AFO 1998~Asian Tour よれよれ日記風報告 リハーサル編(2月14日~25日)


 リハーサルを入れるとほぼ2ヶ月間の長いツアーでした。非常に大まかな動きだけを、感想を交えて以下に紹介したいと思います。煩雑さと文字数節約のため文中登場人物の敬称は、心苦しいのですが省略させていただきました。冗長な文章ですが、ご辛抱下さい。


 途中1日の休日をはさんでまる10日間に及ぶ長いリハーサル。この長いリハーサルは、互いに名前と顔と音楽が少しずつ分かり合い、より親しくなっていくプロセスであり、エイジアン・ファンタジー・オーケストラ特有の体験は忘れられない。
 リハーサル会場は、赤坂の国際交流フォーラム。東京在住以外のメンバー、ドゥルバ・ゴーシュ、ナヤン・ゴーシュ、アニーシュ・プラダーン、中川のインド隊、岡山の張林、フィリピンのグレース・ノノ、沖縄の大工夫妻は、キャピタル東急ホテルに宿泊。かつてビートルズも宿泊したというこのホテルは、多少古さを感じさせるが、全体のたたずまいや従業員の物腰などに落ち着きと格式がある。もっとも、「お茶漬け1800円、漬け物900 円・・・」と、ルームサービス方面の格式も信じがたいほど高い。キュウリの浅漬け3片とたくあん2片でなぜ900円もするのか。注文して食べてからいえといわれそうだが、このへんのところを経営者からきちんとした説明を受けてみたいものだ。ともあれ、リハーサル会場から歩いていける利点もあり、わたしは快適な東京生活を送ることができた。
 ホテルの部屋の窓からは、国会議事堂や首相官邸の裏が見えた。周辺は妙な空き地が坂なりに広がり、シュールな雰囲気である。国際交流フォーラムのある赤坂というところは、官庁街ということもあり、新宿のような下世話なにぎやかさのないところである。暗鬼紅灯のうごめくあやしげな雰囲気に欠ける。もちろん、あやしくアブナイ誘惑にぜーんぜん無縁なわれわれには、新宿であろうが赤坂であろうが問題ない。ただ、でも、ちょっと、花の大東京さきてんだもんね、というわくわく感もあれば滞在もぐっと楽しくなったであろう。
 わたしはほとんどインド隊に密着だった。自分のパート練習もさることながら、五線譜からインド式サレガマ譜に直す、楽曲のなかの彼らのパートの出入りを教える、彼らの音楽的要望を他のミュージシャンたちに伝える、彼らの曲のアレンジの調整、どこかしら集中力減退感の漂うナヤン・ドゥルバ兄弟の関係修復をはかる、新しい体験に興奮しつつ何にでも興味を示すアニーシュの面倒をみる、菜食者(ナヤン)と非菜食者の食事調整をはかる、など結構忙しい日々だった。
 とくにナヤン・ドゥルバ調整は前回にはない新たな課題だった。ナヤンは、自分の曲であるM-5(後に「ルンビニ・ガーデン」のタイトルとなる)に執着を示し、それ以外のリハーサルのときでも頭の中はM-5のみという状態で夜も眠れない。その悩めるナヤンに実の弟だけにストレートにものをいえないドゥルバにも次第にM-5的非集中力が感染していった。目つきや顔の造作がMr.ビーンそっくりの若いアニーシュのみが、そんな悩める兄弟を冷静に観察しつつも、るんるんの日々を送るのだった。アニーシュのような、何事にも楽観的かつ積極的な人間にとって、このAFOプロジェクトは刺激と喜びに満ちているが、ナヤンのような愛に飢えた保守主義者には悩みは大きい。ナヤンは、少年の頃からハイレベルのインド古典音楽のタブラー奏者、シタール奏者として活躍してきた。それだけに、他者からの心地よい賞賛に慣れすぎ、逆に他者を賞賛することを学べなかったのかもしれない。わたしはよく、他人の話を聞かない傾向を「インド人してる」と冗談でいうが、その意味ではナヤンは典型的な「インド人」。こういう人は、教えることには熱心だが、人から教わるということができない。一方、ドゥルバは、人の話を聞く希なインド人であり、本質的には開放的で柔軟な演奏家である。ただ、伝統的家族の力関係と自身のぼんぼん性によって、ナヤン兄さんの「インド人」的傾向を突破する強靱さをもたない。そこに、ナヤンとは違った悩みを抱えることになる。

