル。会場は、バスで30分ほどのシリフォート・オーディトリアム。収容人数2000人ほどの、デリー自慢のかなり大きな本格的ホールである。
 舞台に着座すると、音響システムの違いや電源車不調などでほとんどキレかかった小野口の叫び声が聞こえる。「あのおー、パーカッションの音量ちょい下げで」「ちょおっと待って下さい。まだ調整がすんでないです。おーい、そっちのシールドどうなってる。早くチェックしろお」「オッケーでえす」「そこじゃないっつうてるだろお」「あっ、はあい。これでどうですかあ」モニター音響スタッフたちの緊張が伝わってくる。そんななかで始まったリハーサルは、なんとなく全体に集中力に欠けていた。アーシシの曲の練習では、ギターをもった高周波発声ラナジット少年がキンキン声でいちいちアレンジの指示を出し、メンバーをいらだたせた。
 楽屋係りのバイトは、バブリーことバーラティ、プラヴィーン、ユウジの日本語を習う学生たちだった。バブリーはひょろっと背の高いかわいらしい女の子。

 4日、リハーサル。前日よりはまとまりがでてきた。リハーサル中、大工が「今日は沖縄はサンシンの日。200万沖縄県民にメッシェージと音楽を生中継でラジオに送りたい」と申し述べ、大工の歌にインド隊が携帯電話に向かって演奏した。リハーサルを終え、11時過ぎにホテルに戻ったわたしとアーシシは、ニルラホテルの向かいに住むヴァイオリニスト、パワール氏宅でラム酒をごちそうになった。

 5日、インド公演最初の、そしてアジアツアー最初のコンサートは、ヴェンカタマキ元大統領も列席し、華々しく開幕した。ただ、プログラム曲数が多かったため4時間近いコンサートになり、1部が終わった時点で、客の一部が帰ってしまうということがあった。もっとも、帰ったのは最前席を占めていた政府関係のお偉方だったらしい。相変わらずホテルの部屋に閉じこもりひたすら練習するグレースが体調を崩したり、2日間だけの練習で臨んだアーシシのフュージョン曲がこなれていなかったり、と必ずしもみなが満足のいく内容とはいえなかった。しかし、10日以上にわたる念入りなリハーサルを重ねた結果、始まる前のドキドキ感とは裏腹に「なあーんか、終わった感じだな」(仙波)という感想が出るほど、メンバーはすでにそれぞれの曲を把握していた。
 アメリカ在住のアーシシは「かねがね、故国で古典以外のこのようなコンサートをしたいと思っていたけど、今回、日本政府の協力で実現できたことは大変うれしい」とインド政府に対する皮肉を若干込めてあいさつした。また、急遽決まったわたしのヒンディー語MCはなかなか受けた。
 この日はこの時期には珍しく雨。ホールの側の打ち上げ会場「チョップ・スティック」周辺水浸しのため集合に手間取り、終演の開放感はすこし冷めてしまった。「チョップ・スティック」の料理は、インドにしては悪くない味の中華料理だった。わたしは、安藤所長の近くに座ったが、岸本を盾に機銃掃射を避けた。心優しく聞き上手な梅津はまともに掃射を浴び、スキンヘッドに銃弾の痕が残った。
 ホテルに戻ったわれわれは、当然のように二次会が盛り上がり「AFO二次会朝4時の法則」が確立されたのであった。

 6日、インド人の友人夫妻、ヨッチャンとでバザール散策後、再び公演会場へ。演奏時間をかなり短縮した2日目のコンサート内容は、前日よりはずっとコンパクトで引き締まり、ほぼ満席の会場は盛り上がった。ミュージシャンにとって聴衆のレスポンスほどうれしいものはない。
 終演後、在インド日本大使館主催のパーティーだったが、わたしとアニーシュはトゥムリー歌手ショバ・ムドガルの招待を受けてインド料理店に行った。ジョーク混じりのうわさ話が間断なく飛び交う楽しいディナーだった。
「わたしは二日ともいったけど、面白かったなあ。西洋人が一人もいないオーケストラなんて素敵。曲もみんな素晴らしかったし。とくに津軽三味線や二胡がよかった。インド音楽ってゆるゆるとしてるけど、あんな風にきっちりと組み立てられた音楽もいいよね。だから、インド隊の作品はちょっと見劣りがしたな。あれではインドは不利に見える。インドにも素敵な曲いっぱいあるのにね」。体型も表情もまん丸いショバは、カレーをかき混ぜながら公演の感想をこんなふうにいっていた。

 デリー最終日の7日はオフ。どうしてもタージ・マハルが見たい、といっていたグレース、ヨッチャン、大久保、立花がタクシーを借り切ってアーグラーへ。一緒に行くといっていた梅津は「正露丸がそっくり粒のまま出てくるのよね」的下痢でダウン。前回もそうだったが、どうも大使館レセプションというのは下痢を誘うもののようである。
 他のメンバーは、爆弾などの危険性があるのでできれば避けること、といわれていたオールドデリーにバスを借り切り観光ツアーだった。大工夫妻、仙波、サンチャン、タナ、五頭チャン、ベニさん、デリー公演の取材できていた「ぴあ」の廣島などと、ジャマー・マスジットのミナレットに登ったり、人混みを泳ぐようにバザールを散策した。「うーん、これよね、ディープなインド。それにしてもすごい排気ガス」などといいながら、人と雑多な店の密集する界隈をうろうろした。
「せっかくだからここでストリートミュージシャンをするのだ」と宣言した大工がラール・キラー(赤い城)前の広場で三線をならし、沖縄民謡を歌い出した。たちどころに黒山の人だかりが取り巻き、わたしはさっそく帽子を裏返し投げ銭を乞うと、なんと73ルピー(260円)の収入。腰を振りつつ踊り出すノリのよいインド人青年まで現れた。警備の警官もやってきて、何事かとじろりとにらみ出す。
 夜になると、アニーシュが出演するカタックダンス公演にどやどやとなだれ込み、デリー最後のフリーデーを満喫するAFO連なのであった。