アーラープとは
インド音楽におけるアーラープAlapは、ラーガのきわめて重要なラーガの表現プロセスの一つである。演奏家のラーガに対する理解だけでなく、表現力、想像力、創造力、音楽性すべてがここでは問われる。
解説
「ラーガの基本的表情を集約したものの再現」(B.C.Wade)
「アーラーパは、しばしばもっとも純粋なものと見なされる。ターラを用いないため、演奏するラーガにかなう音を完全に自由に表現する。アーラーパの最初の部分(ヴィランヴィタ)は、そのもっとも基本になるもので、ラーガの表情を念入りに表現することが許される。中、及び速いテンポのアーラーパでは、ラーガの別な面が再び紹介される。特徴的な音の動き、転回、ある音から次の音に至る間隔や繰り返しなど、それぞれのラーガに固有の表現などである」(Wim Van Der Meer)
「ターラの有無、器楽か声楽を問わず、ラーガ表現の音楽的アイデアを入念に行うことを意味する包括的用語」(Ashok Da. Ranade)
「重要音、特徴的旋律を含む、ラーガを構成する音列の紹介」(Emmie Te Nijenhuis)
「アーラーパでは、ラーガが1つの音から他の音へ、さらにフレーズからフレーズへとゆっくり表現される。強調される音や特徴的なフレーズ、そして装飾技法に力点が置かれる。通常の演奏は、低い音から始まり非常にゆっくりと高音域に向かう。ある特定の音の連なりが、核となるテーマとなり、その変形がラーガの形を明らかにしながら即興的に演奏されていく。アーラーパというのは、実際、ラーガを表明するうえでもっとも感性的で基本となる部分である。したがって、旋律を発展させていく過程でのもっともデリケートな部分はアーラーパのなかにしかない」(B.C.デーヴァ)
ラーガ表現のもっとも重要な部分の一つ、アーラープ
ヒンディー語のアーラープという言葉は、もとは「アーラーパ」というサンスクリット語で「話す、会話する、ナレーション」という意味である。したがって、古代および中世のサンスクリット語文献ではアーラーパと表現されているので、以下、アーラープと混在するが、意味は同じである。
ヒンドゥスターニー音楽におけるアーラープは、ラーガ表現のもっとも重要な部分の一つである。ハヤールであれ、ドゥルパド様式であれ、演奏はまずアーラープから始められる。通常、アーラープでは、打楽器伴奏はない。
アーラープは、西洋音楽でいう序奏、あるいは導入部(イントロ)や雅楽などの音取り(ねとり)に相当するといっていいかも知れない。しかしこれらが、後にくる主要曲のための文字通りのいわば導入部であることに対し、アーラープは単に導入部であるだけでなく、演奏全体にとって不可分な存在である。とくにドゥルパド様式では、たとえばアーラープを1時間演奏した後、打楽器パカーワジとの協奏部分を10分程度におさえ演奏の全体を終える演奏家も存在するほど、アーラープを重視している。ラーガ表現の神髄、と表現する人もいる。
アーラープは、決定されたラーガの音階型、表情を即興演奏を元に紹介する過程である。主奏者は、まるでゆっくりと階段を上っていくように、一つ一つの音とラーガのもつムードを確立していく。通常、テンポのない部分(この部分もアーラープと呼ばれる)から、一定のテンポのある部分(ジョール、ジャーラー)を演奏し全体が終了する。神々が音に宿る
では実際にアーラープを演奏する場合、演奏家はそれをどう組み立てていくのか。組み立ては、即興的に行われるので、演奏家によって、あるいは同じ演奏家でもその日の気分などによって、同じラーガでも違ってくるものなので、一口に説明することはかなり難しい。
わたしのバナーラス・ヒンドゥー大学時代の最初の先生であったゴラクナート・ダース氏の説明は、わたしがまだ習い始めた時期だったためか、今でも印象が深い。氏は、ダーガル・バーニー(後述)のドゥルパド演奏家であった。
彼によれば、アーラープとは、音による瞑想によって神々の座を整えることだという。インド音名のドレミファに当たるサ、リ、ガ、マ、パ、ダ、ニには、それぞれ異なった神が座ることになっている。演奏家は、まずもっとも重要なサを確立する。タンブーラーの音を聞きながら、正確なサの音を探り出すのが、アーラープのもっとも最初に行うことだ。そのサの音は、出したとたんにぴったりと確立することはなく、上下の音をかすめながら、つまり上下音の相対的位置関係を確認しつつ探り出される。ゆっくりとした上下音の移動を繰り返しサが確定されると、サに座るべき神を「さあ、あなたの座席ができあがりました。どうぞお座りください」と出迎える。今度は、確定したサの神の助けを借りて、一つ上のリの座の構築をはかる。最初は、かすめる程度だったリの位置が、次第にはっきりしてくる。ゆるぎないリの音が確定した段階で、ようやくリに座るべき神が席に着く。このようにして、まるで階段状になった神々の座を順繰りに確定していく。神々の座が増えてくると、それだけ表現の幅も多彩になってくる。そして、最終的に1オクターブ上のサに至り、アーラープが終わる。アーラープが終わると、再び開始音のサに戻り、今度は一定のテンポを刻みつつ同様の行程を繰り返すわけだが、ゴラクナート・ダース氏は、ここからは演奏家は何も考えなくてもいいという。それは、すでにそれぞれの音には神々が宿ったことになるので、あとは彼らが全部やってくれる、というのである。もちろん実際の演奏では「何も考えない」というわけにはいかない。長短や強弱、ガマカやミーンドといった修飾技法をまじえつつ、より複雑な旋律を紡ぎだしていくことになる。しかし、ダース氏の説明は、ある意味では正しいのかも知れない。インドには、ナーダ・ブラフマー(音=宇宙)という考え方があるからである。一個の種子から大樹へ