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リハーサル期間の人々点描

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 寒風すさぶ浅草仲見世で焼き餅を食べつつ商品検索蛇行歩行するネイティブ顔のグレース、仙波に楽屋裏まで案内してもらった歌舞伎座からでたとたん「音羽屋あー、五代目えー」と叫ぶドゥルバ、飲めば必ず朝5時の法則を遵守する大工哲弘、その大工さんのアルコール偏愛をたしなめるピッタリ裾広パンツ派の配偶者苗子さん、淡々と高度な技を披露しつつ「赤坂ラーメンはながながうまい」と申し述べる少年顔の張林、端正知的外見とうらはらなジョークマインドと服装不均衡の二胡奏者賈鵬芳、その賈鵬芳に「リーダーはおっかしい。セーンス悪い。オジンぽい」と軽口を叩く中国隊の美しいかなめ役姜小青、スタジオと楽屋の境界領域でウンコ座りしながら煙草をふかすストリングス隊の名古屋出身ハルピョンこと矢野晴子、最若年ながらアネゴのような風格を漂わす名古屋出身の笠原あやの、水商売系雰囲気の名古屋出身大久保祐子、浄瑠璃人形を思わせるタケカオこと武内香織、秋田出身のスズコこと長身高橋淑子、ガハハハ笑いのヨッチャンこと西宮出身の森田芳子、キョトンキョトン的深窓令嬢フーチャンこと深見邦代、あやしいフェロモンを微量に発散する泰然自若的チェロの立花まゆみ、宮城出身肌頭旋回サックス奏者梅津和時と楽屋で将棋盤をにらむ細身黒づくしの別府出身者サンチャンこと三好功郎、自分の位置に各種笛類を並べ待機睡眠状態に入る自称寝たきりファッカー望月太八次郎こと竹井誠、にやり寡黙的大人風格の坂井紅介、生粋の東京人なのに田舎出身にみられてしまうエレベ中原信雄、前髪3本タラリ三味線職人のシンチャンこと木下伸市、全員に均等な目配りをしつつ「飲みに行こうよ」と鼻づまり的子供声で誘うシショーこと丸肩仙波清彦、アレンジと作曲と演奏でよれよれ的多忙なのにのほほん的雰囲気を崩さないダイチャンこと久米大作、女はもううんざりという雰囲気を漂わす内気的寡黙寡黙の新井田耕造、たいてい2ミリほど会話の波長がずれるタナこと田中顕、わたしの後ろから強力打撃音を見舞いつつ「いやあ、悪いっすね」と真面目にあやまる佐藤一憲、楽屋に山ほどシュークリームを差し入れるJAキャップ収集家細腰演歌歌手香西かおり、睡眠不足披露蓄積で「羽根をむしられたニワトリ」と呼ばれつつもひたすら走り続けるプロデューサー、本村鐐之輔パピー、どんな状況でも服装バランス崩壊を見せない超楽天的常時フレッシュ顔面薄皮エミチャンこと小林絵美、小柄な体に胸当てつきジーンズ、スニーカー姿で雑用を超スピードでこなす短髪童顔少年風五頭裕美、重要な調整を黙々と行っているのに存在があまり目立たない小川裕、どこか懐かしい70年代的たたずまいの琴谷中、本当はちゃんと洗濯しているはずなのに汚れてみえるジーンズと青チェックシャツ姿でモニター音響のミキサーを深刻そうににらむ小野口哲也、その小野口に怒鳴られながら「OKでえーす」と動き回る堺出身の植木浩司、女性を口説くこつはまず「まめ」であることを立花まゆみとの結婚で照明して見せた茶髪つるり顔の尾崎知裕、ミュージシャンサイドからはそれほど目立たなかったが粛々と肉体労働にいそしんでいた松井幸子とまだ初々しさの残る札幌出身の佐藤正巳青年、ペンライト、はさみ、ペンチ、電池、ガムテープ、各種紐、筆記具、メモ用紙などの小道具類で膨れ上がった黒ベストの特殊工作員風ストーンこと福島勤、いると思っていたらいなく、いないと思っていたらいる感じの丸本修、会場の隅で姿勢正しくじっと命令待機状態を維持する帯広出身のジョーこと熊谷太輔、紙関係想念と上下からの板挟みに翻弄される国際交流基金のポニーテール島田靖也、新人なのにどっしり度がおどおど度を凌駕する岸本由紀子。
 リハーサルの日々を重ねるにしたがい、ツアーを共にする仲間たちの個性が明らかになり、硬軟あわせた関係が徐々に緊密になると同時に、作編曲者から提供される曲がそれぞれの演奏家の意見や感覚を取り込み特有のAFOサウンドに変化するプロセスを共有することになった。