わたしは、実際にアーラープを演奏する場合、ダース氏のように神々ではなく樹木の成長のイメージを思い浮かべる。
タンブーラーの音を聞きながら、演奏しようとするラーガのイメージを浮かべる。一定のイメージができた段階で、第1音のサをロングトーンで示す。このときのサの長い音は、平らな大地である。その大地にラーガの種をそっと播く。ラーガはまだ胚である。そこに少しずつ水分や養分を加える。すると、胚からわずかな芽が出る。リの音。芽を確認しつついったんは地下の根、つまり下のニ、ダ、パをすこし成長させる。再びサに戻ると、今度はリの芽が少しのびてガの音がわずかに立ち上ってくる。ガの高さには一気には成長しない。行きつ戻りつ茎をわずかに太くしながらガに向かっていく。ガまで成長したことを確認すると、今度はマの音が意識のなかに立ち現れる。このようにして順次、パ、ダ、ニとラーガの木が上にのびていく。1オクターブ上のサに至る段階では、ラーガはようやくはっきりとした一本の木の姿となって現れる。しかし、まだ枝も葉もわずかしか成長してはいない。再び下のサにもどり、今度はあるテンポを伴って木に枝をつけていく。ジョールである。上に向かうにしたがって、木は少しずつ枝を増やしていく。一つの枝から別の枝も分かれていく。こうして再び1オクターブ上のサに至り、ラーガの木にたくさんの枝ができる。ふたたび下のサ、つまり大地に戻り、テンポを速めて今度は枝に葉をつけていく。ジャーラーである。ラーガの木は小枝や緑の葉が増えて、うっそうとした樹木にまで成長してくる。そして最後のクライマックスの直前には、鮮やかな花をつけた大きな樹木が完成するのだ。
ダース氏やわたしのように、アーラープにおけるラーガの特徴や表情を紹介していく手法やイメージは演奏家によって違っているだろう。ともあれ、このアーラープの演奏では、完全な即興演奏でもあるため、演奏家の技術もさることながら、音楽性と精神性が問われる。ヒンドゥスターニー音楽の演奏は、大きく分けてこのアーラープと打楽器との協奏部分であるガットによって成り立っているが、後者が多分に興奮やスリルや技術に重きが置かれる部分とすれば、アーラープは瞑想の部分といっていいかもしれない。
以上述べたアーラープのイメージは、ドゥルパド様式で行われるものを元にしている。しかし、同じドゥルパドでも、スタイルの違いによって特徴のある流れがある。それをバーニーといっているが、流派として区別するほど違いは大きくない。それぞれのバーニーの特徴は以下のようにいわれる。a.ガンダール
厳格、長く引き延ばす音や、ゆっくりとした展開
b.ダーガル
前者より修飾が多く、交錯したリズムも使用される
c.ナウハール
聴衆を驚かすような多彩な表現が豊富
d.カンダール
インド音楽独特の修飾技法ガマカの多用ハヤール・スタイルのアーラープ
ハヤールの声楽におけるアーラープに関しては、少し長いが、Ashok Da. Ranadeの説明を引用しておこう。
「声楽においては、アーラープは母音のアと結びつけられて解釈され、母音で演奏しなければならない、といったような議論も一般的である。これは特にハヤールでいわれている。そして、実際の演奏において、アが広く用いられる母音であることが示すように、ある程度正当性があるとされている。しかし、これは、音楽学的、語源学的根拠からというよりも、実際にそう演奏されていることからきている。音を長くのばすとき(旋律上、不可欠である)に母音が使われているということだけではなく、音域を越えて速く演奏されるときにもよく使用される。
現実的には、母音は呼吸をより消費する。こうしたことから、ドゥルパドやダマールでは(時にはハヤールでも)、母音と子音の組み合わせで行われる。それ故、ドゥルパドやダマールでは、ノーム・トーム(ノーム、トーム、リ、ダ、タナなどの無意味な文句でアーラープが演奏されることから)で演奏される。同じような根拠から、ハヤールでもコンポジションの歌詞と母音の組み合わせが使われていて、ボール・アーラープとして知られている。
マディヤラヤ・アーラープ(中テンポのアーラープ)のような用語がしばしば使われるが、これはある一定のテンポで行われることをさすものではない。しかし、アーラープは、一般にはゆっくりとしたテンポで行われるものだと理解されている。声楽での速いアーラープは、しばしばターン(音楽学的な意味では、厳密には誤りだが)であると認識されている。といっても、この用法はゆっくりとした部分と区別する意味で使われる」
ハヤールの、とくにシタールなどの弦楽器などにおいては、おそらくドゥルパド声楽様式の影響を受けて発展した、非常に緻密な発達したやり方がある、として、やはりAshok Da. Ranadeが、次のような構造を述べている。1.オウチャールAuchar(←utchar・・・アーティキュレーション)
特定のラーガであることを明確に示すのに十分な音を表現する第1段階
2.バンダン(←bhandan・・・束縛)
ラーガの特徴を示す強調した短い旋律
3.カイドQaid(←抑制)
一つの音を中心とした表現
4.ヴィスタール(←vi+stru・・・拡張する)
前の旋律から展開される、自由で制約のない表現古代から中世のアーラープ
さて、現代のアーラープの具体的な表現や解釈は以上であるが、では古代から中世には、アーラープはどう演奏されていたのだろうか。インド音楽は基本的に楽譜をもたない伝統なので、音楽理論書に記されたものから類推するしかないのだが。
古代インドの演劇理論書『ナーティヤ・シャーストラ』(紀元前2世紀から紀元後6世紀ころにバラタによって書かれたといわれる)には、「ドラマにおける言葉の表現形式として、12種類あげていて、その一つがアーラーパ、あいさつ、である。他に、ナンセンスな会話、悲しみの嘆き、同じセリフを繰り返す、などなど、それぞれに名前が付けられている」という記述がある。ここでは、字義通りに使われていて、今日のような音楽用語としてではない。ただ、古代インドの有名な叙事詩『ラーマーヤナ』の成立したころ(紀元3世紀といわれる)には、音楽形式としてのアーラープはあり、それは次のようなものであったとAdya Rangacharyaが書いている。
「ラーマーヤナ時代のアーラープは、低、中、高音域で、ドゥルト・ラヤで歌われ、スヴァラ・ヴィスタラであった」。
しかし彼は、その根拠を示していないので、事実かどうかはっきりしていない。ただ、9~11世紀のパールシュヴァヴェーダの『サンギータサマヤサーラ』には、アーラーパ・アーラプティの考え方が記されているとされるので、音楽用語としてのアーラープは、かなり早い段階から使われていたようである。
13世紀になると、アーラープが音楽の一つの形式として明確に記述された文献に出会う。それは、音楽理論の記念碑的著作といわれるシャールンガデーヴァによる『サンギータ・ラトナーカラ』である。そのなかでシャールンガデーヴァは、二種類のアーラープについて書いている。
一つは、グラハ、アムシャ、マンドラ、ターラ、ニヤーサ、アパンニヤーサ、アルパトゥヴァ、バフトゥヴァ、アウダヴァ、シャーダヴァが明確に表現される形式のラーガアーラーパ。グラハ、アムシャ・・・とは、それぞれラーガを特定する音の性格を表している。たとえば、グラハ(つかむ)は旋律の開始音、ニヤーサは終止音のことである。このように、ラーガの特徴を表すあらゆる要素を明確に表現する形式を、彼はラーガアーラーパだとしている。また、ラーガアーラーパの表現においては、テキストを伴わない。
もう一つは、テキストを伴ったルーパカアーラーパである。この形式が具体的にどう演奏されたのかは分からないが、テキストを伴う、とあるのであらかじめ用意された曲の演奏と推測される。
シャールンガデーヴァは、この他に、ターラの制約を受けないが一定のテンポを伴って行われるヴァルタニーと、ヴァルタニーの倍速ないしよりテンポの速いカラナという形式も紹介している。これらは、今日のジョールやジャーラーに近い。
インドでは西洋のように楽譜という記録様式がないため、彼の時代にこれらがどのように演奏されていたのかを想像するのは難しい。ただ、現代のように低音域から高音域へと音階を順次上っていくようなやり方ではなかったらしい。サーマ・ヴェーダの詠唱であるサーマ・サンギータやサーマ・ガーナのように、飛躍音の使用も一般的だったらしい。ともあれ、現代のヒンドゥスターニー音楽におけるアーラープは、インド音楽のエッセンスそのものといっても過言ではない。
参考文献『インド音楽序説』(B.C.デーヴァ著、中川博志訳、東方出版、1994)
Khyal by B.C.Wade, Cambridge University Press 1984
Sangita Ratnakara of Sarngadeva Vol.1, Motilal Banarasidas,1984
Evolution of Raga and Tala in Indian Music by M.R.Gautam, Mushram Manoharlal Publishers Pvt Ltd, 1989
Natyasastra by Bhrata, English Translation with Critical Notes by Adya Rangacharya, Mushram Manoharlal Publishers Pvt Ltd, 1996,
A Historical Study of Indian Music by Swami Prajnananada, Mushiram Manoharlal, 1981
Hindustani Music in the 20th Century by Wim Van Der Meer, Allied Publishers ,1980
Keywords and Concepts . Hindistani Ckassical Music by Ashok Da. Ranade, Promilla & Co., 1990
Indian Music History and Structure by Emmie Te Nijenhuis, E.J.BRILL, 1974